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ドン・カルロ

ドン・カルロ  2021年5月

2011年メト来日で堪能したヴェルディ円熟期の大作を、新国立劇場では初鑑賞。前の方のいい席で2万1780円。キャスト変更は致し方ないけど、ちょっと物足りなかったかな。主役級が5人必要で、上演至難の作品なんだなあと実感。指揮は2013年ナブッコ、2020年ラ・ボエームで聴いたパオロ・カリニャーニ、東京フィル。休憩1回を挟み3時間半。

日本人キャストの奮闘は嬉しかった。なんといってもドイツ在住の高田智宏(バリトン)が、親友ロドリーゴを高潔に歌って突出。得な役だしね。王妃エリザベッタの小林厚子(藤原歌劇団のソプラノ)も尻上がりで、終幕の「世の虚しさを知る人」が伸びやかだった。苦悩する父王・フィリッポ二世の妻屋秀和(バス)は安定だけど、パーペの陰影ほどではなかったかな。肝心のタイトロールのジュゼッペ・ジパリ(アルバニア出身のテノール)が残念ながらパンチ不足。敵役エボリ公女のアンナ・マキア・キウリ(ベテランのメゾ)も、高音など力任せの感じが否めず。

定番のマルコ・アルトゥーロ・ナレッリ(チューリヒ出身)のプロダクションは、モノトーン主体の重厚なもの。巨大な四角いグレーの塊を動かし、照明も陰影も駆使して、十字架の抑圧を表現。異端者の火刑シーンが、スペクタクルなんだけど赤々とリアルで怖かった~ このシーンで舞台を横切る天よりの声、光岡暁恵(藤原歌劇団、ソプラノ)は美しいけど。

日本が初参加し、渋沢栄一が随行した1967年パリ万博に合わせ、オペラ座の依頼で作曲・上演されたんですねえ。大がかりな舞台構成と、自由への情熱が近代的だと再認識。

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夏祭浪花鑑

渋谷・コクーン歌舞伎第十七弾「夏祭浪花鑑」  2021年5月

2008年に勘三郎・橋之助で観て、パトカー登場の疾走が鮮烈だった名作。次世代による継承が嬉しく、特に松也の柔軟さが光ってた。串田和美演出・美術は時節を踏まえ、ヤンキーたちのやぶれかぶれを残しつつ、冒頭とラストに舞台裏の厳粛なお祓いを見せる工夫。中村屋ファンの温かさが漂うシアターコクーン、1階中ほどやや下手寄りのいい席で。休憩なしの2時間強。

セットの出し入れでスピーディーに場面を展開。序幕の発端よりお鯛茶屋の場は、舞台番(笹野高史)がトントンと説明して、続く住吉鳥居前の場で、団七(勘九郎)と運命の出会いとなる一寸徳兵衛(松也)がいなせだ。団七女房のお梶(七之助)がいまや貫禄で、息子市松(長三郎)もかなり達者。
釣船三婦内の場では松也が徳兵衛女房・お辰に変身して大活躍。三婦も若返って片岡亀蔵に。長町裏の場は泥を避け、たくさんの本火の紙燭、燃え上がる面明かりを自在に使って、勘九郎と絶品・笹野の義平次が熱演する。一転、祭りの高揚に至る鮮やかは変わらない。

今回はむしろ地味な二幕目、九郎兵衛内の場の徳兵衛、団七、お梶の味わいが際立つ。侠客たちが、まあ短慮なりに精一杯、互いを思い合う。残暑の夕刻、斜めの照明の気だるい陰影が、不安と哀愁を醸して効果的だ。照明は斎藤茂男。続く屋根の場からは、和太鼓も駆使した怒涛の逃走劇で、勘九郎が身体能力を発揮。他に大迷惑の磯之丞の虎之介に存在感があり、琴浦の鶴松と可愛いコンビ。

開幕前から江戸気分とか、舞台と客席が一体になるコクーンらしさは封印されたけど、面白かったです!

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文楽「生写朝顔話」「摂州合邦辻」「契情倭荘子」

第216回文楽公演 第2部・第3部  2021年5月

コロナの影響で公演が短縮された間隙をぬい、久々にたっぷりと文楽三昧。嬉しかった。満員御礼の国立劇場小劇場で各部7000円。2部、3部ぶっ通しで5時間半。

まず2部「生写朝顔話」は2017年に観た、変化に富んでいて面白いこと間違いなしの演目。深雪・阿曽次郎のイライラするすれ違いと、明石浦に鮮やかに舞う金の扇やら、大荒れ大井川やらのスペクタクルで盛り上がる。物語の鍵となるのは朝顔の唱歌の詞章や、琴、三味線で、音楽劇らしい仕掛けも嬉しい。
宇治川蛍狩りの段は小住太夫・友之助ら。あられもなく色っぽいけど、人形だから嫌らしくないよね。続くダイナミックな明石浦船別れの段は、朗々とした織太夫らの掛け合いを清志郎ががっちり支える。チャリ場の笑い薬は、残念ながら今回はカット。15分の休憩を挟んで、眼目の宿屋の段へ。咲太夫・燕三が技巧たっぷり、名乗りたいのに名乗れない、そこはかとなく気づきながら霧が晴れない2人の切なさをじっくりと。琴は燕二郎。怒涛の大井川の段は、絶唱の靖太夫・錦糸で〆。
人形は主役・阿曽次郎の勘彌が凛々しく、悲劇のヒロイン・深雪の清十郎もはかなげで、危なげなし、でした。

入れ替えの1時間弱を、休憩所で腹ごしらえして過ごして、3部を鑑賞。まずお馴染み「摂州合邦辻」から合邦庵室の段。文楽では3回目だ。登場人物それぞれの複雑な思惑を語り分けるのが難しいらしい。特に玉手御前は二転三転だものね。睦太夫・勝平、錣太夫・宗助と手堅くリレーし、後は渋く呂太夫・清介。ラストはいつもながら、荒唐無稽な筋立てを、百万遍の非日常と大落シでねじ伏せちゃう。三味線の叩きつける叱咤が凄かった~
人形は合邦道心の玉也と、女房の勘壽の愛情に深みがある。玉手の和生は端正なだけに、浅香姫への嫉妬大暴れシーンなどアナーキーさがいまひとつか。俊徳丸の蓑紫郎さん、面落ちまで我慢の演技でしたね。

休憩15分のあと、打ち出しは「契情倭荘子(けいせいやまとぞうし)」から舞踊「蝶の道行」。初めてみたけど、これは異色作!
舞台は洋風パステルの花畑でファンタジック。主筋の身替りで命を落とし、蝶の化身となった恋人同士。なんとも可愛らしい衣装で、扇に飛び乗る人形ならではの振りもあって華やかなんだけど、ラスト「死出の山」で衣装が墨の模様にかわり、業火に狂い踊るというびっくりの展開だ。
床は織太夫、藤蔵以下、5丁5枚で飛ばしまくり、玉助・一輔が25分を躍動して、ヘトヘトの様子。派手で面白かったです!

ところで文楽では先月の大阪公演で突然、名女形・蓑助師匠が引退しちゃいました。81歳で、このところ足元がお辛そうだったとはいえ、ラストを見届けることがかなわず、ショック。でも、大病を乗り越えての、唯一無二の可憐さな舞台にただ感謝…

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終わりよければすべてよし

彩の国シェイクスピア・シリーズ第37弾「終わりよければすべてよし」  2021年5月

1998年にスタートしたシェイクスピア全戯曲上演企画が、吉田鋼太郎演出でついに最終作に。薔薇咲き乱れる駅前を通って、さいたま芸術劇場大ホールへ。残念ながら席は2階下手側、B席6000円で、舞台がほとんど見えなかったんだけど、参加したことで今回はよしとする。いつもの松岡和子訳、演出助手は井上尊晶ら。休憩を挟み2時間半強。

上演回数が少ないだけあって、戯曲はなんだかなあ、という感じのドタバタだ。南仏ルシヨンの貧乏医師の娘ヘレン(石原さとみ)はフランス王(吉田)を治療した功績で、恋するバートラム伯爵(藤原竜也)との結婚を許される。王の命令に従っただけのバートラムは新妻に冷たく、さっさとフィレンツェ戦線に向かって戦功をあげ、地元の公爵の娘ダイアナ(山谷花純)に言い寄る。巡礼を装って乗り込んだヘレンは、なんとベッドトリックを仕掛け、国王の指輪も利用して、夫をぎゃふんと言わせる… 
バートラムは身勝手な奴で、亡父の名声を超えたい一心なんだろうけど、貴族の家柄とはいえ今のダイアナってどうやら娼館の娘だよね?賢いヘレンが思い続けるほどの男?と思っちゃう。元は「デカメロン」の挿話なんですね。まあ、藤原竜也は相変わらず、何をしても魅力的だったけど。

脇筋の家臣バローレスの横田栄司が、期待通りの笑いでインパクト大。口先三寸の世渡りがバレて、見る影なく落ちぶれちゃう。ラストで老貴族ラフュー卿(正名僕蔵)が包容力を示し、バローレスを拾い上げるシーンにほっこり。ほかにヘレンを後押しするリヨン伯爵夫人の宮本裕子が安定し、デタラメ外国語の策略でバローレスの正体を暴くデュメイン兄弟の溝端淳平、河内大和がりりしかった。道化ラヴァッチのダンサー橋本好弘が印象的。

ニナガワ調にステージいっぱい、真っ赤な曼珠沙華が咲き乱れ、最小限の石像や窓の出し入れでシーンを転換(美術は秋山光洋)。ちょっとチープな紫の軍服やドレスは古風でした。ラストは2016年「尺には尺を」で涙した、蜷川さんの写真が掲げられて、じんとしちゃった。

個人的には、この「教養でないシェイクスピア」のシリーズに、第22作の2010年「ヘンリー六世」から参戦。8時間半一挙上演で、ずうっと上空から薔薇が降ってる蜷川マジックに、ものの見事に魅了され、番外編を含めて断続的に観てきた。駅からちょっと遠い劇場に、よく通ったなあ! 2013年「ヘンリー四世」の躍動する鋼太郎&松坂桃李、2014年「ロミオとジュリエット」のみずみずしい菅田将暉、病を押して蜷川さんが演出した2015年「ハムレット」の鬼気迫る平幹二朗…。心に残る舞台に感謝。

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