« 2018年6月 | トップページ | 2018年8月 »

小澤アカデミー モーツァルト「ディヴェルティメントK.136」ベートーヴェン「弦楽四重奏曲第16番」

小澤国際室内楽アカデミー奥志賀 東京公演~受講生によるクヮルテットと弦楽合奏~  2018年7月

小澤征爾主宰の、若手を対象にした弦楽四重奏の勉強会。仕上げのコンサートに足を運んだ。2013年から4回目。ところどころ技術は未熟でも、いつも新鮮な才能に心洗われる。そしてまさかのマエストロ登場に感動!
トッパンホールの最前列で、音のシャワーを浴びて存分にリフレッシュしました。本当に弦の波動は体にいい。4500円。休憩を挟み1時間半。
今回は日韓台中の19歳から28歳まで6組が、順に四重奏、五重奏を演奏。おなじみ会田莉凡はじめヴァイオリンの松岡井菜、ヴィオラ湯浅江美子らが成果を披露する。
そしてラストの合奏では、指導者の原田禎夫(チェロ)、川本嘉子(ヴィオラ)、ジュリアン・ズルマン(ヴァイオリン)も加わって、まず軽快にモーツァルトのディヴェルティメントK.136第1楽章。そして赤い椅子が据えられ、小澤が登場。じっくりとベートーヴェンの弦楽四重奏曲第16番から第3楽章。自宅療養から復活したばかりの82歳。痩せて、歩くときはちょっとトボトボしてたけれど、指揮を始めると足を動かし、時に腰を浮かす場面も。
いや~、聴けて良かったです。カーテンコールでは小ちゃいお子さんがステージにあがって可愛かった。誰かな?

20180731_230415284

20180731_184330583

エビータ

ミュージカル「エビータ」  2018年7月
作曲アンドリュー・ロイド=ウェーバー、作詞ティム・ライス、96年にはマドンナ主演で映画化もされた著名作。初の来日公演の、千秋楽に滑り込んだ。演出はハロルド・プリンスによる1978年の初演バージョン。ミュージカルファンが集まった感じの東急シアターオーブ、前のほう中央のいい席で1万3500円。休憩を挟んで2時間半。
愛人の娘エヴァ(エマ・キングストン)が男を利用してモデル、女優へと成り上がり、美貌と弁舌を武器に大衆の人気を獲得。1946年、パートナーのフアン・ペロン(ロバート・フィンレイソン)をついに大統領に押し上げるが、33歳の若さで病に倒れる。なんともドラマチックな人生を、「アルゼンチンよ泣かないで」「ブエノスアイレス」など名曲で描く。
ゲバラをモデルにした無精髭、戦闘服の男チェ(ラミン・カリムルー)が、終始冷めた態度で狂言回しを務める仕掛けが巧い。現実のゲバラはエヴァと接点はなかったものの、ペロン政権で軍医になるのをよしとせず、南米を放浪したという。
初演当時はフォークランド紛争の数年前。ロンドンからみたアルゼンチンのイメージは、軍政の腐敗や弾圧、経済運営の失敗など、問題だらけだったろう。そのせいか戯曲は、エヴァの虚栄心や権力の私物化も赤裸々に描く。だからこそ、プライド高く、力を振り絞って夢を追い、社会を鼓舞する姿が感動的だ。自分の価値観で「遅れている」からといって、他者を見下すことは誰にもできない。
ロックをベースとしたナンバーの中に、タンゴが挟まるのが効果的。「レ・ミゼラブル」などのカリムルーに色気があり、骨太で、耳に残るいかにもミュージカルらしい歌声で舞台を牽引する。イラン生まれなんですねえ。エマは母親がアルゼンチン人とか。クールな美貌で、ハイトーンがとても力強い。タイトロールとしての求心力は今ひとつだったかな。
カーテンコールでカリムルーがベレー帽を客席に投げ入れ、大盛り上がりでした~

20180729_004

20180729_013

マクガワン・トリロジー

マクガワン・トリロジー  2018年7月

アイルランド・ゴールウェイ出身でニューヨークを拠点とするシーマス・スキャンロンの2014年初演作を、渡辺千鶴訳、ますます気になる小川絵梨子演出で。冒頭の暴力描写に目を奪われるけれど、生きる意味を見失った一人の若者の姿が痛々しい。松坂桃李ファンが多そうな世田谷パブリックシアター、2階最後列で8800円。休憩を挟み2時間半。
トリロジー、すなわち三部作のまず一部「狂気のダンス」は、1980年代、雨が降る北アイルランド・ベルファストの酒場。IRA(アイルランド共和軍)の「殺人マシーン」ヴィクター・マクガワン(松坂)が、裏切りを疑われたショーン(小柳心)を刹那的かつ冷酷に追い詰める。ヴィクターは早口でしゃべりまくるけど、大音量のパンクロックと、目を背けたくなる殺戮で息が詰まる。
休憩を挟んで二部「濡れた背の高い草」は一転、虫の音が聞こえそうに静かな夏の夜のキャロウ湖畔。ヴィクターの任務はまたも粛清だけど、相手は幼馴染みの女(趣里)。しかも瀕死のイギリス兵に水を飲ませただけ。手探りするような2人の会話、淡い恋の記憶が、ヴィクターの心を揺らし、ついに慟哭へと至る。
続く三部「男の子たちが私の前を泳いで行った」はさらに静謐だ。傷つき疲れ、一部とは別人のようなヴィクター。深夜、故郷ゴールウェイの老人施設に忍び込む。目を覚ました母メイ(綺麗な高橋恵子)は認知症が進んでいるが、断片的にヴィクターのトラウマが明らかになっていく。幼い日の母の仕打ち、それでも母がミドルネームにこめた願い、ネイティブ・アメリカンに憧れてヴィクターの黒髪をのばしていたこと。いったいどこで、ヴィクターの人生は壊れてしまったのか。静かに母を見送り、手向けるようにネイティブ・アメリカンの置物にランプをあてるラストが、哀しくも印象的だ。揺らぐカーテンが美しい。
プログラムに小さな字で、キーワードの解説が載っているものの、正直、戯曲は固有名詞や引用が多くて、ハードルが高かった。IRA関連では2014年「ビッグ・フェラー」が強烈だったし、マーティン・マクドナーX小川絵梨子も何本か観ているけれど、アイルランドについてはまだまだ勉強する必要があるなあ。
俳優陣は健闘。特にどんどん大人っぽくなる趣里ちゃんに説得力がある。歌もうまい! 「マーキュリー・ファー」の小柳は、投げやりな色気で目を引く。高橋はもちろん、上司の谷田歩、モヒカンのバーテンダー浜中文一(なんとジャニーズ)も安定。主演の松坂は細身で繊細さが際立つものの、席が遠かったせいで、表情を読み取りにくかったのが残念~

20180728_002

死ンデ、イル。

モダンスイマーズ「死ンデ、イル。」  2018年7月

1週間で2本めの蓬莱竜太作で、今回は演出も。「句読点三部作連続上演」と銘打った公演のラストで、重い家族の閉塞を、笑いをまじえて描く。オーディションで選ばれた片山友希ら、俳優陣が熱演だ。東京芸術劇場シアターイーストの、迫力の最前列で3000円。お得です。休憩無しの2時間弱。
雑誌のライター(小椋毅)が、行方不明になって2週間たつ女子高生・七海(片山)を探すため、関係者を集めてインタビューする。七海は原発事故で自宅に住めなくなり、姉夫婦(成田亜佑美、津村知与支)とともに、叔母(千葉雅子)の一人暮らしの家に身を寄せる。突然の暮らしの変化は様々なきしみを引き起こし、さらには恋人(松尾潤)、体育教師(西條義将)、東京に住む叔父(古山憲太郎)の存在も、七海を追い込んでいく。
初演は2013年。被災者という難しい設定を、生々しく扱っている。とはいえ描かれるのは、決して特殊な感情ではない。
年が離れた親代わりの姉、これまで疎遠だった個性的な叔母。詳しく背景を説明しないが、互いにわだかまりを抱えていて、本当なら距離を置きたい関係だ。それなのに近づかざるを得ず、傷つけあってしまう。家族という存在の、逃れようのない困難。
孤独で無力な七海がどうしようもなくなって、まだ立入禁止の自宅、そして海を目指すのが悲しい。タイトルはその死を暗示するけれど、幕切れは必ずしもそうとばかりは言い切れない感じで、余韻を残す。
細身の七海が、幼く繊細でいい。千葉は不機嫌な人物の造形で、さすがの説得力を発揮。ニクニクしいけど憎めないんだよなあ。マームとジプシーでお馴染みの成田も、特徴のある声が切なく迫ってくる。NODA・MAPなどの野口卓磨が、浮浪者風の「二本松の男」を切なさいっぱいに造形して、目立っていた。松尾や西條はコメディセンスがいい。
椅子など最低限のセットに、照明やビデオカメラ、スクリーンに映し出す文字や映像を組み合わせてイメージを膨らます。そのほとんどは七海が残したスケッチブックのページ、という設定で、やがてライターの文字と重なっていく仕掛けが巧い。美術は伊達一成、照明は沖野隆一。
今回もアフターイベントがあり、蓬莱と生越千晴が絵本を朗読。俳優陣がパントマイムのような寸劇を演じた。本編の別バージョンのようになっているのが面白く、少し救われる気分になった。

20180726_183142528

BOAT

BOAT  2018年7月

作・演出藤田貴大の約1年ぶりの新作。今回は少女の日常という得意技を超え、寓話的設定のなかに、現代の歪みを見せつけて鮮烈だ。同一の「街」をめぐる3部作の完結編とのこと。演劇好きが集まった感じの、東京芸術劇場プレイハウス、前の方で5500円。休憩無しの約2時間。
海からしかアプローチできない「ある町」は、かつてボートで漂着した人々によって栄えたものの、今では他者を排除するぎすぎすした社会となっている。ある時、その上空に次々とボートが出現。人々は脅威を感じ、我先にボートに乗り込んで脱出を図る…
前半は、社会の救いがたい断絶を描いていて、息苦しい。一向に絶えることのない身近ないじめから、世界を覆う移民差別やポピュリズムまでもを思わせ、「もともと世界は誰のものでもない」という叫びのリフレインが、胸に迫る。
大詰めで崩壊していく「劇場」は、断絶を克服できない私たちの精神の貧困を映しているのか。緊迫感がみなぎる。そして大海原に漕ぎ出す一艘のボートの、なんという不安。
しかし物語は決して、絶望だけで終わらない。狂騒のただ中で、「これは祈りなんかじゃない」と宣言して町に残る選択をする女性、あるいは勇気をもって、意表を突く突破口に賭ける姉弟の存在が、希望を灯す。
広い舞台に吊り下げられたボートや、俳優たちが自在に出し入れする布を貼った木枠、脚立など、シンプルな装置が想像をかきたてる。
俳優陣は「待つひと」の中嶋朋子が、いつもながら切なくて、芯が強くて、突出した存在感を示す。「姉」の川崎ゆり子が相変わらずの響く声で舞台を締め、「除け者」の常連・青柳いづみ、「余所者」の宮沢氷魚(ひお)も、余韻があっていい。宮沢は184センチの長身と、漂うようなたたずまいに雰囲気がある。初舞台なんですね。ほかに「患うひと」に「ロミオとジュリエット」の豊田エリー、「船頭」に中島広隆、「口裂け」に尾野島慎太朗ら。
エンドロールに拍手。終演後に、その字幕やパンフレットをデザインしている名久井直子と、藤田の対談が15分ほどありました。流木やら椅子やら、藤田が集めた装置への思い入れ、パンフレットの幻想的なモノクロ写真の撮影法、2人のコミュニケーションなどをとつとつと語り、少し告知がありました。この作家はセンスのいい人材を引き寄せているんだなあ、と実感。

20180724_184539009

大人のけんかが終わるまで

大人のけんかが終わるまで  2018年7月

2011年「大人は、かく戦えり」(マギー演出)が面白かった仏ヤスミナ・レザの2015年初演作。岩切正一郎訳をもとに、大好きな岩松了が上演台本を手がけ、「岸 リトラル」などの上村聡史(今年3月に文学座退座)演出という顔合わせに興味をひかれて足を運んだ。男女2組+母親のバトルはストレス一杯だけど、どこか間が抜けていて愛らしい。年配女性が目立つシアタークリエの中央いい席で9000円。休憩無しの1時間半強。
舞台はどこか郊外のレストラン。ゆっくり回る盆に、乗用車やソファを置いて、駐車場、バー、トイレなどをシンプルに表現(ともに「岸 リトラル」などの美術・長田佳代子、照明・沢田祐二)。
シングルマザーの薬剤師助手・アンドレア(鈴木京香)は不倫相手の会社経営者ボリス(北村有起哉)とレストランにやってくるが、ボリスの妻が勧めた店と聞いて、のっけから痴話喧嘩。帰ろうとして老女イヴォンヌ(麻実れい)を轢きかけ、イヴォンヌの誕生祝いに訪れていた息子・法務担当者エリック(藤井隆)、妻フランソワーズ(板谷由夏)と、一杯やることになる。
ところがフランソワーズがボリスの妻の友人だったことから、険悪な空気に。エリック夫妻は互いに連れ子再婚で、認知症ぎみのイヴォンヌの世話でフランソワーズはイライラを募らせる。さらにボリスが訴訟と債務で追い詰められていることがわかり…
丁々発止と話すほどに、それぞれの恥ずかしい事情、コンプレックスが引き出されていくさまが面白い。素っ頓狂なイヴォンヌの存在がひとり超越し、お説教めいたことは一言もいわないのだけど、もう若くないのだから、と諭すかのようだ。
北村がいつも通り色っぽくて突出。鈴木は惜しみなく足を出して、綺麗だ。格差のある設定にしては、人物像が凛としすぎかな。ところどころ、もっとテンポがあっても良かったかも。

消えていくなら朝

消えていくなら朝  2018年7月

新国立劇場演劇芸術監督、宮田慶子の2期8年の締めくくりで、蓬莱竜太の私小説的な書き下ろしを宮田が演出。
問題はどんな家族にもある。だけど決して断ち切れない、うじうじと考え続けざるを得ない、それが家族。辛い人間関係を抉りつつ、笑いをまぶしていてテンポもいい。新国立劇場小劇場、下手より最前列で6480円。休憩なしの2時間。
劇作家・定男(鈴木浩介)が帰省、18年ぶりに一家が揃ったところで彼らを題材に新作を書く、と宣言する。噴出する互いへの非難。長く信仰に没頭してきた母(梅沢昌代)、母の理想の息子を演じて挫折した兄(山中崇)、母と心が通わずにきた父(高橋長英)、父を支えて平凡な幸せを逃した妹(高野志穂)。いったい誰のせいでこうなってしまったのか。
定男は世間的に成功してはいても、家族の歪みから逃げてきた。だから苦労しても「好きなことしているだけ」と断罪されちゃう。甘えと驕りを、連れてきた恋人(文学座の吉野実紗)が相対化する。向田邦子だなあ。
俳優陣はもちろん、みな達者だ。鈴木の切なさを筆頭に、はきはきした個性が哀しい吉野、控えめなようでいて突如「母はフィリピン」と告白する意外性の高野がいい。シンプルな居間のワンセットに字幕を投影。美術は池田ともゆき。
宮田さんのラインアップはそれほどたくさん観ていないけど、振り返るとSFの2011年「イロアセル」(倉持裕作・鵜山仁演出)、名作翻訳劇の2017年「怒りをこめてふり返れ」(千葉哲也演出)、井上ひさし作を復刻した今年の「夢の裂け目」(栗山民也演出)あたりが印象的だったかな。

20180721_005

フリー・コミティッド

FULLY  COMMITTED フリー・コミティッド  2018年7月

実力派の成河が、マンハッタンにある四つ星レストランの予約係サムの、散々な1日を演じるシチュエーションコメディ。ひっきりなしにかかってくる電話の相手全38役を一人で演じ分け、持ち前のきびきびした動きと声が痛快だ。
ベッキー・モードの1999年初演作を「スルース」などの常田景子が翻訳、「怒りをこめてふり返れ」などの手練・千葉哲也がお洒落に演出する。主催はミュージカルが得意なシーエイティプロデュース。おひとりさま女性が目立つDDD AOYAMA CROSS THEATER、上手後ろの方で6900円。休憩なしの2時間。
大物芸能人やマフィアを常連に抱えるレストラン、というスノッブな設定が、いかにもニューヨークっぽく都会的だ。
でも舞台は雑然として、さえない予約係オフィスのワンセット(美術は原田愛)。しかも同僚がズル休みし、サムはランチをとる暇もなく、我儘放題のセレブ客、ナルシストのオーナーシェフ、オーバーブッキングでぎりぎり一杯の給仕長らに振り回される。笑いがふんだんで、三谷幸喜が好きそうなノリだなあ。
サムを追い詰めちゃうのは忙しさだけじゃない。本業は売れない俳優で、大事なオーディション結果の知らせを待っている。加えて、のんびりした口調の父親が、クリスマスに帰省するかを気にして何度も電話を寄越す。おそらく母親が亡くなって初めての大事なクリスマスなのに、予定はたたない… 平凡だけど夢を追う者の、ちりちりする焦燥。観る者は感情移入せずにいられません。
そしてなんとか乗り切ったことで、転がり込む幸運。急に気弱になるシェフら、人物がなんとも愛らしく、よくできた脚本です。200席程度という劇場の親密さもいい。
客席には小池栄子さんらしき姿も。

20180715_005

舞囃子「三番叟」能「鷹姫」

狂言劇場特別版  2018年7月

劇場の特設能舞台で古典を新しく見せるシリーズ。芸術監督・野村萬斎が知的に演出する。萬斎ファンらしき女性グループが目立つ世田谷パブリックシアター、なんと前から2列め中央で8000円。休憩を挟み2時間弱。
暗い舞台に短い四本の柱を据え、左右に橋、後方に松の絵と注連縄。上手から笛と太鼓、下手からシテ野村裕基が紋付袴、直面で登場して、舞囃子「三番叟」揉の段、鈴の段。いつもながらリズミカルで、繰り返しが多い囃子方がクワイヤの陶酔につながる。裕基は萬斎さんの息子さんで、もう18歳。急速に大人っぽくなってきたけど、声の力や姿勢の美しさはまだまだかなあ。
休憩後に眼目の新作能「鷹姫」。アイルランドのノーベル賞作家・詩人イェイツがフェノロサの能に関する遺稿に触発されて書いたという、戯曲「鷹の井戸」(1916年ロンドン初演)を、いわば逆輸入した演目だ。能楽研究家・横道萬里雄作で1967年初演、チャレンジャー梅若実さんらが手がけてきた。今回は萬斎さん演出版です。
舞台は絶海の孤島で、中央手前に涸れ井戸。顔の形の岩がごろごろしているのが演劇的で、まず驚く。地謡・囃子の面々も鼻まで覆う仮面で岩に扮して、後方左右に広がってコロスを繰り広げる。精神の荒涼。音楽的だなあ。
不老長寿の泉を鷹姫(片山九郎右衛門)が守っていて、傍らで杖にすがる老人(大槻文蔵)が水が湧く瞬間を待ち続けている。そこへ綺羅びやかな衣装で、王子・空賦麟(くうふりん=ケルト神話の英雄クー・フーリン、萬斎)が登場。面はつけず、人間らしい。さすがブレがなくて格好いい!
老人は何十年も水が湧くのを待ってる、鷹に魅入られるな、と語る。なんと転がる岩は同じように、水を得られなかった者たちが変じた姿なのです…
なんといっても、座ったままじっと動かない鷹の緊張感が凄い。一転、鷹が羽ばたくと、岩の輪唱のなか、ついに井戸に照明があたってスモークが立ち上る。ところが王子は気を失っちゃって、鷹は水を飲み干し、舞台奥の傾斜した橋掛かりを駆け上がって飛び去る。鮮やかだなあ。暗転後、年老いた王子が座り込んでいる。
人を突き動かす命への希求と、決して手が届かない絶対的な空虚。古今東西共通のモチーフなんですねえ。

20180701_002

« 2018年6月 | トップページ | 2018年8月 »