談春「景清」「妲己のお百」
芸歴40周年記念興行 立川談春独演会これから 2024年7月
毎月、東京2回、大阪1回で24回、決して十八番ではなくその先を目指して、と銘打った独演会シリーズ。珍しい演目をたっぷりと。相変らず幅広い落語好きで、ほぼ満員の有楽町ホールの、やや後方、下手寄りで5000円。仲入を挟んで2時間強。
屏風に座布団の高座に、いきなり師匠が登場。今日は予定の2席が笑いがないので、と言って「お楽しみ」は落語ではなくトーク。投稿しちゃダメ、そこは信頼があるから、と念押ししつつ、出演作の経緯や思惑違いや、役者への尊敬、志ん朝の思い出など。自意識だらけで斜に構えていて、でも細やかで愛嬌が漂う。ますます談志さん色が強まっているような。
いったん引っ込んでから「景清」。眼を患っている木彫り職人・定次郎、腕を見込んでいる旦那が聞けば、赤坂の日朝さま(円通寺)に願を掛けたが、満願の日に隣りでお参りしている女性の髪と白粉のにおいにふらふらとなり、仏罰てきめん、なんで俺を試すんだ、お前の世話になるか、と啖呵を切った、もう按摩になるという。旦那に諦めるなとなだめられて、きっと日朝が廻状まわしていると渋りつつ、今度は上野の観音さま(清水観音堂)に通うが、満願の日も目は開かず、やいカンコウ、と悪態をつく。俺はいいよ、年取ったおふくろが苦労して縞の着物を用意してくれて…というところで、ほろり。すると帰り道で雷にうたれ、目が開く。怖がって先に帰ってしまった旦那を脅かしに行き、お礼参りに徹夜で掘った観音を見せる。いい腕だ、さすが、あたしが目をつけただけのことはある、いや旦那、目をつけたのは観音さまだ。
元は上方落語で、歌舞伎荒事でお馴染み、頼朝襲撃と平家再興に失敗した武将・景清が、源氏の世を見るまいと京・清水寺に両眼を納めた、というエピソードに基づく。けんかっ早い定の造形、絶望や母への思いが、なんとも魅力的だ。
中入り後は夏らしく、講談ものの怪談「妲己のお百」。深川の売れっ子芸者・小さんが門付けする母娘を家にあげると、母はかつて端唄で名を馳せた峰吉だった。峰吉に出養生を世話して、娘およしを預かる。ところが小さん、実はお百という名で悪事を重ねてきた希代の毒婦で、およしを売り飛ばしてしまう。戻った峰吉が日々会いたがるのに閉口して、昔馴染みの小悪党・重兵衛に殺しを依頼。重兵衛は綾瀬に行く途中の土手で峰吉を手にかけ、深川へととって返すものの、駕籠は何故か蔵前に向かったり、千住に行ったり。はて恐ろしき執念じゃなあ。
妲己とは紀元前11世紀・殷王の寵姫で、鳥羽上皇を惑わせた玉藻前はその生まれ変わりとか。お百は18世紀半ばの秋田騒動をモデルにした講談に登場、黙阿弥が歌舞伎にもしている。美人で頭が良くて贅沢で、次々ターゲットを変えながら悪事を繰り返す。さすが迫真の語り、特に殺しをなんとも思わない小さんの造形がくっきり。殺しのシーンなどで照明を落とす演出もあって、ホントに怖かったです!
幕を開け直して、手締めとなりました。