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ビニールの城

シアターコクーン・オンレパートリー2016「ビニールの城」  2016年8月

芸術監督蜷川幸雄・追悼公演と銘打ち、蜷川が上演を計画していた唐十郎1985年初演作を、蜷川監修、新宿梁山泊の金守珍演出で。独特の猥雑さと詩情があふれ、森田剛、宮沢りえ、荒川良々とキャストも豪華だ。もっともこれが蜷川さんだったら、と妄想してしまうのは致し方ないところ。ジャニーズファンに年配客も混じり、立ち見ぎっしりのシアターコクーン、中央あたりで1万1500円。休憩なしの約2時間。

相棒の人形・夕顔を探し求める腹話術師の朝顔(森田)は、カミヤ・バーで出会ったモモ(宮沢)から思いを告げられる。実はモモは、森田の部屋にあったビニ本のモデルだった…
奔流のような台詞は、なにせアングラだし、ビニ本(1980年前後)だの豊田商事(1985年)だのと、今となっては難解。けれど朝顔の造形は、決して古びていない。ビニールの城に閉じ込められたモモが、懸命に助けを求めても、朝顔は分身である人形ばかりに執着し、一向に現実世界や他者とは向き合わないのだ。
腹(本音)を抉り出す人形、モモを覆う薄いビニール、それを鮮烈に穿つ空気銃、妙に幼い真っ赤な長靴や、大詰めで一輪咲く儚い夕顔の花… お下劣や安っぽい笑いから、夢のようなロマンチックへと、イメージの奔流は万華鏡のよう。

かん高い声の森田が醸し出す哀愁、孤独と、宮沢の上品さ、透明感は期待通り。特に宮沢は一段と美しく、とても40過ぎには見えません。
2人とも切なさに加えて、意外に多いコメディタッチのシーンも軽く、堂に入っていたし、本水を使ったアクションは大奮闘。どんどん充実していくなあ。
ほかの出演陣も安定感抜群だ。モモに振り回されるかりそめの夫・夕一に荒川、妹分リカに江口のりこ、謎の男・引田にはなんと初演で大道具を作ったという六平直政、人形売りに石井愃一、バーテンに大石継太ら。

冒頭でずらりと並んだ気味の悪い人形や、何故かバーの床に張られた本水、大きな水槽や鏡など、仕掛けはたっぷり(装置は中越司)。もっとも2013年「盲導犬」とかと比べちゃうと、インパクトはそこそこだったかな… 
蜷川さんだったら、もっと強烈だったかも。舞台はやっぱりナマモノで、そこが辛いところだし、また素晴らしいところだと、今さらながら痛感する。タイトルにちなんでビニールに包んだプログラムは、蜷川と石橋蓮司との経緯や、唐との対談の再録を含み、読み応えがありました。

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ドコカ遠クノ、ソレヨリ向コウ 或いは、泡ニナル、風景

ワークショップ公演「ドコカ遠クノ、ソレヨリ向コウ 或いは、泡ニナル、風景」  2016年8月

夏の終わりに、藤田貴大作・演出の世界にひたる。劇団員は参加せず、いつにも増してシンプルな構成で、独特の喪失感をしみじみと。彩の国さいたま芸術劇場で、初めて大稽古場というところに足を踏み入れた。自由席で1500円、休憩無しの1時間半。

戯曲は藤田が23才だった2008年の初演。2005年に100人を超える犠牲者を出したJR福知山線脱線事故がモチーフで、マームとジプシーの初期の代表作だそうだ。俳優25人が、唐突な断絶を迎える直前の、平凡なあの朝を演じる。
ちょっと心がすれ違った若い夫婦、たこ焼きパーティーを計画しているアラサー女性たち、ポジション争いに悩むバスケ部員、祖母と2人暮らしの訳アリ少女、いじめにあっている少年…。それは生き残った者が繰り返し噛みしめる、記憶の中の風景のようで、辛い。
終盤、登場人物が追憶の少女時代で見せる、長い長い縄跳びシーンが、いかにも藤田らしくて秀逸。説明的なセリフではなく、ましてやショッキングな映像でもなく、生身のリアルな息苦しさでもって、ただ座っているだけの観客をも息苦しくさせていく。突然の悲劇が、いかに理不尽だったか。そして日々は続いていくけれど、決して忘れられない想いがあるということ。

四角く暗い空間の3方に、数段の客席を置き、セットは俳優が動かすベンチくらい。独特のリフレイン、歌うようなセリフ回しやリズミカルな歩き、インディゴと生成のシンプルな衣装などはいつも通りの印象だ。
しかしオーディションで373人から選んだという俳優陣には、70代もいて、劇団公演とはだいぶ味わいが違う。歩くシーンでは若い俳優が肩に手を添えるし、お年寄り自身、腕を三角巾で吊ったり車いすを使ったりして、体の衰え、不自由さというものを表現に転換していた。

30代になったというこの作家が、さらにどう展開していくのか、楽しみです。

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落語「鮑のし」「湯屋番」「動物ものまね・枕草子」「ちりとてちん」

落語協会特選会 蔵之助その参  2016年8月

よくマクラで話題になる池袋演芸場に初めて足を運んだ。夜席の橘家蔵之助さんの会(落語協会特選会)。椅子92席のこぢんまりした会場で、お馴染みが多く笑いたっぷり。下手寄り後ろの方で前売り2300円。中入りを挟み2時間。

冒頭の挨拶には間に合わず、前座のハキハキ「金明竹」のあと、二ツ目の初音家左吉。ロックな外見に似合わず、律儀な感じで「鮑のし」を短めに。能天気な主人公がしっかり女房の指図で、大家のところへ婚礼の祝いを持っていき、お返しをせしめようとする。ところが祝儀の尾頭付きが高くて、鮑になっちゃうし、口上はヘロヘロ。古典的な味わいだ。終わって寄席踊りを披露してくれた。
続いて蔵之助が登場、得意の職質などのマクラから「湯屋番」をトントンと。居候先でブラブラしている若旦那が奉公することになり、銭湯へ。まんまと憧れの番台にあがる。当てが外れて女湯が空いているので、もっぱら女性客との出会いを妄想して1人で大騒ぎしちゃう。ほのかな色気と、屈託のなさがいい。

中入りを挟んで、江戸家まねき猫。3代目猫八さんのお嬢さんなんですね。ふくぶくしく、表情豊かに、枕草子の冒頭を動物ものまねを交えて語る。笑いはもちろん、客席参加の雨だれをバックにした、蛙の声に季節感が溢れて、楽しい!
そんな余韻があるなかで、再び蔵之助。落語会もいいけど是非寄席へ、という誘いで頷かせ、お世辞を言うときは顎をひけ、というマクラから「ちりとてちん」。意外に聴くのは初めての演目です。
来客にドタキャンされた旦那が、用意の料理を一緒に食べてほしいと知人を誘う。一人目は何を出されてもお世辞たっぷり。そのとき腐った豆腐が見つかり、旦那は知ったかぶりが激しい二人目の男を呼んで、到来モノの珍味「ちりとてちん」と偽って食べさせちゃう。あまりに怪しい臭いに男は警戒するものの、それでも知らないと言えない意地っ張りぶりで爆笑! 肩の凝らない滑稽さが、粋で巧いなあ。
最後に「ちょうどいい時間ですね」と挨拶があって、出口でもご本人が見送ってくれました~ 面白かったです!

ヒトラー、最後の20000年~ほとんど、何もない~

cube presents ヒトラー、最後の20000年~ほとんど、何もない~  2016年8月

ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出、古田新太主演コンビのナンセンス劇。大人8人が休憩無しの約2時間半、ひたすら小学生級のお下劣、駄洒落、コントを繰り広げる。徹底した無意味さがパンクです。本多劇場の中央あたりで7400円。

名探偵アラータ弁護士(古田)とアルジャーノン少年(犬山イヌコ)が、ご都合主義の神様(大倉孝二)の依頼でヒトラー(入江雅人)の悪行を食い止めようと過去に飛び、アンネ・フランク(舞台2度目の成海璃子)や恋人ガブリエル(賀来賢人)、その義父平山(山西惇)、盗賊(山西と同じ劇団そとばこまち出身の八十田勇一)らとドタバタする…。という設定は一応あるけど、ストーリーは無茶苦茶。導入では「1時間ぐらいで客が席を立つ」と繰り返して、だいぶ予防線を張ってたかな。

ケラさんのナンセンスは2013年「デカメロン21」以来。NGワードを連発しても毒や暗さがなく、ただ常識人を引かせたいだけ、というシンプルな子供っぽさが横溢する。53歳でこのパワーはさすが。
観劇帰りの主婦などの演劇ネタとか、しつこい客いじり、スポンジのマシュマロを客席に撒くといった、ベタなおふざけの一方で、ワイヤー、さらには本水まで、大掛かりな仕掛けも使用。ギャグのなかでは、蕎麦屋のお品書きを縦に読むのがけっこう新鮮だった。

もちろんナンセンスが成立するのは、豪華キャストの力が大きそう。なにしろ古田、犬山、大倉、山西! 間がよく、説得力もあって贅沢。特に大倉がリズム感、切なさで突出する。ホントにチャーミングな役者さんだなあ。
正直、個人的には頻繁にナンセンスを観たいわけじゃないんだけど、こういうアナーキーは舞台という場と、達者な舞台人でなけりゃできないことだなあ、と思う。

客席の反応は上々だった印象。小林高鹿さんの姿も。

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