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カリギュラ

カリギュラ  2019年11月

アルベール・カミュの不条理劇を、岩切正一郎訳、栗山民也演出で。哲学的なセリフの洪水に圧倒されるけど、タイトロールの菅田将暉が不可解な衝動を繊細、みずみずしく演じていて、刺激的だ。相変わらず手応えのある仕事ぶりだなあ。
コアな演劇好きと菅田ファンが相半ばした感じの新国立劇場中劇場、後ろのほうで1万800円。後半は知人と交代して2階で鑑賞した。休憩を挟んで2時間半強が、緊張感をはらんで長くない。ホリプロ主催。
ローマ帝国三代皇帝カリギュラ(菅田)の物語。情婦だった妹の死をきっかけに人格が崩壊、元老院の貴族らから気まぐれに財産を没収し、拷問で命を奪ったり、妻を公営売春宿に送ったりし始める。無償の愛を捧げる妾セゾニア(秋山奈津子)や奴隷出身の忠臣エリコン(谷田歩)、父を殺されつつもカリギュラを憎みきれない詩人シピオン(高杉真宙)とも心を通わすことなく、珍妙な仮装で乱痴気騒ぎ。ついに冷徹な臣下ケレア(美形の橋本淳、「キネマと恋人」のスター俳優)らに討たれる。
戯曲の執筆スタートは1930年代、初演は1945年9月のパリで、パリ解放から1年というタイミングだ。カリギュラが繰り出す言説は難解で、正直、理解は追いつかない。しかしその理不尽さは絶望、横暴というより、為政者が戦争の破滅へと突き進む、どこかで見た状況を思わせる。元老院の面々がつぶやく「道理」の虚しさに、背筋が冷たくなる。
なんといっても菅田の、中性的で子供っぽい姿形とリズム感が秀逸。後半冒頭、上方からなんとチュチュ姿で降りてきても、グロテスクでなく、愛らしいほど。貫禄の秋山、谷田ともいいバランスだ。橋本も健闘してました。
セットは左右に刀のような柱が並ぶ、抽象的なもの(美術は二村周作)。後方の鮮烈な赤い裂け目にカリギュラのシルエットが浮かぶなど、照明(勝柴次朗)もスタイリッシュだ。ひび割れた床の前方がアクリル板になっていて、下から照明で照らしたり、カリギュラが覗き込む鏡になったり。ラストでカリギュラ的なものは終わらない、というメッセージとともに、倒れた王の顔だけがライトに浮かびあがり、戦慄。
20191123-008


 

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