« 2017年9月 | トップページ | 2017年11月 »

ソウェト・ゴスペル・クワイア

ソウェト・ゴスペル・クワイア  2017年10月

ヨハネスベルグの旧黒人居住区で、1976年の蜂起で知られるソウェトをベースに、2002年に結成した26人のクワイアの再来日公演に足を運んだ。ゴスペルというより、明るくてダンスが多くて、アフリカのお祭りが引っ越してきたよう。昭和女子大学人見記念講堂、中ほど下手寄りで8000円。休憩を挟み2時間。

開演前にロビーでゴスペルグループがミニライブで盛り上げる。
本編は素朴でノリノリ。ハーモニーはもちろん、一人ひとりが素晴らしい声量で、ソロも、そしてダンスもいける。持って生まれたリズム感としかいいようがない。冒頭のアカペラから、徐々にアフリカンドラムのジャンベなどのパーカッション、電子ピアノが加わって、厚みを増していく構成。
キラキラ原色の衣装も楽しく、アンコールはスタンディングで、Oh happy dayを大合唱しました!

20171024_002

20171024_011

20171024_023

リチャード三世

東京芸術祭2017芸劇オータムセレクション「リチャード三世」  2017年10月

お馴染み、稀代の悪役を描くシェイクスピア劇を、ルーマニアの鬼才シルヴィウ・プルカレーテが圧巻の演出。ダークなラップ風の歌や白塗りが、読み替えを通りこして、すっかりアングラの趣きだ。それが安っぽくならないのは、革命とか難民とか、東欧のバックグラウンドの力なのか。さすが一筋縄でないなあ。加えてタイトロールの佐々木蔵之介をはじめ、個性的な俳優陣が人の愚かさを見事に抉り出す。木下順二訳をベースに、演出家が上演台本を手掛け、演出補は谷賢一。東京芸術劇場プレイハウス、中ほど上手寄りで8500円。休憩を挟み3時間弱。

天井の高いがらんとした空間の3方を、石垣模様の布でとり囲み、手術室風の大型ライト、錆びたロッカーやストレッチャー、古いバスタブを多用する。雰囲気はずばり、ホラー映画の呪われた病棟だ。不揃いな椅子やチェーンソーも登場。冒頭から俳優陣が、足踏みしながら酒をあおるのは、ちょっと前衛舞踏のよう。ストーリーそっちのけで、この殺伐さこそが主役なんだと思えてくる。
リチャード3世はイメージを覆して、醜さは実は演技、という設定だ。だからお約束の劣等感とか詭弁の要素は薄く、常に理由もなくニヤニヤ、ダラダラしている。だからこそ罪を罪とも思わない、救いようのない精神のひずみが際立つ。バケツを抱えて何かを貪るなど、手下2人を含めて、卑しい食のシーンが多いのも象徴的。

曲者揃いのキャストがまた、独特の演出を受けて立つ。なんといっても佐々木が期待通りの不気味な存在感。蹂躙されるアン夫人の手塚とおる、リチャードを呪うマーガレットの今井朋彦も、佐々木に負けず劣らず、怪しさ満載だ。母・ヨーク公夫人は低音が響く壌晴彦、兄エドワード四世は阿南健治、その妻エリザベスは花組芝居の植本純米、早々にやられちゃうクラレンス公は長谷川朝晴、盟友バッキンガム公に山中崇、対抗するリヴァース伯に山口馬木也、そしてヘイステイングズ卿にはそとばこまち出身の八十田勇一。原作ではセリフ一つながら、舞台全体を見守る代書人の役で、唯一の女優・渡辺美佐子が要所を押さえる。

野太い音楽はヴァシル・シリー。チンドン屋風に、舞台上をサックス隊が練り歩く。俳優の顔写真入りの人物相関図が配られていて、親切でした。

20171022_007

20171022_004

講談「名月若松城」「心中奈良屋」

講談どんぶり会  2017年10月

秋の一夜、創業明治10(1877)年という老舗「うなぎ両国」で開く、こぢんまりした講談の会に足を運んだ。2階の細長い座敷で。50年以上続いている会だそうで、90歳超という大ベテランのファンも! 講談3席に食事が付いて4000円。

かいがいしい若手の1席のあと、華やかな衣装の百川鶴女で、以前に神田山緑で聴いた「名月若松城」。扇子さばきも派手ですね。なんと終盤で、著名力士の手形の額が座卓に落ち、ガラスが飛び散る大ハプニング。なんとか終了して、片付ける間に、お茶とお稲荷さんが配られる。幸い怪我もなかったけれど、お店の人があんまり焦ってないのが不思議。
なんとか少しは落ち着いて、神田春陽がお得意・清水次郎長伝から「心中奈良屋」。若い日の次郎長が、旅の僧から余命短いと告げられ、やさぐれて博打打ちになるが、若い心中者を助けたことで死相が消える。喧嘩は無くて、世話物風なんだけど、次郎長の気風の良さが気持ちいい。

終演後はお隣らとおしゃべりしながら、お銚子に焼鳥、うな丼で満腹。びっくりしたけど、楽しかったです。

20171021_001

20171021_002

20171021_008

トロイ戦争は起こらない

トロイ戦争は起こらない  2017年10月

フランスの外交官で、従軍経験もあるジャン・ジロドゥの知的な戯曲を、最近では「豚小屋」がよかった栗山民也が演出。ギリシャ神話を舞台に、なんとか開戦を回避しようとするトロイ王子エクトール(鈴木亮平)の苦闘を描く。
示唆に富むセリフ満載の難しい対話劇で、正直、集中できないところもあったけど、まさに第2次大戦へなだれこもうとする1935年初演とあって、「歴史のIF」の意味が深い。女性中心ながら、年配男性客も目立つ新国立劇場中劇場、上手寄り前の方で8640円。休憩を挟み3時間弱。

王女カッサンドル(江口のりこ)の不吉な予言通り、弟パリス(川久保拓司)が蠱惑的なスパルタ王妃エレーヌ(一路真輝)を略奪して、両国は一触即発の危機に陥る。トロイ王(劇団昴の金子由之)、元老院長の詩人デモコス(大鷹明良)、幾何学者(花王おさむ)らが開戦に傾くなか、闘いの虚しさを思い知るエクトールは、妻アンドロマック(鈴木杏)にも後押しされ、ギリシャの使者で知将オデュッセウス(谷田歩)との話し合いに臨む。

「悪口の発明」や戦争の賛美、世代の対立など、軍事力行使へとなだれ込んじゃう世論の描写はコミカルかつ、とても皮肉だ。戦争の原因とされる美女エレーヌの存在はもう、社会の勢いの言い訳でしかない。
流れに抗するのは外交だ。それはあくまで柔軟なものと位置づけられている。闘いを避けるという意志さえあれば、理屈は何とでも言える、という高度な知性に、一縷の希望が見える。それでも残念ながら、平和のうちに幕を下ろし切ることはかなわない。それが史実。果たして現代の世論は、どちらの結末を選択するのか? 「続きはホメロスで」、という「勝者が書き記す歴史」が苦い後味を残す。現代的な翻訳は岩切正一郎。

演出は淡々としつつ緻密。大人っぽくなって明晰な杏ちゃん、社会を冷ややかに見つめる江口の存在感が際立つ。ニヒルな谷田も安定。鈴木亮平は長セリフを達者にこなし、ステージ前方に踏み出してのシーンなど、真摯で好感がもてるけど、色気は今ひとつかな。トロイ王妃とイリスの2役で三田和代。
ステージは傾斜のあるシンプルな円形で、戦争に向かって針が進んでいく時計をイメージしているらしい。後方の高い壁で海辺や、運命の「戦争の門」などを表現し、広がりを感じさせる。赤い照明と抽象的な音響が胸に響く。美術は二村周作。音楽の金子飛鳥が、下手でヴァイオリンを演奏。

20171015_005

神々の黄昏

神々の黄昏  2017年10月

開場20周年の記念イヤーとなる、新国立劇場オペラ2017/2018シーズン。幕開けは、もちろん芸術監督・飯守泰次郎指揮で、ワーグナー「ニーベルングの指環」だ。この新制作シリーズも第3日でついに完結。45分、35分の休憩を挟み6時間もの長尺で、問答無用の壮大かつ甘美な音楽にどっぷり浸る。「英雄」「角笛」「歓呼」「ヴァルハル」「愛による救済」など、次々に耳馴染みの示導動機が響いて、ヒットメドレーの趣きも嬉しい。オペラパレス中段、まさかの最前列真ん中という超贅沢な席で2万4300円。

歌手は安定。特に宿命の女・ブリュンヒルデのペトラ・ラング(ドイツのソプラノ)は、振幅が大きく迫力があった。2016年にウィーン日本公演の「ワルキューレ」、新国立の「ローエングリン」(メゾだった)と、よく聴いた人。愛に生き、陰謀によって裏切られ、毅然と英雄を葬って世界を崩壊させ、そしてラストに再生を示す。この長い物語の主役は、ブリュンヒルデなんだなあと納得しちゃう。
愚かにもブリュンヒルデを裏切る英雄ジークフリート、4作完走のステファン・グールド(アメリカのテノール)は無邪気な造形だ。やや抑えめながら、弱音がしっかり響くあたり、貫禄がある。一回り大きくなったかな? そして指輪=権力を求めて2人を追い詰めるアルベリヒの息子ハーゲン、アルベルト・ペーゼンドルファー(オーストリアのバス)が、屈折を見事に表現。劇的な低音、大柄でスケール感も十分とあって、カーテンコールの拍手が大きかった。得な役ですね。
それとは知らずジークフリートを横取りするギーヒビ家の姫・グートルーネの安藤赴美子(ソプラノ)は、戸惑いが前面に出て、姿も良くて健闘。当主で兄・グンターのアントン・ケレミチェフ(ブルガリアのバリトン)は引き気味か。ブリュンヒルデを諌めに来る戦乙女ヴァルトラウテはヴァルトラウト・マイヤー(ドイツのメゾ)、アルベリヒは小柄な島村武男。

2幕結婚式から登場する合唱は、新国立劇場に二期会が合流。ピットを埋め尽くすオケは、珍しく読売日本交響楽団。初めて聴いたけど、管をはじめとして、ちょっと不安定だったか。
飯守さんが選んだゲッツ・フリードリヒの演出は4作を通じ、あくまで音が主役のシンプルさを貫いた。照明を落とし、青く光る管の水面や、LEDの炎、背景の巨大な円盤に映し出される空などが美しい。ギービヒ家に点在する丸いレンズで、歌手の顔を拡大する仕掛けが、暗く膨らんだ自我を思わせ知的でした。
運営財団の著名財界人、元外交官らがいらしてました~

20171014_008

20171014_016

オーランドー

KAAT×パルコプロデュース「オーランドー」  2017年10月

英バージニア・ウルフによる1928年発表の不思議ファンタジーを、シカゴ出身のサラ・ルールが翻案、1998年に初演した戯曲。おもちゃ箱をひっくり返したよう。演出の白井晃が、2016年の名作「ディスグレイスト」直後の小日向文世に新幹線で乗り合わせ、その場で構想をプレゼンして実現した公演だとか。小田島恒志・則子の翻訳で、KAAT神奈川芸術劇場大ホールの、中段やや下手寄りで8500円。休憩を挟み2時間半。

16世紀から18世紀に至る、イングランド貴族オーランドー(多部未華子)の荒唐無稽な冒険談。前半は美青年、後半はなんと女性に転じつつ、エリザベス1世(小日向文世)をはじめ、時代も性別も超えて恋愛遍歴を繰り広げながら、詩を編んでいく。原作はジェンダー論として研究されているらしいけど、理屈っぽくない人生賛歌という感じかな~

ウルフの同性愛の相手がモデルだというタイトロールを、多部がほぼ出ずっぱりで、しなやかに。派手派手の小日向も楽しそう。メーン2人に加えて、達者な野間口徹、池田鉄洋、戸次重幸、そしてバレエ経験のある小芝風花が、目まぐるしい衣装替えで20以上の役とコーラス(ナレーション風)をこなし、笑いもたっぷりと。キャスティング贅沢過ぎです。
広い空間を、巨大な樫の木など限られたセットで、華麗に見せる(美術は松井るみ)。音楽の林正樹が下手でピアノを弾き、上手にもマルチリード(複数の管楽器)とパーカッションがいて、ミュージカルのよう。俳優はマイク使用。
客席の渡辺えりさんが目立ってました~

20171009_012

関数ドミノ

関数ドミノ  2017年10月

2014年の再々演がよかった前川知大の不穏かつ緻密なSFを、「お勢登場」の寺十吾(じつなし・さとる)が演出。駄々っ子のような瀬戸康史に焦点を絞った印象で、イキウメ独特の浮遊感は少なく、瀬戸の発散する歪みがリアルだ。ちょっとイライラするほどだけど、その分、大詰めで勝村政信が噛んで含めるメッセージが、希望の余韻を残す。今回は2009年版がベースだそうだ。
ワタナベエンターテインメント主催。女性ファンが集まった本多劇場の、中段上手寄りで7500円。休憩無しの約2時間。

ある町で、不可解な交通事故が起きる。車が大破したのに、ぶつかったはずの田宮(池岡亮介)は無傷。保険調査員の横道(勝村)が田宮の連れの作家・森魚(柄本時生)、目撃者の真壁(瀬戸)、秋山(小島藤子)に事情を聞くと、真壁は森魚について奇妙な「ドミノ仮説」を唱えだし、さらにはカウンセリングで知り合った土呂(長身の山田悠介)を巻き込んで「証明」に乗り出す。

後半、無意識に体をかきむしる瀬戸の演技が、不公平感、ひがみに凝り固まった苦しい内面を映し出して、鬼気迫る。「マーキュリー・ファー」の俳優さんだもんなあ。対峙する柄本の普通さが強靭で、いかにもなセリフの間合いも絶妙だ。また柄本にジェラシーを抱く池岡に、なかなか陰影があり、何故か瀬戸を支え続けるショートボブの小島は、透明感が印象的。
楽しみな若手それぞれの奮闘が、勝村の登場で見事に連携しだすのに、また目を見張る。常に一歩ひいて舞台を俯瞰しており、セットの不自然さを逆手にとって、しつこく笑いをとるあたりも、さすが! いつもレジ袋をぶら下げているし。大人だなあ。瀬戸を気にかけるカウンセラー、大野の千葉雅子も安定。

陰影の濃いステージ。後方左右に段差のあるボックスを置き、暗転と最小限の家具の出し入れでシーンをつなぐ。ラスト、上方で回る小さい風車は、時の流れの象徴なのか。美術は「薄い桃色のかたまり」に続いて原田愛。

20171008_005

薪能「二人袴」「大般若」

第十五回飛鳥山薪能  2017年10月

天候に恵まれ、中秋の名月を愛でつつ、野外の薪能に足を運んだ。4月の夜桜能に続き、季節感+伝統芸能で心が豊かになる。しかも予想外にド派手な演目で、なんだか得した気分。
JR王子駅にほど近い飛鳥山公園内野外舞台、前方中央のSS席で8500円。恒例行事とあって団体客も。寒かったけど、落語「王子の狐」を思わせる幸寿司のお稲荷さんを売っていたり、携帯カイロを配ってくれたり、地元あげての手作り感が嬉しい。休憩を挟み約2時間。

まず中村雅之・横浜能楽堂館長の解説、八木光重・王子神社神主のお祓い、花川與惣太・北区長らの火入れ式があって、狂言「二人袴」。若い聟(万作の弟子・内藤連がきびきびと)が挨拶のため、舅(人間国宝の野村万作)を訪ねるが、気恥ずかしいと言って兄(野村萬斎)に付き添ってもらう。兄は門前で待つが、太郎冠者に見つかってしまい、舅に会うことに。祝儀の長袴が1枚しかないので、聟と交互につけて誤魔化すものの、ついに2人同時に招き入れられ、なんと袴を半分ずつ着用。酒を飲むうち、ひとさし舞えと言われて…
現代的な、めちゃ頼りない聟、招かれて大らかに「迷惑だあ」と叫ぶ兄に爆笑。思い余って、袴を前後に裂いちゃうアクションも派手だ。4月にも観た86歳の万作さん、礼儀とか言いながら、自分が呑みたいだけでは、と思わせる、飄々とした雰囲気がいい。

休憩後は再び中村館長の解説後、能「大般若」。意外にも一大スペクタクルで、びっくりするやら、面白いやら。
タイトルは三蔵法師が求めたお経のこと。若い三蔵法師(ワキ、御厨誠吾)が天竺へ向かう道中の流沙河(りゅうさが)で、怪男(前シテ、松木千俊)に出会う。男は「実はお前は前世で大願かなわず、ここで7度命を落としている。自分は川に住む深沙大王だ。今度は経を与えよう」と教える。
大王ノ眷属(うそぶきの面が面白い)の間狂言を挟み、いよいよ後半。まず、しずしずと一畳台が置かれ、華やかな朱の衣装をまとった飛天2人が舞い、長い袖を翻し、三蔵法師を支えて難所を越える。続いて、なんと頭に龍の絵(龍戴)を載せた龍神2人が礼拝すると、ひときわ巨大な龍(大龍戴)を載せ、7つの髑髏を首にかけた大王(後シテ)が登場! 恐ろしい真蛇の面で威圧感が凄い。笈(おい)から経を取り出して三蔵法師に授け、共に高々と読み上げる。大詰めでは1列になった神たちが、順に回るダイナミックなシーンも。台に乗った大王の神通力で、「十戒」のように河が割れるさまを表現してるんですねえ。ついに大願がかない、意気揚々と行く三蔵法師が一度振り返ると、大王が羽団扇を掲げて見送る。
お馴染み「西遊記」に先立つ物語で、1983年に梅若玄祥さんが復曲したとのこと。大王を祀っているのが深大寺で、西遊記ではカッパの沙悟浄に転じたとか。あの首飾りはそういう意味だったのか… 知らなかったなあ。

今回の能舞台は屋根は無く、後方にリアルな松。虫の音に加え、時折都電の音も聞こえてくる大らかなシチュエーションだ。拍手のタイミングがだいぶ早いのもご愛敬。また飛鳥山は江戸時代の桜の名所、人気行楽地であり、明治になってからは王子製紙を興した渋沢栄一が住んだんですね。いろいろと勉強になりました~

22141145_10213943811850887_61426130

22195581_10213943812170895_34464099

22154373_10213945016881012_28991877

バイエルン「少年の不思議な角笛」「ワルキューレ」

第15回記念NHK音楽祭2017 バイエルン国立管弦楽団  2017年10月

ワーグナーのお膝元バイエルン国立管弦楽団を引き連れ、音楽総監督キリル・ペトレンコが初来日。1972年ロシア生まれ、2019年からベルリン・フィルの首席指揮者就任が決まっている。しかも美声のクラウス・フロリアン・フォークト(ドイツのテノール)が登場し、圧巻のドラマを満喫した。
この座組のオペラ公演はなんと平日昼間だったため、なんとか1日限りのコンサートに駆けつけた次第。おひとり様ワグネリアンが目立つNHKホール、1F後ろのほうA席で2万円。休憩を挟んで3時間弱。

まずマティアス・ゲルネ(ドイツのバリトン)が登場し、マーラーの歌曲集「少年の不思議な角笛」から7曲を。軽妙な恋の歌などをへて、少年鼓手の死に至る。打楽器が活躍。
休憩後、いよいよワーグナー楽劇「ワルキューレ」第1幕。ピュアなジークムントにフォークト、双子の妹ながら運命の恋に落ちる情熱的なジークリンデに、エレーナ・パンクラトヴァ(堂々たるロシアのソプラノ)。それぞれの身の上話(クドキですね)をしっかり聴かせ、幕切れの愛の2重唱へと、ぐんぐん盛り上がる。夫フンディングのゲオルク・ツェッペンフェルト(ドイツのバス)もドレスデン国立歌劇場の宮廷歌手とあって、豊かな表現だ。
小柄なペトレンコは激しいアクションで、きめ細かく起伏を表現。演奏会形式だけに演出に気を取られず、声の魅力を存分に楽しめて、贅沢な時間でした~
ホワイエでは知人のエコノミストらに遭遇。

20171001_001

« 2017年9月 | トップページ | 2017年11月 »