演劇

クレシダ

クレシダ  2020年5月

平幹二朗最後の出演作となった舞台「クレシダ」を、番外編の録画で鑑賞。英国のニコラス・ライトが2000年に発表した戯曲を、芦沢みどり翻訳、森新太郎のシャープな演出で。2016年9月にシアタートラムで上演、シーエイティプロデュース。
1630年代ごろ、声変わり前の少年が女役だった時代のロンドン・グローブ座。劇場に居場所を見つけようともがく孤児スティーブン(浅利陽介)に、かつて名優だったけど、いまやその面影はないシャンク(平)が演技をつける。新旧のぶつかり合い、時代の移り変わりの残酷さと、その先に宿る舞台職人同士の敬意が染みます。

圧巻は上演時に評判だった2幕、「トロイラストとクレシダ」の熱血指導シーン。そこに至るまでのバックステージ模様がうまい。シャンクは金にだらしなく行きあたりばったり、スティーブンはなんとも不器用でちぐはぐで、ろくにセリフをしゃべれない。モテモテの花形女役ハニー(橋本淳)がからんで、1幕は下世話などたばたが繰り広げられる。
しかしスティーブンを急遽クレシダに仕立てるはめになり、スイッチが入ったシャンクは、シェイクスピア悲劇のセリフ回しを堂々ときかせる。平の落差と存在感。その大時代さに、浅利もなかなかどうして、負けてないのが偉い。必死に食らいつき、自分の道を見つけていく。

散りばめられるシェイクスピアのセリフも楽しく、高橋洋、花王おさむが安定の達者さでワキをかためる。シャンクの死の床を表す、幻想的な雲のセットが効果的だ。美術は堀尾幸男。

12人の優しい日本人 を読む会

12人の優しい日本人 を読む会  2020年5月

StayHomeWeek最終日の番外編は、三谷幸喜が東京サンシャインボーイズ時代に書き下ろした名作「12人の優しい日本人」の読み合わせを、YouTube生配信で鑑賞。出演者全員が自宅からZOOMで語るスタイルで、会議の戯曲を会議ツールで見せるというセンスが光る。

近藤芳正が発起人となり、盤石のオリジナルキャストを中心に吉田羊、Prayers Studioの妻鹿ありか、渡部朋彦を加えた豪華メンバー。冒頭と、なんとピザ配達人でヒゲの三谷さんが登場! 繰り返される「話し合いましょう」というセリフ、分断とストレスの時代に人の意見を聴くこと、独善を超えていくことが、心にしみる名演だ。演出は三谷フリークだというアガリスクエンターテイメントの冨坂友。14時から前半、長い休憩を挟んで18時から後半。雷鳴を聞きつつ1万人以上が視聴し、「無料なんて申し訳ない」とのコメントも多数。

物語は「もし日本に陪審員制度があったら」という架空の設定で、12人の一般市民が協議する。評決は全会一致が原則で、いったん全員が無罪に挙手したのに、陪審員2号が有罪を主張、それぞれ意見が二転三転していく。「ジンジャエール!」など「名台詞」でたっぷり笑わせつつ、付和雷同やら意固地やら拗ねモードやら、個性とバックグラウンドが見えてきて身につまされる、緻密な群像会話劇だ。「12人の怒れる男」の論理と正義感に比べて、日本人のなんとグダグダなことか。
劇団で1990年、91年、92年に上演。個人的には2005年パルコプロデュース版の録画(生瀬勝久、江口洋介ら)、1991年の映画版(中原俊監督、豊川悦司ら)を観たことがあるけど、全くひけをとらない感動でした。分割画面で舞台さながら、しゃべっていない人物の挙動をつぶさに観られるのが面白い。一人ずつ去っていくカーテンコールも巧かった。

1号…甲本雅裕
2号…相島一之
3号…小林隆
4号…阿南健治
5号…吉田羊
6号…近藤芳正
7号…梶原善
8号…妻鹿ありか
9号…西村まさ彦
10号…宮地雅子
11号…野仲イサオ
12号…渡部朋彦
守衛…小原雅人

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天保十二年のシェイクスピア

絢爛豪華 祝祭音楽劇 天保十二年のシェイクスピア  2020年2月

井上ひさしが「天保水滸伝」風抗争劇に、シェイクスピア全37作を織り込んだミュージカルの奇作。気鋭の藤田俊太郎演出で、お下劣で暴力に満ちたアナーキー世界を、稀代の悪役・高橋一生や語り手・木場勝己らがパワフルに見せる。ブルースやボサノバが洒落てる音楽は、宮川彬良。浦井健治ファンが目立つ日生劇場、上手寄りで1万3500円。ちょっと散漫で、休憩を挟んで3時間半は長かった気もするけど。

舞台は下総の宿場町。渡世人・十兵衛(辻萬長)は長女お文(宝塚の樹里咲穂)、次女お里(ネクストシアター出身の土井ケイト)に家督を分け与える(リア王)。お文は義弟・九郎治(阿部裕)、お里は用心棒・幕兵衛(章平)をそそのかして、父と夫を手にかける(ハムレット、マクベス、オセロー)。無宿者・三世次(高橋)は老婆(梅沢昌代)のお告げで野望を抱き、幕兵衛一家に潜り込む(マクベス、リチャード三世、ジュリアスシーザー)。
お文の息子・王次(あくまで爽やかな浦井)が村に戻って仇討ちを決意するが、敵対する三女お光(唯月ふうか)と恋に落ちちゃう(ハムレット、ロミジュリ)。そこへ村の桶屋(木内健人)と花魁浮舟(熊谷彩春)の悲恋(ロミジュリ)、代官(新川将人)と妻(お光と双子で唯月が早変わり、間違いの喜劇)も絡んで、どんどんグチャグチャに。人々の愚かな所業を、木場がずっと舞台に立って冷徹に見守る。

期待通り、高橋の色気が突出。ラストは鏡に映った自らの醜さに打ちのめされ、死者たちに取り囲まれて、知盛よろしくセットの上段から消える。大詰めには、巨大な鏡で客席を映し、人間の業を突きつける蜷川流の演出。鮮烈なんだけど、今回は新型コロナのせいで、マスク姿が並ぶのが異様だったけど。美術は松井るみ、振付は新海絵理子&花柳寿楽。衣装はいのうえひでのり風の派手さ。

初演は1974年、今回は蜷川幸雄のリバイバルから15年ぶりの上演とか。to be or nat to beの訳を次々繰り出したり、言葉遊びなどがしつこいほどなんだけど、「教養」シェイクスピアに対する挑戦が横溢してた。

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ヘンリー八世

彩の国シェイクスピア/シリーズ第35弾 ヘンリー八世  2020年2月

シリーズの演出を、蜷川幸雄から吉田鋼太郎が引き継いで3作目。大航海時代の堂々たるイングランド王・阿部寛を軸に、取り巻く人物の転落を描く、シェイクスピア最後の戯曲だ。戦闘などスペクタクルがないせいか、上演機会が少ないらしいけど、不遇に直面した人間のあがきがなんともリアルで、現代に通じる面白さ。シェイクスピアってホント普遍的! 笑いを散りばめた演出にもテンポがあって飽きなかった。彩の国さいたま芸術劇場大ホール、中段で9500円。休憩を挟んで3時間半。

ヘンリー8世といえば6度も結婚した女好きで、離婚したさにローマ・カトリック本山と決別、英国国教会を作っちゃった元祖「離脱」。オペラ「アンナ・ボレーナ」とか映画「ブーリン家の姉妹」のイメージです。冒頭のベッドシーンでそのあたりを象徴させつつ、王は苦悩の表情を浮かべる。
のっけから阿部の王様らしさ、隠しようのない誠実さが求心力を発揮して、目を引く。晩餐会で出会ったアン(可愛い山谷花純)を一瞬で見初めるあたりは身勝手だけど、決して傲岸不遜な人物には描いていない。ルネッサンス末期に強大な神聖ローマ帝国(ハプスブルグ家)や宿敵フランスとの駆け引きに心を砕き、国内が安定するよう男子の世継ぎを求め続けた。王様って孤独だよね~

とはいえ振り回される周囲はたまりません。王に取り入って我が世の春を謳歌する枢機卿ウルジー(吉田)の一派と、良識的なバッキンガム公爵(長身が映える谷田歩)・ノーフォーク公爵(聞きやすい河内大和)らがセット左右の階段に別れて、激しく対立。シンメトリーなセットがわかりやすい(美術は吉田演出の常連・秋山光洋)。まずバッキンガムがウルジーの策謀で処刑されちゃう。
そのウルジーも、陰でキャサリンとの離婚裁判を潰そうとしたことなどが発覚、王から切り捨てられ、失意のうちに没する。高慢、金満から一転、身ぐるみはがれて(実際、財産を没収されたんですね)延々と嘆き叫ぶシーンは、吉田の独壇場だ。愚かな人間の本性の、滑稽さと哀しさ。ウルジーの秘書兼恋人クロムウェルの鈴木彰紀(さいたまネクスト・シアター1期生)もなかなかの曲者ぶり。
いちばん可愛そうなのは王妃キャサリン。王の間違いをただそうとするほど、知的で真心があったのに、罪を着せられ寂しく死んでいく。宮本裕子が上品で、誇り高くて出色。ベテランだけど、発見でした~

すったもんだで結婚したアンは結局、女の子を出産。王も受け入れ、観客に配られた小旗を振って祝う。華やかな祝祭感のなか、ウルジーに代わって実力者となった若き聖職者トマス・クランマー(後のカンタベリー大司教、金子大地)が、この赤ん坊が栄光のエリザベス1世となることを予言して幕。さんざん男子のこだわった挙げ句の、歴史の皮肉。「おっさんずラブ」のモンスター新人・マロでブレークした金子は、初舞台でたどたどしかったけど、得な役でしたね。
左右に十字架を頂くアーチ、後方にオルガンのパイプを並べてシンプルかつ重厚。パイプ前にサミエルが陣取り、自作の「割り箸ピアノ」を奏でる。米国出身のミュージシャンで、前作「ヘンリー五世」上演時に劇場のアトリウムで演奏していて、吉田にスカウトされたそうです。幻想的だったりリズミカルだったり面白い。衣装(西原梨恵)もスタイリッシュで、王の白、王妃の青、枢機卿の赤などメーンの人物は豪華で印象的、ほかの人物はモノトーンを基調に現代的という組み合わせ。遊びも工夫してた。冒頭、貴族が仏フランソワ1世との会談(金襴の陣)を話題にするとき、首脳会談の報道写真風の絵を掲げ、似顔で横田栄司を登場させちゃうとか。

ところで本作、初演は諸説あるらしいけれど、1613年の上演中にグローブ座が全焼、という記録があるそうです。当のエリザベス1世没後からそう何年もたっていないのだから、今で言えば大正あたりの皇室物語という感覚か。生々しいはずだ。1628年には当時のバッキンガム公が観劇し、バッキンガム公処刑のシーンで席を立ち、その2カ月後に暗殺された、なんて逸話も。

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FORTUNE(フォーチュン)

FORTUNE(フォーチュン)   2020年1月

英国の劇作家サイモン・スティーヴンスの世界初演作を、「ブラッケン・ムーア」などの広田敦郎訳、ローレンス・オリヴィエ賞のショーン・ホームズ演出で。仕掛けが多く知的で緊張感があるものの、ファウストものだけに、ただただ救いがなく… これから再演を重ねて磨かれていくのかも。東京芸術劇場プレイハウスの、ちょっと遠い2階上手寄りで1万500円。休憩を挟んで3時間弱。企画・製作はパルコ。

ゲーテ「ファウスト」を現代のロンドンに移し、気鋭の映画監督フォーチュン(森田剛)の転落を描く。あえてだだっ広い空間に、散乱する無数のダイエットコークの空き缶と、ぽつんと灯るコークが詰まった冷蔵庫の明かりが、フォーチュンの孤独、救いがたい虚しさを印象づける。薬物欲しさに知り合った謎の女ルーシー(田畑智子)と、12年間限定ですべての欲望をかなえる契約を結び、芯が強くて魅力的なプロデューサー、マギー(吉岡里帆)を手に入れる。しかし偽りの愛からは安寧を得られず、自暴自棄になって破滅していく。ままならない人生が苦しい。

死んだ父・ショーン役の鶴見辰吾が、のっけから怪しいラップで舞台回しを務めて達者だ。フォーチュンはただ、父親みたいになるのが怖くて、道を踏み外したのか。悪魔の田畑がコケティッシュで、存在感を示す。森田は相変わらず巧いものの、いつもの切なさは控えめだったかな。

ダークファンタジーなんだけど、ルーシーと出会う高層ビルのザ・シャードやら、クリエーターはチャップリン映画を全部観るべき、妙にリアルな契約書をめぐる言い合いやら、細部が作り込まれていて面白い。それだけに、フォーチュンの「目」が何を意味するのか?とか、もやもやも残る。ラストの「砂」は重そうだったなあ。ほかに市川しんぺー、平田敦子、菅原永二。

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神の子

コムレイドプロデュース「神の子」 2019年12月

観劇納めは作・演出赤堀雅秋。リアルなダメ人間たちの日常が、いつものように脱力系の笑いで描かれるんだけど、いい年したオトナの淡い恋が苦くて切ない。本多劇場の中ほど、やや下手寄りで8500円。休憩なしの2時間。

人生に何の展望もない池田(大森南朋)は、楽しみといえば警備員仲間の五十嵐(田中哲司)、土井さん(でんでん)と繰り出すパチンコぐらい。美咲(長澤まさみ)と出会って、柄にもなくゴミ拾いボランティアを始めるが、グループは怪しい新興宗教とつながっていて… 都市の孤独のよるべなさが、「美しく青く」の被災地とまた違った現代性を帯びる。

大森はだらしないキャラがはまって、「市ケ尾の坂」に続いていい感じ(個人的に、何故か当たり外れを感じる人)。クールな寅さんというべきか。長澤はコメディ味を封印し、影のあるギリギリの女を好演。涙も自然で、なかなか幅がある女優さんです。終始ヘラヘラした田中、思い込みの激しいでんでんは安定。2人と三角関係にあるスナックのママ、江口のりこが籐椅子シーンで驚かせる。キレるサラリーマン永岡佑と、同じく危ないフリーター赤堀に説得力があり、ボランティア仲間の石橋静河が見事なバレエを披露して、爽やか。珍しく田中がとちるハプニングがあったけど。

突然怒鳴りだすシーンが多いのは、閉塞感の現れなのかな。いつもながら随所に挟まる歌謡曲(青山テルマ!)と、雪が効果的。具象なんだけど削ぎ落としたセットは土岐研一。客席には秋元康さんらしき姿も。

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タージマハルの衛兵

シリーズことぜんvol3  タージマハルの衛兵   2019 年12月

令和元年も年末にきて、重い舞台を観てしまった。オハイオ出身のインド系作家、ラジヴ・ジョセフによる2015年の2人芝居を、名翻訳家の3代目・小田島創志の訳、小川絵梨子演出で。エグ過ぎる設定と、弱い個人が突きつけられる究極の選択。目を背けたいんだけど、ぐいぐい引きづられる。新国立劇場小劇場の前のほう、やや下手寄りで5832円。休憩無しの1時間半。

舞台は1648年、インド・ムガル王朝の都市アグラ。建設に20年以上を費やした王家の霊廟タージマハルが、ついに完成の日を迎える。生真面目な若者フユーマーン(成河)は、共に警備につく幼馴染みバーブル(亀田佳明)のやんちゃぶりに気を揉んでいる。やがて皇帝シャー・ジャハーンの残酷きわまりない命令が、2人を追い込んでいく。
権力の理不尽に対する怒りというよりも、フユマーンの深い絶望が胸をつく。凡人の保身、狡さは、誰だって覚えがあること。やってしまってからの、圧倒的な喪失感がなんとも辛い。だからといって、どんな選択肢があったのか。歴史で繰り返される、人間性否定の罪深さ。

小柄な成河が醸し出す切なさは、期待通り。対する自由人、亀田も達者だ。「岸 リトラル」主演も凄まじかったけど、今回の方が存在感が強かった。文学座恐るべし。
凄惨なシーンがある一方で、荘厳なタージマハルの光景や妄想の発明品など、観る者の想像力に訴える手法も印象的だ。特に空をいく鳥の群れの、自由への憧れ。美術は二村周作。

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Q

NODAMAP第23回公演「Q A Night At The Kabuki Inspired by A Night At The Opera」  2019年12月

映画で「ボヘミアン・ラプソディ」現象が起こる前に、クイーンメンバーからオファーを受け、名盤「オペラ座の夜」にちなんで野田秀樹が作・演出。いつにも増して2重3重のイメージの飛躍に目が回るけど、意外にストレートなメッセージが心に響く秀作だ。
シベリア抑留の悲劇から、人間性の否定に対する強い怒りが、そして30年後に届く手紙から、切ない鎮魂の思いが、時空を超えて立ち上る。終わらない争い、世界の分断のなんと罪深いことか。60代の野田さん、衰えてません。東京芸術劇場プレイハウス、後ろ寄り上手で1万2000円。休憩を挟んでたっぷり3時間だけど、長く感じない。

全編に楽曲が流れるものの、クイーンというよりも、「見立て」などカブキの印象が強い。お馴染み「ロミオとジュリエット」を、源平の争いに置き換え、1幕では生き残った、それからの瑯壬生(ろうみお、上川隆也)と、それからの愁里愛(じゅりえ、松たか子)が、映画「ゴースト」よろしく若い瑯壬生(志尊淳)と愁里愛(広瀬すず)を見守り、なんとか悲劇を食い止めようとする。ポップな舞台(いつもの堀尾幸男・美術、ひびのこづえ・衣装)に、寺子屋や熊谷陣屋、俊寛を思わせるシーンが散りばめられる。
届かない手紙の紙飛行機が、爆撃機に転じ、物語が深まるのは2幕。若き日の恋人の望み通りに「名」を捨て、無名戦士となった瑯壬生は、尼寺に行って(ハムレット!)従軍看護師となった愁里愛と束の間再会するものの、国家に翻弄されていく。存在をなかったことにしてしまう残酷さ、深い喪失感と絶望、それでも思い続けるということ。終幕に至ってクイーンの叙情が染みる。ドラマの合間には2019年を象徴する「ハカ」など、遊びもぎっちり。

松が凛として出色だ。マイムの仕草一つひとつが、高水準で美しい。頼朝の橋本さとしのかつらが落ちちゃうアクシデントで、咄嗟にポーンとかつらを蹴飛ばす瞬発力! さすが舞台女優、進化してるなあ。
対する上川は、コメディーセンスと生真面目さの切り替えで、舞台の核となる包容力を発揮。殺陣の切れ味が、発見でした。注目の初舞台、広瀬は声がよく伸びて、存在がキラキラして楽しみだ。志尊も健闘。金満・清盛と、おどおどした兵士の2役を演じた竹中直人が手練れ。ほかに源の乳母で野田秀樹、平の母などで羽野晶紀、平の家臣で小松和重、巴御前などで伊勢佳世ら。

分厚いパンフレットも豪華で、なんと吉永小百合との往復書簡も収録。チケットは購入時に来場者の氏名を登録したうえ、「指定の公的な文書」で本人確認する厳重さだった。野田さん、本気です。人気チケットでは、こういう煩雑さがデフォルトになっていくのかしらん。
劇場前の西口公園がきれいになって、屋外ステージもできてました~

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鎌塚氏、舞い散る

M&Oplaysプロデュース「鎌塚氏、舞い散る」  2019年11月

作・演出倉持裕のコメディ「完璧なる執事・鎌塚アカシ」シリーズも、もう第5弾。いつも通り、安心して楽しめる笑いとともに、今回はどんなにピュアに望んでも、手の届かないものがあるという、大人のもの悲しさが色濃かった。本多劇場の上手寄りで7000円。休憩無しの2時間強。
今回、鎌塚(三宅弘城)は北三条公爵家の未亡人マヤコ(大空ゆうひ)に仕えて、雪山の別荘にいる。パーティー続きのため、鎌塚は旧知の女中で、密かに思いを寄せる上見ケシキ(ともさかりえ)に助っ人を頼む。やってきたケシキさんはなんと婚約中。そしてマヤコも長年の恋心を胸に秘めていた…
主演2人のじれったいすれ違いに、お馴染み悪党だけど憎めない堂田男爵夫妻(片桐仁、広岡由里子)、その従者でケシキの婚約者ヨウセイ(小柳友)、堂田家をクビになった宇佐スミキチ(玉置孝匡)、若い女中ミア(岡本あずさ)がからんで、ドタバタを繰り広げる。
いつもながら三宅の抜群のリズム感、ともさかの気品が素晴らしい。それにしても久々の再会なのに、笑わせようと死んだフリするっていう登場シーン、おかし過ぎです。チープな雪山のセットや、突然の三宅&大空のデュエットも爆笑。ド派手な衣装の広岡、ひがみっぽい玉置の暴れっぷりも伸び伸びしてます。美術は中根聡子。

 

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ドクター・ホフマンのサナトリウム

KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「ドクター・ホフマンのサナトリウム~カフカ第4の長編~」  2019年11月

カフカファンを自任するケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出による、めくるめく脳内迷宮を楽しむ。「カフカ第4の長編小説が存在した」という架空の設定で、原稿でひと稼ぎしようとする男が不条理な小説世界、さらにはカフカが生きた過去に迷い込んじゃう。
タフな戯曲だと思うけど、オシャレな演出と、大好きな多部未華子はじめ豪華キャストの確かな演技で、余韻が深い。演劇好きが集まった感じのKAATホール、2階で9500円。休憩を挟んで3時間半。

晩年のフランツ・カフカと交流があった老女(麻実れい)がもっていた遺稿を、孫息子(渡辺いっけい)が見つけて出版社に買い取らせようと奔走。ひとクセある友人(大倉孝二)とともに、なぜかカフカが療養していた1920年代のサナトリウムにタイムスリップする。その小説のなかでは、うら若い女性(多部)が婚約者(瀬戸康史)戦死の知らせを受け、真偽を確かめようと戦地に向かう。

物語はとても入り組んでいる。けれどストーリーを追うというより、登場人物の美しい身のこなしなどからにじむ、生きることの不穏や孤独を味わう舞台だ。お馴染みプロジェクションマッピングと、シンプルな椅子などを動かしながら展開していく、精緻な構成に引き込まれる。ケラさんらしい、登場人物のパンダメークが虚構感を強める。映像は上田大樹、美術は松井るみ、小野寺修二が振付という、鉄壁の布陣です。
多部の健気さが際立ち、渡辺のこすっからさも説得力がある。もちろん、脇を固める犬山イヌコ、村川絵梨、緒川たまきらも安定。瀬戸がなんだか渋くなってきて、いいなあ。バイオリンなどの楽団が、演奏しながら演技にもからむスタイル。

実際にはプラハ生まれのユダヤ人カフカは、作家としては無名のまま40歳で病死。長編は3作とも未完で、没後に友人の編集者が発表したそうです。それがいまや、ジョイス、プルーストらと並び20世紀を代表する作家と言われていて、確かに物語にしてみたくなる存在だな。
プログラムがまた凝っていた。「フェイク」がテーマだけに、プログラムは見開きごとに袋とじになっていて、虚と実が交錯する作り。うなります。

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