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コペンハーゲン

シス・カンパニー公演   コペンハーゲン   2016年7月

英国の才人マイケル・フレインの1998年初演作を小田島恒志翻訳、小川絵梨子の上演台本・演出で。膨大かつ難解な会話劇を、たった3人、でもこの上なく贅沢なキャストが、緊張感たっぷりに演じきる。演劇のパワーを実感する秀作。演劇好きが集まった感じのシアタートラムの下手寄り、後ろのほうで7800円。休憩を挟んで2時間強が濃密だ。

中央に階段数段があるだけの、グレーを基調にした抽象的なワンセット。1941年秋、ドイツ人物理学者ハイゼンベルク(段田安則)が、ナチス占領下のデンマークへ、かつての師でユダヤ系のボーア(浅野和之)と妻マルグレーテ(宮沢りえ)を訪ねる。現代史上の謎の一日。厳しい監視下、なぜ彼はリスクをおかして足を運んだのか。量子物理学理論の基礎を築いた科学者2人は、散歩しながら何を話し合ったのか。のちの核開発競争を食い止める可能性はあったのか。いったい誰が罪びとなのか? 福島の事故を経験し、おりしもオバマ大統領の広島訪問が実現した今。静かな知的ミステリーにぐいぐい引き込まれ、心揺さぶられる。

ストーリーはすでに鬼籍に入った3人が、まるで論文の草稿をブラッシュアップするように、謎の一日を繰り返し再現していくスタイルをとる。しかし当事者2人と、観察者としての妻、それぞれの証言は語るほどにすれ違い、揺れ動く。あまりに不確かで、愚かな人間という存在。まるで「物体がどうなっているかを語らず、何が見えるかだけを語る」という、量子物理学そのものだ。

シュレディンガーに先立つ1933年、31歳の若さでノーベル賞を受けたハイゼンベルクは、当時40歳。鼻持ちならない天才で、ナチスの原爆開発チーム協力者として辛い戦後を送ったが、戦中にはボーアをはじめユダヤ人の救命に貢献した。訪問当時、原爆開発は技術的に難しいし、すべきでないと考えていたふしもある。
アインシュタインの翌年の1922年、37歳でノーベル賞を受けていたボーアは、このとき56歳。議論好きで社交的で、休暇のエピソードなどからハイゼンベルクとの父子のような関係がのぞく。会談ののち米国に亡命し、原爆開発を阻止しようと奔走した。一方でボーアの発見が開発の重要な基礎となり、「マンハッタン計画」の顧問を務めたほか、彼がもたらしたドイツ情報が開発を促進したとの説もあるらしい。
天才のプライドと科学がもたらすものへの恐怖、深い孤独、郷土愛と倫理、支配・被支配。口述筆記や論文の清書でボーアを助けたという聡明なマルグレーテが、優しく、そして冷静に、関係性の変化、可能性の変化を指摘していく。

豪華キャストはまさに名演。どこまでいってもモヤモヤが残る戯曲なのに、無駄なくかみ合って、苦痛を感じさせない。段田はダイナミックな表現が素晴らしく、ただ歩いたり、小さい椅子に座ったりするだけで、傲慢さや追い詰められた切迫感、深い哀しみを表現する。浅野はそれを包容力豊かに受け止める。人が良さそうでいて、息子の死のエピソードなどから生き抜くための必死さ、冷徹さもにじむ。そして宮沢が、本当に美しい。温かい声がよく通り、立ち姿や煙草を吸う仕草が凛としている。それぞれ大活躍中で、「元禄港歌」「海をゆく者」などが素晴らしかった3人だけど、その中でも出色では。

立ち見も入った客席。なんと野田秀樹さんの姿もありました!
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