演劇

ちょっと、まってください

ナイロン100℃ 44thSESSION 「ちょっと、まってください」  2017年12月

ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出。来年25周年を迎える劇団の3年ぶりの新作は、劇団ならではの、安定の不条理喜劇だ。男性も多い本多劇場、やや後ろ上手端で6900円。休憩を挟んで3時間強。

金持ち一家、父(三宅弘城)、母(犬山イヌコ)、兄(遠藤雄弥)、妹(峯村リエ)は退屈な日々を送っている。裏庭に住み着いちゃったホームレス一家、祖母(藤田秀世)、父(みのすけ)、母(村岡希美)、兄(大倉孝二)、妹(水野美紀)に屋敷を乗っ取られる。一家の没落には、ペテン師の使用人(マギー)の企みがあり、街を支配する飛行船と市民運動の対立も…と、いうストーリーは、あってないようなもの。賛成・反対や受付名簿などを巡って、かみ合わない会話とナンセンスな笑いが延々と続く。

斜めの窓がついた壁の折りたたみと、人力の回り舞台で、屋敷内と裏庭を何度か行き来する。別役実へのオマージュ満載とのことで、裏庭には象徴的な電信柱や月を配置。ナイロンお馴染みのプロジェクションマッピングが、不穏さを加える。美術は「陥没」などのBOKETA。冒頭、幕をちょっと開けるような照明で、俳優を紹介していくのが面白い。
不条理だけど、三宅、犬山をはじめとして俳優陣は間合いが良く、飄々と、かつ温かみを感じさせて不快感がない。のっけから白塗り、たれ目のメークなので、ブラックな笑いが分かりやすいし。
それにしてもこのメークだと、水野の美貌が際立つなあ。大好きな大倉は、飛び道具ぶりは控えめながら、電信柱に登ったり、時空を超えて葉書をやりとりしたりして、笑いと不思議感を牽引。メイドに小園茉奈。

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すべての四月のために

PARCO PRODUCE  すべての四月のために  2017年11月

鄭義信(チョン・ウィシン)の作・演出。1944年、日本統治下の朝鮮半島南に浮かぶ小さな島を舞台に、戦争に翻弄される理髪店一家を描く。コミカルさを前面にだしつつ、苛烈な状況でも恋をし、ジョークを言い合って生き抜く庶民群像をしみじみと。ジャニーズファンが多そうな東京芸術劇場プレイハウス、中央あたりで9500円。休憩を挟み3時間弱。

タッチは終始、ややまったりと柔らかい吉本喜劇風だ。大切な告白ほど怒鳴るように喋ったり、やたらポーズをとったり下世話に踊ったり。2012年「パーマ屋スミレ」のような陰影は乏しい。しかし理不尽な目に遭っても、季節は巡ってくると繰り返す乾杯の歌は胸に染みる。未来の世代に幸せがあれば、そう思うと胸の奥が温かくなる…。

日本名を名乗る4姉妹の恋模様、国家の対立が招く人間関係の歪みが、物語の軸だ。理髪店を手伝う冬子(西田尚美)は支配する側の将校(近藤公園)と恋に落ち、教師の秋子(臼田あさ美)と歌手志望の夏子(村川絵梨)は日本軍に協力しつつ、夫(森田剛)、元夫の付き人(中村靖日)をそれぞれ戦争にとられてしまう。春子(伊藤沙莉)は憲兵(小柳友)と心を通わせるものの、抗日に加担して悲劇に陥る。勝気な母(麻実れい)は戦後、村八分にあい、夫(山本亨)にも先立たれて、ひとり島に取り残される。それでも時を経て、訪ねてきた孫(森田の2役)との交歓に、未来への希望が宿る。

西田の健気さが、舞台をしっかり牽引。森田が暗い存在感を抑えて、姉妹の間で揺れ動いちゃうダメ男を軽妙に造形したのが目を引く。どこか欠けている雰囲気がいい。変人と言われながら克明につけていた日記が、やがて孫を呼び寄せることになるわけだし。
姉妹の残る3人も芯が強く、危うい臼田、蓮っ葉な村川、ハスキーで正義感が強い伊藤と、キャラがくっきりしていた。男たちは苦悩が深く、特に長身を丸めるように春子に寄りそう小柳が哀切。大人計画の近藤に渋さが出てきた。秋子を慕うピュアな二等兵は稲葉友。中村は飄々として、皿回しまで披露する。やるなあ。
理髪店のワンセットで、窓の向うに時空が広がる感じが巧い。美術は二村周作。
ホワイエには丸山隆平らしき姿もありました。

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ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ

シス・カンパニー公演 ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ  2017年11月

チェコ生まれの英国人トム・ストッパードのデビュー作(1966年初演)を、小川絵梨子が翻訳・演出。影の薄い端役2人を中心に据え、「ハムレット」を不条理劇にしちゃうアイデアが冴えている。なんら説明されないまま死に至る、無名の人々の当惑、不安を、人気の菅田将暉と生田斗真がフレッシュに。でもちょっと難しかったな。若い女性で立ち見も出た世田谷パブリックシアター、上手寄り中段で1万円。なんと休憩2回で2時間半。

デンマーク王から呼び出されたロズ(生田)とギル(菅田)。冒頭から、コインゲームで表が出続けて、世界の異常さを描き出す。宮廷にたどり着き、2人の区別もろくにつかない王(小野武彦)と王妃(立石涼子)から、乱心した学友ハムレット(ちょっと怖い林遣都)を探れと命じられるが、逆に質問攻めにあって成果ゼロ。訳のわからないままハムレットと共に、船で英国に送られることになるが、イングランド王への手紙はすり替わっていた。2人の死は、セリフ一言で片付けられてしまう…

暗い舞台の前方、ほとんどが主演2人のカオスな掛け合い。彼らの立場から戯曲を見れば、世界はただ一貫性がなく、理不尽なだけ。市井の人々の運命とは、たいがいそういうもの、ということか。ドライでコミカルながら、哲学的でもあり、中盤が長く感じる。そういえば2016年に観たストッパードの「アルカディア」も難解だったなあ。

膨大なセリフをこなす菅田が生き生きとして、線が細いだけに、苛立ち、必死さが光る。繰り返し冒頭から状況を整理して、なんとか運命を理解しようとするさまが虚しい。映画やドラマに引っ張りだこで、この戯曲に挑戦する姿勢は偉いです。
生田は終始茫洋。旅一座の座長(半海一晃、改めて小柄なかた!)が虚実を行き来し、役者を巡るセリフ等ではっとさせる。オフィーリアとホレーシオの2役で安西慎太郎。
舞台は暗く、後方の半円形の階段を出入りする本家ハムレットの主役たちは、淡々として、あくまで背景という印象。贅沢な配役です。冒頭にスタッフの準備作業を見せ、劇中劇もある入れ子構造。美術は伊藤雅子。
客席にはムロツヨシさんらしき姿も。

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出てこようとしてるトロンプルイユ

ヨーロッパ企画第36回公演「出てこようとしてるトロンプルイユ」 2017年11月

「企画性コメディ」を掲げ、岸田國士戯曲賞を獲得した上田誠の作・演出。今回の企画は「だまし絵コメディ」で、堂々巡りの美術論、うんちくで、これでもかと笑わせる。ただ面白かった2014年「ビルのゲーツ」と比べると、詩情が薄いかな。KAAT神奈川芸術劇場の大スタジオ、中央あたりで4500円。2時間強。

1930年ごろのパリ。老画家が不慮の死を遂げ、因業大家(中川晴樹)に命じられた売れない画家3人組(本多力、諏訪雅、石田剛太)が、部屋を片付けに来る。すると出てくる出てくる、絵が飛び出して見えるトロンプルイユ(だまし絵)の連作。やがて描かれた虚が実を侵食し、アフリカからやってきた画家の卵(金丸慎太郎)、大家の甥(木下出)、モデルをしていた娼婦(「クヒオ大佐の妻」がよかったハイバイの川面千晶)、金満画家(お馴染みハイバイの菅原永二)らを巻き込んで、ドタバタになだれ込む。

片付けそっちのけで、やたらカフェにだべりに行きたがるダメ男たち。フォービズムやらシュールリアリズムやら、知識を披歴しあうさまが愛らしく、なんとなく現代日本のオタクに通じる雰囲気だ。アートの陰に埋もれていった大量のだまし絵は、まさにトリッキー。ただ終盤、シーンの繰り返しはちょっと冗長で、観ていて疲れちゃったかな。本物の天才の筆が、虚の力で実を変えていく展開がもっとはっきり伝わったら、痛快だったかも。ダリ恐るべし。

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散歩する侵略者

イキウメ「散歩する侵略者」  2017年11月

前川知大作・演出による2005年初演作の、4度目の上演を観ることができた。2013年「片鱗」と並ぶ傑作。妻・鳴海を演じる内田慈の切なさが出色で、愛を知った夫・真治(浜田信也)の慟哭も、観る者を揺さぶる。戦争であれ平和であれ、進む道を決めていくのは、人がもつ「概念」のありよう。いつものように知的で、現代を問う戯曲を、感動と共に。若い演劇ファンが集まった感じのシアタートラム、中央あたりで4800円。休憩無しの濃密な2時間強。

設定はイキウメお得意の、日常に入り込む不穏なホラーSFだ。日本海に面した基地の町で、3日間の謎の失踪から戻った真治は何故か、家族とか所有とか、基本的な概念への理解を失っていた。そして鳴海と姉夫婦(松岡依都美、板垣雄亮)に見守られながら、近隣を散歩しては出会う人から概念を「収集」するようになる。
その頃、凄惨な一家心中を生き残った娘(天野はな)や、傲慢な高校生(ゾクッとさせる大窪人衛)という、真治同様の存在の出現を知ったジャーナリスト(飄々と安井順平)と医師(盛隆二)は、彼らの恐ろしい正体にたどりつく。折しも隣国との軍事的緊張の高まりに、無職の男(森下創)と後輩(栩原楽人)は彼らを積極的に受け入れようとするが…

主演2人の透明な不安定さが、舞台を牽引する。夫がどこか無垢になったことで、内田が戸惑いながらも冷え切っていた関係を再構築していくのが、微笑ましくも哀しい。「それをもらうよ」という「侵略者」のセリフの静けさ、大事なことほど恥ずかしくて口にできないという、繊細な心のひだ。
浜辺にも室内にもなる抽象的なワンセット。突如ギザギザの亀裂に人物がはまり込む動きや、俳優の顔を照らしだす白いライトが、超常現象を表現していて巧い。美術は土岐研一。
容赦なくセリフにかぶさる航空機の爆音が、迫りくる軍事衝突を予感させ、昨今の現実とオーバーラップして、胸をざわつかせる。いま、観るべき舞台でした。

黒沢清監督が映画化し、WOWOWでスピンオフドラマを作り、さらにその劇場版を上映、という展開も、時代とのシンクロを感じさせます。

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リチャード三世

東京芸術祭2017芸劇オータムセレクション「リチャード三世」  2017年10月

お馴染み、稀代の悪役を描くシェイクスピア劇を、ルーマニアの鬼才シルヴィウ・プルカレーテが演出。ダークなラップ風の歌や白塗りが、読み替えを通りこして、すっかりアングラの趣き。革命とか難民とか、東欧のバックグラウンドはさすが一筋縄でないなあ。タイトロールの佐々木蔵之介をはじめ、個性的な俳優陣が人の愚かさを抉り出す。木下順二訳をベースに、演出家が上演台本を手掛け、演出補は谷賢一。東京芸術劇場プレイハウス、中ほど上手寄りで8500円。休憩を挟み3時間弱。

天井の高いがらんとした空間の3方を、石垣模様の布でとり囲み、手術室風の大型ライト、錆びたロッカーやストレッチャー、古いバスタブを多用する。雰囲気はずばり、ホラー映画の呪われた病棟だ。不揃いな椅子やチェーンソーも登場。冒頭から俳優陣が、足踏みしながら酒をあおるのは、ちょっと前衛舞踏のよう。ストーリーそっちのけで、この殺伐さこそが主役だと思えてくる。
リチャード3世はイメージを覆して、醜さは実は演技、という設定だ。だからお約束の劣等感とか詭弁の要素は薄く、常に理由もなくニヤニヤ、ダラダラしている。だからこそ罪を罪とも思わない、救いようのない精神のひずみが際立つ。バケツを抱えて何かを貪るなど、手下2人を含めて、卑しい食のシーンが多いのも象徴的。

曲者揃いのキャストがまた、演出を受けて立つ。なんといっても佐々木が期待通りの存在感。蹂躙されるアン夫人の手塚とおる、リチャードを呪うマーガレットの今井朋彦も、佐々木に負けず劣らず、怪しさ満載だ。母・ヨーク公夫人は低音が響く壌晴彦、兄エドワード四世は阿南健治、その妻エリザベスは花組芝居の植本純米、早々にやられちゃうクラレンス公は長谷川朝晴、盟友バッキンガム公に山中崇、対抗するリヴァース伯に山口馬木也、そしてヘイステイングズ卿にはそとばこまち出身の八十田勇一。原作ではセリフ一つながら、舞台を見守る代書人役で、唯一の女優・渡辺美佐子が要所を押さえる。

野太い音楽はヴァシル・シリー。チンドン屋風に、舞台上をサックス隊が練り歩く。俳優の顔写真入りの人物相関図が配られていて、親切でした。

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トロイ戦争は起こらない

トロイ戦争は起こらない  2017年10月

フランスの外交官で、従軍経験もあるジャン・ジロドゥの知的な戯曲を、最近では「豚小屋」がよかった栗山民也が演出。ギリシャ神話を舞台に、なんとか開戦を回避しようとするトロイ王子エクトール(鈴木亮平)の苦闘を描く。
難しい対話劇で、正直、集中できないところもあったけど、まさに二次大戦へなだれこもうとする1935年初演とあって、「歴史のIF」の意味が深い。女性中心ながら、年配男性客も目立つ新国立劇場中劇場、上手寄り前の方で8640円。休憩を挟み3時間弱。

王女カッサンドル(江口のりこ)の不吉な予言通り、弟パリス(川久保拓司)が蠱惑的なスパルタ王妃エレーヌ(一路真輝)を略奪して、両国は一触即発の危機に陥る。トロイ王(劇団昴の金子由之)、元老院長の詩人デモコス(大鷹明良)、幾何学者(花王おさむ)らが開戦に傾くなか、闘いの虚しさを思い知るエクトールは、妻アンドロマック(鈴木杏)にも後押しされ、ギリシャの使者で知将オデュッセウス(谷田歩)との話し合いに臨む。
「悪口の発明」、世代の対立など、軍事力行使へとなだれ込んじゃう世論の描写はコミカルかつ、とても皮肉で、示唆に富む。美女エレーヌの存在は、絶望的な社会の勢いの言い訳でしかない。
そういう流れに抗する外交は、柔軟なものとして位置づけられている。闘いを避けるという意志さえあれば、理屈は何とでも言える、という高度な知性に、一縷の希望が見える。それでも、平和のうちに幕を下ろし切ることはかなわないのが史実だ。果たして現代の世論は、どちらの結末を選択するのか? 「続きはホメロスで」、という「勝者の歴史」が苦い後味を残す。翻訳は岩切正一郎。

演出は淡々としつつ緻密。大人っぽくなって明晰な杏ちゃん、社会を冷ややかに見つめる江口の存在感が際立つ。ニヒルな谷田も安定。鈴木亮平は長セリフを達者にこなし、ステージ前方に踏み出してのシーンなど、真摯で好感がもてるけど、色気は今ひとつか。トロイ王妃とイリスの2役で三田和代。
傾斜のあるシンプルな円形のステージに、後方の高い壁で海辺や、運命の「戦争の門」などを表現し、広がりを感じさせる。美術は二村周作。音楽の金子飛鳥が下手でヴァイオリンを演奏。

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オーランドー

KAAT×パルコプロデュース「オーランドー」  2017年10月

英バージニア・ウルフによる1928年発表の不思議ファンタジーを、シカゴ出身のサラ・ルールが翻案、1998年に初演した戯曲。おもちゃ箱をひっくり返したよう。演出の白井晃が、2016年の名作「ディスグレイスト」直後の小日向文世に新幹線で乗り合わせ、その場で構想をプレゼンして実現した公演だとか。小田島恒志・則子の翻訳で、KAAT神奈川芸術劇場大ホールの、中段やや下手寄りで8500円。休憩を挟み2時間半。

16世紀から18世紀に至る、イングランド貴族オーランドー(多部未華子)の荒唐無稽な冒険談。前半は美青年、後半はなんと女性に転じつつ、エリザベス1世(小日向文世)をはじめ、時代も性別も超えて恋愛遍歴を繰り広げながら、詩を編んでいく。原作はジェンダー論として研究されているらしいけど、理屈っぽくない人生賛歌という感じかな~

ウルフの同性愛の相手がモデルだというタイトロールを、多部がほぼ出ずっぱりで、しなやかに。派手派手の小日向も楽しそう。メーン2人に加えて、達者な野間口徹、池田鉄洋、戸次重幸、そしてバレエ経験のある小芝風花が、目まぐるしい衣装替えで20以上の役とコーラス(ナレーション風)をこなし、笑いもたっぷりと。キャスティング贅沢過ぎです。
広い空間を、巨大な樫の木など限られたセットで、華麗に見せる(美術は松井るみ)。音楽の林正樹が下手でピアノを弾き、上手にもマルチリード(複数の管楽器)とパーカッションがいて、ミュージカルのよう。俳優はマイク使用。
客席の渡辺えりさんが目立ってました~

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関数ドミノ

関数ドミノ  2017年10月

2014年の再々演がよかった前川知大の不穏かつ緻密なSFを、「お勢登場」の寺十吾(じつなし・さとる)が演出。駄々っ子のような瀬戸康史に焦点を絞った印象で、イキウメ独特の浮遊感は少なく、瀬戸の発散する歪みがリアルだ。ちょっとイライラするほどだけど、その分、大詰めで勝村政信が噛んで含めるメッセージが、希望の余韻を残す。今回は2009年版がベースだそうだ。
ワタナベエンターテインメント主催。女性ファンが集まった本多劇場の、中段上手寄りで7500円。休憩無しの約2時間。

ある町で、不可解な交通事故が起きる。車が大破したのに、ぶつかったはずの田宮(池岡亮介)は無傷。保険調査員の横道(勝村)が田宮の連れの作家・森魚(柄本時生)、目撃者の真壁(瀬戸)、秋山(小島藤子)に事情を聞くと、真壁は森魚について奇妙な「ドミノ仮説」を唱えだし、さらにはカウンセリングで知り合った土呂(長身の山田悠介)を巻き込んで「証明」に乗り出す。

後半、無意識に体をかきむしる瀬戸の演技が、不公平感、ひがみに凝り固まった苦しい内面を映し出して、鬼気迫る。「マーキュリー・ファー」の俳優さんだもんなあ。対峙する柄本の普通さが強靭で、いかにもなセリフの間合いも絶妙だ。また柄本にジェラシーを抱く池岡に、なかなか陰影があり、何故か瀬戸を支え続けるショートボブの小島は、透明感が印象的。
楽しみな若手それぞれの奮闘が、勝村の登場で見事に連携しだすのに、また目を見張る。常に一歩ひいて舞台を俯瞰しており、セットの不自然さを逆手にとって、しつこく笑いをとるあたりも、さすが! いつもレジ袋をぶら下げているし。大人だなあ。瀬戸を気にかけるカウンセラー、大野の千葉雅子も安定。

陰影の濃いステージ。後方左右に段差のあるボックスを置き、暗転と最小限の家具の出し入れでシーンをつなぐ。ラスト、上方で回る小さい風車は、時の流れの象徴なのか。美術は「薄い桃色のかたまり」に続いて原田愛。

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薄い桃色のかたまり

さいたまゴールド・シアター第7回公演「薄い桃色のかたまり」  2017年9月

故蜷川幸雄が育てた平均年齢78歳のシニア劇団を、2007年第1回公演以来、久々に。その第1回を書き下ろした、大好きな岩松了の作・演出で。演出助手には井上尊晶の名も。休憩を挟んで3時間強。
会場は演劇好きが集まった感じの、彩の国さいたま芸術劇場の「インサイド・シアター」。整理番号をもらい、大ホールの裏階段を降りていくスタイルで、非日常感が強い。黒幕をめぐらせた、だだっ広い空間にコの字の客席を据え、客席の間の急な階段も使って展開する。

物語は6月に観た「少女ミウ」に続き、未曽有の震災から6年たった被災者と、復興の欺瞞を描いていて、メッセージ性が強い。添田(宇畑稔)の自宅は避難中にすっかり荒れ、野生の猪が徘徊している。帰還を目指し、隣人たちと流された線路の復旧に汗をかくが、親切な「復興本社」のハタヤマ(堅山隼太)、妻(上村正子)、世話焼きの道子(田内一子)らの間に不穏な空気が流れる。そこへ小高い丘に立つ若い男(内田健司)、都会から行方不明の恋人を探しにきたミドリ(佐藤蛍)の物語が重なって…

「視界から色を失う」ほどの不条理、不気味な獣が象徴する人間の無力さ、そして加害者・被害者が抱えるねじれ。「うらむことはやめようと決めた」という老人のセリフが重い。それでも、この土地には若い恋人同士の、春になったら会おうと言った断ち切られた約束が、確かにあったのだ。蜷川演出へのオマージュのような、桜と未来につながる線路の、鮮烈なラストシーンが胸を締め付ける。鮮やかな美術は「少女ミウ」に続き原田愛。

ゴールド、ネクストの俳優の組み合わせによって、現在と過去が交錯する、幻想と企みに満ちた構成。いつもながら緻密な戯曲が、高齢の俳優によって時々乱されちゃうのが新鮮だ。同時に、お年寄りが発散する色気が不思議な愛嬌となって、舞台に軽みを醸し出す。傘をもった群舞も素敵。いつものようにサイン入り戯曲本を買いました!

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