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リア王

NTL2019 リア王  2019年4月

英ナショナル・シアター・ライブ2019初体験で、シェイクスピア4大悲劇のひとつ、「リア王」を鑑賞。初めてみたけど予想以上に救いがない。特に次女の身勝手さにうんざりなんだけど、休憩を挟んで3時間40分の長尺を目が離せないのは、やはりタイトロールのサー・イアン・マッケランの力か。滑稽味が強く、リアと重なる80才目前とは思えない激しい演技で、独裁者の孤独、人間のどうしようもない卑小さをひしひしと。「美女と野獣」で燭台の声をしてた人なんですねえ。300席ほどというロンドンのデューク・オブ・ヨークス劇場の濃密な雰囲気で、観客がよく笑うのが印象的。シネ・リーブル池袋で3000円。
演出は「民衆の敵」が洒落ていたジョナサン・マンピィ。シンプルな丸ステージに花道をつけ、衣装は現代的。冒頭はお馴染み、古代ブリテン王リア(マッケラン)が巨大肖像画の前で3人の娘に自分への愛情を問う。お追従を言った長女ゴネリル(中年クレア・プライス)、次女リーガン(カースティ・ブッシェル)に国を譲るが、正直な末娘コーデリア(アフリカ系のアニータ・ジョイ・ウワジェ)と忠臣ケント伯(何故かオバサンのシニード・キューザック)を追放しちゃう。すでにリアは愚かで傲慢、老耄の色が濃い。地図のスコットランド、アイルランドを破って与えるという、きっついブラックジョークも。Brexitの混乱さなかだから、よけいブラック。
引退しても高圧的な父を、権力を握った長女、次女は邪魔者扱いし、激怒したリアは唯一耳の痛いことをいってくれる道化(ロイド・ハッチソンがかいがいしく)を連れ、嵐の荒野を彷徨う。マッケランはずぶ濡れ、服もはだけて気の毒過ぎ。錯乱しながらも時々、まともな後悔を口走ったりして、哀切が募る。
一方、重臣グロスター伯(ダニー・ウェッブ)は、差別に激しく反発する庶子エドモンド(色っぽいジェームズ・コリガン)にまんまと騙されて、実直な嫡子エドガー(ルーク・トンプソン)は乞食に身を落とす。エドガーは裸に白塗りで道化の賢者っぽい造形だ。
グロスターはリアを尊重しようとして、リーガン夫妻の怒りをかい、なんと目をえぐられちゃう。このあたり、牛や豚の頭に囲まれてグロいし、リーガンのキレっぷりが猟奇的過ぎて、目を背けたくなる。
後半、リアは正体を隠してまで従っていたケント伯らに助けられ、なんとかドーバーにたどり着く。父を救おうと、軍を率いて上陸したフランス王妃コーデリアと再会、許しを乞う。ズタボロのグロスター伯もエドガーに自殺を止められる。コーデリアはなんと迷彩服姿で凛々しいんだけど、割とあっさりイングランド軍に敗北、父娘は囚われる。
終盤は怒涛の展開だ。実はまともな長女の夫アルバニー公(アンソニー・ハウエル)がリアに王権を返そうとし、エドガーも凛々しく名乗り出る。ゴネリルとリーガン姉妹は、あろうことか悪党エドモンドを取り合った末に命を落とす。しかしエドモンドの最後の悪だくみで、コーデリアは謀殺され、遺体を抱きしめるリアの絶望で幕切れとなる。愚かさは止まらない…
開幕前にマッケランのインタビューがあり、「ボタンをはずしてくれないか」という時に観客にボタンが見えている劇場で、と解説。ヘロヘロだったのに、カーテンコールでいきなり颯爽と現れるのが凄かった~

良い子はみんなご褒美がもらえる

良い子はみんなご褒美がもらえる  2019年4月

「ローゼンクランツ…」のトム・ストッパード作、というのにひかれて、異色作に足を運んだ。「俳優とオーケストラのための戯曲」と銘打っており、舞台後方でオケ35人が現代音楽を奏で、頻繁にダンスが挟まる。ロンドン交響楽団首席指揮者だったアンドレ・プレヴィンとの共作で、今回の演出はロイヤルオペラのウィル・タケット。群舞は面白かったけど難解だったかな… 休憩なしの1時間15分。ジャニーズファンが多そうなTBS赤坂ACTシアター、中段で1万円。
舞台は旧ソ連らしき独裁国家の精神科病棟。同姓同名の2人の男、アレクサンドル(堤真一)は抑圧を告発する思想犯で、若いイワノフ(ABCーZの橋本良亮)はオケを引き連れていると妄想している。2人とコンサートを控えたバイオリン奏者でもある医師(小手伸也)との、またアレクサンドルの息子サーシャ(ソウル出身のシム・ウンギョン)と教師(斉藤由貴)との、噛み合わない会話が続く。やがて大佐(文学座の外山誠二)は著名人アレクサンドルのハンストに手を焼き、2人を取り違えたふりをして釈放する。
1977年初演とはいえ古臭い感じはしない。照明を落とし、上下2段のパイプセット、手前の階段でアンサンブルが役者の動きを増幅する抽象的な舞台だ。上演の難易度も高そう。もっともSNS時代の同調圧力とかフェイクニュースとか、いろいろ連想するには拡散ぎみか… 五線譜の語呂合わせだというタイトルはじめ、哲学的ウィットが豊富だったんだろうけど。翻訳は常田景子。
ドラマ「コンフィデンスマンJP」の小手が、いい声で、可笑しみがあってよかった。音楽監督・指揮はフランス出身で京都を拠点に活動する音楽監督・指揮のヤニック・パジェ。ちなみに作曲のプレヴィンは1929年ベルリン生まれのユダヤ人で、「マイ・フェア・レディ」の編曲・指揮を担当するなど幅広く活躍、今年2月に死去したそうです。

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能「羽衣」「藤戸」狂言「附子」

梅若会定式能  2019年4月

JR東中野駅からぶらぶら歩いて10分、梅若能楽学院会館にお邪魔してみた。1961年建設の能舞台で古びているけど、ロビー吹き抜けから階段を上がっていくスタイルが格好いい。本日は2カ月に1回ぐらいの定式能で3時間半弱。300席くらいで、お弟子さんなのか年配男女が緩く出入りして親密な空間だ。

プログラムは春らしく充実していて、まず世阿弥の能「羽衣 和合の舞」を1時間。三保の松原の漁師・白龍(ワキ、下掛宝生流の大日方寛)が美しい衣を見つける。現れた天女(シテ、松山隆雄)に返す代わりに舞を所望し、天女は舞いながら天に帰っていく。謡・囃子が華やか。「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」というやりとり、と舞が大らかだ。
続いて大蔵流の山本泰太郎、則孝兄弟と、泰太郎の息子・凛太郎が演じる狂言「附子(ぶす)」30分弱。主人が壺に附子という猛毒(トリカブト)が入っているから近づくな、空気に触れても危険、と言いおいて外出。太郎冠者、次郎冠者が扇であおぎながら覗きこむと、中身は貴重な砂糖とわかり、あまりの甘さに舐め尽くしちゃう。あげく大事な掛け軸、茶碗をめちゃめちゃにし、死んで詫びようと毒を食べた、と言い訳する。壺が気になって仕方なく、恐る恐る近づくさまが滑稽だ。でもきっと主人の嘘に感づいてたんだろうなあ。
前半最後は仕舞3題を続けて20分。まず鷹尾章弘が「箙(えびら)」。逆櫓で知られる梶原景季の霊が一の谷の合戦で、風雅にも箙(矢入れ)に梅を挿して戦った様子を見せる。続いてシテ山崎正道が「蘆刈(あしかり)」から音楽的な「笠ノ段」。落ちぶれた夫が妻と再会、和歌をまじえた謡にのって難波の春を舞う。最後はシテ小田切康陽が「国栖(くず)」。壬申の乱で天武天皇が吉野山に逃れ、食べかけの国栖魚(鮎)が生き返る奇跡などがあり、大詰めでは守護神・蔵王権現が現れて颯爽と御代を祝福する。天皇の代替わりにもふさわしい演目ですね。

休憩を挟んでトリは、お目当ての能「藤戸(ふじと)」1時間半。佐々木盛綱(ワキ、宝生欣哉)が藤戸の合戦での、馬で海を渡る先陣の功で得た領地に入る。老婆(前シテ、梅若紀彰)に子の仇と激しく詰め寄られ、若い漁師から浅瀬を聞き出し、他言を恐れて殺してしまったと告白。間の山本則秀を挟んで後半。盛綱が海辺で管弦講を催し、般若経を唱えていると、水中から漁師の亡霊(後シテ、紀彰)が現れて、凄惨な凶行のさまを見せつけるものの、ラストは回向に感謝して成仏する。
理不尽にも戦争の犠牲になる庶民の哀れというテーマは現代的だけど、ベースは普遍的な親子の情愛だ。大詰めで漁師の霊が杖を離し、ふっと顔をあげて成仏するところに救いがある。たっぷり楽しみました~

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BLUE/ORANGE

BLUE/ORANGE   2019年4月

イギリスのジョー・ペンホールの2000年初演作を再演。白い精神科病棟の一室ワンセットで、ひとりの患者をめぐる医師2人の対立から、支配と差別、正義の空回りを描く。小川絵梨子の新訳、演出千葉哲也という充実の顔合わせ。DDD青山クロスシアターで7800円。
街で暴れた黒人で労働者階級のクリストファー(章平)が収容最終日となったが、新米研修医ブルース(成河)はさらなる入院治療が必要と判断。クリストファーをないがしろにする上司ロバート(千葉)と激しく衝突する。
2010年の初演は亡き中嶋しゅうが企画してロバート、演出の千葉がブルースで出演し、クリスだった成河の演技が評判をとったという。今回も俳優3人は実に魅力的。小さい劇場、しかも細長い舞台を客席が挟む配置で、逃げ場がないなか(美術は中村公一)、存分に力技を発揮していた。
特に2幕。真っ直ぐで良心的な成河が、どんどん独善に傾き、一方の権威に安住していた千葉が苛立ちを募らせて、どこか情けなくなっていく。ロビーまで使って声だけ響かせる怒鳴り合い、終盤の暴れっぷりに緊張感がみなぎる。肝心の章平といえば終始飄々として、全く闘いがいが無いのが皮肉だ。野性味があって、なかなかいい俳優さんです。もっとも当方、体調がイマイチだったせいか、休憩を挟んで3時間弱はちょっと長かったかな… 
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フィレンツェの悲劇/ジャンニ・スキッキ

フィレンツェの悲劇/ジャンニ・スキッキ 2019年4月

新国立劇場は今シーズンから1年おきに上演するというダブルビルの新制作。今回はフィレンツェつながりで、ほぼ同時期の作品ながら対照的な曲調の組み合わせで、変化に富む。珍しい演目だし、日本人キャストも充実していて満足~ 沼尻竜典指揮、東京フィル。休憩を挟んで2時間半とコンパクトです。
古都の町並みを描いた紗幕から、まず1917年初演の「フィレンツェの悲劇」。キャストは3人、一夜の心理劇だ。オスカー・ワイルド原作、世紀末ウィーンで活躍した作曲家とあって、緊迫と退廃が漂う。
なにしろ老商人シモーネ(ロシアのベテラン・バリトン、セルゲイ・レイフェルクス)が旅から戻り、若い妻ビアンカ(齊藤純子、仏ボルドーを拠点とする長身ソプラノ)が浮気相手グイード(ロシアのテノール、ヴゼウォロド・グリヴノフ)といるのに出くわす。激しい猜疑と嫉妬にかられつつ、大公の息子であるグイードにへつらい、高価な衣装を売り込んだり宴に誘ったり。糸紡ぎ部屋に追いやられたビアンカは、隙をみてグイードと甘く愛を語らい、夫殺害をけしかける。ついに男同士が決闘に至り、シモーネが意外にもグイードを絞め殺すと、なんとビアンカは一転、夫にしなだれかかっちゃう。2人で愛を歌うトンデモで幕切れ。
なんといってもオケの聴きごたえが抜群。事前のオペラトークによると「薔薇の騎士」などリヒャルト・シュトラウスの影響を強く受けているそうで、ワーグナーっぽさもあって、分厚くゴージャス。初ツェムリンスキーだったけど、シェーンベルクの師匠、マーラーの奥さんの元カレという重要人物なんですねえ。
歌手は不気味かつパワフルに歌いまくるレイフェルクスに、齊藤さんが負けてなかった。粟國淳演出はルネッサンス期の設定ながら、館が崩れかかった不穏なセットでシャープ。

休憩後はがらりと雰囲気が変わって、プッチーニの1918年メト初演のドタバタ喜劇「ジャンニ・スキッキ」。叙情たっぷりの名アリア「私のお父さん」はお馴染みだけど、オペラとしての上演は貴重な機会です。
フィレンツェの町並みは舞台後方に移動し、巨大で雑然とした書き物机の上で右往左往するキッチュな演出に。登場人物たちの卑小さを際立たせて効果的だ。遺言状が巨大だし。衣装などは1950年代の設定。さすが粟國さん、イタリア育ちのセンスが光る。
お話は大富豪ドナーティの死の直後。集まった親戚たちは追悼そっちのけで遺言状を探し、遺産が全額修道院行きと知って愕然とする。若いリヌッチョ(村上敏明、藤原のテノール)は伯母ツィータ(ドイツ中心に活動するメゾ、寺谷千枝子)にラウレッタ(「ホフマン物語」で聴いたソプラノ、砂川涼子)との結婚を認めさせようと一計を案じ、ラウレッタの父ジャンニ(カルロス・アルバレス、スペイン出身、2012年ウィーンオペラで聴いた世界的バリトン)を頼る。ジャンニは田舎者と馬鹿にされてヘソを曲げるものの、ラウレッタに「結婚できないならベッキオ橋から身を投げる!」と懇願されて悪だくみを承諾(あの美しい旋律がこんな内容だったとは…) 大胆にもドナーティがまだ生きていると装って公証人を騙し、強欲な親戚たちも出し抜いて、まんまと多額の遺産をせしめる。
上演わずか1時間だけど、日本人歌手演じる親戚たちの騒々しい掛け合い、重唱がテンポよく、愉快。そのなかでアルバレスがさすがに渋く、存在感を発揮していい対比だ。「さらばフィレンツェ」など短いアリアも聴かせます。曲調は後年のミュージカルへの影響を見受けられるらしい。
ジャンニは身勝手な悪党だけど、これも若い二人の愛のためと語り、幕切れはあっけらかんと爽やかでした~
前日の演劇と続けて、知人のエコノミストに遭遇。幕間では通路にいた粟國さんに、思わず称賛を送っちゃいました。全席になんとエアウィーヴのクションを導入。工夫してます。
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まほろば

まほろば  2019年4月

蓬莱竜太の2009年岸田國士賞受賞作を、劇団チョコレートケーキの日澤雄介が演出。ユーモアたっぷり、妊娠というデリケートなテーマをめぐる女4代のあけすけ過ぎる会話が痛快で、育む者のたくましさが滲んで読後感がいい。東京芸術劇場シアターイースト、上手寄り中段で6800円。休憩無しの約2時間。
長崎の夏祭りの日、日本家屋の客間のワンセット。「本家の嫁」ヒロコ(高橋恵子)は宴会の準備に慌ただしい。しっかり者の長女ミドリ(初ストレートプレイの早霧せいな)は東京で仕事にかまけて嫁き遅れ、未婚で娘ユリアを育てたヤンキー次女キョウコ(中村ゆり)と、大人げない喧嘩ばかり。そこへ前触れなく帰ってきたユリア(モダンスイマーズの生越千晴)の若過ぎる妊娠、さらに聡明なはずのミドリの想定外の妊娠まで明らかになって、女たちは右往左往。
開幕前のアナウンスから、全編長崎弁なのが効果的だ。田舎の息苦しさは、社会での女の生きにくさにつながる。けれど田舎言葉のくつろいだ雰囲気が、女同士の親密さとあいまって説教臭くならない。そして終盤、原爆の記憶とそれを乗り越えて繋がる祭り神輿の喧騒が、命の力強さに転化するカタルシスが鮮やか。故郷たるまほろばのおおらかさ。
高橋は旧習にとらわれた主婦で、なにしろ宴会では、親戚の席順まで頭に入ってる。けれど思うにまかせない娘それぞれの幸せを認めようとしていく。そんな高橋を核に、コメディエンヌぶりが頼もしい早霧(佐世保出身!)と、ぽんぽん言う中村とがいいバランス。座布団投げ合っちゃったりして。ボケて、なにやら大事なことをのたまう姑タマエの三田和代が、抜群の存在感だ。初演(栗山民也演出)はヒロコ役だったんですね。ちょっと捨鉢な生越に色気があって、嬉しい発見かも。美術は土岐研一。

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長講三人の会「一人酒盛」「たちきり」

三色三様 長講三人の会  2019年4月

お馴染み安定感抜群、外見もなんとなく似ている3師匠の落語会。前半「桃太郎の世界」は残念ながら間に合わず、仲入のタイミングで会場に到着して、後半「長講競演」2席、約1 時間半を聴く。国立演芸場の中央あたりで3500円。

まず柳家権太楼が、前半の昔昔亭桃太郎のフラを誉めつつ、上方噺「一人酒盛」。熊が到来ものの珍しい原酒を一緒に呑もうと、仕事に行くはずだった留を誘う。しかし自分ばかり呑んでいて、お人好しの留は言われるまま燗をつけたり、つまみを作ったり。ついに怒って帰ってしまう。様子を聞かれた熊が「あいつは酒癖がわるいんだ」。
熊が酔っ払っていく過程の巧さ、酒好きのしょうもなさがさすが。留が気の毒過ぎて、あんまりな噺だなあ。
続いて柳家さん喬が、「らくだ」のつもりだったのに…とひとしきり悩んだ末、小さんのお座敷遊びのマクラから「たちきり」。こういう難しいネタをいきなりできるのは凄い。若旦那の後悔が切々と胸に迫って、身も世もない気分でした…

 

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シネマ歌舞伎「桜の森の満開の下」

シネマ歌舞伎「野田版 桜の森の満開の下」 2019年4月

2018年11月に再々々演を観た野田秀樹の代表作を、自ら歌舞伎化。2017年夏に評判をとった舞台をスクリーンに移した。こうして観るとキッチュさや夜長姫の2面性など、非常に歌舞伎向きの演目で、面白い。荒唐無稽なストーリーも、現代版よりわかりやすいかも。新宿ピカデリーの最後列で2100円。約3時間。

とにかくステージいっぱいの桜と、鬼の面が歌舞伎そのもので違和感がない。セリフは戯曲の遊び心を生かしつつ、七五調にのせていた。夜長姫の七之助が、ピュアと残酷を自在に行き来し、女形の特質をおおいに発揮。耳男の勘九郎は振り回されキャラがぴったりで、健闘。ほかにオオアマの染五郎(現幸四郎)、早寝姫の梅枝が伸び伸び。マナッコの猿弥、エンマの彌十郎、ヒダの王の扇雀らが盤石だ。
どうしても見え隠れする勘三郎の存在、そしてアリア「私のお父さん」が染みます。

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夜桜能「野守」「咲嘩」「恋重荷」

第27回奉納靖国神社 夜桜能 第三夜 2019年4月

2年ぶり、平成最後の夜桜能。昨夜から一転して暖かくなり、満開の桜と炎の抜群のシチュエーションで、人間国宝・野村萬、梅若実の至芸を堪能する。意外に若い人が多い靖国神社能楽堂。脇正面にあたるAブロック前の方のいい席で1万2000円。

いつものようにおごそかな火入れ式からスタート。松田公太さん、宮台 真司さんらがつとめる。火が目の前で迫力満点。
まず世阿弥の鬼神物「野守(のもり)」を、角当直隆(梅若会)の面・装束をつけない舞囃子で。山伏が大和・春日の里で番人・野守(角当)と出会い、水鏡(泉)をめぐって言葉をかわす。今回はその後、野守が鬼神の正体を現し、鏡(扇で表す)に天上から地獄までを映してみせたあと、大地を踏み破って去っていくくだりでした。おおらかだなあ。

続いてお楽しみ狂言「咲嘩(さっか)」。田舎者で連歌好きの主人(アド、野村万之丞)が京に住む伯父に宗匠(指導者)を頼もうと、太郎冠者(シテ、野村萬)を迎えに出す。名前も住居も聞き忘れ、呼ばわって歩くのをみて、いいカモだと「見乞の咲嘩」(見たものすべて奪う盗人、野村万蔵)がついてきちゃう。主人は体よく追い返せと言いつけるが、太郎冠者は頓珍漢を繰り返すばかり。それがかえって咲嘩をやり込める。
主人を真似る太郎冠者が、まるきり落語の与太郎で可笑しい。萬さんの口調は抑揚が豊かでいいなあ。お元気で何よりです。

休憩に温まる甘酒と、おにぎりで腹ごしらえ。最後は能で世阿弥の妄執物「恋重荷」だ。白河院の庭で菊を育てる荘司(シテ、梅若実)は、かいま見た女御(ツレ、松山隆之、75年生まれの実さんのお弟子)に恋をする。女御が荷を持って庭を巡ったら再び姿を見せる、というので張り切るが、荷が重すぎてかなわず(謡いどころのロンギ)、絶望して死んでしまう。女御がその躯に涙していると、動けなくなり、荘司の亡霊が登場してさんざん恨みごとを言う(立回り)。だが最後には、弔ってくれるなら守護神になろうと言って成仏する。
身分違い、かつ年齢の離れた無茶な恋心を弄ばれる、あんまりなお話だ。後シテの亡霊の面は、見るも恐ろしい。立回りがおとなしめなのは、体調ゆえか。しかし橋掛かりで杖を打ち捨てるシーンに、きっぱりと希望が宿る。けなげだなあ。昨秋、実襲名披露の間に十二指腸潰瘍に倒れ、かなり深刻だったそうですが、見事復活し、パリ公演をこなして萬さんとともに芸術文化勲章を受章。拝見できて良かったです!

 

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