演劇

TERROR テロ

TERROR テロ    2018年1月

7万人の命を救うために、164人を犠牲にした男は有罪か無罪か? 決めるのは観客。ミステリー連作「犯罪」がとても良かったフェルディナント・フォン・シーラッハの、知的刺激と緊張感に満ちた法廷劇だ。酒寄進一訳、最近では「謎の変奏曲」が秀逸だった森新太郎の演出で。
パルコと兵庫県立芸術文化センターの共同製作で、演劇ファンが集まった感じの紀伊国屋サザンシアターTAKASHIMAYA、上手寄りかなり前方で7800円。休憩2回を挟んで3時間。

観客は「参審員」として法廷に参加し、判断を迫られる。入り口でカードが配られ、2幕終了後に有罪、無罪の箱に投票、その評決に応じて終幕が変化する。
ベルリンの刑事弁護士でもある作家が提示する設定は、実に重い。テロリストが民間機をジャックして、サッカー場への墜落を宣言。独断で機を撃墜し、7万人の命を救う代わりに乗員乗客164人を犠牲にした空軍少佐コッホ(松下洸平)が殺人罪に問われる。老獪な弁護士(橋爪功)はテロの脅威、法の限界を訴え、検察官(神野三鈴)は厳然と、命を数で天秤にかけることの罪、人間の尊厳を主張する。
コッホの上司(堀部圭亮)に、暗黙の了承があったのか。サッカー観戦客の大規模避難や、被害者遺族(前田亜季)が叫ぶような乗員乗客によるテロリスト制圧という道はあり得たのか。
すべてが簡単に割り切れるような問いではない。机と椅子数個のみと、実にシンプルな道具立てで、今井朋彦の裁判長があくまで冷静に審議を進めるだけに、厳格で、観る者を追い込むような言葉のバトルが際立つ。美術は「足跡姫」などでお馴染み堀尾幸男。

初演の2015年はパリでシャルリー・エブド襲撃事件、同時多発テロが大きな衝撃を与えた。その後も各地で事件が続いているのが、非情な現実だ。プログラム掲載の上演記録(18年1月6日現在)が興味深い。観客投票の61%が無罪で、欧米や中東、オーストラリアの上演では無罪の結論が多数を占めるのに対し、日本(2016年公演)や中国では有罪が目立つ。これはテロの不安との距離感なのか。これからこの比率はどうなっていくのか…

2013年からシーラッハの朗読を手がける橋爪が、くだけつつも、さすがの練度。凛とした神野と、いい対照だ。抑制から感情の爆発に至る前田が熱演。
客席には山田洋次さんらしき姿も。

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アテネのタイモン

彩の国シェイクスピア・シリーズ第33弾「アテネのタイモン」  2017年12月

2017年の観劇納めは、亡き蜷川幸雄からシリーズ芸術監督を引き継いだ吉田鋼太郎演出作の千秋楽。観客も俳優陣も、鋼太郎応援モードですね。特に2幕、藤原竜也との論争&取っ組み合いが、役の上でもリアルでも、互いに認め合う雰囲気が伝わって涙を誘う。人はなぜ、真に尊重すべき相手の言葉に、正しいタイミングで耳を傾けられないのか。現代の企業経営に通じるかも。
男性が目立つSSS固定客に、柿澤勇人の女性ファンも加わった感じの、彩の国さいたま芸術劇場大ホール、前のほう中央のいい席で9500円。休憩を挟んで3時間弱。

戯曲は英語圏でも上演機会が少ないとあって、なんだかすっきりしない。研究では若手ミドルトンとの合作とか、実際に上演していなくて未完成だとか指摘されているようだ。笑いとケレンでリズムをつけようとする苦心が伺える。
衰退期アテネの富豪タイモン(吉田)はお人好しで、貴族たちや芸術家、商人に惜しげなく金品を与えていた。ところがついに破産すると誰も助けてくれず、屋敷に火を放って森をさまよう。人間不信に陥り、ひとり耳の痛い助言をしてくれていた哲学者アペマンタス(藤原)、変わらず忠誠を示す執事フレヴィアス(横田栄司)に背を向け、追放された武将アルシバイアディーズ(柿澤)が蜂起して、身勝手な元老院議員が助けを求めてきてもこれを拒絶。激しく怒り、世界を呪いながら死んでいく。
さんざんお追従を言いながら、しれっとタイモンを裏切っちゃう貴族たちはもちろん、散財を止めきれなかったアペマンタス、フレヴィアスにも罪はある。「あの時は誉めてたじゃないか」というタイモンの反論が切なく、誠実とは何かを考えさせる。

吉田はもちろん藤原、柿澤ものっけから声を張り、客席通路を歩き回って気迫の熱演。さしずめ「全員鋼太郎」の様相だ。個人的には「海辺のカフカ」の柿澤が、暗い色気で存在感を示したのが収穫。ほかに詩人の大石継太、貴族の谷田歩や松田慎也、召使の河内大和、松本こうせい、使者の白川大などよく拝見している俳優陣が安定。
俳優たちがウォーミングアップし、吉田が「始めよう」と声をかけてスタートし、前半は屋敷前の白い階段、大量の赤い証文を効果的に使用。貴族たちが次々タイモンを裏切っちゃうくだりでは、入浴シーンなどでテンポよく笑わせ、横一列に並んだ「最後の晩餐」と赤い照明で破滅を印象づける。後半は枯れ枝を敷き詰めた暗い森、巨大な城壁をダイナミックに転換。踊り子たちの色っぽい群舞や、アルシバイアディーズ軍の背の高い旗がアクセントに。墓碑銘が読み上げられた後も、タイモンが後方の高台から世界を睨みつけて幕となりました。

カーテンコールで吉田鋼太郎が蜷川組スタッフへの感謝などを語り、拍手。ホワイエには堀威夫さん、客席には白石加代子さんと、関係者が多い感じでした~

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流山ブルーバード

M&Oplaysプロデュース 流山ブルーバード  2017年12月

観るのは今年3本目の赤堀雅秋作・演出。お馴染み庶民のダラダラした日常と、危うさと背中合わせの「青い鳥」探しを、今回は若手がしっかりとみせる。特に賀来賢人の曖昧さ、暗い色気がはまってたなあ。幅広い演劇ファンが集まった感じの本多劇場、なんと前から2列目中央で7000円。休憩無しの2時間強。

兄・国男(皆川猿時)と実家の魚屋で働く高橋徹(賀来)は、中学以来の親友で土木関係の足立健(太賀)と遊んでいながら、身勝手にも健の妻・美咲(小野ゆり子)と浮気中。そこへ東京で役者を目指していた古川浩一(若葉竜也)が転がり込んできて、隣人のクレーマー黒岩順子(平田敦子)、スナックの美人ママ田畑典子(宮下今日子)と夫・幹夫(赤堀)、それぞれの屈託が交錯していく。さらに近隣では連続通り魔事件が起きており、キレやすい伊藤(柄本時生)とゲーセンで知り合った野宮(駒木根隆介)の噛み合わない会話が、どんどん不穏になっていく…

人当たりのいい徹の、間違っていると知りつつ状況に流されていく態度や、幹夫が駅ですれ違った人に舌打ちしちゃう不用意さは、誰でもちょっと覚えがあること。「俺、見えてます?」という野宮のセリフが、ありふれた生活にひそむ不安を思わせる。だから未明のダイニングで国男が持ち出す、くだらないけど「大事な話」が染みる。
最低なダメ男・賀来に対し、今回の太賀は引き気味だけど、懸命さが可愛く、お約束スナックシーンでは達者なカラオケも披露。小野は透明感が光り、若葉もきめ細かい表情の変化が達者だ。赤堀映画「葛城事件」で知られるほか、NINAGAWA「ロミオとジュリエット」の親友ベンヴォーリオで観た役者さんですね。そして柄本は得体の知れなさが、さすがの存在感。まあ結局、髪を切って、意外にも暴走を封印した皆川が、すべてをもっていくのだけれど。

回り舞台で3つのセットを切り替え、2階の歩道橋も使用。美術は二村周作。プログラムで赤堀自身が「劇中でカラオケを使うことを”アカホリ”って言うようにならないかな」とつぶやいていて笑った。登場人物がやたらとトイレに行くのも定番。トホホ感を印象付けてた。

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ビューティー・クイーン・オブ・リナーン

風姿花伝プロデュースvol.4 The Beauty Queen of Leenane  2017年12月

演劇通の知人の勧めで、目白通り沿いの小さな劇場へ。息詰まる空間での母娘の愛憎が、多面的、かつ悲しく胸に迫る名舞台だ。いったいどこで歯車が狂ってしまったのか。新国立劇場芸術監督就任を控える小川絵梨子が翻訳・演出で、コメディー要素も効いている。100席ほどで濃密なシアター風姿花伝は男性客が目立ち、顔見知りの演劇関係者が多い感じ。中段上手端で5500円。10分の休憩を挟んで2時間強。

戯曲が実に秀逸。「ロンサム・ウェスト」「イシュマン島のビリー」を観たマーティン・マクドナーのデビュー作(1996年初演)だ。アイルランドの片田舎リナーンに暮らす病身のマグ(鷲尾真知子)は、娘モーリーン(那須佐代子)に身の回り一切を世話になっているのに、いがみあってばかり。ある日、レイ(内藤栄一)が親戚の集まりを知らせに訪れ、出掛けていったモーリーンがレイの兄パト(吉原光夫)と再会したことで、破滅へとなだれ込んでいく。
高圧的な母と娘の構図だけど、7月の「Other Desert Cities」とは全く違った。2人の関係は一面的でなく、背景には圧倒的な貧しさや、神父の噂話などが示すコミュニティーの閉塞、出稼ぎの辛苦と差別、病に対する偏見、40歳独身女性の孤独、さらには閉じた空間が招く虐待が横たわる。
実はもたれ合い、かばい合い、だからこそ救いようなく歪んでいく。なんという哀切。閉じこもっているマグの生きる意味は、テレビとラジオぐらい。終幕でマグそっくりのモーリーンが耳にするリクエスト番組が、なんとも皮肉だ。そして揺れるロッキングチェア。

たった4人の俳優がまた素晴らしい。これまではワキの感じだった鷲尾の表情に目を奪われる。どうしようもない年寄りだけど、どこかチャーミングで、切ない存在感。対する那須も「炎アンサンディ」などのワキで観ていたが、これほど美しいとは。惨めな設定なのに凛としていて、ドライな印象がいい。
四季出身の吉原光夫は長身でゆったりした色気があり、海外ドラマのよう。闖入者として持ち込んでくる笑いと、唯一開いた窓のようなアメリカへの切ない憧れが際立つ。「レ・ミゼ」の最年少ジャン・バルジャンや映画「美女と野獣」の吹替の人なんですね。そして今回の発見は内藤栄一。粗雑で欠落の多い造形、飄々としたリズムが舞台をかき回す。松本で串田和美演出の音楽劇に出ていたとか。この戯曲はかつて大竹しのぶ、白石加代子、田中哲司、長塚圭史(演出も)で上演したそうだけど、負けない贅沢さだったのでは。
雑然とした居間兼台所のワンセットで、最小限の照明が効果的。客席通路に扉(美術は島次郎)。

劇場は那須の父が作り、那須が支配人。狭い階段でコーヒーを売っていたり、小さいながら充実している。椅子はさすがに窮屈だけど。今回は年1回のプロデュース公演で、7月に急逝してしまった中嶋しゅうの企画だ。妻・鷲尾さんの素敵さもあり、カーテンコールに涙。客席には生田斗真らしき姿も。勉強してて立派!

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ちょっと、まってください

ナイロン100℃ 44thSESSION 「ちょっと、まってください」  2017年12月

ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出。来年25周年を迎える劇団の3年ぶりの新作は、おそらくケラ流を熟知した劇団ならではの、安定の不条理喜劇だ。男性も多い本多劇場、やや後ろ上手端で6900円。休憩を挟んで3時間強。

金持ち一家、父(三宅弘城)、母(犬山イヌコ)、兄(遠藤雄弥)、妹(峯村リエ)は退屈な日々を送っていたが、裏庭に住み着いちゃったホームレス一家、祖母(藤田秀世)、父(みのすけ)、母(村岡希美)、兄(大倉孝二)、妹(水野美紀)に屋敷を乗っ取られる。一家の没落には、実はペテン師だった使用人(マギー)の企みが…というストーリーは、あってないようなもの。「賛成・反対」や「受付名簿」などを巡って、かみ合わない会話とナンセンスな笑いが畳み掛けられていく。

ナンセンスななかに、街を支配しているらしい「飛行船」と市民運動の対立といった、社会の歪みが見え隠れ。時空を超えた「葉書」のやり取りにはコミュニケーションの不安が漂う。
三宅、犬山をはじめとして手練の俳優陣は間合いがよく、飄々と、かつ温かい。なにより不快感がないのがさすがだ。のっけから白塗り、たれ目のメークなので、ブラックな笑いが分かりやすいし。それにしてもこのメークだと、水野の美貌が際立つなあ。大好きな大倉は、飛び道具ぶりは控えめながら、電信柱に登ったり、葉書を書いたりして、笑いと不思議感を牽引。メイドに小園茉奈。

斜めの窓がついた壁の折りたたみと、人力の回り舞台で、屋敷内と裏庭を何度か行き来する。別役実へのオマージュ満載とのことで、裏庭には象徴的な電信柱や月を配置。美術は「陥没」などのBOKETA。ナイロンお馴染みのプロジェクションマッピングが、不穏さを加える。冒頭、幕をちょっと開けるような照明で、俳優を紹介していくのが面白い。

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すべての四月のために

PARCO PRODUCE  すべての四月のために  2017年11月

鄭義信(チョン・ウィシン)の作・演出。1944年、日本統治下の朝鮮半島南に浮かぶ小島を舞台に、戦争に翻弄される理髪店一家を描く。コミカルさを前面にだしつつ、苛烈な状況でも恋をし、ジョークを言い合って生き抜く庶民群像をしみじみと。ジャニーズファンが多そうな東京芸術劇場プレイハウス、中央あたりで9500円。休憩を挟み3時間弱。

タッチは終始まったりと柔らかく、吉本新喜劇風だ。大切な告白ほど怒鳴るように喋ったり、やたらポーズをとったり下世話に踊ったり。2012年「パーマ屋スミレ」のような陰影は乏しいけれど、どんなに理不尽な目に遭っても、季節は巡りくると繰り返す乾杯の歌が、胸に染みる。未来の世代に幸せがあれば、そう思うと胸の奥が温かくなる…。

日本名を名乗る4姉妹の恋模様と、国家の対立が招く家族関係の歪みが、物語の軸だ。理髪店を手伝う長女・冬子(西田尚美)は支配する側の将校(近藤公園)と恋に落ち、教師の秋子(臼田あさ美)と歌手志望の夏子(村川絵梨)は日本軍に協力しつつ、夫(森田剛)、元夫(中村靖日)をそれぞれ戦争にとられてしまう。春子(伊藤沙莉)は憲兵(小柳友)と心を通わせるものの、抗日に加担。勝気な母(麻実れい)は戦後、村八分にあい、夫(山本亨)にも先立たれて、ひとり島に取り残されてしまう。それでも時を経て、訪ねてきた孫(森田の2役)との交歓に、一筋の希望が宿る。

西田の健気さが終始、舞台をしっかりと牽引。ストーリーテラーの森田が暗い存在感を抑え、姉妹の間で揺れ動いちゃうダメ男を軽妙に造形して、新たな魅力を発揮した。この人はどこか欠けている雰囲気が、いいんだな。変人と呼ばれながら克明につけていた日記が、やがて孫を呼び寄せることになるわけだし。
4姉妹の残る3人も芯が強く、危うい臼田、蓮っ葉な村川、ハスキーで正義感が強い伊藤と、キャラがくっきりしていた。男たちは悩みがちで、特に長身を丸めるように春子に寄りそう小柳が哀切。大人計画の近藤に渋さが出てきたかな。秋子を慕うピュアな二等兵は稲葉友。中村は飄々として、皿回しまで披露する。やるなあ。
理髪店のワンセットで、窓の向うに時空が広がる感じが巧い。美術は二村周作。
ホワイエには丸山隆平らしき姿もありました。

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ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ

シス・カンパニー公演 ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ  2017年11月

チェコ生まれの英国人トム・ストッパードのデビュー作(1966年初演)を、小川絵梨子が翻訳・演出。原作ではめっぽう影の薄い端役2人を中心に据え、「ハムレット」を不条理劇にしちゃうアイデアが冴えている。なんら説明されないまま死に至る、無名の人々の当惑を、人気の菅田将暉と生田斗真がフレッシュに。でもちょっと難しかったな。若い女性で立ち見も出た世田谷パブリックシアター、上手寄り中段で1万円。なんと休憩2回で2時間半。

デンマーク王から呼び出されたロズ(生田)とギル(菅田)。冒頭から、コインゲームで表が出続けて、2人がおかれた状況の異常さを描き出す。宮廷にたどり着き、2人の区別もろくにつかない王(小野武彦)と王妃(立石涼子)から、学友ハムレット(ちょっと怖い林遣都)の乱心の理由を探れ、と命じられるが、質問攻めで逆襲されちゃって成果ゼロ。訳のわからないままハムレットと共に、船で英国に送られることになるが、イングランド王にあてた陰謀の手紙はすり替わっていた。そして2人の死は、セリフ一言で片付けられてしまう…

ほとんどが舞台前方で繰り広げられる、主演2人のカオスな掛け合い。彼らの視点で戯曲を見れば、世界はただ一貫性がなく、理解不能なだけだ。市井の人々をおそう運命とは、たいがいそんなもの、ということか。ドライでコミカルながら、セリフが哲学的とあって正直、中盤が長く感じる。そういえば2016年に観たストッパードの「アルカディア」も難解だったなあ。

膨大なセリフをこなす菅田は生き生き。立ち姿の線の細さに、苛立ちや必死さが浮かび上がる。繰り返し冒頭から成り行きを確認して、なんとか状況を理解しようとするさまが虚しい。映画やドラマに引っ張りだこなのに、この戯曲に挑戦する姿勢は偉いです。生田の茫洋さと好対照。
旅一座の座長(半海一晃、改めて小柄なかた!)が虚実を行き来し、役者という存在を巡るセリフなどではっとさせる。オフィーリアとホレーシオの2役は安西慎太郎。
舞台は暗く、後方の半円形の階段を出入りする小野ら、本家ハムレットの主要人物たちは、あくまで背景という位置づけだ。贅沢だなあ。冒頭にスタッフの準備作業を見せる演出で、劇中劇もある入れ子構造。美術は伊藤雅子。
客席にはムロツヨシさんらしき姿も。

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出てこようとしてるトロンプルイユ

ヨーロッパ企画第36回公演「出てこようとしてるトロンプルイユ」 2017年11月

「企画性コメディ」を掲げ、岸田國士戯曲賞を獲得した上田誠の作・演出。今回の企画は「だまし絵コメディ」で、堂々巡りの美術論、うんちくで、これでもかと笑わせる。ただ面白かった2014年「ビルのゲーツ」と比べると、詩情が薄いかな。KAAT神奈川芸術劇場の大スタジオ、中央あたりで4500円。2時間強。

1930年ごろのパリ。老画家が不慮の死を遂げ、因業大家(中川晴樹)に命じられた売れない画家3人組(本多力、諏訪雅、石田剛太)が、部屋を片付けに来る。すると出てくる出てくる、絵が飛び出して見えるトロンプルイユ(だまし絵)の連作。やがて描かれた虚が実を侵食し、アフリカからやってきた画家の卵(金丸慎太郎)、大家の甥(木下出)、モデルをしていた娼婦(「クヒオ大佐の妻」がよかったハイバイの川面千晶)、金満画家(お馴染みハイバイの菅原永二)らを巻き込んで、ドタバタになだれ込む。

片付けそっちのけで、やたらカフェにだべりに行きたがるダメ男たち。フォービズムやらシュールリアリズムやら、知識を披歴しあうさまが愛らしく、なんとなく現代日本のオタクに通じる雰囲気だ。アートの陰に埋もれていった大量のだまし絵は、まさにトリッキー。ただ終盤、シーンの繰り返しはちょっと冗長で、観ていて疲れちゃったかな。本物の天才の筆が、虚の力で実を変えていく展開がもっとはっきり伝わったら、痛快だったかも。ダリ恐るべし。

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散歩する侵略者

イキウメ「散歩する侵略者」  2017年11月

前川知大作・演出による2005年初演作の、4度目の上演を観ることができた。2013年「片鱗」と並ぶ傑作。妻・鳴海を演じる内田慈の切なさが出色で、愛を知った夫・真治(浜田信也)の慟哭も、観る者を揺さぶる。戦争であれ平和であれ、進む道を決めていくのは、人がもつ「概念」のありよう。いつものように知的で、現代を問う戯曲を、感動と共に。若い演劇ファンが集まった感じのシアタートラム、中央あたりで4800円。休憩無しの濃密な2時間強。

設定はイキウメお得意の、日常に入り込む不穏なホラーSFだ。日本海に面した基地の町で、3日間の謎の失踪から戻った真治は何故か、家族とか所有とか、基本的な概念への理解を失っていた。そして鳴海と姉夫婦(松岡依都美、板垣雄亮)に見守られながら、近隣を散歩しては出会う人から概念を「収集」するようになる。
その頃、凄惨な一家心中を生き残った娘(天野はな)や、傲慢な高校生(ゾクッとさせる大窪人衛)という、真治同様の存在の出現を知ったジャーナリスト(飄々と安井順平)と医師(盛隆二)は、彼らの恐ろしい正体にたどりつく。折しも隣国との軍事的緊張の高まりを背景に、無職の男(森下創)と後輩(栩原楽人)は彼らを積極的に受け入れようとするが…

主演2人の透明な不安定さが、舞台を牽引する。何故か無垢になった夫と向き合い、内田が戸惑いながらも冷え切っていた関係を再構築していくさまが、微笑ましくも哀しい。「それをもらうよ」という「侵略者」のセリフの静けさ、大事なことほど恥ずかしくて口にできないという、繊細な心のひだ。
浜辺にも室内にもなる、抽象的なワンセットで、突如ギザギザの亀裂に人物がはまり込む動きや、俳優の顔を照らしだす白いライトが、超常現象を表現していて巧い。美術は土岐研一。
容赦なくセリフにかぶさる航空機の爆音が、迫りくる軍事衝突を予感させ、昨今の現実とオーバーラップして、胸をざわつかせる。いま、観るべき舞台でした。

黒沢清監督が映画化し、WOWOWでスピンオフドラマを作り、さらにその劇場版を上映、という展開も、時代とのシンクロを感じさせます。

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リチャード三世

東京芸術祭2017芸劇オータムセレクション「リチャード三世」  2017年10月

お馴染み、稀代の悪役を描くシェイクスピア劇を、ルーマニアの鬼才シルヴィウ・プルカレーテが圧巻の演出。ダークなラップ風の歌や白塗りが、読み替えを通りこして、すっかりアングラの趣きだ。それが安っぽくならないのは、革命とか難民とか、東欧のバックグラウンドの力なのか。さすが一筋縄でないなあ。加えてタイトロールの佐々木蔵之介をはじめ、個性的な俳優陣が人の愚かさを見事に抉り出す。木下順二訳をベースに、演出家が上演台本を手掛け、演出補は谷賢一。東京芸術劇場プレイハウス、中ほど上手寄りで8500円。休憩を挟み3時間弱。

天井の高いがらんとした空間の3方を、石垣模様の布でとり囲み、手術室風の大型ライト、錆びたロッカーやストレッチャー、古いバスタブを多用する。雰囲気はずばり、ホラー映画の呪われた病棟だ。不揃いな椅子やチェーンソーも登場。冒頭から俳優陣が、足踏みしながら酒をあおるのは、ちょっと前衛舞踏のよう。ストーリーそっちのけで、この殺伐さこそが主役なんだと思えてくる。
リチャード3世はイメージを覆して、醜さは実は演技、という設定だ。だからお約束の劣等感とか詭弁の要素は薄く、常に理由もなくニヤニヤ、ダラダラしている。だからこそ罪を罪とも思わない、救いようのない精神のひずみが際立つ。バケツを抱えて何かを貪るなど、手下2人を含めて、卑しい食のシーンが多いのも象徴的。

曲者揃いのキャストがまた、独特の演出を受けて立つ。なんといっても佐々木が期待通りの不気味な存在感。蹂躙されるアン夫人の手塚とおる、リチャードを呪うマーガレットの今井朋彦も、佐々木に負けず劣らず、怪しさ満載だ。母・ヨーク公夫人は低音が響く壌晴彦、兄エドワード四世は阿南健治、その妻エリザベスは花組芝居の植本純米、早々にやられちゃうクラレンス公は長谷川朝晴、盟友バッキンガム公に山中崇、対抗するリヴァース伯に山口馬木也、そしてヘイステイングズ卿にはそとばこまち出身の八十田勇一。原作ではセリフ一つながら、舞台全体を見守る代書人の役で、唯一の女優・渡辺美佐子が要所を押さえる。

野太い音楽はヴァシル・シリー。チンドン屋風に、舞台上をサックス隊が練り歩く。俳優の顔写真入りの人物相関図が配られていて、親切でした。

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