文楽「本朝廿四孝」口上「義経千本桜」
第一五〇回文楽公演 第一部 2018年4月
吉田幸助改め五代目吉田玉助襲名披露の初日に、大阪へ駆けつけた。劇場外にお祝いの幟、ロビーにはご祝儀が並び、玉助ご夫妻がお出迎え。緊張と華やかさで胸いっぱいだ。国立文楽劇場、中央前のほうのいい席で、6000円。休憩3回を挟み4時間半。
近松半二ほかの時代物「本朝廿四孝」三段目で、まず桔梗原の段。奥は文字久太夫・團七が重々しく。舞台中央の領地境を挟んで、武田家執権・高坂(玉輝)、妻唐織(蓑二郎)と長尾家執権・越名(文司)、妻入江(一輔)が名軍師・山本勘助の札をつけた捨て子を取り合う。慈悲蔵(贅沢に玉男)が親孝行ゆえに、一子・峰松を捨てた、という導入部だ。
ランチ休憩の後、緊張の口上で、蓑助さん以下、吉田門下がずらり。蓑二郎さんの司会で、玉男、和生、勘十郎が温かく挨拶。後列は玉翔、玉佳、玉輝、玉也、玉志、玉勢、玉誉。戦前、戦後に活躍した三代目は座頭格の大物だったんですねえ。
短い休憩の後、景勝下駄の段を織太夫・寛治で重厚に。舞台は亡き山本勘助の老妻と、息子2人が暮らす信濃の山里だ。雪中に筍を探す(呉・孟宗の故事より)慈悲蔵の健気さ、身勝手な兄・横蔵に子の次郎吉を押し付けられた慈悲蔵女房・お種(和生)の悲哀、女ながら勘助を名乗り、慈悲蔵に無理ばかり言う老母(勘十郎)。長尾景勝(玉也)が老母の下駄を拾って登場し(秦・黄石公の故事より)、兄・横蔵を召し抱えると告げる。
続いてお待ちかね、襲名披露狂言の勘助住家の段! 前は渋く呂太夫・清介。お種の苦悩と、唐織が連れてきた峰松のはかない最期。
後は怒涛の呂勢太夫で、清治の三味線が冴え渡る。慈悲蔵は竹やぶで、鳩を目印に箱を掘り当て、横蔵(迫力の新・玉助)と争う。
時代物のお約束・石摺襖の座敷に転じ、老母(後から蓑助がしずしずと)から、よく似た景勝の身代わりに自害を、と迫られた横蔵は、なんと自ら右目を傷つけて容貌を変えちゃう。実は慈悲蔵は長尾家の家臣・直江、そして自分は武田家に仕えており、将軍の遺児を次郎吉として育てていたと明かす。竹やぶの箱からは源氏正統の証・白旗が見つかり、横蔵が赤地金襴にぶっ返ると、老母は一転あっぱれと誉める。横蔵が勘助の名を継ぎ、一方の慈悲蔵が軍法「六韜三略(りくとうさんりゃく)」一巻を受け取って、敵味方に分かれて戦場での再会を期す。
途中、玉男さんが引っ込むところで何やら不手際があったり、玉助さんが引き抜きに手間取ったりと、ハプニング続出。それでも玉助さんを中心に、人形陣の大物がずらりと並ぶ舞台は圧巻でした!
息詰まる時代物の後、休憩後は華やかに、「義経千本桜」から道行初音旅。舞台正面の上段に咲太夫、織太夫ら、手前に燕三、宗助らがずらりと9丁9枚が並ぶ珍しいしつらえだ。桜満開の吉野山を背景に、静御前(清十郎)と忠信(勘十郎)が連れ舞う。お馴染み勘十郎さんが嬉々として、狐や早替りで楽しませる。清十郎さんは右手が辛そうで、ちょっと扇が落ちてハラハラしたけど、決めるところは決めてました。
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