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スルース~探偵~

パルコ・プロデュース公演「スルース~探偵~」  2016年11月

「BENT」が印象的だった新納慎也にひかれて、上演前半の「探偵バージョン」に足を運んだ。懐かしい雰囲気の、遊び心とほろ苦さのある大人の推理劇。英アンソニー・シェーファーによる1970年初演のトニー賞受賞作を、常田景子翻訳、深作健太演出で。新国立劇場小劇場の、やや上手寄りで7500円。休憩を挟み2時間強。

人気ミステリー作家アンドリュー(西岡徳馬)が、妻の若い不倫相手マイロ(新納)を屋敷に呼び出す。てっきり別れを迫ると思いきや、持ち掛けたのは奇妙な犯罪プラン…。

騙しの要素に加え、往年の探偵小説への郷愁や、栄光が衰えていく寂しさをにじませていてお洒落。オペラやミュージカルの引用もあって、ニヤリとさせる。よくできたパズルのようで、なんだか三谷幸喜が好きそうだ。
中央に階段がある居間のワンセットで、俳優は早口で喋りまくり、激しく動く。なによりどんでん返しをしっかり表現しなくちゃならないから、けっこう難しいお芝居なのでは。
新納がリズム感、そこはかとない色気を発揮して期待通りだ。劣等感ゆえに、アンドリューに翻弄されちゃうところが切ない。西岡はちょっと大変そうだったけど、さすがに雰囲気がある。上演後半の「スルースバージョン」では、新納にかわって音尾琢真が出演。

実は予備知識なしに観に行ったんだけど、古典的名作なんですねえ。シェーファーは映画「ナイル殺人事件」(1978年)などの脚本家でもあり、「アマデウス」のピーター・シェーファーは双子の弟。代表作「スルース」は2回映画化されていて、1972年にはシェーファー自身の脚本で、ローレンス・オリヴィエ、マイケル・ケインが出演。2007年にはなんとハロルド・ピンター脚本、ケネス・ブラナー監督でマイケル・ケイン、ジュード・ロウが出演している。
今回、パンフレットなどもなかなか遊んでて、こういうの好きです。

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橋の下のアルカディア

中島みゆき夜会Vol19「橋の下のアルカディア」  2016年11月

初中島みゆきは、全46曲で物語を綴る「夜会」シリーズで、2年ぶりの再演版だ。弱い存在が踏みつけられたところから始まる、圧倒的な救済を、「万病に効く」みゆき節で。カタルシスだなあ。セットや動きを作り込んでるけど、台詞はほとんどなく、3人がたて続けに手持ちマイクで歌っていく。不思議な仕立てだけど、芯はあくまでコンサートの印象だ。かなり年齢層が高いTBS赤坂ACTシアター、中央あたりで2万円。休憩を挟み2時間半。

第1幕は、閉鎖が決まってシャッター街となった古い地下道。水晶玉を操る占い師(中島みゆき)とコケティッシュなバーの代理ママ(中村中)、元・模型屋の息子の警備員(石田匠)が、時代に取り残されたなりに楽しく暮らしている。そこに天明期、橋を守るため犠牲となった妻(中島)と、後を追う夫(石田)、置き去りになった猫(中村)という3人の前世が重なる。
そして第2幕は再び現代。放水路に転じた地下道を豪雨が襲う。爆音のような雷。象徴するのは繰り返す天災か、個人を押し流していく社会や時代か。水が押し寄せ、あわやと思われたとき、戦時下に逃亡兵を匿った防空壕の記憶が忽然と立ち上がる…

前半は昭和演歌ドラマ風で、ちょっとまったりしてるけど、後半「二隻の舟」あたりから「呑んだくれのラブレター」「いらない町」とどんどん盛り上がり、「国捨て」「India Goose」は怒涛の展開。中村と石田の、揺れの少ない声が中島節に合って力強い。音楽プロデューサーは瀬尾一三。特に中村は、「恋なんていつでもできる」などダンスも達者にこなし、前世は猫というコケティッシュな設定がよく似合う。
地下道のセットは中央に階段があり、背景に宿命的な橋梁が浮かび上がる。かつて石田の父が、たぶんバーの先代ママに宛てたラブレターを紙飛行機にして飛ばす追憶シーンあたりから、ぐっとスケールが大きくなり、頭にケガをした石田の包帯などで特攻のイメージを表現。ラストは広い舞台を存分に使ってダイナミックだ。美術は「逆鱗」などのベテラン堀尾幸男。
シャンソンみたいに、歌自体に演劇性がある中島ならではのパフォーマンスなのだろう。聴衆は舞台に集中していて意外に大人しく、
カーテンコールでようやくちょこっとMCがありました。

ロビーでパンフレット、ロゴ入りカステラなどを販売。川底をイメージしたというスパークリングワインのカクテルも。

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一中節「松羽衣」「姫が瀧四季の山めぐり」

一中節「松羽衣」「姫が瀧四季の山めぐり」の会  2016年11月

縁あって重要無形文化財、一中節を聴きに。当代12世一中さんと尾上墨雪さんによる会だ。すがすがしい国立能楽堂能舞台の上手寄り正面、前のほうで5000円。休憩をはさんで1時間強。

まず謡曲にちなみ、5世作曲による「松羽衣」。女性陣の一桜、一光、一菊が並んで浄瑠璃、三味線は一中さん、楽中、勝中。三保の松原の天女は可憐にお嬢さんの尾上紫、漁師伯龍が墨雪さん。
休憩後は11世復曲の「姫が瀧四季の山めぐり―山姥―」。墨雪さんが四季折々自然とたわむれ、徐々に年老いていく女を舞う。息子さんの了中さんが浄瑠璃。一中節は三味線と浄瑠璃、両方手掛けるとか。扇面は朝倉摂。シンプルな舞台に、一本確かな筋が通っていて、伝統芸能のベースの一つを観る思いです。

一中節は中棹で優雅。京都発祥、江戸で大流行し、常磐津など三味線音楽の源流となったそうだ。当代は歌舞伎座の常磐津立三味線(主席奏者)も経験。また墨雪さんは6代目菊五郎が創立した日本舞踊・尾上流の先代家元とあって、客席には大物の女優さん、綺麗どころや経済人の姿も。出口ではお二人がお客さんをお見送り。華やかですねえ。

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はたらくおとこ

阿佐ヶ谷スパイダースpresents「はたらくおとこ」  2016年11月

劇団20周年で、長塚圭史作・演出の代表作を12年ぶりに再演。休憩無しの2時間半、嫌な感じのスプラッタを、曲者揃いの中年俳優陣がハイテンションで押しまくる。東京公演の楽日とあって、立ち見もぎっしりの本多劇場、やや後ろ上手寄りで6800円。

雪がちらつく東北、りんご農園&パッキン工場事務所という、ごたごたしたワンセット(美術は松岡泉)。一本気な経営者・中村まことと、従業員の訳アリ池田成志、ピュアな盟友・中山祐一朗、バイトの妙に可愛い池田鉄洋がいるけど、経営は完全に行き詰っている。そこへ池田の兄(渋い松村武)、妹(可憐な北浦愛)が迷惑な農薬を持ち込んだせいで、地元農家の襲撃に遭い、さらに中山の弟(切ない伊達暁)が軽トラで突っ込んできちゃう。その積み荷がまた大変な代物で… ほかに地元の太っちょ男に富岡晃一郎、得体のしれないトラック運転手に長塚。

巷にあふれる美味しいものを笑うように、何故か懸命にシッぶいリンゴを追い求める男たち。とにかくダメ人間揃いで、事態を打開しようと暴走するものの、ことごとく見当違いだ。笑いとはちゃめちゃな極限状態の果てに、人間のダメさ、哀しさを凝縮したような赤い果実が輝く。グロと悪臭の設定には思わずひいちゃったけど、もたらされる一筋の赦しが、後からじわじわ染みてくる。
北浦以外は初演メンバーが揃ったという、8人の演技バトルが見事だ。狭い空間で鎌を振り回したり、自棄っぱちで聖子ちゃんを合唱したり。いい大人なのになあ。

プログラムはいわば両A面で、後半は劇団20周年の特集で、ゆかりの俳優の対談などを収録。これを読んでから観ると、また感慨があったかな。ロビーには過去作のポスター展も。

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仮名手本忠臣蔵 第二部

11月歌舞伎公演 通し狂言 仮名手本忠臣蔵 第二部

50周年記念の3カ月連続、全段完全通しのふた月目。国立劇場歌舞伎公演としても300回の節目を迎えるそうだ。今月はよく上演される見どころ満載の段を、尾上菊五郎、中村吉右衛門というそれぞれ極めつけの主演で堪能した。大劇場の花道すぐ横、上手側の面白い席で1万円。休憩2回を挟み5時間強。

まず浄瑠璃・道行旅路の花聟(はなむこ)、通称「落人」。先月に観た珍しい三段目「裏門」を、清元の舞踏劇にしたものだ。浅葱幕が落ちると遠くに富士を望む戸塚。桜と菜の花が華やか。花道から勘平(中村錦之助)とおかる(尾上菊之助)が登場。若々しくて「ご両人!」の声がかかる。菊之助は綺麗だけどちょっと骨太で、勘平を引っ張る感じか。滑稽な鷺坂坂内(坂東亀三郎、来春に彦三郎襲名予定)が手堅い。浄瑠璃は清元延寿太夫ら。

ランチ休憩の後は照明が暗くなって、五段目・山崎街道鉄砲渡しの場。雨宿りする勘平(菊五郎)が笠を上げ、一気に視線を集める。千崎弥五郎は河原崎権十郎(現・彦三郎の弟)。同・二つ玉の場で稲叢(いなむら)から白い手を伸ばし、怪しく斧定九郎(尾上松緑)が現れる。細身で危うい持ち味が、色悪というよりシンプルなワルで、なかなか。盛んに「弁慶橋」の声がかかる。勘平は火縄をくるくる回したり、暗闇で手探りしたり忙しい。
舞台が回って、六段目・与市兵衛内勘平腹切の場は世話に傾き、緻密な音羽屋型をじっくりと。しでかしてしまった者の、じりじりする焦り、どうしようもない悲哀は普遍的テーマだなあ、と改めて思う。
前半は爽やかな浅葱色の紋服に着替えた勘平が、祇園へ向かうおかるとの涙の別れ、与市兵衛の死を知って煙管を取り落とす動揺をくっきりと。歌舞伎座のさよなら公演、新開場公演でも観たけど、現実にはおじいちゃんなのにロマンチックなのが不思議。おかや(中村東蔵が田舎っぽさを巧く)や二人侍(重々しい中村歌六の原郷右衛門、権十郎)に責められ、ついに切腹してからは怒涛の展開だ。気の毒だなあ。一文字屋お才は中村魁春。

休憩後は一転して華やかに、七段目・祇園一力茶屋の場。さっと背景が開いてからの夜の色街が美しい。由良之助(吉右衛門)が廓遊びにふける色気と、その裏で着々と敵討ちを準備する深謀遠慮という複雑な2面を存分に。こちらも観るのは、歌舞伎座新開場公演以来だ。
「花に遊ばば」と「騒ぎ」の唄で幕が開き、斧九太夫(嵐橘三郎、富十郎の門人で今月幹部昇進)と坂内の入り込みから。三人侍(声が通る亀三郎が2役で赤垣源蔵、ほかに坂東亀寿、中村隼人)が鎌倉出立を迫るが、由良之助は取り合わない。力弥(小柄で可愛い中村種之助)が顔世御前の密書を届ける緊迫のシーンで、戸が外れるハプニングがあったけど、悠々としてさすがです。
五輪の見立てなどお遊びがあって、おかる(中村雀右衛門、いじらしいけど、やや色気不足か)が登場し、由良之助が軒先の釣り灯籠で密書を読む立体的なシーンから、後半は平右衛門(中村又五郎が初役で)が躍動する。吉右衛門は大詰めの九太夫折檻あたり、さすがに朗々とはいかないけれど、説得力十分。「大播磨」の声がかかる。これをどなたが継承していくのかなあ…

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METライブビューイング「トリスタンとイゾルデ」 

METライブビューイング2016-17第1作「トリスタンとイゾルデ」  2016年11月

リンカーンセンター移設50周年のシーズン開幕は、意外にも重厚難解なワーグナー。指揮は大物、今年9月の来日で聴いたベルリンフィル芸術監督サイモン・ラトルだ。先日のウィーン歌劇場で感嘆したばかりのニーナ・ステンメ(スウェーデンのソプラノ)が、強靭に舞台を牽引する。年配男性が目立つ新宿ピカデリーで5100円。休憩2回を挟み5時間強。

運命の愛と死の物語。アイルランド王女イゾルデ(ステンメ)は戦勝国コーンウォールのマルケ王(お馴染みドレスデン生まれのバス、ルネ・パーペ)に嫁ぐことになったが、その道中、付き添いの騎士トリスタン(シドニー生まれのヘルデン・テノール、スチュアート・スケルトン)と恋に落ちちゃう。やがて2人の密会が露見し、トリスタンは重傷を負い、故郷の城で落命。駆けつけたイゾルデも後を追う。

オペラに足しげく通い始めて、まだ2年目の2007年秋、ベルリン歌劇場の来日で観たのが懐かしい。動きの無い演出に困惑しつつも、オケの迫力を堪能した記憶がある。
今回も精妙な前奏曲や、2幕の官能の2重唱、そしてラスト、イゾルデの絶唱「愛の死」などインパクトは十分だ。1幕の媚薬を象徴するハープや、3幕のイングリッシュ・ホルン「嘆きの調べ」も印象的。
なんといっても歌手がいずれも超人技だ。ステンメは貫禄があって、ひときわ誇り高い造形。春にラトル指揮でトリスタンを歌ったばかりというスケルトンは、太っちょだけど表現は繊細だ。タイトロールの声がともに柔らかくて、バランスがいい。この2人は媚薬を飲まなくても、すでに惹かれあっており、しかも宿命的に死に引き寄せられていく流れが、よくわかる。
2007年にもマルケ王だった堂々たるパーペはもちろん、そのほかの脇も安定。侍女ブランゲーネのエカテリーナ・グバノヴァは、2009年スカラ座「アイーダ」のアムネリスなどで聴いた、モスクワ出身のメゾ。気品があり、2幕「見張りの歌」が美しい。従者クルヴェナールのエフゲニー・ニキティン(ロシアのバス)も誠実に3幕を支える。

演出はポーランド出身、映画監督でもあるマリウシュ・トレリンスキ。設定を現代に移して、暗い舞台に映像を多用。大波に揺れる軍艦や、トリスタンの原風景らしい父の死を繰り返し見せる。はかない命を象徴するようなライターの火や、舞台上のカメラ映像との組み合わせ、少年時代のトリスタン登場など仕掛けが多く、やや消化不良か。セットは1幕は3階建ての軍艦内部、2幕はドラム缶が並ぶ倉庫、3幕は比較的シンプルにトリスタンの寝室。

案内役はイゾルデも得意とする貫禄のデボラ・ヴォイト。開幕恒例のゲルブ総裁やラトル、主要キャストに加えて、イングリッシュ・ホルン奏者のP・ディアスにインタビューしてました。

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ワルキューレ

ウィーン国立歌劇場2016年日本公演「ワルキューレ」  2016年11月

9回の日本公演で初という、ウィーン歌劇場によるワーグナー「ニーベルングの指輪」第1夜を、スペシャリストのアダム・フィッシャー指揮で。深みのあるオケ、表情豊かな歌唱で、心揺さぶる舞台となった。大入りの東京文化会館、1階下手寄りで6万1000円。休憩2回で約5時間の長丁場も全く辛くない。

「ワルキューレ」は2009年に新国立劇場のキッチュなキース・ウォーナー演出、また2011年にMETライブビューイングで大仕掛けのルパージュ演出を観て以来。情報量の多かった過去2回に比べセットがシンプルな分、高水準揃いの歌の力、壮大な楽曲がダイレクトに響いた。あまりに人間的な、神々の矛盾と苦悩。

なんといっても堂々たるヴォータンのトマス・コニエチュニー(ポーランドのバスバリトン)が、強靭から繊細まで、振り幅大きい表現力を発揮。権力欲も、浮気癖もと欠点だらけの王様だけど、世界を変えるのは自分にはない強い意思と愛であり、それを若い世代に託したいと切望している。特に終盤、逆らった愛娘ブリュンヒルデを許せずに眠らせちゃった後、丁寧に白い布をかけてやるシーンの切なさ。まるで花嫁衣裳のようだ。眼帯はなくメークで表現。
対峙するブリュンヒルデのニーナ・シュテンメ(スウェーデンのソプラノ)も、長丁場をものともせず、ひたむきさを存分に。聡明で、父の真意を理解するからこその反抗なのだ。キラキラ鎧が綺麗。
前半は英雄ジークムントのクリストファー・ヴェントリス(イギリスのテノール)が伸びやかで、妹ジークリンデのベテラン、ペトラ・ラング(ドイツのソプラノ)はちょっと弱いかと思ったけど、しり上がりに。長髪・長身フンディングのアイン・アンガー(エストニアのバス)が低い声を響きわたらせ、孔雀コートのフリッカ、ミヒャエラ・シュースター(ドイツのメゾ)も気高くて、カーテンコールで大きな拍手を浴びていた。

端正な演出は「アリアドネ」と同じスヴェン=エリック・ベヒトルフ。照明を落とし、1幕の装置は中央のトネリコの木とテーブル・椅子、2幕では森に白い石が点在するぐらい。謎の金の頭は人の愚かさを、狼の死骸は野性を表すのか。馬9頭の像を並べた3幕に工夫があって、「ワルキューレの騎行」は高揚感を抑制。戦乙女たちは尚武というより、兵士を邪険にしちゃって、闘いの不毛を思わせる。フィナーレはプロジェクションマッピングで広い舞台全体が激しい炎に包まれました。

ロビーにはボータの追悼パネルや、椿姫などの衣装の展示。財界人らの姿も。

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シネマ歌舞伎 ワンピース

シネマ歌舞伎「スーパー歌舞伎Ⅱ ワンピース」  2016年10月

昨年話題をまいた市川猿之助演出による国民的マンガの歌舞伎化を、シネマバージョンで。仲間、冒険という超シンプルなジャンプテイストに、土砂降りの本水、客席総立ちの宙乗りなどケレンをてんこ盛りに。劇団扉座(六角精児ら、かつては高橋一生もいたらしい)の横内健介が脚本・共同演出だそうです。よく入った新宿ピカデリーで2100円。2015年11月新橋演舞場での3時半の公演を、大胆に編集して休憩無し約2時間。

お話はルフィ(子供っぽさが似合う猿之助)はじめとする海賊一味と、海軍との闘い。新感線ばりのキンキラ衣装にプロジェクションマッピングでチャンバラをたたみかける。映像ならではのズームやスローモーションも効果的だ。兄と慕うエース(福士誠治が堂々の二枚目ぶり)の救出劇を軸としつつ、中盤は猿之助好みなのか、「キンキーブーツ」みたいなゲイのショーがたっぷり。ボン・クレーの坂東巳之助がなかなかの怪演で、抜群のコメディセンスと切なさを発揮する。六方では大向こうもかかってましたねえ。
ゲイのイワンコフ、敵役センゴクと、なんでもござれの浅野和之がさすがに達者。「コペンハーゲン」で観た同じ役者とは思えません。中村屋における笹野高史の役回りか。要所を黒ひげなどの市川猿弥、そして重々しい白ひげの市川右近(先代猿之助の部屋子1号、2017年1月に市川右団次を襲名)が締める。気取ったサンジなどの中村隼人がはまっており、一門の春猿、笑也らも安定。

なんと小6女子のRUANが歌う、北川悠仁の主題歌がとてもキャッチ―で、ディズニーみたいなミュージカル要素は子供も喜びそう。その実、白波五人男から碇知盛、ニヤリとさせる狐忠信、助六、まさかの先代萩まで、歌舞伎名場面のパロディも多用していて、歌舞伎のファン層をひろげるかも。
受けるエンタメをごちゃっと詰め込んで、さて、これからどう進化するか。成田屋、高麗屋、中村屋といろんな試みをしてるけど、やっぱり澤瀉屋のチャレンジ精神は半端ない。再演も注目。

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