斬られの仙太
人を思うちから其の壱 斬られの仙太 2021年4月
三好十郎の1934年初演作を、「ブラッケン・ムーア」などの気鋭・上村聡史が、知的かつ鮮烈に演出した秀作だ。シンプルな空間で、伊達暁(阿佐ヶ谷スパイダース)はじめフルオーディションの俳優陣が、高い熱量と身体能力を発揮。身勝手な「革命」の虚しさを観るものに突きつけて、休憩2回を挟み4時間半もの長尺を飽きさせない。男性や年配客も目立つ新国立劇場小劇場、かなり前の上手寄りで7700円。
江戸末期、真壁(茨城県)の水呑百姓・仙太郎(伊達)は、お上に田畑を奪われて凄腕の渡世人となり、孤児の面倒をみる健気なお妙(清楚で芯のある浅野令子)を助けようと、賭場荒らしをはたらく。エエジャナイカの喧騒が、暗い情熱を象徴。
筑波山中の立ち回りで加多源次郎(きりっと小泉将臣)に見込まれ、水戸天狗党に加勢するが、陰惨な路線対立から恩ある親分・甚伍左(貫禄の青山勝)らにまで刃を向けることに。果ては敗走した越前で、武士でないゆえに無残に切り捨てられ…
舞台は小道具を排した無機質なモノクロで、傾斜のかなりきつい開帳場。役者は不安定な足場に立って、膨大、ときに難解なセリフをぶつけ合い、大衆劇よろしく激しい立ち回りを繰り広げる(殺陣は渥美博)。過酷さが、観るものに緊張感を強いて効果的だ。
手前の堀では、斬られた人物が転がり落ちたり、可愛い子供の人形が飛び出したり(美術は「迷子の時間」などの乗峯雅寛)。80余人の登場人物を16人でこなすためか、黒衣を多用したのもスピーディーで巧い。ショスタコーヴィッチの楽曲が、オペラのようなスケールで悲壮感を醸す(音楽は国広和毅)。
そして20年後の明治期、一転して低い位置に爽やかな緑の水田が開けるさまが、人が暮らすべき「本当の地面」を思わせて、目に染みる。初演時に「転向文学」とされた問題作とあって、長州との論争あたりは重要なんだろうけど、そこは消化不良かな。オリジナル7時間を圧縮したせいか。それでも、繰り返される「上に立つ者」の欺瞞、切実な個の叫びは普遍的だ。
伊達の風貌に人斬りの色気があり、終始、低い姿勢から怒りをこめて世間をねめつけ、切迫したストーリーを牽引。幼馴染・段六の瀬口寛之が対照的に、変わらない農民のしぶとさを好演する。刹那的な渡世人・長五郎の佐藤祐基、色っぽい芸者・お蔦の陽月華、瓦版売りやら水戸浪士やらの原川浩明らも大活躍でした。
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