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江戸時代の思い出

ナイロン100℃ 49thSESSION「江戸時代の思い出」  2024年6月

作・演出ケラリーノ・サノドロヴィッチの劇団30周年記念公演は、2021年「イモンドの勝負」以来の本格ナンセンスコメディ、しかも時代劇。脳みそ入れ替えとかエグいシーンもあるけどジメジメせず、噛み合わない会話、バカバカしくダークな笑いに徹して、でもほんのり温かい。懐かしさって何も生まないのに、なぜ幸せな気持ちになるんだろう。とるにたらない存在のいじらしさ。
満席、かつ男性が多く年齢層も幅広い本多劇場、中段下手端で7600円。休憩を挟んで3時間強と相変らず長いんだけど、役者が盤石で飽きません。

上手に小山、下手に茶屋がある鄙びたワンセット。武士之介(三宅弘城)がすれ違った武士・人良(大倉孝二)に無理矢理、思い出を聞かせる。でもその劇中劇はなぜか現代。30年前のタイムカプセルを探す男女(峯村リエ、喜安浩平、坂井真紀、山西惇)と老教師(みのすけ)が、遺体を掘り出しちゃうドタバタ。そこから3話構成になだれ込み、2話は「江戸3大飢饉のどれか」で、茶屋の3姉妹(犬山イヌコ、松永玲子、奥菜恵)が食べる食べない、そこへ疫病のおえき(坂井)が現れてなんともシュール。3話はびっくりビジュアルのおしり侍(伊与勢我無)の災難、そしてエピローグで江戸側と現代側が入り乱れ、井戸からキューセイシュが現れて…

三宅はさすが体幹が強く、長身の大倉とたどたどしい「ござるよ」を連発しつつ、いいコンビネーションだ。大倉が相変らずチャーミングで、大名行列からはぐれちゃったという寄るべ無さが絶妙。いつしか2人に友情が芽生え、7人ぐらいでミニ大名行列してあげるシーンに、うかつにもジンとしちゃう。
謎の悪玉・池田成志が伸び伸びと、江戸チームを引っかき回す。この刀、落としても切れるな、とかアドリブも。どれだけぶっ飛んだ不条理にも、あ、そうなの?と全く動じない犬山が、またいい。迷子の弟役もピュア。30年もやってるんだもんなあ。
ナンセンス続きでちょっと疲れるところ、客席にスポットをあてて心の声のナレーションを流し、あきれた男女の客が帰ろうとする演出で一服させる。権威・野田秀樹をおちょくるあたり、余裕だなあ。美術はBOKETA、印象的な照明は関口裕二、今回少なめの映像は上田大樹、大鹿奈穂と安定。いや、おもろかった。

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ブダペスト交響楽団「セビリアの理髪師」「リスト ピアノ協奏曲第1番」「チャイコフスキー 交響曲第5番」

ハンガリー・ブダペスト交響楽団 2024年6月

炎のマエストロ小林研一郎指揮、ピアノは2001年生まれ22歳の亀井聖矢(まさや)という期待のコンサート。年配のかたが多く温かい雰囲気の武蔵野市民文化会館大ホール、前の方の良い席で7000円。休憩を挟み2時間。

のっけからコバケンが、独特のとつとつとした口調で、50年にわたるオケとの縁を語る。30代になっていた1974年の第1回ブダペスト国際指揮者コンクールで、120曲の課題曲からベートーベンとロッシーニを引き当て、第一位となって飛躍したそうで、まずその「セヴィリアの理髪師序曲」を朗らかに。お馴染みヴァイオリンとヴィオラのユニゾンの第1主題が美しい。
続いてピアノを前方に移して、すらっとした亀井君が登場。技巧が華やかなリスト「ピアノ協奏曲第1番変ホ長調」を存分に。1楽章、弦楽器に続く導入からパワフルだ。楽器の応酬が美しい2楽章に続き、3楽章はトライアングルとの掛け合いを可愛く。そこから4楽章にかけて、アクションもどんどん大きくなり、ペダルを踏む足にも力がこもって盛り上がる。
拍手鳴り止まず、何やら話していたコバケンがバイオリンのかたと一緒に座っちゃったと思ったら、なんとピアノソロのアンコールで「ラ・カンパネラ」。力任せの感じもあったけど、たいしたスターぶりです。2022年に若手登竜門のロン・ティボー国際音楽コンクール第1位、飛び級の桐朋学園大をへて独カールスルーエ音楽大に在籍とのこと。精力的にツアーもこなす。伸び伸び活躍してほしいなあ。

休憩のあとは、こちらも民族風味がキャッチーなチャイコフスキー「交響曲第5番ホ短調」。1楽章でクラリネットが重々しい「運命の主題」を奏で、ポーランド民謡の旋律も。低弦に始まる2楽章はホルン、オーボエが美しい。ワルツの3楽章をへて、4楽章は「運命の主題」を軸にこれでもかと壮大に。コバケンは振り返り、客席後方を眺めちゃって、雄大な大地がみえるよう。ロシアは難しい情勢だけど、文化に罪は無いものね。
大拍手のあと、コバケン流で、とコメントして、ブラームス「ハンガリー舞曲」! ゆったりとした導入から徐々に熱を帯び、スカッと幕となりました~

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落語「がまの油」「親子酒」「厩火事」「おせつ徳三郎」

第38回COREDO落語会  2024年6月

久しぶりに山本益博主宰の落語会で、豪華メンバーを楽しむ。満席の日本橋三井ホール、ちょっと見づらい中ほどの上手寄りで5500円。仲入を挟んで2時間強。

いつも通り、まず山本さんが下手に登場して挨拶。のっけから16人抜きの真打昇進から間もない三遊亭わん𠀋が登場。圓丈門下の41歳だ。「がまの油」を、通販番組の要素をまじえて、もはや新作。ハキハキと聴きやすく、楽しみな噺家のひとりだな。
続いて桃月庵白酒。「トリがまだ来ていない」と笑わせ、長めの冴えたマクラから「親子酒」。父、息子が互いに禁酒の約束を破っちゃう。したたかに酔った二人の可愛げが、さすがです。
さらに三遊亭兼好が「トリがまだ来ていない」と畳みかけ、「あんなに長く悪口は話せない」ととぼけつつ、やっぱり長めのマクラから「厩火事」。髪結いをしている女房の、文句を言いつつ遊び人の旦那が好きな感じ、巧いなあ。

仲入を挟んで無事、柳家喬太郎が登場。「おせつ徳三郎 」。以前、正蔵さんで聴いた前半「花見小僧」、後半「刀屋」を通しで。大店の旦那と番頭が丁稚から、娘おせつと手代・徳三郎の馴れ初めとなった花見の様子を聴き出す前半は、滑稽に。後半、暇を出された徳三郎がおせつの祝言に殴り込もうとして、刀屋の主人がこんこんと説教する。結局、逃げ出した二人が大川に身を投げるが「お材木(お題目)」で助かる、というところを、桜のように散っていくサゲに。哀しくも鮮やかでした。

おちょこの傘もつメリー・ポピンズ

新宿梁山泊第77回公演 おちょこの傘もつメリー・ポピンズ  2024年6月

5月4日に亡くなった唐十郎の、下世話でロマンティックな1976年初演作を、劇団代表の金守珍が演出。びっくりの豪華配役、新宿花園神社境内の特設紫テントというシチュエーションにひかれ、下手パイプ椅子の補助席4500円に、クッション代わりのタオル持参で。繁華街の騒音が聞こえてくるテント芝居、学園祭のような高揚感… 追悼の湿っぽさはなく、今や歴史となったアングラエネルギーの一端を楽しむ。休憩を挟んで2時間半。
客数は300弱か。前方が桟敷、後方はけっこう急勾配の狭い椅子席で、立ち見も含めぎっしり。キャスト・スタッフが順に誘導し、前説も担当。物販の手ぬぐいでバラシを手伝いに来て、などと笑わせる。客席にも演劇関係者が多そうな、親密な雰囲気だ。

舞台は雑然とした傘屋のワンセット。おちょこ(中村勘九郎)は修理を頼みにきた謎の女・石川カナ(寺島しのぶ)に恋をし、傘で空を飛んでほしくて試行錯誤している。手負いの居候・檜垣(豊川悦司)はかつて歌手のマネージャーをしていて、カナがその別れさせた隠し妻だと気づき、罪滅ぼしをしようとする…
格好つけた檜垣とカナが「芸能界」の歪みを漂わせ、ピュアな空想世界に住むおちょこと好対照。初演当時の演歌歌手と女性ファンのスキャンダルが素材だそうで、これはスターという太陽に隠れた日陰者、死にゆく檜垣がみた一瞬の追想なのか。失敗ばかりの人生だけど、あの世では破れた傘でバラの花咲く町へ飛んでいく、というファンタジーが切ない。
そんな物語を、カナにつきまとうトラック野郎(六平直政)、訳知り顔の後任マネージャー釜辺(風間杜夫)らが掻き回す。

冒頭から、一段高い上手の布団にもたれた豊川が、大仰に色気を振りまく。舞台を観るのは初めて。決して格好よくないし、声もボソボソだけど求心力があるなあ。対する勘九郎は飛んだり跳ねたり、見得を切ったり躍動。父勘三郎が19歳で赤テントを観て歌舞伎の原点を感じた、なんていう伝説も背負い、持ち前の哀しさを発揮する。
寺島は客席中央の通路から、ゆったりと登場。昨秋ついに歌舞伎座出演を果たして、肩の力が抜けた感じかな。後半でようやく出番となる風間が、おひねり飛びそうなギラギラ感で、いちばん拍手が大きい。お尻も出しちゃって、伸び伸びと舞台をさらう。今回のキャスティングのキーマンだという六平も、ジョウロで降らす雨を客席にまき散らしたりして楽しそう。ほかカバン持ちに金、鉄道員に藤田佳和、カナを追い詰める保健所長に松田洋治、犬殺しにのぐち和美。

猥雑だけど会話劇であり、ハムレットのドクロや、風車に向かうドンキホーテなど引用は知的。幕切れは後方の壁が開く屋体崩しと勘九郎のフライングというケレンで、おおいに盛り上がった。日常と地続きの非日常。かつて勘三郎がはしゃいだのも分かる気がする。
終演後、金が挨拶しようとして転び、急きょ椅子を持ち出す一幕も。客席には串田和美さんらしき姿がありました。

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雨とベンツと国道と私

雨とベンツと国道と私 2024年6月

モダンスイマーズ劇団結成25周年と銘打ち、作・演出蓬莱竜太の2年半ぶりの新作。ハラスメントという言葉で、スパッと断ち切られがちな人と人の関係を、丁寧に描く佳作。泣き笑いのうちに、加害者にも被害者にもなりうる1人ひとりの葛藤、悔恨が胸に迫る。
がらんとしたグレーの舞台、モノトーンの衣装に、照明が美しく変化をつける。フィルムを連想させる点滅、世界を包む雨、歩き回る役者の影。笑いもふんだんで、休憩無しの2時間を長く感じさせない。満席の東京劇術劇場シアターイースト、整理番号方式の中央いい席で3000円。

始まりは映画制作の雑用係をしていた五味ちゃん(山中志歩)のモノローグ。引っ込み思案で、コロナ禍に心身を病んでいたが、知人の敦子(元青年座の小林さやか)に誘われ、久々に自主映画の現場を手伝う。ところが監督の六甲(小椋毅)は、かつて参加した現場での激しいパワハラが露見し、干されたはずの男が名を変えていたのだった…

五味が回想する女優・圭(生越=おごし=千晴)のパワハラ告発と、不器用な恋は、イライラさせたり哀しかったり。対する、別人のように温厚になった六甲(実は坂根で、ほとんど二役)のモノローグは、果たして人は変われるのか、加害者側の再生とは何かを、強く問いかける。悪目立ちするベンツが、断ち切れない過去を思わせる。
さらに敦子のモノローグ、亡くなった夫・和宏(古山憲太郎)の思い出と悔恨がからんでいくのが巧い。夫は控えめな性格で、何事にも積極的な敦子のいいなりに生きた。和宏は何を考えていたのか、自分は間違っていたのか。答えのないモヤモヤに、今更とらわれることの苦しさ。
ラスト、五味ちゃんのなけなしの叫び、降り出した雨と全力疾走にカタルシスがある。人は話さなければわからないんだ。群馬の国道という半端なシチュエーションも絶妙。

俳優はみな高水準。特に一歩ひいた和宏と、かつてパワハラ現場で暴れたベテラン俳優とを演じ分けた、お馴染み古山憲太郎が秀逸だ。説得力あるなあ。ボブカットで煙草をくわえるクールな生越が可憐だし、突然ヨガを持ち出す撮影部KENGOの西條義将と、常にズレている助監督・山口の曲者・津村知与支が織り交ぜる笑いも絶妙。素人俳優・凛太朗を演じた名村辰は、2022年に印象的だった「だからビリーは東京で」の主役と、役名・役者が同じ(あんまり成長していないぞ)で、実はつながっている。凝っています。

映像現場の時間感覚とか、下手な俳優に自然なリアクションをさせる演出術とか、細部も興味深い。俳優が上手・下手の椅子に控えるのと、後方から登場するのとの使い分けとかも面白かった。美術は伊達一成、照明は沖野隆一。
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能「富士松」「頼政」

第十八回日経能楽鑑賞会  2024年6月

同じ演目を二人の演者が上演する「異流同曲」シリーズ。この日は観世流・片山九郎右衛門が登場、床机に腰掛けたままでもキレのある動き、戦語りの大迫力を堪能する。今年還暦、ますます充実している感じ。高安流大鼓の垣原孝則も、カーンという高音とかけ声で目立っていた。国立能楽堂、正面中ほどの良い席で1万円。休憩を挟んで2時間強。

まず狂言で94歳の人間国宝・野村萬が「富士松」。さすがに足取りはちょっとトボトボする感じだけど、もちろん安定していて、声もよく通りる。愛嬌と品の良さがなんとも微笑ましい。
お話は主人(アド、次男の野村万蔵)が「抜参り」富士詣の富士松(カラマツ)を所望し、預かり物だと抵抗する太郎冠者(萬)との丁々発止を描く。主人が打物(物々交換)を持ち掛けると、太郎冠者は鷹も馬も断り、酒を勧めて誤魔化そうとする。
山王権現の縁日に行く道すがら、諦められない主人が今度は連歌の勝負を仕掛けるけど、太郎冠者は次々に切り返しちゃう。ケラツヅキ(ホトトギス)が「上もかたかた下もかたかた」の次は、三日月の影が「下もかたかた上もかたかた」などと、リズミカルで痛快だ。肝心の歌の意味がよくわからないのが、残念だったけど。

休憩を挟んで、能は世阿弥の「頼政」。こちらは謡本を買ったので万全です。「実盛」「朝長」と並び三修羅と言われる大曲とか。頼政=源三位(げんざみ)は摂津の武将で、平治の乱に源氏でひとり清盛側につき、鵺退治でも活躍。とはいえ平家全盛の世では不遇で、74歳の高齢になってようやく清和源氏初の従三位に叙せられる。清盛のあまりの専横から以仁王(もちひとおう、後白河天皇の皇子)を奉じて挙兵、敗れた人。弓の名手で、歌人としても名高い武将の無念が、激しく、哀しい。
旅の僧(ワキ、宝生欣哉〕が京都から奈良へ向かう道中、宇治の里で老人(前シテ、九郎右衛門)に出会い、周辺の案内を頼む。喜撰法師の庵、歌枕の槙の島、源氏物語にちなむ橘の小島、やがて歌枕の朝日山に月がのぼり、川を下る柴小舟…と、美しい名所の叙景に豊かな文化、詩情がにじむ。無骨な鎌倉武士とはひと味違う、頼政の教養、風雅を伺わせる。
平等院に着き、僧が扇形の芝の謂れを尋ねると、老人はついに、ここで頼政が扇を敷いて自害した、今日が命日と説明し、お約束、自分は頼政の霊だと明かして去る。「夢の憂き世の中宿の」と、京奈良の中間点である宇治に、現世と来世の間の意味を重ね、幻想の世界に誘われる。
土地の者(アイ、野村万之丞)の中入りを挟んで後半、僧が読経していると、いよいよ 頼政(後シテ)が登場。法被(広袖の衣)・半切(袴)の甲冑姿だ。面「頼政」と頭巾はこの曲専用だそうで、目に金色をあしらい、皺はあるけど髭はない面に気迫と無念さがこもる。一方、布を縫い合わせた頭巾は、家督を譲った出家の身を表すそうです。
前半とは一転、宇治川の合戦の経緯を生々しく再現する。三井寺から、宇治橋の板を外して敗走する頼政ら。対峙した平家側は田原忠綱の的確な指示で、馬をそろえ、ざっざっと川に乗り込む。頼政は総大将として全軍を鼓舞し、袖を巻き上げたり扇を翻したり、足拍子も力強く勇壮だ。思わず立ち上がり、太刀を抜いての合戦絵巻がスペクタクルなだけに、頼みの息子たちが倒れ、バタッと太刀を取り落としての「これまでと思いて」が衝撃的だ。「埋もれ木の花咲くことも無かりしに身のなる果ては哀れなりけり」と、無念の辞世の歌を残して自害、このとき77歳。霊は僧にさらなる供養を頼んで扇を投げやり、芝の草陰に消えていく。
切ないけれどこの敗戦を契機に、源氏の逆襲が始まり、歴史が動いていくんですねえ。いやー、面白かったです。

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コジ・ファン・トゥッテ

コジ・ファン・トゥッテ  2024年6月

2023/24シーズンも残り2作。いわずとしれたモーツアルトの、その名も「女はみんなこんなもの」という恋愛喜劇だ。荒唐無稽、女性を教育するという現代からしたら違和感満載のストーリーを、軽快なアンサンブル17曲でねじ伏せちゃう。2008年ウィーン国立歌劇場の来日(ムーティ指揮+フリットリ!)がとても良かった印象が強い。ちなみにムーティーが無人島に持って行くオペラは、コジとファルスタッフだとか。
「キャンピング・コジ」と話題だった、このダミアーノ・ミキエレットの2011年初演版を観るのは初めて。大胆な現代への読み替えが成立するのは、それだけ浮気が普遍的テーマということか。人はしょうもなくて愚かだけど、「wise men find peace」、意地を張らずに現世の幸せを選ぶ。歌手が揃い、立体的でスピーディーな廻り舞台や、本水をばしゃばしゃする空想シーンなどがはまっていて、楽しめた。飯森範親指揮、東フィル。老若男女よく入った新国立劇場オペラハウス、中段の見やすいS席で、解説会・プログラム込み28000円。

舞台は18世紀ナポリから、現代のキャンプ場に。哲学者ならぬオーナーのアルフォンソ(ナポリ出身のバスバリトン、フィリッポ・モラーチェ)が、宿泊客のグリエルモ(我らが国際派バリトンの大西宇宙)とフェッランド(スペイン出身、プエルトリコ育ちのテノール、ホエル・プリスト)に「女は浮気するもんだ」と説き、自分の恋人たちは違うと反発する2人にゲームを持ち掛ける。出征すると偽って、アルバニア人ならぬ遊び人のバイク野郎に変装して現れ、互いの恋人である姉妹フィオルッディリージ(イタリアのソプラノ、セレーナ・ガンベローニ)とドラベッラ(ボローニャ出身のメゾ、ダニエラ・ピーニ)を口説く「パートナー交換」だ。姉妹は恋人を思いつつも、スープレット(小間使い)ならぬ従業員デスピーナ(ソプラノの九嶋香苗枝)にもけしかけられて、結局なびいちゃう。偽りの結婚式となったところで、男性陣が正体を明かして大騒ぎになるけれど、結局、元の鞘におさまる。
モリエールの影響を受けたストーリーは、失恋した歌手の妹と結婚したモーツァルトの体験を映しているのでは、とか、本作の成功以降、サリエリがモーツァルトを敵視するようになったという伝説とか、逸話が多い作品なんですねえ。

フィガロみたいなヒット曲は無いんだけど、クライマックスの二重唱はじめ、登場人物6人のシンメトリーな対比が緻密で楽しい。歌手も粒揃いで、イタリアを代表するベルカントソプラノというガンベローニは、品があって伸びやか。プリストも格好良くてロマンティストらしさがあり、徐々に調子を上げ、大西は迫力たっぷり、演技も頑張っていた。応援したい!

帰ってからバレンボイム指揮・デーリエ演出の2002年ベルリン国立歌劇場のヒッピー風や、2020年ザルツブルク音楽祭のモノトーン演出などを録画で聴き比べ。
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