能「富士松」「頼政」
第十八回日経能楽鑑賞会 2024年6月
同じ演目を二人の演者が上演する「異流同曲」シリーズ。この日は観世流・片山九郎右衛門が登場、床机に腰掛けたままでもキレのある動き、戦語りの大迫力を堪能する。今年還暦、ますます充実している感じ。高安流大鼓の垣原孝則も、カーンという高音とかけ声で目立っていた。国立能楽堂、正面中ほどの良い席で1万円。休憩を挟んで2時間強。
まず狂言で94歳の人間国宝・野村萬が「富士松」。さすがに足取りはちょっとトボトボする感じだけど、もちろん安定していて、声もよく通りる。愛嬌と品の良さがなんとも微笑ましい。
お話は主人(アド、次男の野村万蔵)が「抜参り」富士詣の富士松(カラマツ)を所望し、預かり物だと抵抗する太郎冠者(萬)との丁々発止を描く。主人が打物(物々交換)を持ち掛けると、太郎冠者は鷹も馬も断り、酒を勧めて誤魔化そうとする。
山王権現の縁日に行く道すがら、諦められない主人が今度は連歌の勝負を仕掛けるけど、太郎冠者は次々に切り返しちゃう。ケラツヅキ(ホトトギス)が「上もかたかた下もかたかた」の次は、三日月の影が「下もかたかた上もかたかた」などと、リズミカルで痛快だ。肝心の歌の意味がよくわからないのが、残念だったけど。
休憩を挟んで、能は世阿弥の「頼政」。こちらは謡本を買ったので万全です。「実盛」「朝長」と並び三修羅と言われる大曲とか。頼政=源三位(げんざみ)は摂津の武将で、平治の乱に源氏でひとり清盛側につき、鵺退治でも活躍。とはいえ平家全盛の世では不遇で、74歳の高齢になってようやく清和源氏初の従三位に叙せられる。清盛のあまりの専横から以仁王(もちひとおう、後白河天皇の皇子)を奉じて挙兵、敗れた人。弓の名手で、歌人としても名高い武将の無念が、激しく、哀しい。
旅の僧(ワキ、宝生欣哉〕が京都から奈良へ向かう道中、宇治の里で老人(前シテ、九郎右衛門)に出会い、周辺の案内を頼む。喜撰法師の庵、歌枕の槙の島、源氏物語にちなむ橘の小島、やがて歌枕の朝日山に月がのぼり、川を下る柴小舟…と、美しい名所の叙景に豊かな文化、詩情がにじむ。無骨な鎌倉武士とはひと味違う、頼政の教養、風雅を伺わせる。
平等院に着き、僧が扇形の芝の謂れを尋ねると、老人はついに、ここで頼政が扇を敷いて自害した、今日が命日と説明し、お約束、自分は頼政の霊だと明かして去る。「夢の憂き世の中宿の」と、京奈良の中間点である宇治に、現世と来世の間の意味を重ね、幻想の世界に誘われる。
土地の者(アイ、野村万之丞)の中入りを挟んで後半、僧が読経していると、いよいよ 頼政(後シテ)が登場。法被(広袖の衣)・半切(袴)の甲冑姿だ。面「頼政」と頭巾はこの曲専用だそうで、目に金色をあしらい、皺はあるけど髭はない面に気迫と無念さがこもる。一方、布を縫い合わせた頭巾は、家督を譲った出家の身を表すそうです。
前半とは一転、宇治川の合戦の経緯を生々しく再現する。三井寺から、宇治橋の板を外して敗走する頼政ら。対峙した平家側は田原忠綱の的確な指示で、馬をそろえ、ざっざっと川に乗り込む。頼政は総大将として全軍を鼓舞し、袖を巻き上げたり扇を翻したり、足拍子も力強く勇壮だ。思わず立ち上がり、太刀を抜いての合戦絵巻がスペクタクルなだけに、頼みの息子たちが倒れ、バタッと太刀を取り落としての「これまでと思いて」が衝撃的だ。「埋もれ木の花咲くことも無かりしに身のなる果ては哀れなりけり」と、無念の辞世の歌を残して自害、このとき77歳。霊は僧にさらなる供養を頼んで扇を投げやり、芝の草陰に消えていく。
切ないけれどこの敗戦を契機に、源氏の逆襲が始まり、歴史が動いていくんですねえ。いやー、面白かったです。
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