« 2018年5月 | トップページ | 2018年7月 »

三人会「一目上がり」「小政の生い立ち」「不孝者」「佃祭」

柳の家の三人会  2018年6月
早い梅雨明けで暑くなった週末。柳亭市馬、柳家喬太郎、柳家三三という贅沢な顔合わせで、ゆとりと古典を堪能する。落語好きのグループが目立つ、なかのZERO大ホール、後ろの方で3600円。中入りを挟み2時間。
開口一番は市馬さんの弟子の市坊が、小はるちゃんで聴いた「一目上がり」。25歳の前座とは思えない落ち着きで、隠居が隠居らしい。笑いはまあ、今ひとつだけど。
本編はまず演劇の舞台に立ったり、活躍が続く喬太郎。マクラが快調で、自分は日大アメフト部の監督に似ていて気になって仕方ない、日大出身だし、と笑わせる。受動喫煙防止は横暴だ、自分はどうも見咎められがち、お馴染みウエストポーチ話…とどんどん飛ばす。あれ、一人帰っちゃうよ、と客席をいじったり、古典もできるんだよ、と芝浜をチラ見せしたり。あげく「ハラス」ハラスメントがあったら、と寝っ転がっちゃう。ネタは意外に正統派で、昨年1月に聴いた講談「小政の生い立ち」を、割にさらっと。
中入り後は三三。後半はちゃんとやります、と笑いをとって「不孝者」。若旦那にお灸をすえようと、使用人に扮して柳橋にやってきた大旦那が、昔なじみの芸者と会って… 2012年に三三さんで聴いているけど、以前より色気があって、いい感じ。息子を待って、物置のような部屋でちびちび飲む間、聞こえてきた新内にダメ出しするあたり、実は遊び慣れた人物像がくっきり。
トリは市馬さんで、歯痛平癒を願う戸隠信仰の説明から、「佃祭」をたっぷりと。やはり12年に正蔵さんで聴いたことがある。「情けは人のためならず」というモチーフはもちろん、神輿の声やら川風やらを感じさせる描写に、季節感があって気持ちがいい。後半、旦那が渡し船の事故に遭ったと思い込んだ近所の者たちが、どんどん葬式を準備しちゃうところが、滑稽ながら人情があふれる。味のある会でした~

20180630_001

20180630_003

イル・トロヴァトーレ

バーリ歌劇場「イル・トロヴァトーレ」  2018年6月

イタリア政府が出資する13歌劇場のひとつという、南イタリア・バーリの初来日公演で、ヴェルディ節にひたる。歌手、演出とも素朴な印象でした。お目当てフリットリが残念ながら気管支炎で降板、診断書が掲示されていてびっくり。
年配夫妻が目立つ東京文化会館大ホールの中段上手寄りで2万9000円。休憩1回で3時間。主催はコンサート・ドアーズ。
指揮は2017年の新国立劇場「ルチア」がよかった、音楽監督ジャンパオロ・ビサンティ。日本ヴェルディ協会のトークショーではバリトンの魅力を語っていて、知的だった人です。ベルカントを大事にした、抑えめの印象。
そのバリトンで、敵役ルーナ伯爵のアルベルト・ガザーレが威風堂々、2幕「君の微笑みの」で拍手を浴びるなど、舞台を牽引する。ジプシーの母・アズチェーナのミリヤーナ・ニコリッチ(セビリアのメゾ)が目立っていた。魔女のイメージを覆す長身、揺れるようなクセのある声。矛盾が多い役だと思うけど、息子と山に帰りたい、と願う4幕マンリーコとの2重唱が哀切で、呪われているのはアズチェーナ本人だと思えた。
吟遊詩人マンリーコのフランチェスコ・メーリ(テノール)は高音にハリがあり、3幕「ああ、愛しいわが恋人」がリリックで喝采。代役の女官レオノーラ、スヴェトラ・ヴァシレヴァ(ブルガリアのソプラノ)は技巧を駆使するものの、持ち味が暗め。4幕「この世に私の愛ほど」あたり、追い詰められてからが良かったかな。
全体にオーラが薄めだったのは、ニューヨーク生まれジョセフ・フランコニ・リーの演出のせいかも。なにしろセットが書き割りと赤い紗幕だけなんだもの。バレエもちょっと拍子抜け。照明は効果的でした~ 客席に加藤浩子さんがいらしてた。

20180624_002

 

20180624_011_2

夢の裂け目

新国立劇場開場二十周年記念公演 夢の裂け目  2018年6月

当時芸術監督だった演出の栗山民也が井上ひさしに依頼し、2001年に初演した「東京裁判3部作」の1作目。たっぷりの笑いと軽妙な音楽のなかに、庶民に戦争責任はないのか、を問う秀作だ。社会と歴史を語り続けた作家の覚悟と自負が、胸に迫る。
しゃべる男・段田安則をはじめとして、俳優陣の歌や振りも達者でたくましい。年配男性が目立つ新国立劇場小劇場、後ろのほう中央で6480円。休憩を挟み3時間。
ときは昭和21年。根津の紙芝居屋・天声(段田)は突然、東京裁判の検察側の証人を命じられる。法廷で戦争宣伝の紙芝居を実演し、首尾よく東条英機らを告発したものの、裁判が実は、戦犯に責任を押し付ける、勝者敗者納得づくの茶番だと語り始める。
カーテンコールの「マック・ザ・ナイフ」など、全編を彩るクルト・ヴァイル「三文オペラ」のナンバーが郷愁を誘う。「劇場は夢、その夢の裂け目を考えるところ」。名曲だなあ(音楽は「ひょっこりひょうたん島」などの宇野誠一郎)。天声が時代の「骨組み」に思い至るシーンで、星がまたたくセットも、素朴ながら洒落ている(美術は石井強司)。
段田が小ずるくて、だからこそ騙されまいともがく必死さを表現していて魅力的。語りの名調子もいい。大詰めで、無力であっても生き抜くことを、とつとつと説く絵描きの木場勝己が、抜群の説得力でジンとさせる。
賢い娘・唯月ふうか(ピーターパンなど)は声がよく通って愛くるしい。素っ頓狂な復員兵の玉置玲央、元柳橋の芸妓・高田聖子が個性を発揮して安定。このほか妹に吉沢梨絵(四季)、映画館のドラ息子に佐藤誓、元学者の闇屋に長身・上山竜治、堅苦しいGHQ職員に保坂知寿(四季)。
舞台前方の奈落で、キーボードの朴勝哲らバンドが演奏し、ちょっと演技に参加していた。俳優は一部マイクを使用。

20180623_002_2


市ケ尾の坂

M&Oplays プロデュース 市ケ尾の坂―伝説の虹の三兄弟―  2018年6月

大好きな岩松了作・演出。1992年(東京乾電池を離れたころでしょうか)初演作、26年ぶりの再演だ。横浜市青葉区に暮らす兄弟の、子供みたいにじゃれ合い、互いを大事に思う日常。なんだか可愛らしい家族劇で、くだらなくも、じんとする。本多劇場の中央いい席で6500円。休憩なしの2時間強。
郵便局員の長男・司(大森南朋)、三男・学(森優作)、サラリーマンの次男・隼人(三浦貴大)は、近所の画家・朝倉(岩松)の後妻で、レコード(!)の貸し借りなんかをするカオル(麻生久美子)のことが、気になってしょうがない。そんな折、朝倉家の家政婦・安藤(池津祥子)から先妻と子供の事情を聞いて…
岩松節の名セリフがふんだんだ。「自信がないから、相手との間に何かを育てるんだ」。人と人の関係は、常に揺れ動く。いつまでも捨てられない子供時代の松葉杖や、花火の夜の高揚が印象深い。
麻生がいつにも増して、気取ってないのに上品な個性で目を引きつける。舞台は3作目という三浦の醸し出す色気が、嬉しい発見だ。「三人姉妹はホントにモスクワに行きたがっているのか?」の森も、丸顔にマッシュルームカットが似合い、駄々っ子ぽさがでていて健闘。
メーンの大森は終始ハイテンションで動き回り、たっぷり笑わせて、長男らしく舞台を牽引。初演は竹中直人が演じたんですねえ。大人計画の池津のコメディエンヌぶりが巧く、岩松さんは派手な風体でインパクト大き過ぎ。
畳敷きにバーカウンターがある、不思議な木造家屋のワンセット(美術は長田佳代子)。昭和な懐かしさだ。岩松さんには珍しく、階段が隠れてるなあ、と思ったら、どっこい障子が開いて、ラストに効果的に使われました。

20180603_004

フィデリオ

2017/2018シーズンオペラ 開場20周年記念特別公演 フィデリオ  2018年6月

芸術監督4年の集大成で飯守泰次郎がタクトを振り、ワーグナーのひ孫、バイロイト音楽祭総監督のカタリーナ・ワーグナーが演出した話題の新制作。ラストの衝撃的かつ皮肉などんでん返しに、しばらく聴衆のざわめきがおさまらない、新国立劇場としては異例の展開だ。これがムジークテアター(音楽劇)というものか。
飯守リングを並走しきったステファン・グールド(アメリカのテノール)はじめ、歌手は高水準で、いろんな意味で鮮烈な舞台でした~ オケは東京交響楽団。男性客が目立つ新国立劇場オペラハウス、中央のいい席で2万4300円。休憩1回で3時間弱。
べーとーえ「レオノーレ」序曲第3番
「レオノーレ」序曲第3番
ベートーベン唯一のオペラ「フィデリオ」は、政敵に夫フロレスタン(グールド)を不当投獄された妻レオノーレ(ドイツのソプラノリカルダ・メルベート)が、男装して看守フィデリオと名乗り、決死の救出に向かうという、力強い愛と自由の物語だ。個人的には2008年ウィーン国立歌劇場の来日、小澤征爾指揮で聴き、2幕2場前の壮大な「レオノーレ序曲第三番」に喝采した記憶がある。
ところが今回は、序曲を聴くどころじゃない。なにしろ演奏の間、刑務所長ドン・ピツァロ(新国立初登場の長身のバリトン)が再会を果たした夫妻を刺し、地下牢の入り口をブロックで封鎖しちゃうシーンが展開するのだもの。やられました~
歌手陣ではなんといってもグールド。2幕で「神よ、ここはなんと暗いのか」を歌い始めると、その朗々ぶりで一気に次元が切り替わる。1幕では歌わないのに、ずっと地下牢にいて、壁にレオノーレの絵を描いていたし、幕切れは夫婦で霊的な存在になっての絶唱。フィデリオに一目惚れするマルツェリーネの石橋栄実(大阪音楽大教授のソプラノ)も、高音がよく響いて可憐で、存在感があった。看守長ロッコにお馴染み妻屋秀和(バス)、囚人1に片寄純也(二期会のテノール)。
セットはプロセニアム(開口部)いっぱいを使った、2階建て(1部3階建て)の監獄で、さらにセット全体がせり上がって、下層に地下牢が現れる大掛かりなもの。それぞれの場所に立つ歌手は歌いにくいだろうなあ。無機質なセメントと青銅に、マルツェリーネの周囲だけが明るい。肖像画にスポットがあたったり、踊るマルツェリーネの人影が地下牢に投影するなど、照明が登場人物の屈託を表現して巧い。光と闇を強調するのは「新バイロイト様式」だそうです。
ドラマトゥルクのダニエル・ウェーバー(バイロイト制作部長)、美術のマルク・レーラーらカタリーナ組なのかな。
入り口前に売店が充実し、ロビーには飯守監督の軌跡をたどるパネル。2014年開幕の大作「パルジファル」、洒落た演出の「イェヌーファ」、フォークトさまの「ローエングリン」… お疲れ様でした! 尾崎元規理事長の姿も。

20180602_011

20180602_015

図書館的人生Vol.5 襲ってくるもの

イキウメ「図書館的人生Vol.5 襲ってくるもの」  2018年6月

作・演出前川知大の、書棚を眺めるように連想と飛躍を楽しめる短編シリーズ。今回は意識の底からふいに浮かんでくる衝動や記憶を描くSFだ。いつもどおり、笑いのなかにゾクッとさせる要素がたっぷり。演劇好きが集まった感じの東京芸術劇場シアターイースト、上手寄り前の方で5000円。休憩なしの約2時間。
今回は3編で、まず「箱詰めの男」の設定は2036年。病を得た脳科学者(安井純平)が身体を捨て、意識と記憶をPCに移す道を選ぶ。嗅覚を追加することで人間らしくなるものの、辛い記憶に襲われて… AIばやりの昨今、絵空事とも思えないホラーだ。妻に安定の千葉雅子、振り回される息子に盛隆二、怪しい科学者・時枝(「天の敵」にも出てきましたね)は森下創。
続いて「ミッション」の舞台は2006年。かつて衝動的に死亡事故を起こしたドライバーの山田(大窪人衛)は、衝動も巡り巡って意味をもつ、と主張して暴走し始める。ストーカーの過去を持つ同僚・佐久間、田村健太郎が飄々として巧い。
ラストの「あやつり人間」は2001年。就活生の由香里(「片鱗」「太陽」がチャーミングだった清水葉月)は、母(千葉雅子)の病気再発を契機に、すべてをリセットして納得できる道を歩もうと思い始めるが、兄(浜田信也)や恋人(田村)の強硬な反対に遭い… 1作目、2作目の断片をまぶしながら、何が本当の満足、思いやりなのかをストレートに問う。職人になった友人の小野ゆり子が、いつもながらすらりとして魅力的だ。
シンプルな美術は土岐研一。ロビーには長塚圭史さんの姿も。

20180601_184026048

« 2018年5月 | トップページ | 2018年7月 »