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フェイクスピア

NODA・MAP第24回公演 フェイクスピア

野田秀樹作・演出の衰えないパワーに、また、見事にやられました。途中、キーワードに気づいて「あっ」て身構えたけど、受け身を取り切れないまま大詰めの感動へ。この持っていかれたは「逆鱗」以来かも。東京芸術劇場プレイハウスの中ほどで1万2000円。休憩なし2時間強が濃密だ。

恐山の万年見習いイタコ・アタイ(白石加代子)のところへ、楽(たの、橋爪功)とmono(高橋一生)が口寄せを頼みに訪れ、アタイそっちのけでシェイクスピア4大悲劇のパロディをしゃべりまくる。おたおたするアタイを先輩イタコのオタコ姐さん(村岡希美)、伝説のイタコ(前田敦子が溌剌)が叱咤するうち、何故か終始小さい鉄の「箱」を抱えているmonoの夢のなかに、箱を追うアブラハム(リズミカルな川平慈英)やら三日坊主(大倉孝二降板で井原剛志)やら、星の王子様(こちらも前田敦子がファンタジック)やらが入り乱れる。ついにはフィクションの王様シェイクスピアと、息子でラッパーのフェイクスピア(野田秀樹が2役)まで登場、ドタバタと笑いを繰り広げる。
実は、楽は自殺願望に苦しみ、幼いとき死に別れた父に会おうとしていた。父=monoはいったい息子に何を言い残したかったのか? そこからドタバタのなかに周到に散りばめられてきたイメージの数々が一気に収束して、衝撃のラストへなだれ込む。

民主主義の危機だの資本主義の終焉だの、浮き上がった「言ったが勝ち」の言葉が、SNSの海に漂う。その実、見たくないリアルは「フェイク」で片付けちゃう。でもかつて大きな悲劇のただ中に、圧倒的なリアル=言葉が確かにあった。突きつけられる刃が鋭い。

のっけからアンサンブルの実力に、まず圧倒される。巨木になったり鳥になったり、美しく、激しく、すべての情景を描ききる動き(振付は井手茂太)。そしてもちろん、高橋のしなやかさと橋爪の存在感が素晴らしい。飄々としていながら、終盤、静かに見つめ合うシーンの切なさたるや。
堀尾幸男の美術は、舞台を横切るカーテンでスピーディーに人物や場面を入れ替える。キャスター付き椅子の効果が独創的。そして後方の、なだらかな頂きに満ちる哀愁。
泣きながら、でも、背筋が伸びる舞台。生身の人の声の力強さを実感する。最初と最後の、白石の挨拶がチャーミングでした。橋爪とともに79歳!なんですねえ。
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