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文楽「心中天網島」「嬢景清八嶋日記」「艷容女舞衣」

第208回文楽公演  2019年9月

豊竹咲太夫の人間国宝認定が話題の文楽公演。第一部、第二部とも蒸し暑さの残る半蔵門、国立劇場小劇場で7300円。勘十郎、玉男ら充実の人形陣が引っ張り、千歳太夫、藤太夫、呂勢太夫、織太夫が初役も含めて奮闘する。
まずは初日の第一部、咲太夫が著書も出している得意の「心中天網島」を、下手寄り後ろの方で。
言わずと知れた近松晩年の名作だ。2013年に観たときも感じたけど、夫の愛人を思って、なんとか心中を止めようとする妻の悲劇が、不条理でクールなほど。そして勘十郎さんの遣う人形がとにかく情けなくて、もう仁左衛門にしか見えないという、なかなか稀有な体験をしました!
導入の北新地河庄の段は軽快な「口三味線」のあと、奥を呂勢太夫・清治で華やかに。「魂抜けてとぼとぼうかうか」現れた治兵衛(勘十郎)が、小春(和生)に愛想尽かしされたと誤解してからの、怒りやら後悔やら未練やら、心理描写が複雑できめ細やか。ヤケッパチで弱くて浅はか、だからこそ切ないんだなあ。一方、治兵衛を生かそうとする小春の真意を悟って、すべてを飲み込む兄・孫右衛門(玉男)がでかい。
休憩を挟んで、天満紙屋内の段は後半が渋く呂太夫・團七。女房おさん(勘彌)が、小春の身請け情報で立腹するものの、自害の覚悟を察して一転、治兵衛に対抗身請けを迫っちゃう。「箪笥をひらりととび八丈」の着物尽くしに、切迫感と悲哀がある。続く大和屋の段でいよいよ咲太夫・燕三。声は細くなっちゃったけど情感たっぷりだ。案じる兄と倅を、物陰から見送る治兵衛。どうして引き返せないのか。
そんな悲劇でも、ラストは音楽的になるのが文楽の凄いところ。道行名残の橋づくしは、5丁5枚の床と大掛かりなセットで締めました。

翌2日目の第二部は、前の方中央のいい席で。
初めて観る「嬢景清八嶋日記(むすめかげきよやしまにっき)」が悲劇性たっぷりで、聴き応え、見応え十分だ。「景清もの」なのに勇猛ではなく、頼朝暗殺に失敗して両目を失い、零落してからの後日談で、一見「俊寛」風。けれど侘しさや焦燥よりも、時代に翻弄される運命の非情が迫ってくる。
冒頭の花菱屋の段は軽妙。駿河国手越宿、今の静岡市にある賑やかな遊女屋が舞台で、立端場というのだそうです。計算高く、コミカルな女房(文昇)が魅力的だ。機嫌を損ねてふて寝しちゃったりして、癖の強さはまるでレ・ミゼラブルのテナルディエ夫人。でも結局は、信心深い主人(玉輝)とともに、身売りしてきた景清の娘・糸滝(蓑紫郎)にほだされ、二歳で生き別れた父・景清の元へと送り出す。織太夫・清介がテンポよく。
眼目の日向嶋の段は宮崎県の海辺に飛び、さいはてのイメージか。千歳太夫・富助がいつも通りの熱演だ。女性・子供の発声はもう一歩だけど。謡曲を意識して、舞台前方の手摺は珍しい青竹。義太夫屈指の大曲とのことで、重厚な謡ガカリや狂言ガカリがまじる。
ひっそり重盛を弔う景清(玉男)は、平家の英雄のプライドと、いまや物乞いという寂寥が交錯して、なんとも複雑。糸滝(可愛い簑助)になかなか会おうとしないもどかしさ、娘と知ってからの激しい慟哭、身売りまでさせちゃった現実を突きつけられてからの価値観の崩壊と、振れ幅が大きい。主君清盛は非道、敵だった頼朝に仁義があるというこの世の矛盾。この役にしか使わないという赤い目のかしら「景清」に迫力がある。ラストは解き放たれたように、鎌倉の隠し目付の勧めで上洛の船に乗り、位牌を海に流しちゃう。救いと無情。

休憩のあと、 最後は再び心中もので、お馴染み「艶容女舞衣」。酒屋の段は前で藤太夫・清友、奥は津駒太夫・藤蔵。茜屋を舞台に、愛人・三勝(手堅く一輔)が幼子を託し、出奔した夫の半七を思い続ける妻お園(清十郎)、お園を拒絶する舅半兵衛(玉志)が痛切だ。
大詰めは道行霜夜の千日。東京では1975年以来で、珍しい上演だ。焼場、獄門台と実に陰惨なシチュエーションで、半七(玉助が色っぽく)と三勝が死を選ぶ。水掛不動で知られる法善寺(千日念仏から千日寺とも)あたりなんですね。盛りだくさんでした~


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