雨とベンツと国道と私
雨とベンツと国道と私 2024年6月
モダンスイマーズ劇団結成25周年と銘打ち、作・演出蓬莱竜太の2年半ぶりの新作。ハラスメントという言葉で、スパッと断ち切られがちな人と人の関係を、丁寧に描く佳作。泣き笑いのうちに、加害者にも被害者にもなりうる1人ひとりの葛藤、悔恨が胸に迫る。
がらんとしたグレーの舞台、モノトーンの衣装に、照明が美しく変化をつける。フィルムを連想させる点滅、世界を包む雨、歩き回る役者の影。笑いもふんだんで、休憩無しの2時間を長く感じさせない。満席の東京劇術劇場シアターイースト、整理番号方式の中央いい席で3000円。
始まりは映画制作の雑用係をしていた五味ちゃん(山中志歩)のモノローグ。引っ込み思案で、コロナ禍に心身を病んでいたが、知人の敦子(元青年座の小林さやか)に誘われ、久々に自主映画の現場を手伝う。ところが監督の六甲(小椋毅)は、かつて参加した現場での激しいパワハラが露見し、干されたはずの男が名を変えていたのだった…
五味が回想する女優・圭(生越=おごし=千晴)のパワハラ告発と、不器用な恋は、イライラさせたり哀しかったり。対する、別人のように温厚になった六甲(実は坂根で、ほとんど二役)のモノローグは、果たして人は変われるのか、加害者側の再生とは何かを、強く問いかける。悪目立ちするベンツが、断ち切れない過去を思わせる。
さらに敦子のモノローグ、亡くなった夫・和宏(古山憲太郎)の思い出と悔恨がからんでいくのが巧い。夫は控えめな性格で、何事にも積極的な敦子のいいなりに生きた。和宏は何を考えていたのか、自分は間違っていたのか。答えのないモヤモヤに、今更とらわれることの苦しさ。
ラスト、五味ちゃんのなけなしの叫び、降り出した雨と全力疾走にカタルシスがある。人は話さなければわからないんだ。群馬の国道という半端なシチュエーションも絶妙。
俳優はみな高水準。特に一歩ひいた和宏と、かつてパワハラ現場で暴れたベテラン俳優とを演じ分けた、お馴染み古山憲太郎が秀逸だ。説得力あるなあ。ボブカットで煙草をくわえるクールな生越が可憐だし、突然ヨガを持ち出す撮影部KENGOの西條義将と、常にズレている助監督・山口の曲者・津村知与支が織り交ぜる笑いも絶妙。素人俳優・凛太朗を演じた名村辰は、2022年に印象的だった「だからビリーは東京で」の主役と、役名・役者が同じ(あんまり成長していないぞ)で、実はつながっている。凝っています。
映像現場の時間感覚とか、下手な俳優に自然なリアクションをさせる演出術とか、細部も興味深い。俳優が上手・下手の椅子に控えるのと、後方から登場するのとの使い分けとかも面白かった。美術は伊達一成、照明は沖野隆一。
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