桜の園
PARCO劇場開場50周年記念シリーズ「桜の園」 2023年8月
わずか44歳で病没したチェーホフ最後の戯曲を、2020年「FORTUNE」を観たショーン・ホームズが斬新に演出。現代的道具立てで、崩壊を自覚しているのに「何もしない人々」を苦々しく、鮮明に描き出す。サイモン・スティーブンスの英語版を広田敦郎が翻訳。PARCO劇場前のほう中央のいい席で、1万1000円。
冒頭から後方にフェンス、電のこを抱えた男(柿喰う客の永島敬三)。ここは殺伐とした解体工事現場か。石棺を思わせるコンクリートの直方体が吊り上がると、ポリ袋の下からまるで亡霊のように、帝政末期のロシア、没落貴族の邸宅が現れる(美術はグレイス・スマート)。
サクランボの花咲く5月。女主人ラネーフスカヤ(原田美枝子)がパリから5年ぶりに領地に戻り、兄ガーエフ(松尾貴史)や養女ワーリャ(安藤玉恵)、近くの地主ビーシチク(市川しんぺー)らはスターのように出迎える。家計が破綻しかかっているのに、ラネーフスカヤは気前よく振る舞い続け、農奴から成り上がった商人ロバーヒン(八嶋智人)が先祖代々の桜の園を別荘地にすれば、苦境を乗り切れると説くのにも耳を貸さない。とうとう8月22日に、桜の園は競売にかかってビーシチクの手に渡ってしまう。そして冷え込み始めた秋。一家と使用人たちはそれぞれの新しい境遇へと、屋敷を後にしていく…
この戯曲を枠組みに使った野田秀樹の「兎、波を走る」を観たばかりとあって、チェーホフの普遍性を思わずにいられない。大勢の登場人物は誰もが思うに任せない苛立ちを抱えつつ、右往左往するばかり。
英グローブ座準芸術監督の演出は、コミカルで皮肉っぽい。特に舞踏会のシーン。よりによって運命の競売の日、人々は意味不明の派手なコスプレに身を包み、ビートの強いEDMで踊りまくっちゃう。やや冗長なだけに、虚無感が深い。長台詞でいきなり内ポケットからマイクを取り出したり。一方で郷愁といった要素は薄めで、休憩を挟んで3時間をやや長く感じる。
俳優陣は原田の可愛らしさが突出。惚れっぽくて傷ついていて、わがままだけど楽天的で憎めない。真っ赤なドレスもたおやかな、お嬢さまらしい64歳。対する八嶋がオーバーアクションぎみのヒリつく演技で、舞台を引っ張る。ラネーフスカヤへの憧れ、報われない切なさ。その八嶋に思いを寄せる安藤は、色気皆無のカーキのパンツスタイルで、しっかり者過ぎて損な役回りの悲哀がくっきり。その腰でずっとジャラジャラ音を立てている鍵束が、使用人を取り仕切る気概と、がんじがらめの義務感を思わせる。
唯一前向きに、自立を目指す娘アーニャの川島海荷が可愛く、運の悪い管理人エピホードフの前原滉が、ビニールプールに飛び込んだりして達者に笑いを担う。理想を説く家庭教師トロフィーモフの成河は、今回あまり、しどころがなかったかな。茫洋とした家庭教師シャルロッタの川上友里(劇団はえぎわ)が、水着になったりして意外な飛び道具ぶり。終始クールに人々を観察している、召使いヤーシャの堅山隼太(さいたまネクスト・シアター)がなかなかの存在感を示していた。ドタバタの合間に、過去に生きる松尾と老召使いフィールスの村井國夫のゆったりテンポが、上品でいい呼吸だ。
パンフレットの解説によると、戯曲の舞台はドンバス地方あたり。クリミア戦争敗戦からの社会変動や、コレラ禍が通奏低音になっているそうで、今にも通じる設定を思うと、一段と深い。客席には篠井英介さんの姿も。
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