演劇

ボクの穴、彼の穴。

ボクの穴、彼の穴。  2020年9月

イタリアのデビッド・カリ&フランスのセルジュ・ブロック(イラスト)原作の絵本を2008年に松尾スズキが翻訳、はえぎわ主宰のノゾエ征爾が翻案・脚本・演出を手がけた舞台版の再演だ。見えない者同士が相手を恐れ、憎む。その負のスパイラルを乗り越えていくのは、相手も同じ人間かもしれない、と思い描くイマジネーションの力だ。コロナという敵や、大国間の軋轢が大小様々な分断を生んでいる今だからこそ、メッセージが重く響く。感染対策も板についてきた東京芸術劇場プレイハウス、前の方で8000円。休憩無しの1時間20分。

いつ、どこともしれない殺伐とした戦闘の跡。2つの穴にひとりずつ、敵同士の兵士(宮沢氷魚、大鶴佐助)が取り残され、相手の出方を伺っている。延々と続くそれぞれのモノローグ。殺さなければ殺されるという緊迫と、飢餓の恐怖から、やがて互いの境遇に思いがいたり…
3人めの主役は、田中馨の音楽か。ひりひりと閉塞する物語に、軽快さと広がり、若者の明日への予感を加える。星野源のSAKEROCKのベーシストだったんですねえ。大きな布を吊るして、穴を表現するシンプルな美術は乗峯雅寛。幕切れの天井から振るボトルに、自ら動いて初めて開ける、コミュニケーションの希望がにじむ。
小柄でインドア派という役回りの大鶴に、愛嬌と切なさがあって秀逸。雨のシャワーシーンの開放感など、笑いの表現も細やかだ。これに比べると、長身で学級委員タイプという宮沢はどうも平板だけれど、客席にファンが多くて健闘。ともに26歳だそうです。だいぶ年齢は違うけど、田中圭と浅利陽介とかの配役でも、観てみたいかな。
20200921-007

 

十二人の怒れる男

COCOON PRODUCTIPN2020 DISCOVER WORLD THEATRE vol9  十二人の怒れる男  2020年9月

「死と乙女」のリンゼイ・ポズナーがロンドンから遠隔演出、徐賀世子訳。米国の現状を思わせる、差別の醜さが際立つ舞台だ。休憩なし、充実の2時間。
少年は有罪か無罪か、お馴染みレジナルド・ローズ作の緊迫した討論劇だけに、リアルならではの空間の共有が有難い。連絡先の事前登録など、慎重な感染対策が続くシアターコクーンで1万800円。客席の前の方から長机の陪審員室をしつらえ、舞台側にも客席を作ってステージを挟むかたち。通常の袖の通路を通って、舞台側上手寄りに座るのは新鮮だ。シンプルな美術・衣装はピーター・マッキントッシュ。

「十二人の…」と言えばシドニー・ルメットの映画では陪審員8番(ヘンリー・フォンダ)の正義が痛快であり、2009年の蜷川版では3番(西岡徳馬)の父としての哀愁に胸を打たれた。
今回は、ただただ怒鳴り散らす不愉快な10番(円の吉見一豊)が、偏見の醜さを体現して印象的。終盤、ほかの11人が自分の心の中を見せつけられる思いに、背を向けて息を詰めるシーンが鮮烈だ。演出やタイミングによって、これほど変わる。演劇は生き物なんだなあ。

俳優陣はみな達者。特に説得力抜群の8番の堤真一、こだわりの強い3番の山崎一、論理的で格好いい4番の石丸幹二あたりは、後ろ向きでもセリフが明晰だ。スラム育ちの過酷を語る5番の少路勇介、チャラい広告マン12番の溝端淳平が個性を発揮。ヤンキー7番で舞台2度めの永山絢斗も頑張ってた。ほかに三上市朗、梶原善らが常識人として安定。
元は1954年のテレビドラマだから当然なんだけど、全員男性でジャケット着用。その違和感も一興ですね。演出は時差のため、日本時間の夜間、カメラ3台で中継したとか。この情熱が貴重。

20200912-009 20200912-014

赤鬼

赤鬼 2020年7月

野田秀樹が1996年初演の代表的戯曲を自ら演出、1700人以上の応募者からオーディションで選んだという育成プロジェクト「東京演劇道場」のメンバーらによる上演だ。スタイリッシュな演出、そして若い俳優陣の懸命さゆえだろう、2014年に観た中屋敷法仁演出版と比べても、人間存在の悲しさ、残酷さが際立った印象。東京芸術劇場シアターイースト、整理番号方式の1席おきの自由席で5000円。休憩なし90分。

小さい正方形の舞台スペースを客席が囲む仕立て。通路の方までビニールシートで覆った「ディスタンス」の現実が、時節柄とはいえ「異物」がテーマとなる本作と共鳴して、開演前から心がザワザワ。わずかな道具、スターのいないキャストだからこそ、「理解しようとしないことの罪」が鋭く刺さる。四半世紀をへた戯曲の普遍性、言葉の力を痛感。

妹がいったん九死に一生を得たのに、なぜ自ら死を選んだのかを、兄が回想していく物語。人物はシンプルな白い衣装、鬼だけが赤い飾りを付け、道具は揺れる丸テーブルなど(美術・衣装はなんと日比野克彦)。アンサンブルの組体操のような動きだけで、激しい嵐や波から共同体の裁判までを、自在に表現する。洞窟の壁画など、狭い空間に広がるイマジネーション。これぞ演劇、さすが野田さんです。

メーンキャスト4人は上演日によって4組あり、この日はAチーム。これが良かった。ミズカネは史劇などでお馴染み、声に力がある河内大和。嘘ばかりつきながら、共同体の息苦しさとは無縁の「海の向こう」を夢見つづける姿で、切なさと愛嬌を表現。兄とんびの木山廉彬は、無垢という難しい役どころを、時に笑わせながら飄々とテンポよく。鬼の森田真和はセリフが言葉にならない難役だけど、声が高くて、おばさんのような小鬼のような独特の存在感。関西をホームグラウンドに、木ノ下歌舞伎などに出ている役者さんなんですねえ。英語っぽいセリフ(I have a dreamなど)は演出によって違うようです。妹あの女は透明感がある夏子。

芸術監督として劇場再開の矢面に立つ、野田さんの気迫もひしひしと。終わってロビーには野田さんのほか、木ノ下裕一さんらしき姿も。

111415500_10223118168764076_364350090559

殺意 ストリップショウ

殺意 ストリップショウ  2020年7月

1950年発表、三好十郎の一筋縄でいかない「詩劇」を、栗山民也が演出。膨大なセリフで、思想や知識人の欺瞞、人間の本性の滑稽さをえぐり出す物語は、コロナ禍のどうしようもない迷走と響き合って辛辣だ。
それでいて決して観念的でなく、休憩なし2時間を飽きさせない。1987年生まれの鈴木杏が一人芝居を演じきり、類まれなピュアさを発揮して圧巻。シアタートラムの上手サイド、1席おきの配置で6000円。

高級ナイトクラブのワンセットで、最後のステージを終えたダンサア美沙が、客に身の上話を語っていく。いわく2・26事件の直後、九州から上京。病床の兄が尊敬する「進歩的思想家」山田教授の家で手伝いをしながら、夜学に通い、また劇団で女優を務める。ところが日本が戦争に突入すると、教授は一転して軍国主義に迎合。美沙はなお教授を信じて軍需工場で働き、思いを寄せた教授の弟は出征、戦死してしまう。
そして戦後、ダンサア兼娼婦に身を落とした美沙は、再び左翼に転じて指導者然としている教授に遭遇し、あまりの裏切りに強い殺意を抱く。しかし懐剣を握ってつけ狙ううちに、その恥ずべき秘密を知ることになり…

三好戯曲体験は、長塚圭史演出の2011年「浮標」2013年「冒した者」に続き3回目。相変わらず長くて深いけれど、今回は杏ちゃんの個性にすっかり引き込まれた。
ずっと露出の多いステージ衣装姿で、特に後半、赤毛のかつらを投げ捨ててからは床を這いずり、暗い憎悪とエグいセリフが満載になる。それなのに色気というより健康的で、むしろ子供っぽいほど。だから人の下劣さ、愚かさを見極めて笑い飛ばすラストが、何の救いもないんだけど妙に清々しい印象を残す。2018年「修道女たち」でも感じた才能が、一段と進化してます。ますます楽しみだなあ。

セットは後方に大きな古い鏡、前方に一人がけソファが一つ。美術はお馴染み二村周作。

20200724-003 20200724-004

ボーイズ・イン・ザ・バンド

ボーイズ・イン・ザ・バンド~真夜中のパーティー~ 2020年7月

なんと5カ月ぶりで舞台に足を運ぶ。シアターコクーンは半券に連絡先を書いて自分で箱に投入したり、飲食禁止だったり、前方にフェースシールドが配られたり、と厳戒態勢で、かなり緊張しました~ 1席おき、前の方正面の再販売で1万2000円。休憩なしの2時間。

エリア・カザンの助手も務めたマート・クローリーの1968年の戯曲を、2018年上演のブロードウェイ版(トニー賞獲得)で。上演台本・演出はお洒落な白井晃だ。
ゲイの告白を正面から描き、初演当時センセーショナルだったというストーリーは、今となっては現代史をみる印象。しかし自分の恥ずかしいコンプレックスを正視できず、それでも大切な人に受け入れてほしいと懸命にもがく、男たちの群像は古びていない。LGBTに加えて米国で改めてクローズアップされている人種差別や、格差、宗教、薬物依存、普遍的な親との葛藤も描かれる。愛する人に愛してると告げられない、切なさと可愛らしさ。

ステージはニューヨーク、アッパーイーストサイドにある、マイケル(安田顕)のアパートのワンセットだ。ゲイ仲間の誕生パーティーを開き、妖しいダンスで盛り上がっているところへ、ストレートの旧友アラン(大谷亮平)が現れ、ゲイへの嫌悪を口にして場は険悪に。そこへズケズケものを言う主役のハロルド(鈴木浩介)が到着、マイケルはよりによって、最も愛する人に電話をかけるという残酷な告白ゲームを始めてしまう。

地味なキャストだけど、安田、鈴木、浅利陽介の巧さが際立つ。安田はハリウッドの虚飾に疲れ、周りを傷つけ自分も傷つきながら真実を求める脚本家を熱演。鈴木も皮肉屋で自意識過剰のジューイッシュがはまり、浅利はオネエのエモリーを達者な身振りで演じ、存在感を発揮する。
ほかのキャストもそれぞれ見せ場があった。妻子もあって常識人ぽい教師ハンクに凛々しい川久保拓司、その同棲相手で浮気症のラリーに、宝塚スターみたいな声の太田基裕、心優しい黒人バーナードにカーリーヘアの渡部豪太、おバカな男娼カウボーイに富田健太郎。そして物静かな読書家ドナルドの馬場徹が、ラストにがっしりした体躯で包容力を示す。つかこうへい最後の愛弟子だそうです。

セットは1FがLDK、2Fが寝室とバスルームになっていて(美術は松井るみ)、演出も緻密で立体感があって、目が離せない。ハロルドがいつもポケットに入れている櫛とか。役者はほとんど出ずっぱりで、手前で誰かが会話している間、誰かが下手のバーカウンターや奥のキッチンで声を出さずに会話してたり、上手の階段で耳をすませていたり。
ラストで後方に浮かぶ、摩天楼の夜景が美しい。開演直前までと終演直後は、換気のためバックドアを開放してましたね。

20200723-003

 

 

クレシダ

クレシダ  2020年5月

平幹二朗最後の出演作となった舞台「クレシダ」を、番外編の録画で鑑賞。英国のニコラス・ライトが2000年に発表した戯曲を、芦沢みどり翻訳、森新太郎のシャープな演出で。2016年9月にシアタートラムで上演、シーエイティプロデュース。
1630年代ごろ、声変わり前の少年が女役だった時代のロンドン・グローブ座。劇場に居場所を見つけようともがく孤児スティーブン(浅利陽介)に、かつて名優だったけど、いまやその面影はないシャンク(平)が演技をつける。新旧のぶつかり合い、時代の移り変わりの残酷さと、その先に宿る舞台職人同士の敬意が染みます。

圧巻は上演時に評判だった2幕、「トロイラストとクレシダ」の熱血指導シーン。そこに至るまでのバックステージ模様がうまい。シャンクは金にだらしなく行きあたりばったり、スティーブンはなんとも不器用でちぐはぐで、ろくにセリフをしゃべれない。モテモテの花形女役ハニー(橋本淳)がからんで、1幕は下世話などたばたが繰り広げられる。
しかしスティーブンを急遽クレシダに仕立てるはめになり、スイッチが入ったシャンクは、シェイクスピア悲劇のセリフ回しを堂々ときかせる。平の落差と存在感。その大時代さに、浅利もなかなかどうして、負けてないのが偉い。必死に食らいつき、自分の道を見つけていく。

散りばめられるシェイクスピアのセリフも楽しく、高橋洋、花王おさむが安定の達者さでワキをかためる。シャンクの死の床を表す、幻想的な雲のセットが効果的だ。美術は堀尾幸男。

12人の優しい日本人 を読む会

12人の優しい日本人 を読む会  2020年5月

StayHomeWeek最終日の番外編は、三谷幸喜が東京サンシャインボーイズ時代に書き下ろした名作「12人の優しい日本人」の読み合わせを、YouTube生配信で鑑賞。出演者全員が自宅からZOOMで語るスタイルで、会議の戯曲を会議ツールで見せるというセンスが光る。

近藤芳正が発起人となり、盤石のオリジナルキャストを中心に吉田羊、Prayers Studioの妻鹿ありか、渡部朋彦を加えた豪華メンバー。冒頭と、なんとピザ配達人でヒゲの三谷さんが登場! 繰り返される「話し合いましょう」というセリフ、分断とストレスの時代に人の意見を聴くこと、独善を超えていくことが、心にしみる名演だ。演出は三谷フリークだというアガリスクエンターテイメントの冨坂友。14時から前半、長い休憩を挟んで18時から後半。雷鳴を聞きつつ1万人以上が視聴し、「無料なんて申し訳ない」とのコメントも多数。

物語は「もし日本に陪審員制度があったら」という架空の設定で、12人の一般市民が協議する。評決は全会一致が原則で、いったん全員が無罪に挙手したのに、陪審員2号が有罪を主張、それぞれ意見が二転三転していく。「ジンジャエール!」など「名台詞」でたっぷり笑わせつつ、付和雷同やら意固地やら拗ねモードやら、個性とバックグラウンドが見えてきて身につまされる、緻密な群像会話劇だ。「12人の怒れる男」の論理と正義感に比べて、日本人のなんとグダグダなことか。
劇団で1990年、91年、92年に上演。個人的には2005年パルコプロデュース版の録画(生瀬勝久、江口洋介ら)、1991年の映画版(中原俊監督、豊川悦司ら)を観たことがあるけど、全くひけをとらない感動でした。分割画面で舞台さながら、しゃべっていない人物の挙動をつぶさに観られるのが面白い。一人ずつ去っていくカーテンコールも巧かった。

1号…甲本雅裕
2号…相島一之
3号…小林隆
4号…阿南健治
5号…吉田羊
6号…近藤芳正
7号…梶原善
8号…妻鹿ありか
9号…西村まさ彦
10号…宮地雅子
11号…野仲イサオ
12号…渡部朋彦
守衛…小原雅人

20200506-006

天保十二年のシェイクスピア

絢爛豪華 祝祭音楽劇 天保十二年のシェイクスピア  2020年2月

井上ひさしが「天保水滸伝」風抗争劇に、シェイクスピア全37作を織り込んだミュージカルの奇作。気鋭の藤田俊太郎演出で、お下劣で暴力に満ちたアナーキー世界を、稀代の悪役・高橋一生や語り手・木場勝己らがパワフルに見せる。ブルースやボサノバが洒落てる音楽は、宮川彬良。浦井健治ファンが目立つ日生劇場、上手寄りで1万3500円。ちょっと散漫で、休憩を挟んで3時間半は長かった気もするけど。

舞台は下総の宿場町。渡世人・十兵衛(辻萬長)は長女お文(宝塚の樹里咲穂)、次女お里(ネクストシアター出身の土井ケイト)に家督を分け与える(リア王)。お文は義弟・九郎治(阿部裕)、お里は用心棒・幕兵衛(章平)をそそのかして、父と夫を手にかける(ハムレット、マクベス、オセロー)。無宿者・三世次(高橋)は老婆(梅沢昌代)のお告げで野望を抱き、幕兵衛一家に潜り込む(マクベス、リチャード三世、ジュリアスシーザー)。
お文の息子・王次(あくまで爽やかな浦井)が村に戻って仇討ちを決意するが、敵対する三女お光(唯月ふうか)と恋に落ちちゃう(ハムレット、ロミジュリ)。そこへ村の桶屋(木内健人)と花魁浮舟(熊谷彩春)の悲恋(ロミジュリ)、代官(新川将人)と妻(お光と双子で唯月が早変わり、間違いの喜劇)も絡んで、どんどんグチャグチャに。人々の愚かな所業を、木場がずっと舞台に立って冷徹に見守る。

期待通り、高橋の色気が突出。ラストは鏡に映った自らの醜さに打ちのめされ、死者たちに取り囲まれて、知盛よろしくセットの上段から消える。大詰めには、巨大な鏡で客席を映し、人間の業を突きつける蜷川流の演出。鮮烈なんだけど、今回は新型コロナのせいで、マスク姿が並ぶのが異様だったけど。美術は松井るみ、振付は新海絵理子&花柳寿楽。衣装はいのうえひでのり風の派手さ。

初演は1974年、今回は蜷川幸雄のリバイバルから15年ぶりの上演とか。to be or nat to beの訳を次々繰り出したり、言葉遊びなどがしつこいほどなんだけど、「教養」シェイクスピアに対する挑戦が横溢してた。

20200224-005

 

ヘンリー八世

彩の国シェイクスピア/シリーズ第35弾 ヘンリー八世  2020年2月

シリーズの演出を、蜷川幸雄から吉田鋼太郎が引き継いで3作目。大航海時代の堂々たるイングランド王・阿部寛を軸に、取り巻く人物の転落を描く、シェイクスピア最後の戯曲だ。戦闘などスペクタクルがないせいか、上演機会が少ないらしいけど、不遇に直面した人間のあがきがなんともリアルで、現代に通じる面白さ。シェイクスピアってホント普遍的! 笑いを散りばめた演出にもテンポがあって飽きなかった。彩の国さいたま芸術劇場大ホール、中段で9500円。休憩を挟んで3時間半。

ヘンリー8世といえば6度も結婚した女好きで、離婚したさにローマ・カトリック本山と決別、英国国教会を作っちゃった元祖「離脱」。オペラ「アンナ・ボレーナ」とか映画「ブーリン家の姉妹」のイメージです。冒頭のベッドシーンでそのあたりを象徴させつつ、王は苦悩の表情を浮かべる。
のっけから阿部の王様らしさ、隠しようのない誠実さが求心力を発揮して、目を引く。晩餐会で出会ったアン(可愛い山谷花純)を一瞬で見初めるあたりは身勝手だけど、決して傲岸不遜な人物には描いていない。ルネッサンス末期に強大な神聖ローマ帝国(ハプスブルグ家)や宿敵フランスとの駆け引きに心を砕き、国内が安定するよう男子の世継ぎを求め続けた。王様って孤独だよね~

とはいえ振り回される周囲はたまりません。王に取り入って我が世の春を謳歌する枢機卿ウルジー(吉田)の一派と、良識的なバッキンガム公爵(長身が映える谷田歩)・ノーフォーク公爵(聞きやすい河内大和)らがセット左右の階段に別れて、激しく対立。シンメトリーなセットがわかりやすい(美術は吉田演出の常連・秋山光洋)。まずバッキンガムがウルジーの策謀で処刑されちゃう。
そのウルジーも、陰でキャサリンとの離婚裁判を潰そうとしたことなどが発覚、王から切り捨てられ、失意のうちに没する。高慢、金満から一転、身ぐるみはがれて(実際、財産を没収されたんですね)延々と嘆き叫ぶシーンは、吉田の独壇場だ。愚かな人間の本性の、滑稽さと哀しさ。ウルジーの秘書兼恋人クロムウェルの鈴木彰紀(さいたまネクスト・シアター1期生)もなかなかの曲者ぶり。
いちばん可愛そうなのは王妃キャサリン。王の間違いをただそうとするほど、知的で真心があったのに、罪を着せられ寂しく死んでいく。宮本裕子が上品で、誇り高くて出色。ベテランだけど、発見でした~

すったもんだで結婚したアンは結局、女の子を出産。王も受け入れ、観客に配られた小旗を振って祝う。華やかな祝祭感のなか、ウルジーに代わって実力者となった若き聖職者トマス・クランマー(後のカンタベリー大司教、金子大地)が、この赤ん坊が栄光のエリザベス1世となることを予言して幕。さんざん男子のこだわった挙げ句の、歴史の皮肉。「おっさんずラブ」のモンスター新人・マロでブレークした金子は、初舞台でたどたどしかったけど、得な役でしたね。
左右に十字架を頂くアーチ、後方にオルガンのパイプを並べてシンプルかつ重厚。パイプ前にサミエルが陣取り、自作の「割り箸ピアノ」を奏でる。米国出身のミュージシャンで、前作「ヘンリー五世」上演時に劇場のアトリウムで演奏していて、吉田にスカウトされたそうです。幻想的だったりリズミカルだったり面白い。衣装(西原梨恵)もスタイリッシュで、王の白、王妃の青、枢機卿の赤などメーンの人物は豪華で印象的、ほかの人物はモノトーンを基調に現代的という組み合わせ。遊びも工夫してた。冒頭、貴族が仏フランソワ1世との会談(金襴の陣)を話題にするとき、首脳会談の報道写真風の絵を掲げ、似顔で横田栄司を登場させちゃうとか。

ところで本作、初演は諸説あるらしいけれど、1613年の上演中にグローブ座が全焼、という記録があるそうです。当のエリザベス1世没後からそう何年もたっていないのだから、今で言えば大正あたりの皇室物語という感覚か。生々しいはずだ。1628年には当時のバッキンガム公が観劇し、バッキンガム公処刑のシーンで席を立ち、その2カ月後に暗殺された、なんて逸話も。

20200223-003 20200223-007 20200223-012

FORTUNE(フォーチュン)

FORTUNE(フォーチュン)   2020年1月

英国の劇作家サイモン・スティーヴンスの世界初演作を、「ブラッケン・ムーア」などの広田敦郎訳、ローレンス・オリヴィエ賞のショーン・ホームズ演出で。仕掛けが多く知的で緊張感があるものの、ファウストものだけに、ただただ救いがなく… これから再演を重ねて磨かれていくのかも。東京芸術劇場プレイハウスの、ちょっと遠い2階上手寄りで1万500円。休憩を挟んで3時間弱。企画・製作はパルコ。

ゲーテ「ファウスト」を現代のロンドンに移し、気鋭の映画監督フォーチュン(森田剛)の転落を描く。あえてだだっ広い空間に、散乱する無数のダイエットコークの空き缶と、ぽつんと灯るコークが詰まった冷蔵庫の明かりが、フォーチュンの孤独、救いがたい虚しさを印象づける。薬物欲しさに知り合った謎の女ルーシー(田畑智子)と、12年間限定ですべての欲望をかなえる契約を結び、芯が強くて魅力的なプロデューサー、マギー(吉岡里帆)を手に入れる。しかし偽りの愛からは安寧を得られず、自暴自棄になって破滅していく。ままならない人生が苦しい。

死んだ父・ショーン役の鶴見辰吾が、のっけから怪しいラップで舞台回しを務めて達者だ。フォーチュンはただ、父親みたいになるのが怖くて、道を踏み外したのか。悪魔の田畑がコケティッシュで、存在感を示す。森田は相変わらず巧いものの、いつもの切なさは控えめだったかな。

ダークファンタジーなんだけど、ルーシーと出会う高層ビルのザ・シャードやら、クリエーターはチャップリン映画を全部観るべき、妙にリアルな契約書をめぐる言い合いやら、細部が作り込まれていて面白い。それだけに、フォーチュンの「目」が何を意味するのか?とか、もやもやも残る。ラストの「砂」は重そうだったなあ。ほかに市川しんぺー、平田敦子、菅原永二。

20200126-004

より以前の記事一覧