兎、波を走る
NODA・MAP第26回公演「兎、波を走る」 2023年7月
作・演出野田秀樹の新作。演劇にしかできない表現を追求し続ける野田の、たゆまぬ挑戦に引き込まれる。様々な装置、仕掛けを駆使しつつも、人が目の前で動いて、語ってこそ伝わるイメージが、なんと豊かなことか。
忘れてしまうこと、仮想の世界に逃げ込むことの罪を語っていたように思うけど、そこはちょっと難しかったかな。まばゆい才能が集結したキャストで、補助席を含め満席、当日券には長い行列ができていた東京芸術劇場プレイハウス。やや後方上手寄りで1万2000円。休憩無しの2時間。
大枠は「桜の園」。元女優ヤネフスマヤ(秋山菜津子)は所有する遊園地が経営不振で、開発業者シャイロック・ホームズ(大鶴佐助)に閉園を迫られ、最後に思い出の「アリス」を上演したいと希望。チェーホフもどきの第一の作家?(大倉孝二)、ブレヒトもどきの第二の作家?(野田秀樹)が戯曲執筆を競う。
そこから物語はアリスを軸にした方向へと大きく膨らんで、母(松たか子)が脱兎(髙橋一生)とともに、迷子のアリス(多部未華子)を探し求める大冒険になっていく。いずれも子供がいなくなるピーターパンやピノキオのエピソードをチラチラさせつつ、どんどんつながっていく連想に幻惑されていると、東急半ズボン教官(山崎一)が支配する穴蔵に迷い込んだあたりから、俄然、兎の驚きの正体がわかっていき…
終盤で戯曲を書いているのは、AIらしい第三の作家?(山崎の2役)になっちゃって、秋山はチェーホフの名台詞(先人を超えられないという作家の自虐も?)を語って、悠々とメタバースへと去って行く。先端テクノロジーはいやおうなく、リアルを乗っ取ってしまう。でも、穴蔵で露わになった現実は、仮想世界へ逃避することを許さない。今も終わっていない悲劇を、決して無かったことにはできないのだから。
…という印象だったんだけど、圧倒的名作「フェイクスピア」と比べると正直、ずしんと胸に響く衝撃は少なめ。どうも、肝心の脱兎の正体に到達するあたりで、アナグラムとか過去のニュース映像とか、さすがに情報量が多過ぎてついていけなかった感じ。まあ、そんな消化不良を含めて楽しいのだけれど。野田さんは色とりどりで変幻自在な万華鏡だものね。
装置やアンサンブルを組み合わせた表現は、いつにも増して緻密で洗練されていた。後方の黒壁にするする拡大縮小する出入り口とか、合わせ鏡と紗幕と巨大な時計による奥行きのスケール感。きらきら銀の輪っかは自在に、落ちていく穴や螺旋階段へと変じ、動く板に映像を投影して、人物がいるのかいないのか、曖昧な感じにしちゃったり。
特にアンサンブルがキーワード「ドキドキ」をつぶやきながら、繰り返し舞台を横切るシーンが秀逸だったなあ。恐れ、覚醒、そして鼓動で感じる遠い肉親の叫び。刺さります。お馴染み美術は堀尾幸男、振付は井手茂太。そして映像は、なんとケラさん常連の上田大樹がNODA・MAP初参加です。秀逸。
そんな様々な仕掛けが生きるのは、高水準の俳優あってこそ。なんといっても松が、並外れた演劇的運動神経で舞台を制圧する。幕切れの母の哀切たるや。まあ、求心力強すぎの飛び道具とも言えるけど。もちろん髙橋も負けてません。序盤からごろごろごろごろ転げ落ち、大詰めの長い告白で持ち前の声の力を見せつける。そして多部の透明感! 出てきただけでアリスに見える、希有な女優さんだ。もったいない贅沢出演陣の中で、しっかり笑いをとる大倉の貪欲さも見上げたもの。
ほかにも面白いポイントがいっぱいあった気がするけど、書ききれない舞台でした~
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