オペラ

2022喝采づくし

いろいろあった2022年。エンタメを振り返ると、やっぱり特筆すべきはコンサートで、ドームを巨大ディスコに変えたブルーノ・マーズ、そして年末のピアノ一台の矢野顕子。全く違うジャンルだけど、どちらもライブのグルーブを存分に味わいました。

そしてようやく実現した、團十郎襲名の「助六」。いろいろ批判はあっても、この人ならではの祝祭感が嬉しかった。ほかに歌舞伎では「碇知盛」の菊之助、梅枝が頼もしく感じられ、初代国立劇場さよなら公演がスタートした文楽「奥州安達原」は玉男、勘十郎、玉助らが揃って充実してた。

オペラは新国立劇場で意欲作が多く、なかでもバロック初体験のグルック「オルフェオとエウリディーチェ」の、音楽、演出両方の端正さが忘れがたい。ともに読み替え演出のドビュッシー「ペレアスとメリザンド」、ヘンデル「ジュリオ・チェーザレ」も洒落ていた。問題作「ボリス・ゴドゥノフ」は衝撃すぎたけど… クラシックの来日ではエリーナ・ガランチャの「カルメン」が格好良かった。

演劇は野田秀樹「パンドラの鐘」、トム・ストッパード「レオポルトシュタット」が、それぞれ今の国際情勢に通じるメッセージ性で突出していた。井上ひさし「紙屋町さくらホテル」やケラ「世界は笑う」の「表現すること」への情熱や、ともに2人芝居だった温かい「ハイゼンブルク」と不条理をねじ伏せる「建築家とアッシリア皇帝」、そして相変わらずひりつく会話劇の岩松了「クランク・イン!」などが心に残った。

語り芸のほうでは期せずして、喬太郎と三三で「品川心中」を聴き比べ。どちらも高水準。一之輔の脱力も引き続きいい。講談の春陽「津山の鬼吹雪」も聴きごたえがあった。

これからも、のんびりエンタメを楽しめる日々でありますよう。

ボリス・ゴドゥノフ

新国立劇場開場25周年記念公演 ボリス・ゴドゥノフ  2022年11月

プーシキンの原作をもとに、ムソルグスキーが17世紀ロシアの王位簒奪を描いたオペラ。ポーランド国立歌劇場との共同制作なんだけど、4月のワルシャワ世界初演は情勢にかんがみ中止、東京公演もタイトロールはじめロシアの歌手4人が軒並み来日を中止した、いわく満載の上演だ。クラシック界の反ロシア機運をふまえ、事前のトークイベントでは亀山郁夫名古屋外国語大学長が「勇気ある試み」と評していた。
そういう事情よりなにより、足を運んでみると、映画も手がけるポーランドのマリウシュ・トレリンスキの演出がなんとも陰惨で、現実と重なって拍手をためらうほどの衝撃。なにしろ冒頭から防護服の軍隊を登場させ、暴虐ぶりを容赦なく描いていく。人はかくも残酷だというリアル。勇気ある大野和士芸術監督の指揮、東京都交響楽団。新国立劇場オペラパレスのかなり前の方、中央のいい席で2万4750円。休憩2回を挟み3時間半。

ゴドゥノフ(ギド・イェンティンスが抑えめに、ドイツのバス)は16世紀末「動乱時代(スムータ)」の皇帝で、幼い皇子をなきものにして摂政から成り上がった。その忌まわしい過去に心を蝕まれ、娘クセニア(お馴染み九嶋香奈枝、ソプラノ)らのいたわりも届かない。対立する高僧ピーメン(ゴデルジ・ジャネリーゼが堂々と、ジョージアのバス)の策謀で、隣国ポーランドに王統を僭称する修道士グリゴリー(工藤和真が憎たらしく健闘、テノール)が現れ、大衆をあおってついにゴドゥノフを葬る。

救いのない憎悪の連鎖が重い。障害をもつ息子フョードル(舞台裏でメゾの小泉詠子)と聖愚者(同じくテノールの清水徹太郎)が、弱くピュアな存在としてゴドゥノフと対峙する。ともに舞台上は、ポーランドの女優ユスティナ・ヴァシレフスカが黙役で熱演。民族音楽や東方教会の聖歌の要素、分厚い合唱など聴きどころも多いそうだけど、正直、あまり気が回らなかったな。美術は四角い箱やカメラも使用。
ホワイエでオペラ好きの知人夫妻と遭遇。ショックを分かち合いました~

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ジュリオ・チェーザレ

ジュリオ・チェーザレ  2022年10月

5月のグルックに続き、バロックオペラに挑戦。1724年初演、ヘンデルの史劇「ジュリオ・チェーザレ」で、歌の競演を堪能する。2020年の公演直前にコロナで急遽中止になった作品を、ほぼ当初の布陣で実現した。25周年を迎える新国立劇場オペラハウスでも、ヘンデルを取り上げるのは初めてとのこと。バロックのスペシャリストといわれるイギリスのリナルド・アレッサンドリーニ指揮、東京フィルハーモニー交響楽団。賑わいの戻った中段下手寄り、休憩2回を挟み4時間半。

時は紀元前、チェーザレ(カエサル、ノルウェーの名メゾ、マリアンネ・ベアーテ・キーランド)が政敵ポンペーオを追ってエジプトにやってくる。王トロメーオ(カウンターテナーの藤木大地)と家臣アキッラ(ヴィタリ・ユシュマノフ、ロシア出身で日本で活動するバリトン)はチェーザレと結ぼうと、ポンペーオの首を差し出すが、油断できない。王と対立する姉クレオパトラ(森谷真理、ソプラノ)が侍女リディアに扮してチェーザレに接近、2人は恋に落ちる。
やがてクレオパトラが挙兵し、捕らわれるが、死んだと思われたチェーザレが奇蹟の救出。アッキラも寝返って、トロメーオがポンペーオの妻コルネーリア(加納悦子,メゾ)に言い寄るところへ、遺児セスト(金子美香、メゾ)が攻め入り見事復讐を果たす。

バロックは楽譜にリフレインや空白が多く、退屈と思われていたけど、近年研究が進み、指揮者と歌手の綿密な設計で作曲当時の即興、装飾を復元し、人気が出てきたとか。壮麗な序曲からとろける旋律、女声中心の突き抜け感が心地よい。
森谷は二幕の「瞳よ、愛の矢よ」や三幕「我が運命に涙を流し」に高揚感がある。作曲当時カストラートが演じたパートで、メゾやカウンターテナーが活躍するのも面白かった。

またバロックはストーリーがシンプルだけに演出の余地があるそうで、今回は2011年オペラ座のロラン・ペリーの演出。2014年「ホフマン物語」などで観ている人。本作はカイロの美術館のバックヤードという設定で、現代の博物館員がうろうろしたり、所蔵品の絵画、彫刻を効果的に使ったり、窓からピラミッドが見えたりと軽妙で楽しい。特に有名な、絨毯にくるまったクレオパトラがカエサルの前に姿を現す場面の絵画がお洒落。英雄はクレオパトラの美というより、その度胸の良さに惚れたんじゃないかしら。

音楽評論家・加藤浩子さん主宰の鑑賞会に参加し、いろいろ伺えたのが良かった~ 脇筋であるコルネーリア母子の復讐談の背景には、作曲当時の英国国王派(ドイツ人のジョージ1世)とジャコバイト派(亡命中のジェームズ2世)の対立があるそうで、興味津々でした。

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ペレアスとメリザンド

ペレアスとメリザンド  2022年7月

大野和士芸術監督4シーズン目の締めくくりは、現代的な音階・和声によるドビュッシー唯一のオペラ(1902年初演)を、精密な大野指揮の新制作で。うねる旋律は陰鬱なんだけど、高水準の歌手陣と、英国の鬼才ケイティ・ミッチェルのエグい演出で、休憩30分を挟んだ3時間半、緊張が途切れなかった。東京フィルハーモニー交響楽団。新国立劇場オペラハウス、前のほう上手寄りで2万4750円。

戯曲はベルギー象徴主義のメーテルリンク。童話の「青い鳥」とはイメージが全く違い、閉鎖的な城で繰り広げられる不倫と死という息苦しい物語だ。初老の皇太子ゴロー(フランスのバリトン、ロラン・ナウリ)は、森で美女メリザンド(現代曲で知られるフランスのソプラノ、カレン・ヴルシュ)を拾い、老王アルケル(お馴染みバスの妻屋秀和)、息子イニョルド(ソプラノの九嶋香奈枝)らと暮らし始める。しかし彼女は弟ペレアス(スイスの新世代テノール、ベルナール・リヒター)と不倫、怒りにかられたゴローは二人を殺してしまう。

今回は2016年初演(仏エクサンプロヴァンス音楽祭)のプロダクションで、曲が始まる前に、結婚式直後にまどろむ新婦がホテルでひとり見る悪夢、という斬新な設定を明示する。夢ならではの非現実的な展開が、まず面白い。黒いボードで前面を区切って場面を転換すると、寝室に巨大な樹木が出現。人物が逆回転やスローモーションで動き、クローゼットから出入りしたり、いきなり食卓の上を歩いたり、メリザンドが自らの分身(黙役で安藤愛恵)を眺めていたり。
繰り返される血や赤バラが死を、また水底へ、あるいは馬、塔からの「落下」が、破滅をイメージさせて不穏だ。運命的な泉のシーンは朽ちかけた室内プールだし、天井に届く鉄螺旋の非常階段も不安が色濃い。
表現はあけすけだ。ゴローはとんでもないDV夫、アルケルも年甲斐ない俗物で、ペレアスとのラブシーンは髪の表現が生々し過ぎ。だからこそメリザンドが人として尊重されていないのだな、と思えてくる。出自が謎なのは周囲が無関心だから、大詰めで皆が目隠しして通り過ぎるのはメリザンドを見ていないからかも。ラスト、夢から覚めた新婦の決断の、現代性が際立つ。まあ、チャレンジングで好みは分かれるだろうけど。

難役のヴルシュがボーイソプラノのような、柔らかく浮遊感のある美声で終始圧倒する。ほとんど舞台上にいて、どんどん着替えつつの繊細・大胆な演技に瞠目。対するナウリがまた評判通りの深い歌唱で、説得力抜群だ。リヒターは気弱な造形。母ジュヌヴィエーヴは急遽代役の田村由貴絵(二期会のメゾ)でした。

飲食はロビーで販売し、屋外に持って行くスタイル。先輩や知人夫妻にお会いしました。
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オルフェオとエウリディーチェ

オルフェオとエウリディーチェ  2022年5月

初体験のバロックオペラは、グルックによる1762年ウィーン初演作。このイタリア語版に一部、フランス語版(マリー・アントワネットの招き!で1774年にオペラ座初演)の曲を加えた上演です。新国立劇場としてバロック初挑戦の新制作。勅使川原三郎の能舞台を思わせる端正な演出、雄弁なコンテンポラリーダンスが、シンプルな曲調を引き立てて楽しめた。
古楽に詳しいという鈴木優人の指揮、東フィルはチェンバロ、シャリュモー(木管)、コルネット(金管)などを加えた小編成。男性客が目立ち、よく入った新国立劇場オペラハウス、かなり前のほうの上手寄りで2万4750円。休憩1回を挟んで2時間。

題材は吟遊詩人オルフェオが冥界から亡き妻を連れ出そうとするけど、禁をおかして振り返ってちゃって台無しになるという、ギリシャ神話の有名エピソード。というわけで登場人物はたった3人だ。オルフェオのローレンス・ザッゾ、米国出身のカウンターテナーが柔らかい高音で全編を牽引する。作曲当時はカストラートだったんですねえ。
3幕で妻エウリディーチェのヴァルダ・ウィルソン(豪出身で長身)と、円を描いて歩きながらの二重唱になると、女声2声ともまた違って、ソプラノの声の強さが際立つのが新鮮だ。1幕後半とラストに登場して二人を救うアモーレは、昨春「夜鳴きうぐいす」で聴いた三宅理恵が可愛いく。まるでダースベーダーの黒装束の合唱が、羊飼いや復讐の女神として全体を支える。ほかに演奏では弦楽のバンダ、オルフェオが披露する必殺のハープ、そして嵐を呼ぶシンバルがいいアクセントに。

演出の力が大きくて、ダンサーが深い悲しみ、激しい闘いなどなど、時に歌手を凌駕するほどシーンを表現して、目が離せない。アーティスティックコラボレーター佐東利穂子と、キーウ出身(!)のアレクサンドル・リアブコ、高橋慈生、佐藤静佳。
美術は抽象的な白い盆や、褐色から白に変わる巨大なユリの花束(純粋の象徴?)で構成していて、スタイリッシュだ。衣装も小花を散りばめたりして優雅。照明の変化、水を表すダンサーの白い腕と水紋のちらつきなどが繊細でした~

バロックを代表するヘンデルなどのオペラはアリア合戦だったけれど、本作はそれを改革してドラマや感情表現に比重をおき、後世のワーグナーが評価したとか。ウィーンの女帝マリア・テレジアの好みもあって、フランス風にバレエを大きくフィーチャーしているそうです。なるほど~
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さまよえるオランダ人

さまよえるオランダ人  2022年2月

ご存じワーグナー楽劇の原点とされる名作。指揮と主要キャストが全員交代、しかも開演前にマリー役が降板して急遽、金子美香が袖で歌い、舞台上では再演演出の澤田康子が演技する、との説明が。この2年いろいろあり、つい昨日は文楽が開演直前に中止になったばかりだけど、これもまた初めてのパターンでびっくり。
でも後半、高水準の歌唱で大満足でした! イタリアのガエタノ・デスピノーサ指揮、東京交響楽団。新国立劇場オペラハウスのやや前、上手寄りで1万9800円。休憩をはさみ3時間弱。

なんといっても2幕、ゼンタのバラードから田崎尚美(二期会のソプラノ)が高音を響かせ、舞台を牽引。ぽっちゃりながら、アイドルに憧れてた幼さがでていて、楽しみだなあ。連られるようにオランダ人の河野鉄平(クリーブランド音楽院大出身のバス)が調子をあげ、目力鋭く渾身の演技。ふられ役エリックの城宏憲(二期会のテノール)も3幕のカヴァティーナなどで声が伸び、華やかさもあって、重唱はなかなかの迫力だ。財宝に目がくらんじゃう父ダートラントは安定の妻屋秀和(バス)。2幕の明るい糸紡ぎの合唱、3幕の迫力ある水夫の合唱も心地良い。

2015年にも観たマティアス・フォン・シュテークマンの演出は、舞台いっぱいに広がる不穏な赤い帆など、シンプルかつダイナミック。ラストでゼンタが幽霊船とともに沈んじゃった直後の、繊細なハープの美しさと、救われたのに絶望するしかないオランダ人の苦悶が余韻を残す。美術は堀尾幸男。ひびのこづえの衣装は、村娘の赤い靴下とかワンポイントが可愛い。

今回も屋外でコーヒーなどを出していました。さすがに寒かったけど!

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2021喝采づくし

マスク着用、かけ声禁止は続くものの、関係者の熱意でステージがかなり復活した2021年。素晴らしい作品に出会えました。

個人的な白眉は、思い切って長野まで遠征しちゃったOfficial髭男dismのコンサート。期待通りの王道ロックバンドらしさに、蜷川さん風に言えば「売れている」者独特の勢いが加わって、ピュアな高揚感を満喫! 私はやっぱり配信よりライブだなあ、と実感。対照的に、名曲を誠実に、余裕たっぷりに聴かせる桑田佳祐コンサートも気持ちよかった。

並んで特筆すべきは、野田秀樹「フェイクスピア」かな。仮想体験の浅薄を撃つパワー溢れるメッセージが、高橋一生の抜群の説得力、そして演劇ならではの意表を突く身体表現を伴って、ストレートに胸に迫った。演劇ではほかにも、ケラさんの不条理劇「砂の女」が、まさに観ていて息が詰まっちゃう希有な体験だったし、栗山民也「母と暮らせば」は富田靖子演じる母に、問答無用で泣いた~ 岩松了さん「いのち知らず」、上村聡史「斬られの仙太」、渡辺謙の「ピサロ」…も記憶に残る。

古典に目を転じると吉右衛門、小三治の訃報という喪失感は大きい。けれど、だからこそ、今観るべき名演がたくさん。なかでも仁左衛門・玉三郎は語り継がれる話題作「桜姫」2カ月通しの衰えを見せない色気もさることながら、「土手のお六・鬼門の喜兵衛」をたっぷり演じた直後の一転、他愛ない「神田祭」の呼吸に目を見張った。
落語は喬太郎の、トスカに先立つ圓朝作「錦の舞衣」、さん喬渾身の長講「塩原多助一代記」で、ともに語りの高みを堪能。まさかの権太楼・さん喬リレー「文七元結」がご馳走でしたね~
文楽界はめでたくも勘十郎がついに人間国宝に! 与兵衛が格好よかった「引窓」は、私としては勘十郎さん仲良しの吉右衛門ゆかりのイメージがある演目で、今となっては二重に感慨深い。玉助さんが松王丸、師直でスケールの大きさを見せつけ、ますます楽しみ。

オペラ、ミュージカルは依然として来日が少ないので、物足りなさが否めない。それでも新国立劇場のオペラ「カルメン」「マイスタージンガー」は日本人キャストも高水準、演出にも工夫があって充実してた。ミュージカル「パレード」の舞台を埋め尽くす紙吹雪も鮮烈でしたね。
2022年、引き続きいい舞台を楽しんで、心豊かに過ごしたいです!

 

ニュルンベルクのマイスタージンガー

ニュルンベルグのマイスタージンガー  2021年11月

2019年7月の「トゥーランドット」が圧倒的スケールだった、東京文化会館との共同制作第2弾。2020年6月上演が延期、2021年8月の東京文化会館も中止の憂き目にあったプロダクションをようやく鑑賞できて、感慨ひとしお。30分の休憩2回を挟み6時間の長旅だけど、躍動感あるドタバタの中に新旧対立を鋭く描いて、だれることはない。
歌手は日本人含め高水準で、ワーグナーの呪縛をぶち壊す大胆な演出も楽しめた。大野和士指揮、東京都交響楽団が前奏曲から興奮を高めるのはワーグナーならでは。分厚い合唱は新国立劇場プラス二期会。新国立劇場オペラハウスの上手寄り前の方で2万9700円。

2017年に、なんとメータ指揮の来日公演で聴いた演目。シニカルな印象だったけど、今回は一転して明るさ、喜劇性が際立つ。
まず靴職人の親方ハンス・ザックスのトーマス・ヨハネス・マイヤー(ドイツのバリトン、ロールデビューとか)が、声も見た目も余裕たっぷりの押し出しで、エーファに対する複雑な愛情を陰影濃く表現。ちょい悪な態度や、終盤の虚しさも格好良い。突如現れた騎士ヴォルターのシュテファン・フィンケ(ドイツのテノール)は徐々に調子をあげ、無邪気に恋を語る。この2人にヒロイン、エーファの林正子(フランス在住のソプラノ)が、堂々と渡り合って素晴らしい。
権威を振りかざす恋敵ベックメッサーのアドリアン・エレート(ウィーン生まれのバリトン)と、お茶目な乳母マグダレーネの山下牧子(お馴染みのメゾ)が、見上げた喜劇役者ぶりで舞台を彩る。エレートは過剰なほどコミカル、でもどこか哀しい。徒弟ダーヴィットは4月「夜鳴きうぐいす」で光ってた伊藤達人(二期会のテノール)。輝く高音と可愛らしさを存分に発揮していて、楽しみです。端役・夜警の志村文彦(バスバリトン)が素晴らしい低音を聴かせた。

ニュルンベルク州立歌劇場総監督イェンス=ダニエル・ヘルツォークの演出は、2019年ザルツブルク・イースター音楽祭での初演し、ザクセン州立歌劇場に回ったもの。16世紀の実在のマイスターを主役とする物語を、現代の劇場(ドレスデンのゼンパーオーパーか)に置き換えた。靴工房が支配人室だったり、回り舞台でリアルにセット転換をみせたり。人生の裏表、「所詮はまがいもの」感が面白い。みなパリッとスーツなのに、2幕でリュートを抱えたベックメッサーがひとり、中世風かぼちゃズボンなのがギャグっぽい。
そして極め付け、ドイツ芸術礼賛で物議をかもしがちな幕切れを、エーファが見事に吹っ切って爽快だ。マイスターたちの写真の、見下すような表情は伏線だったのか! 次世代が駆けていく未来の明るさ。娘を賞品にしちゃう体制の身勝手や、窮屈な権威やジェンダーが崩壊し、立ち尽くすザックスの哀愁がまたいい。設定が劇場なだけに、大時代な(コロナで痛感!)オペラという芸術の再生をも予感させる。

長い休憩には屋外で軽食やスイーツを提供。頑張ってます。

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カルメン

カルメン 2021年7月

新国立劇場のシーズン締めくくりは、満足間違いなしのビゼー王道演目。ステファニー・ドゥストラック(フランスの長身メゾ)の貫禄のカルメン役者ぶりを堪能する。2019年「トゥーランドット」が衝撃だったアレックス・オリエの新演出が注目だったけど、現代日本への置き換えはさほど違和感がなかった。もともと戯曲が現代的だからかな。
表現力たっぷりの大野和士指揮、東京フィル。華やかな女性グループや若手を含め、賑わいが戻った感じが嬉しいオペラハウス、中央前の方の良い席で2万4750円。休憩30分をはさみ3時間。

ステファニーさまはパワー十分、「ハバネラ」こそタメ過ぎ?と思ったけど、魔性の女というより、自由と反骨を貫く明朗な女性像で、舞台を牽引する。ミニスカ、短パン、喧嘩や着替えの演技も堂々。くわえ煙草でギターをつま弾く姿、決まってるなあ。ドン・ホセ代役の切ない村上敏明(ジャンニ・スキッキで聴いた藤原歌劇団のテノール)、ミカエラのひたむき砂川涼子(同じく藤原のソプラノ、宮古島出身)が、それぞれ張りのある声で、存分に渡り合ってた。ワル仲間のダンカイロ町英和(バリトン)、フラスキータ森谷真理(ソプラノ、夜の女王をメトで歌ってる!)も目立ってましたね。
一方、エスカミーリョの太っちょアレクサンドル・ドゥハメル(バリトン)は「フランス最注目」というには弱かったかな。合唱は新国立劇場合唱団+びわ湖ホール声楽アンサンブル、TOKYO FM少年合唱団。

演出は冒頭から、鉄パイプの巨大セットが精神の牢獄を思わせる。カルメンはロックバンドのボーカル(エイミー・ワインハウスのイメージだとか)で、手持ちカメラでコンサートのステージ上や、警備にあたる警察官ドン・ホセを映し出す。怪しいライブハウス、ドラッグディーラーのアジトを経て、ラストは華やかなセレブが行き交うレッドカーペット。なぜかエスカミーリョだけ闘牛士姿だけど。カルメンが冒頭と同様、ホセに火を借りるシーン、洒落てるなあ。
ファンの群衆が終始、スマホカメラを構えているのが、スターの孤独を思わせました。プロダクションはびわ湖ホールでも上演。

今シーズン、新国立オペラの鑑賞は結局、10演目中3演目だけ。日本人キャストも高水準だけど、バランスが難しいのは否めない。来シーズンの完全復活を期待!
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ドン・カルロ

ドン・カルロ  2021年5月

2011年メト来日で堪能したヴェルディ円熟期の大作を、新国立劇場では初鑑賞。前の方のいい席で2万1780円。キャスト変更は致し方ないけど、ちょっと物足りなかったかな。主役級が5人必要で、上演至難の作品なんだなあと実感。指揮は2013年ナブッコ、2020年ラ・ボエームで聴いたパオロ・カリニャーニ、東京フィル。休憩1回を挟み3時間半。

日本人キャストの奮闘は嬉しかった。なんといってもドイツ在住の高田智宏(バリトン)が、親友ロドリーゴを高潔に歌って突出。得な役だしね。王妃エリザベッタの小林厚子(藤原歌劇団のソプラノ)も尻上がりで、終幕の「世の虚しさを知る人」が伸びやかだった。苦悩する父王・フィリッポ二世の妻屋秀和(バス)は安定だけど、パーペの陰影ほどではなかったかな。肝心のタイトロールのジュゼッペ・ジパリ(アルバニア出身のテノール)が残念ながらパンチ不足。敵役エボリ公女のアンナ・マキア・キウリ(ベテランのメゾ)も、高音など力任せの感じが否めず。

定番のマルコ・アルトゥーロ・ナレッリ(チューリヒ出身)のプロダクションは、モノトーン主体の重厚なもの。巨大な四角いグレーの塊を動かし、照明も陰影も駆使して、十字架の抑圧を表現。異端者の火刑シーンが、スペクタクルなんだけど赤々とリアルで怖かった~ このシーンで舞台を横切る天よりの声、光岡暁恵(藤原歌劇団、ソプラノ)は美しいけど。

日本が初参加し、渋沢栄一が随行した1967年パリ万博に合わせ、オペラ座の依頼で作曲・上演されたんですねえ。大がかりな舞台構成と、自由への情熱が近代的だと再認識。

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