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アジアの女

アジアの女  2019年9月

偶然にも2日連続で、長塚圭史の戯曲、しかも千秋楽。こちらは2006年新国立劇場での初演作を、吉田鋼太郎が演出。311の記憶や現下の世界の軋轢と共振する現代性が胸に迫る。石原さとみ所属のホリプロが主催で、Bunkamuraシアターコクーンの下手端後方で9800円。休憩を挟んで約2時間半。

舞台は大震災後の荒廃した都市。余震が来れば近くのビルが倒壊するため、立入禁止となった一角に、精神を病んだ麻希子(石原さとみ)と元編集者でアル中の兄・晃郎(山内圭哉)がとどまり、麻希子に思いを寄せる警官・村田(矢本悠馬)の助けでなんとか日々を過ごしている。そこへ傲慢な作家・一ノ瀬(吉田)が新作を書かせろと押しかけ、麻希子を怪しい「ボランティア」に引き込む鳥居(眼ヂカラのある水口早香)がからむ。
家屋のつぶれた1階部分で、老いた父が生き続けるという悪夢が、いかにも長塚節。後方に積み上げられた廃棄物の黒いフレコンバックが、社会の殺伐を突きつける(美術は秋山光洋)。軒先の不毛な土地に、水をやり続ける麻希子の愚かさと、それゆえの救済の光が美しい。石原持ち前の危うさが生きてたし、なんといっても山内がいつもながらの切なさで、庇護すべき妹への依存やら、理不尽から逃げてしまう情けなさやらを、存分に表現して秀逸。吉田はコミカルなんだけど、登場の格好良さがどうしても尾を引いちゃう。初演のキャストは岩松了さんだったそうで、そっちがイメージかなあ。ラストの蜷川節はやや強引か。
カーテンコール、座頭の石原の涙が爽やかでした~

ロビーでは「カーテンコールiでプラカード、写真集などを掲げること、舞台に近寄ること、音や光が出るものを取り出すこと」を禁じる張り紙が。観劇でそんな事する人がいるのかしら… 有料で「独占マルチアングル生配信」を視聴するチケットを売ってたり、いろいろと発見がありました。

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桜姫

阿佐ヶ谷スパイダース「桜姫~燃焦旋律隊殺焼跡 もえてこがれてばんどごろし~」  2019年9月

四代目鶴屋南北「桜姫東文章」をベースに、長塚圭史が作・演出した、劇団公演第2弾の千秋楽。血糊だの痣だのグロテスクで荒唐無稽だけど、ボロボロになっても「生きたい」という人間の欲が鮮烈で、どこか痛快だ。すべて生音の効果音と、荻野清子の音楽がファンタジックで効果的。ファンが集結している感じの吉祥寺シアター、下手後ろ寄りで5500円。休憩を挟み3時間弱。

清純な孤児・吉田(藤間爽子)が、悪党.・権助(伊達暁)への歪んだ愛ゆえに女郎にまで転落、また、かつて少年・白菊との心中でひとり生き残ってしまった篤志家の清玄(中村まこと)が、少年の転生と思い込んで、桜姫にさらに歪んだ愛を寄せる。悲惨と倒錯と混乱という大枠は原作をなぞっているけど、もちろん、それだけでは終わりません。
まず時代を戦後復興期とし、権助の救いようのない悪に、従軍の傷をにじませたのが巧い。ラストも南北流の因果応報ではなく、吉田に捨てられた入間(大久保祥太郎)が突然暴走して、びっくり。また吉田が常に女隊長(ちすん)率いる楽隊を幻視している、という設定で、俳優たちがピアニカやウクレレで劇伴を奏でる。この楽隊が、愚かでヤケッパチな男女の所業を民話的に彩っていて、引き込まれる。

俳優陣ではタイトロールの爽子が、小柄ながら独特の透明感と色気で舞台を牽引。日本舞踊家・藤間紫(猿翁の奥さん、東蔵さんの姉)のお孫さんなんですねえ。さすが~ 清玄を陥れるチンピラ三月に中山祐一朗、その愛人・長浦に村岡希美と、悪人ぶりが盤石。長塚も開演前に客席案内をしていたかと思うと、ドブ川の頭と見世物小屋座長で登場。

2009年に、亡き勘三郎の依頼で長塚が書き下ろした「南米版・桜姫」(串田和美演出)を観たんだけど、実は当初は今回の戯曲を構想していたとのこと。そのせいか、コクーン歌舞伎でお馴染み、舞台後方の大道具搬入口を開ける演出も。床の穴なども駆使し、立体的で緻密でした。

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オテロ

英国ロイヤル・オペラ 2019日本公演「オテロ」   2019年9月

パッパーノ指揮の引っ越し公演、最終日は巨匠ヴェルディの「オテロ」。繊細と迫力のメリハリ効いたオケ、高水準の歌手陣に、陰影の濃いスタイリッシュな演出があいまって、人間のどうしようもない弱さ、苦悩のドラマをくっきり描く。これぞシェイクスピア本場の演劇性というべきか。なんだか息を詰めて鑑賞する感じの東京文化会館、上手ウィングの最後列でA席3万3800円。休憩を挟み3時間強。
物語は言わずとしれた15世紀キプロス島における、ヴェネツィアの英雄オテロの転落劇。騎手ヤーゴの奸計にはまり、妻デズデモアの不貞を疑って、ついには手にかけちゃう。嫉妬が暴走する心理劇にとどまらず、世界の現状を考えると、差別意識の罪深さ、差別する側、される側双方に引き起こす心の歪みが迫ってきて、痛々しい。

歌手陣はベテラン揃いで、安定感抜群だ。タイトロールのグレゴリー・クンデ(米国出身のテノール)はなんと65歳!ながら、高音に張りがあってリリカル。1幕の甘い愛の2重唱「夜の深い闇に」、怒りを爆発させるヤーゴとの2重唱「神かけて誓う」、大詰めの絶唱「オテロの死」などで舞台を牽引。昨年のローマ歌劇場「マノン」のデ・グリューで聴いた人ですね。対する、気の毒すぎるデスデモナは初来日のフラチュヒ・バセンツ(アルメニアのソプラノ)。美形だし、4幕「アヴェ・マリア」の見事な弱音など、若々しい透明感に引き込まれた。
重要な悪役ヤーゴのジェラルド・フィンリー(モントリオール生まれのバス・バリトン)は、ただ者でない堂々の性格俳優ぶり。2幕「俺は生まれながらの悪魔だ=通称ヤーゴのクレド(信条)」を、不気味にスモークを吐き出す床にころがりつつ熱唱するなど、存在感が半端ない。利用されるカッシオのフレデリック・アンタウン(ケベック生まれのテノール)も、伸びやかな声と長身で目立ってました。
2009年新国立で「トーキョーリング」を観たキース・ウォーナーの演出(17年初演)は、クラシックな衣装ながら、シンプルな幾何学模様のセットに、照明の鮮やかな転換など、細部まで凝りまくり。なにしろ冒頭、あえてパッパーノを拍手で迎えず、いきなりヤーゴが白い仮面(善)を投げ捨て、黒(悪)を選ぶシーンで幕を開けるのだもの。その後も、鏡に異形のオテロを映し出したり、舞台後方にヤーゴをシルエットで不気味に登場させたり、深かった~

カーテンコールは最終日のお約束、オケも全員ステージに登場。キラキラ紙吹雪が舞って、上品な幕切れでした。客席には財界人も大勢。

愛と哀しみのシャーロック・ホームズ

愛と哀しみのシャーロック・ホームズ  2019年9月

作・演出三谷幸喜の人気舞台。嫌味のないギャグにたっぷり笑ったあと、欠陥だらけの人間たちの愛おしさ、天才と凡人の友情にほろりとする。巧いなあ。お得意のあて書きなのか、役者も生き生き。未熟な推理オタクの柿澤勇人、人のいい保護者・佐藤二朗らはもちろん、広瀬アリスが堂々たるコメディエンヌぶりで光ってた。企画制作ホリプロ。老若男女が集まった感じの世田谷パブリックシアター、1F最後列、中央の補助席で9800円。休憩を挟み2時間15分。

時は1981年、ロンドン・ベイカー街221Bのワンセット(美術は松井るみ)。27才の若き名探偵シャーロック(柿澤)が「緋色の研究」で広く世に知られる直前の、知られざるエピソードゼロという設定だ。
医師ワトスンは小説に「博士号取得が1878年」とあるので、そう年上ではないはずだけど、冒頭「実は取得に20年かかった」と笑わせておいて、佐藤が登場。続いてしっかり者の女医ミセス・ワトスン(八木亜希子)、どこまでも気のいいレストレイド警部(迫田孝也)、世話焼きの下宿屋主人ハドスン夫人(はいだしょうこ)、謎の依頼人ヴァイオレット(広瀬)、そして政府要人で高圧的な兄マイクロフト(横田栄司)が加わり、ドタバタを繰り広げる。
変人でコミュニケーション下手のシャーロックが、ちょっとした情報からいちいち人物の背景を読んじゃうあたり、遠い昔に子供向けホームズシリーズを読んだ印象がよみがえる。三谷少年も夢中になったのかなあ。質問クイズやらスコーンやらカードゲーム「ランターン」(インディアンポーカー)やら、小道具を駆使した謎解き要素と、しつこいギャグのリフレインがお楽しみだ。

終盤には英題「The Spare」の元となる兄弟の確執、ワトソン夫妻の葛藤をすべて飲みこんで、めでたくシャーロック&ワトスンの名コンビが誕生する。なんだか羨ましい。
俳優陣の安定の演技を、下手に控える荻野清子の、チャーミングなピアノが彩る。ミュージカル俳優がいるのに、2幕冒頭、佐藤、八木のレビューがどうみても素人なのはご愛嬌。よくできていて、満足度の高いコメディでした!
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ファウスト

英国ロイヤル・オペラ2019日本公演「ファウスト」   2019年9月

2015年以来のロイヤル来日は、グノーによる流麗な旋律ながら、人の醜さを突きつけるビターな演目だ。期待のグリゴーロら歌手の存在感を満喫すると同時に、やっぱり就任17年というアントニオ・パッパーノ指揮、オケの安定感が抜群だったかな。財界人が目立つ東京文化会館大ホール、上手寄りウイングの観やすい席で5万2000円。休憩1回を挟み3時間半強。

タイトロールは昨年のリサイタルが楽しかったヴィットリオ・グリゴーロ(イタリアのテノール)。「この清らかな住まい」など、高音が期待通りに軽々と張りがある。加えてよぼよぼから若返るシーン、情熱的な告白など、きびきびと大げさな演技が目を引く。
メフィストフェレスは2008年のウィーン、前回2015年のロイヤルでドン・ジョバンニを聴いたイルデブランド・ダルカンジェロ(イタリアのバリトン)。対照的に、太い声と長身の威圧感、野性的でちょっとコミカルなのがいい。石像のふりしてて動き出しちゃうし。
一瞬でファウストと恋に落ちるものの捨てられ、兄に責められて狂気に至る散々なマルグリートは、初来日のレイチェル・ウィリス=ソレンセン(米国出身のソプラノ)。当初予定のヨンチェヴァが「レパートリーから外した」と降板しちゃったのは残念だったけど、技巧を駆使した「宝石の歌」などで可憐さ、生真面目さを表現。METでフィガロの伯爵夫人を演じてるし、30代だけどデンマーク人と結婚して子供もいるとか。ファウストとの決闘に倒れる兄ヴァランタン、ステファン・デグー(バリトン)も伸びやか。「武器を捨てよう」など合唱も活躍。

演出がクセモノ。手掛けたのはMETの女王3部作などでお馴染み、デイヴィッド・マクヴィカーだ。特に後半、エグいバレエで人間の暗部を見せつける。初演時の1870年代パリという設定で、第2帝政末期の退廃が色濃い。マルグリートはなんと実在したキャバレー「地獄」のウェイトレスで、寂しい裏通りに暮らす。メフィストフェレスの手下たちは妖しい蜘蛛ダンスで、民衆にお札をばらまく「金の子牛の歌」ではキリスト像が倒れちゃうし、カンカンガールと学生が淫らにたわむれる。
ファウストは後悔に苛まれて、こともあろうに薬物に走っちゃうし、ついに錯乱するワルプルギスの夜のバレエは、メフィストフェレスがティアラで女装し、妊婦や傷だらけのヴァランタンも登場して、目をそむけたくなるほどグロテスク。だからこそ、舞台下手にそびえるパイプオルガンの壮麗(スーツ姿の天使がマルグリートを見下ろす)や、幕切れ迫力の3重唱とマルグリートの救済が印象的でした。

カーテンコールは暗い物語から一転、グリゴーロがおおはしゃぎ。もっと幕を上げたそうで、微笑ましかった~

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文楽「心中天網島」「嬢景清八嶋日記」「艷容女舞衣」

第208回文楽公演  2019年9月

豊竹咲太夫の人間国宝認定が話題の文楽公演。第一部、第二部とも蒸し暑さの残る半蔵門、国立劇場小劇場で7300円。勘十郎、玉男ら充実の人形陣が引っ張り、千歳太夫、藤太夫、呂勢太夫、織太夫が初役も含めて奮闘する。
まずは初日の第一部、咲太夫が著書も出している得意の「心中天網島」を、下手寄り後ろの方で。
言わずと知れた近松晩年の名作だ。2013年に観たときも感じたけど、夫の愛人を思って、なんとか心中を止めようとする妻の悲劇が、不条理でクールなほど。そして勘十郎さんの遣う人形がとにかく情けなくて、もう仁左衛門にしか見えないという、なかなか稀有な体験をしました!
導入の北新地河庄の段は軽快な「口三味線」のあと、奥を呂勢太夫・清治で華やかに。「魂抜けてとぼとぼうかうか」現れた治兵衛(勘十郎)が、小春(和生)に愛想尽かしされたと誤解してからの、怒りやら後悔やら未練やら、心理描写が複雑できめ細やか。ヤケッパチで弱くて浅はか、だからこそ切ないんだなあ。一方、治兵衛を生かそうとする小春の真意を悟って、すべてを飲み込む兄・孫右衛門(玉男)がでかい。
休憩を挟んで、天満紙屋内の段は後半が渋く呂太夫・團七。女房おさん(勘彌)が、小春の身請け情報で立腹するものの、自害の覚悟を察して一転、治兵衛に対抗身請けを迫っちゃう。「箪笥をひらりととび八丈」の着物尽くしに、切迫感と悲哀がある。続く大和屋の段でいよいよ咲太夫・燕三。声は細くなっちゃったけど情感たっぷりだ。案じる兄と倅を、物陰から見送る治兵衛。どうして引き返せないのか。
そんな悲劇でも、ラストは音楽的になるのが文楽の凄いところ。道行名残の橋づくしは、5丁5枚の床と大掛かりなセットで締めました。

翌2日目の第二部は、前の方中央のいい席で。
初めて観る「嬢景清八嶋日記(むすめかげきよやしまにっき)」が悲劇性たっぷりで、聴き応え、見応え十分だ。「景清もの」なのに勇猛ではなく、頼朝暗殺に失敗して両目を失い、零落してからの後日談で、一見「俊寛」風。けれど侘しさや焦燥よりも、時代に翻弄される運命の非情が迫ってくる。
冒頭の花菱屋の段は軽妙。駿河国手越宿、今の静岡市にある賑やかな遊女屋が舞台で、立端場というのだそうです。計算高く、コミカルな女房(文昇)が魅力的だ。機嫌を損ねてふて寝しちゃったりして、癖の強さはまるでレ・ミゼラブルのテナルディエ夫人。でも結局は、信心深い主人(玉輝)とともに、身売りしてきた景清の娘・糸滝(蓑紫郎)にほだされ、二歳で生き別れた父・景清の元へと送り出す。織太夫・清介がテンポよく。
眼目の日向嶋の段は宮崎県の海辺に飛び、さいはてのイメージか。千歳太夫・富助がいつも通りの熱演だ。女性・子供の発声はもう一歩だけど。謡曲を意識して、舞台前方の手摺は珍しい青竹。義太夫屈指の大曲とのことで、重厚な謡ガカリや狂言ガカリがまじる。
ひっそり重盛を弔う景清(玉男)は、平家の英雄のプライドと、いまや物乞いという寂寥が交錯して、なんとも複雑。糸滝(可愛い簑助)になかなか会おうとしないもどかしさ、娘と知ってからの激しい慟哭、身売りまでさせちゃった現実を突きつけられてからの価値観の崩壊と、振れ幅が大きい。主君清盛は非道、敵だった頼朝に仁義があるというこの世の矛盾。この役にしか使わないという赤い目のかしら「景清」に迫力がある。ラストは解き放たれたように、鎌倉の隠し目付の勧めで上洛の船に乗り、位牌を海に流しちゃう。救いと無情。

休憩のあと、 最後は再び心中もので、お馴染み「艶容女舞衣」。酒屋の段は前で藤太夫・清友、奥は津駒太夫・藤蔵。茜屋を舞台に、愛人・三勝(手堅く一輔)が幼子を託し、出奔した夫の半七を思い続ける妻お園(清十郎)、お園を拒絶する舅半兵衛(玉志)が痛切だ。
大詰めは道行霜夜の千日。東京では1975年以来で、珍しい上演だ。焼場、獄門台と実に陰惨なシチュエーションで、半七(玉助が色っぽく)と三勝が死を選ぶ。水掛不動で知られる法善寺(千日念仏から千日寺とも)あたりなんですね。盛りだくさんでした~


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