セツアンの善人
セツアンの善人 2024年10月
ベルトルト・ブレヒトの1943年初演の代表作を、白井晃の上演台本・演出で。人はカネで幸せになれるのか。格差が叫ばれる現代に通じる寓話劇、というとわかりやすそうだけど、一筋縄ではいかない。音楽劇であり、キッチュな衣装や小道具もお洒落。でも、どうもスッキリしなかったかな。翻訳はシーラッハなどで知られる酒寄進一。世田谷パブリックシアターのやや後方で9500円。休憩を挟み3時間弱。
空港を行き交う人々。水売りワン(渡部豪太)のペットボトルが散乱する。そして舞台はどこかアジアの貧民窟へ。今はなき中銀カプセルタワービルのようなセットで、シーリングファンが下がっている(美術は松井るみ)。気のいい娼婦シェン・テ(葵わかな)は、善人を探す三人の神(ラサール石井、小宮孝泰、松澤一之)に一夜の宿を提供して大金を授かり、小さなたばこ屋を買い取る。
ところが元の持ち主シン未亡人(あめくみちこ)や8人家族(小林勝也ら)にたかられ、一目惚れした飛行機乗り志望のヤン・スン(木村達成)と母(七瀬なつみ)にも利用され、やむなく架空の従兄弟シュイ・タに変装して、冷徹にたばこ工場を経営。カネを守り、ヤンとその子供とで幸せになろうと奮闘するが…
作家はナチスに市民権を奪われて亡命、北欧を転々とする中で本作を執筆したそうで、背景には切実な西洋的博愛への疑念や、神の制裁を予感する終末観とかがあるはず。そう思うと唐突に、シェン・テはどうしたらいいのか、果たしていい結末とは?と観客に問いかける終幕が重い。
葵がやや幼いながらも、仮面の男装、長台詞で大健闘し、木村は独特の目ヂカラを発揮。狂言回しの渡部が軽快で、石井らの脱力ぶり、突如観客に語りかけちゃう小林の飄々とした曲者ぶりもいい。原作のパウル・デッサウの音楽に、ムワワド4部作などの国広和毅が訳詞・音楽監督を担当してオリジナル曲を追加し、弦や打楽器で生演奏。ロビーには触れるセット模型もありました。
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