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ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ

シス・カンパニー公演 ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ  2017年11月

チェコ生まれの英国人トム・ストッパードのデビュー作(1966年初演)を、小川絵梨子が翻訳・演出。原作ではめっぽう影の薄い端役2人を中心に据え、「ハムレット」を不条理劇にしちゃうアイデアが冴えている。なんら説明されないまま死に至る、無名の人々の当惑を、人気の菅田将暉と生田斗真がフレッシュに。でもちょっと難しかったな。若い女性で立ち見も出た世田谷パブリックシアター、上手寄り中段で1万円。なんと休憩2回で2時間半。

デンマーク王から呼び出されたロズ(生田)とギル(菅田)。冒頭から、コインゲームで表が出続けて、2人がおかれた状況の異常さを描き出す。宮廷にたどり着き、2人の区別もろくにつかない王(小野武彦)と王妃(立石涼子)から、学友ハムレット(ちょっと怖い林遣都)の乱心の理由を探れ、と命じられるが、質問攻めで逆襲されちゃって成果ゼロ。訳のわからないままハムレットと共に、船で英国に送られることになるが、イングランド王にあてた陰謀の手紙はすり替わっていた。そして2人の死は、セリフ一言で片付けられてしまう…

ほとんどが舞台前方で繰り広げられる、主演2人のカオスな掛け合い。彼らの視点で戯曲を見れば、世界はただ一貫性がなく、理解不能なだけだ。市井の人々をおそう運命とは、たいがいそんなもの、ということか。ドライでコミカルながら、セリフが哲学的とあって正直、中盤が長く感じる。そういえば2016年に観たストッパードの「アルカディア」も難解だったなあ。

膨大なセリフをこなす菅田は生き生き。立ち姿の線の細さに、苛立ちや必死さが浮かび上がる。繰り返し冒頭から成り行きを確認して、なんとか状況を理解しようとするさまが虚しい。映画やドラマに引っ張りだこなのに、この戯曲に挑戦する姿勢は偉いです。生田の茫洋さと好対照。
旅一座の座長(半海一晃、改めて小柄なかた!)が虚実を行き来し、役者という存在を巡るセリフなどではっとさせる。オフィーリアとホレーシオの2役は安西慎太郎。
舞台は暗く、後方の半円形の階段を出入りする小野ら、本家ハムレットの主要人物たちは、あくまで背景という位置づけだ。贅沢だなあ。冒頭にスタッフの準備作業を見せる演出で、劇中劇もある入れ子構造。美術は伊藤雅子。
客席にはムロツヨシさんらしき姿も。

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