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ローエングリン

ローエングリン  2016年5月

ワーグナー中期のロマンオペラ。長身金髪のスターテノール、クラウス・フロリアン・フォークトがタイトロールを務め、期待通りの類まれな柔らかい美声で舞台を制圧。白鳥とともに飛来する騎士というファンタジーを、誠実かつ爽やかに体現する。フォークトさまは2013年にリサイタルを聴いたけど、やっぱり大舞台がいいですねえ。
指揮はもちろん飯守泰次郎芸術監督。東フィル。新国立劇場オペラハウスの、1Fやや後ろ寄り中央で2万4300円。なんと40分もの休憩2回を挟み、約5時間の長丁場だけど、演出もお洒落でちっとも飽きなかった。

時は9世紀ごろ、今のベルギー、オランダにまたがるブラバント公国。ワーグナーらしい精妙な弦の前奏曲に続き、1幕ではハインリヒ王(ザクセン大公、アンドレアス・バウアー、明晰で格好いいバス)が徴兵に訪れるが、ブラバントは内紛勃発中。テルラムント伯(ユルゲン・リン、ベテランのバリトン)がエルザ姫(マヌエラ・ウール、率直な美形ソプラノ)を弟殺しで告発しちゃう。そこへ颯爽と謎の騎士、実はローエングリン(フォークト)が、宙づりで天上から登場。しかも少年合唱団かと見紛うよう透明なソロ! 伯を倒し、姫と結婚することになる。
2幕は暗く不吉な調子で始まり、伯と、その妻で異教徒のオルトルート(ペトラ・ラング、ホントに悪そうな芯の強いメゾ)が共謀。エルザはまんまとオルトルートに焚き付けられ、騎士の正体に疑念を抱く。
そして3幕。トライアングルなどがリズミカルな前奏曲から、明るい結婚行進曲へ。幸せなはずなのに、エルザは禁をおかして騎士を問い詰めてしまい、2人の関係は破綻する。無条件の愛という困難…。ローエングリンは王と群集の前で、聖杯騎士団の一員という正体を明かしてエルザのもとを去る。長いソロ「グラール語り」の美しいこと! しかもエルザを抱きしめちゃうし。ふわ~ 後には帰還した幼い弟が寂しくひとり残される。

今作は2011年秋にバイエルン国立歌劇場の引っ越し公演で聴いたけど、巨漢ヨハン・ボータだったから全く別物の印象。フォークト以外も、ドイツ出身で固めた主要キャストはバウアーはじめ高水準。ウールがちょっと弱いかと思ったけど、大事なところは決めていた。
日本人キャストも王の伝令、萩原潤(丸顔のバリトン)が朗々。1幕ごとに、クライマックス並みに盛り上がる分厚い合唱が素晴らしい。オケは管がよれたりして、ちょっと不安定だったかな。

プロダクションはミュンヘン生まれ、マティアス・フォン・シュテークマンの演出で、2012年以来の再演。後方一面に発光パネルを敷き詰め、淡い色と抽象的な模様で場面を表現していて、お洒落だ。モダンな衣装も王は青、姫と騎士は白→黒、伯夫妻は赤とわかりやすい。
セットはシンプルかつ象徴的で、ダイナミック。騎士は宝塚ばりに羽を背負ってゴンドラで斜めに降りてくるし、2幕でエルザをからめとる巨大な円錐形の檻や、同じくワイヤーのベール、3幕で舞台中央から王と大勢の群集がせり上がってくる等々、迫力満点だ。合唱の動きも美しい。いやー、堪能しました。

飯守さん、カーテンコールではちょっとお疲れのようだったけど、来シーズンもリング2作が予定されているし、期待してます!

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太陽

イキウメ「太陽」  2016年5月

2011年初演、最近では小説や映画も話題の劇団の代表作を、ようやく観る。作・演出前川知大。
すべてグレーに塗られた階段、机やベンチだけのシンプルなセットで、俳優もたった9人なのに、豊かなイメージの膨らみに圧倒された。理性や科学進歩、差別とコンプレックス、異文化の相互理解、不完全な人間を愛しく思うということ、そして不確かな未来に希望をもつということ…。いろんなテーマが、観る者の頭を駆け巡る。演劇ならではの雄弁な名作だ。演劇好きが集まり、立ち見もびっしりのシアタートラム、最前列で4500円。休憩無しの2時間強。

物語はイキウメお得意の寓話的SF。ウイルス感染で知性、肉体とも優れるものの、太陽光にあたれない新人類ノクスが出現して、日本を牛耳り、普通の人々は旧人類キュリオ(骨董品)として虐げられている。長野の寒村に住むキュリオたちは、ある事件がもとでノクスに経済封鎖を受けていたが、10年ぶりに交流が再開、人間関係が動き出す。
いつもながら、やや頭でっかちの戯曲を、俳優陣が見事にリアルにしてみせる。なかでも鉄彦の大窪人衛と、見張り番・森繁の浜田信也、そして草一の中村まことと、医師・金田の安井順平という2組が突出。キュリオ・ノクスの友情のなんと切ないことか。乾いた空気、飄々とした関係なのに、そこには壁を超えていく思いが、確かにある。大窪、中村の激しいアクション、それぞれの慟哭が胸を締め付け、そして幕切れにチラリとみせる浜田の温かい笑みが余韻を残す。

草一の娘・結の清水葉月が溌剌。細くて顔がちっちゃくて、キュリオからノクスに転じた時の印象のふり幅も大きい。ほかに健気な鉄彦の母・純子に岩本幸子、ノクスの堅物役人・曽我に盛隆二、その美しい妻・玲子に伊勢佳世、面倒を起こしてばかりいる純子の弟・克哉に森下創。特に劇団メンバーはさすが、それぞれにはまっており、安田らが振りまく笑いも達者だ。

後方に並べた電球だけで太陽を表し、最低限に絞った音響が巧い。美術は初演と同じ土岐研一。2014年に観た蜷川演出とどうしても比べてしまうが、もちろん全くの別物だ。ニナガワ版では大劇場に貧乏長屋のセットを立ち上げ、年寄たち、結に迫る怪しい青年を登場させていて、猥雑さと寒村の閉塞感の印象が強かった。個人的にはイキウメ版のほうが好みかな。同時に、席に配られたチラシを眺めて蜷川さんの不在を噛みしめました…

METライブビューイング「ロベルト・デヴェリュー」

METライブビューイング2015-16第9作「ロベルト・デヴェリュー」  2016年5月

ドニゼッティのチューダー朝女王3部作のラストを、METが初演。女王エリザベッタ(エリザベス1世)役は、意外に初めて聴くソンドラ・ラドヴァノフスキー(イリノイ出身の芸域の広いソプラノ)だ。METライブビューイングでは2011年に「アンナ・ボレーナ」をネトレプコで、13年に「マリア・ストゥアルダ」をディドナートで観ており、前2作ほどの華は感じなかったものの、ラドヴァノフスキーは技術も演技も迫力満点。名演「真珠採り」コンビを含む、豪華キャストの激突も聴きごたえがある。「マリア・ストゥアルダ」に続いてマウリツィオ・ベニーニ指揮、デイヴィット・マクヴィカー演出で、上演日は4月16日。東劇、休憩1回で3時間。

お話は身も蓋もない、嫉妬の末の破滅談。息苦しい絶対王政の時代を背景に、1幕で老女王エリザベッタの寵臣ロベルト・デヴェリュー(甘く哀愁あるマシュー・ポレンザーニ)は、勝手にアイルランドと和睦したかどで、議会から反逆罪に問われている。ロベルトは政略結婚してしまった恋人サラ(美しいラトビアのメゾ、エリーナ・ガランチャ)とまだ想い合っているものの、なんとか諦めて、秘めた愛の証に指輪と、サラが刺繍した青いスカーフを交換する。
続く2幕で、このスカーフが発端となり、友人ロベルトを弁護しようと奮闘していたサラの夫・ノッティンガム公爵(お馴染み苦悩するポーランドのバリトン、マリウシュ・クヴィエチェン)が、妻の裏切りに気づいて激怒。また、したたかな君主のはずのエリザベットも嫉妬にかられて、ロベルトの死刑判決に署名しちゃう。
休憩後の3幕はそれぞれが対決した後、ようやくサラが指輪をもって駆けつけるが、時すでに遅くロベルトは処刑。エリザベットは絶望と孤独に満ちた長いソロの後、投げ出すようにスコットランド王への王位継承を宣言する。

処刑台の露となったアンナ・ボレーナの宿命の娘であり、従妹マリアを死に追いやった冷徹な為政者エリザベッタが、幕切れでは人間臭さをみせ、カツラを脱いで老いをさらす。しかもロベルトはかつての恋人の義理の息子であり、王位を譲ったスコットランド王はマリアの息子というから、つくづく皮肉な運命だ。

幕間のインタビューで「ベルカントは退屈でしょ」といったコメントも飛び出してたけど、どうして十分にドラマティック。襞襟の衣装、パールや宝石など、あくまで古風で豪華な歴史劇だが、大人数の軍勢が出てくるわけではなく、4人の醜いエゴの衝突にフォーカス。ぐいぐい押しまくる音楽のうねりによって、生身の人間の愚かさ、哀しさが聴く者に迫ってくる。特にラドヴァノフスキーは「9割は怒っている役」と笑いながら、大変なエネルギーを発揮。声の重さと技巧を見事に両立させてました。

演出は暗く、重厚。劇中劇のスタイルで、周囲で合唱が観客の貴族たちを演じ、ずっと悲劇を見守っているほか、冒頭でエリザベッタの葬儀を示す。カーテンコールでは合唱にも挨拶する周到ぶりだ。解説はヴォイトで、いつもの余裕たっぷりの主要キャストらへのインタビューが楽しい。

10周年だった今シーズンのライブビューイングを振り返ると、10作中4作を鑑賞。昨年末にNYで、ついにリアル鑑賞も実現し、ぐっと臨場感が増しました!
来シーズンのラインナップを見ると、どうやら次世代のスターに焦点が移る感じ。リンカーンセンター50周年という節目の年にあたり、しかもMETの象徴・レヴァイン音楽監督引退というニュースも飛び込んで、またまた話題が多そうです~

文楽「絵本太閤記」

第一九五回文楽公演  2016年5月

5月の東京本公演は中堅が担う時代物「絵本太閤記」の半通し。歌舞伎「馬盥」で我慢の光秀を観たばかりだが、ちょうどその続きにあたる、主君を討った後の苦悩がメーン。なかなか複雑な造形です。国立劇場小劇場の中ほど、下手寄りで5900円。休憩を挟み3時間半。

まず本能寺の段は奥が咲甫太夫、宗助。光秀決起の報に、覚悟を決めた尾田春長(幸助さんが重々しく)が、勇ましい阿野の局に孫を託す。兄が光秀側についたため自害しちゃう腰元しのぶと、凛々しい蘭丸の恋が哀しい。

続く妙心寺の段は光秀の苦悩が語られて、起伏がある。奥はリズミカルに呂勢太夫、錦糸。京都の古刹の、龍の襖絵が立派なひと間だ。
母さつき(玉也)は息子の不忠を許せず、ひとり家出してしまい、残された光秀(額に傷のあるかしらで、玉志)は思い余って衝立に辞世の句を書きつけて自害しかかる。しかし家臣・田島頭(玉佳)と息子・十次郎(勘彌さんが凛々しい)に止められて迷いを振り切り、真柴久吉との闘いを決意。将軍任命を受けるため、馬にまたがり決然と宮中へ向かう。

休憩後、いよいよ悲劇の夕顔棚の段。尼ヶ崎にあるさつきのわび住まいで、幕開けは近隣の人々がお経を唱える穏やかなシーン。睦太夫、清友のメリヤスが滑らかだ。初陣の挨拶に来た十次郎の覚悟を察し、さつきは嫁・初菊(一輔が可憐)との祝言を勧める。

大詰め尼ヶ崎の段で、十次郎は戦場へ。光秀が忍んできて、風呂を借りている旅の僧、実は久吉(勘市)を竹槍で襲うが、なんと身代わりとなったさつきを刺してしまう。苦しい息の下から、なお逆賊の非を説く母。おまけに十次郎が瀕死の姿で戻って闘いの劣勢を伝え、退却を促す。光秀は一徹な性格で、我慢の末に暴虐な主君を討ったのに、母、息子を失い、追い詰められていく。ついに号泣する「大落とし」。
藤蔵、清介の三味線が威風堂々、ダイナミックにドラマを盛り上げる。文字久太夫、津駒太夫は熱演だけど、ちょっと迫力不足かなあ。
段切りは一転、動きのある展開となり、セットが横移動して光秀が木の上から敵勢を確認。初菊は尼ヶ崎につながる尼僧の姿に、さらに久吉が格好いい武者の装束になって登場し、光秀と山崎での対決を約束して幕となりました。

開幕前に貴重なバックステージツアーの機会があり、なんと鑑賞教室「曽根崎心中」の大詰めを裏から覗き見ました。緊張した~
ロビーでは熊本・大分地震の募金活動をしていて、大阪に続き清十郎さん、お初と記念撮影。ケネディ米駐日大使も来ていて募金してました!

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8月の家族たち

シアターコクーン・オンレパートリー+キューブ2016 8月の家族たち August:Osage County  2016年5月

トレイシー・レッツの2008年ピリッツァー賞・トニー賞ダブル受賞作で、2013年に映画化された戯曲を、目黒条が翻訳。ビターな家族劇だけど、演出のケラリーノ・サンドロヴィッチが上演台本を手掛けており、乾いた笑いが散りばめられた、普遍的秀作となった。
なんといっても麻実れい、秋山菜津子が圧巻の演技! 映画版ではメリル・ストリープとジュリア・ロバーツなんですねえ。やや年齢層高めのシアターコクーン、1階中ほどの上手寄りで1万円。2回の休憩を挟み3時間強。

オクラホマ州オーセージ郡の片田舎にある、立派な2階建てウェストン家のワンセット。8月の暑さが、窒息しそうな人間関係を象徴する。父ベバリー(村井國夫)が失踪し、闘病中でヤク中で毒舌の母バイオレット(麻実)と家政婦ジョナ(羽鳥名美子)が残された家に、離れていた家族が集まってきて、ドラマが動き出す。
登場するのはウェストン家の三姉妹、まず気の強い長女バーバラ(秋山)と離婚直後の夫ビル(生瀬勝久)、ちょっと不良の娘ジーン(可憐な小野花梨)。生真面目な次女アイビー(常盤貴子)、対照的に奔放な三女カレン(スタイル抜群の音月桂)と怪しい婚約者スティーブ(橋本さとし)。さらにバイオレットの気のいい妹マティ(犬山イヌコがはまり役)と夫チャーリー(木場勝己)、その不器用な息子リトル・チャールズ(中村靖日)。そして保安官ディオン(藤田秀世)が、ベバリーの訃報をもたらす。

バイオレットとバーバラを軸に、母娘や夫婦の確執と哀しさを見せていく。最も近いはずなのに、なぜ心が隔たってしまうのだろう。世代や価値観の超え難い壁もあるけれど、結局、互いに不器用なだけかもしれない。厳しい境遇を助け合って生き延びた姉妹が、実は長年胸に抱えてきた秘密の、なんと重いことか。
やりきれない話なんだけど、変化があって全く飽きさせない。中盤でリトル・チャールズが披露する歌の涙が出るような美しさ、大詰めのバンバン皿を割るシーンのカタルシス。葬儀後に一家が食事する重要なシーンでは、食卓が下手から舞台中央に横移動して、小さい回り舞台で回転。そのスピードの変化も場の空気を表して面白かった。ケラさんの翻訳劇は昨年の「三人姉妹」以来。今回は特に巧いなあ。

劇場外には5月12日に亡くなった芸術監督、蜷川幸雄さんの記帳台がありました。喪失感が大きいです…

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「勢獅子音羽花籠」「三人吉三巴白波」「時今也桔梗旗揚」「男女道成寺」

団菊祭五月大歌舞伎 夜の部 2016年5月

明治の劇聖を讃えて昭和11年に始まった団菊祭80周年に、菊之助長男の寺嶋和史が初お目見え。祖父吉右衛門がなんと29年ぶりに団菊祭登場と、話題の舞台だ。次代を担う海老蔵、菊之助が溌剌と活躍して楽しい。着物姿が目立つ歌舞伎座、下手寄り花道そばの前の方で1万8000円。休憩3回を挟みたっぷり4時間半。

開幕はお祝いの常磐津舞踊「勢獅子音羽花籠(きおいじしおとわのはなかご)」。神田明神前、芝居小屋の年中行事「曽我祭」当日という設定で、豪華メンバーが勢ぞろいだ。若手手古舞(鳶)らの木遣りのあと、菊五郎・吉右衛門が余裕たっぷりに曽我兄弟仇討を踊り、鳶頭の松緑・海老蔵、艶やかな芸者の魁春・時蔵・雀右衛門が続く。松也・巳之助の威勢のいい獅子舞には、芸者の梅枝・右近・種之助がからむ。
そしていよいよ花道から、いなせな梅玉・錦之助・又五郎らと菊之助親子が登場。和史くんは一同そろった口上では恥ずかしそうだったけど、手締めにしっかり参加。最後は客席に手を振ってました。まだ2歳だもんなあ。可愛い~

25分休憩の後はお馴染み河竹黙阿弥作「三人吉三巴白波」から大川端庚申塚の場。梅に朧月、派手な振袖姿の盗賊と、退廃的な様式美がぎゅうぎゅう詰めの演目だ。朗々とした七五調がぴったりの菊之助のお嬢、大仰過ぎるタメに思わず笑っちゃう海老蔵のお坊。この2人に比べると、松緑の和尚はちょっと迫力不足かな。
2010年歌舞伎座さよならで観た菊五郎、吉右衛門、団十郎の豪華顔合わせが懐かしく、芸の継承を実感する。いつ見ても気の毒なおとせは右近。

30分の幕間にお弁当をつつき、次は一転して重厚な鶴屋南北作「時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)」から本能寺馬盥の場、愛宕山連歌の場。こちらは2012年秀山祭で、光秀役の吉右衛門の演技を堪能した演目だ。地味な心理劇ながら、見せ場が多い。
松緑が我慢に我慢を重ねて奮闘するも、ちょっと線が細い感じ。妹・桔梗は綺麗な梅枝、妻・皐月はけっこう貫禄の時蔵、無茶過ぎる春永は團蔵。

ラストはお楽しみ、舞踊「男女(めおと)道成寺」。男女蔵ら所化によるチャリ場に続いて、金烏帽子姿の白拍子、花子(菊之助)と桜子(海老蔵)が、最初は長唄でおごそかに、桜子が狂言師左近の正体を現してからは常磐津で軽妙に踊る。
そして長唄、常磐津掛け合いの「廓尽くし」からぐっと華やかになり、男女そろってのクドキや「山尽くし」へ。美しい衣装の変化や、振出し笠、鈴太鼓などの小道具で浮き浮きさせる。客席にまかれた手拭は受け損なって残念だったけど、本当にこの2人は華があってスターだなあ。一層精進して、舞台を牽引してほしいものです。

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ベルリン・フィル ベートーヴェン「交響曲第4番」「第7番」

サントリーホール開館30周年記念事業 TDKオーケストラコンサート2016 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団来日公演 ベートーヴェン交響曲全曲演奏会 2016年5月

2018年に任期満了となる主席指揮者サー・サイモン・ラトルとのコンビで、2年半ぶり6度目の来日。台北から回ってきたというツィクルスの4日目に足を運んだ。上品な雰囲気のサントリーホール、前の方やや上手寄りのいい席で、強気の4万2000円。休憩を挟み2時間強。

メンバーからちょっと遅れてコンマスの樫本大進が登場。格好いいなあ。まずは第4番。素人だけど比較的少人編成のベーレンライター版とはいえ、自由で爽快な印象。オーボエが格好いい。
そして休憩後は人気の第7番。お馴染みの第1楽章の緩急から、行進曲風リズムと弱音が印象的な第2楽章。そして躍動感高まる第3楽章、堂々たる第4楽章へ。やや管が不調なところもあった気がするけど、うねるような音のシャワーを全身に浴びて、健康にいいなあ。
経済人や学者、同僚に会いました~

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落語「富士詣り」「鹿政談」「高砂や」「百川」

月例三三独演  2016年5月

気になっていた柳家三三の月例落語会。2005年以来110回を超えているらしい。霞ヶ関の夜景が綺麗なイイノホール、中央あたりで3400円。中入りを挟み約2時間。

適度に小さめのステージに、開幕すぐ三三が登場して、まずは「富士詣り」。長屋の連中が富士講に出掛け、天候が怪しくなったので「五戒」を懺悔しはじめ、オチは「山に酔った」「ちょうど五合目だ」。さらさらとした口調ながら、「六根清浄」の掛け声がリズミカル。
いったん引っ込んだところで遅れたお客さんが席に着き、着替えた三三が「鹿政談」。ちょうど4月の文楽「妹背山」で知ったばかりの、奈良の神鹿殺しの罪がテーマだ。鹿を死なせてしまった正直者の豆腐屋を、名奉行・根岸肥前守(「耳袋」の作者だとか)が「鹿ではない、犬だ」と機転をきかせて救う。もとは講談だそうで、馬鹿馬鹿しくも痛快だ。やりこめられる代官の「犬鹿蝶!」の滑稽さが際立ちます。

10分の休憩後、2ツ目・柳亭市童で「高砂や」。大店の婚礼で仲人をする羽目になった職人・八五郎が、隠居に謡を習い、でだしだけ豆腐売りの真似でなんとかこなすが、という「オウム」パターンだ。市馬さんの弟子とあって節回しはいい。
そして三三がもう1席。熊本地震チャリティーの手拭を案内してからお楽しみ「百川」。談春、喬太郎、一之輔と錚々たる面々で聴いたことがあるけど、三三版も負けずに愉快で、前半2席に比べ、ぐっと弾んだトーンへの切り替えが鮮やかだ。百兵衛の「ひゃっ」とか、クワイのきんとんとかで笑わせる。とはいえ田舎者ぶりがしつこくなく、河岸の若いもん、医者の造形もくっきり。巧いです!

手拭500本に並んだけど残念ながら売り切れ。三三がロビーに出て、謝りながら見送ってくれました。

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