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桂文珍「定年の夜」「旅立ち」「寝床」狂言「舟船」

桂文珍大東京独演会vol9~大好評リクエスト寄席!ネタのオートクチュール~ 2016年4月

風の強い連休の初日に文珍さんへ。駄洒落のなかに、幅広い時事ネタへの関心と皮肉を織り交ぜ、うまく力が抜けた大人の高座だ。文楽でお馴染み国立劇場小劇場の、上手寄り前の方で5000円。中入りを挟み2時間強。

入口で61席のリストを配り、聴きたい3席をアンケートし、師匠と82年入門の一番弟子・桂楽珍が登場して、「1位は老婆の休日でした」などと紹介。寄せ文字でリストを書いた垂れ幕を吊るして、客席からもリクエストを聞く。壺算と言われて粗筋を解説し、「あ、だいたいしゃべっちゃった」などと笑わせ、結局、別の6席「本日のおすすめ」を示して演目を決定。
なーんだ、と苦笑したところで、いったん引っ込み、楽珍の「島んちゅの唄」。故郷・徳之島の方言や投票率などをふってから、帰省して妻に島唄を聴かせるが、「煙草(みち節)」など大人っぽい歌詞ばかり、という話。

続いて師匠が、まず出来立てほやほやという「定年の夜」で、情報に振り回される世相を活写する。定年祝いの席なのに、妻や娘はスマホをいじってばかり。ふてて居酒屋へ行き、やはりスマホを観ていたら画面に吸い込まれ、謎の「情報の海」へ。ビッグデータやIT企業の盛衰から、どうでもいい情報について、都知事公用車問題をとりあげるワイドショーを皮肉ったり、羂索と検索をひっかけて、例えの「蜘蛛の糸」でピース又吉の芥川賞にちょっと疑問を呈したり。GPSで奥さんに居場所を突き止められるというオチ。知的だなあ。
続いてネット通販で僧侶を呼べる状況を語ってから、多死社会を描く「旅立ち」。セレモニーホールを舞台に、葬儀を一般商品のように営業する可笑しさから、採用面接へ。元文学部教授が低い声で古典の1節を暗唱して、妙に説得力があるのが笑えます。

中入り後、意外に狂言となり、大蔵流若手の茂山宗彦、逸平兄弟の「舟船」。主人と太郎冠者が、西宮に出掛ける途中、神崎の渡しで「ふな」か「ふね」かで言い争う、と、これだけの話。ゆったりとしたテンポと声の良さが素敵。
トリは再び師匠で、パワハラの話と前置きして、喬太郎で聴いたことがある古典「寝床」。さらさらと軽妙でした。

 

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文楽「妹背山婦女庭訓」

第一四二回文楽公演 2016年4月

7年ぶりに本場大阪の国立文楽劇場に遠征した。以前より席がゆったりしていい。お目当ては春日大社第六十次式年造替に合わせた、通し狂言「妹背山婦女庭訓」、特に山の段! 人形遣いの人間国宝・吉田文雀が引退しちゃうし、太夫切り場語り・咲太夫の病気休演も重なって、引き続き厳しい状況だけど、だからこそ次世代を応援する気分。中央前のほうのいい席で6000円、。

演目はお馴染み近松半二らによる時代物で、雄大な大和地方の四季を舞台に、豪傑笑いの国崩し・蘇我入鹿と藤原鎌足・淡海親子の攻防を描く。とはいえメーンは決して権力者ではなく、巻き込まれちゃう無力な人々の悲劇、というところはお約束だ。

2日に分けて、まず第二部から。二段目・四段目で構成する、休憩2回を挟み5時間の長丁場だ。鹿殺しの段から掛乞の段、万歳の段まではコミカル。鎌足の旧臣で、今は猟師の芝六(玉男)の粗末な暮らしと、匿われている天智帝(勘寿)らの高貴さとのギャップで楽しませる。
そして前半の山場、芝六忠義の段へ。英太夫・宗助がとても聴きやすい。神鹿殺しの石子詰・十三鐘の伝説をベースに、互いを思い合う芝六と賢い倅三作(玉翔)の情感が胸に迫る。弟・杉松があまりに憐れだけど。

後半はお馴染み、ジェラシー娘お三輪ちゃんの犠牲談。七夕の杉酒屋の段は、咲大夫に替わって咲甫太夫・燕三、道行恋苧環は津駒太夫以下5丁5枚を寛治、寛太郎らが締める。以下は2013年にも鑑賞した場面だ。コミカルで豪胆な鱶七上使の段の文字久太夫・清志郎は、笑いをもっと盛り上げてほしいかな。
そして姫戻りの段からクライマックス金殿の段へ。津駒太夫・団七は安定感がある。官女(玉誉ら)にいたぶられるお三輪(技巧が光る勘十郎)が、気の毒でいたたまれない。でも鱶七(豪快に玉也)に刺されてからは、淡海(クールな清十郎)への愛を貫いて犠牲になるドラマチックな展開だ。陰ですべてを操る鎌足が頼朝のような存在で、歴史の非情を象徴。庶民はただ目の前の人に真心を尽くすのみだ。常に左右に位置する玄蕃に幸助、弥藤次に玉佳。

2日目の第一部は初段、三段目を中心に、久我之助(格好いい勘十郎)と雛鳥(簑紫郎)の悲恋が語る。ちょうど千秋楽の大入りで、休憩2回で4時間半。
まず小松原の段で若い2人がひとめで恋に落ちる。腰元の下世話なけしかけぶりが可笑しい。雪が舞う蝦夷子館の段では、めどの方(文昇)の犠牲で蝦夷子(玉志)が自害するものの、息子・入鹿(玉輝)のスケールの大きい悪党ぶりが明らかになっちゃう。傲慢入鹿の金ぴか衣装がいっそ爽快。
淡海(清十郎)が忠誠を示して天智帝(勘壽)を禁裏から救い出す猿沢池の段、謀反を起こした入鹿が、大判事(玉男)と定高(和生)に味方につくようプレッシャーをかけ、帝派の決起を聞いても悠々と馬で去る太宰館の段をへて、いよいよ念願の妹山背山の段へ。

季節は華やかな春。中央に蛇行して奥行きのある吉野川、上手に大判事の館、下手に定高の館。床も異例なことに左右にあって、交互に語っていくバトル形式だ。対立する人物を視覚的に表し、なんとも豪華でダイナミックです。川を渡る雛飾りを嫁入り道具に、首になっての祝言というのは無茶なんだけど、人形ならではの表現と音楽性でカタルシスがある。
物語は大判事と定高が、それぞれ入鹿に息子の久我之助、娘の雛鳥を差し出せと迫られ、悩んだ末に死なせちゃう。親2人の意図が暗黙のうちに一致し、川を挟んで桜の枝をやり取り。領地を巡る長い対立の克服というより、邪悪な権力者・入鹿にいったんは従いかけながら、勇気を出して良心に従う印象だ。特に定高の芯の強さったら。
決断させたのは若い子世代なわけで、決して受け身でなく、宿命的な恋を貫いて死を覚悟する。ありがちな親の忠義の犠牲とかではないんですねえ。よくロミオとジュリエットに例えられるけど、未熟ゆえの暴走ではなく、抗えない時代のうねりのなかで意志を通す強さが感じられる。
床は背山が西風の勇壮バージョンで、大判事の千歳太夫、文字久太夫が飛ばしまくり、藤蔵、富助があおる。妹山が東風の華やかバージョンで、呂勢太夫、咲甫太夫、清介を、ベテラン清治がリードしていく。琴に清公。1文字ずつの割台詞など、火花散らす熱演に緊張感があって盛り上がる。ラストはちょっと絶叫調だったかな。
人形は雛鳥だけ交代して、お待ちかね簑助さんが登場。可憐で情感たっぷりだ。足はだいぶ辛そうだったけど。

幕間にラッキーにも山の段を舞台見学。ちょっと吉野川の波を動かしちゃったりして、盛りだくさんでした! ロビーでは勘十郎さんらが震災救援の募金活動も。

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アンドレア・シェニエ

アンドレア・シェニエ  2016年4月

九州で震災、関東は強い風と、落ち着かない状況だったけど、予定通り新国立劇場へ。実力派の歌手陣に、モダンで知的な演出が相まって感動を呼ぶ舞台だった。ネトレプココンサートを振った若手ヤデル・ビニャミーニ指揮、東フィル。幅広いオペラファンが集まった感じの、オペラハウス中央のいい席で2万1384円。休憩1回を挟み2時間半。

馴染みが薄かったけど、プッチーニと同時期にヴェリズモ・オペラを担ったウンベルト・ジョルダーノの1896年初演作。フランス革命の激動を背景に、実在の詩人シェニエの愛と死を描く。主要人物3人それぞれのアリアで、感情が高ぶり、ガーンと高音を張る展開がドラマチック。3人が歴史に翻弄されつつ、大人びていくさまも見応えがある。

1幕は革命勃発のころ。伯爵家の宴会に招かれたシェニエ(ウルグアイのテノール、カルロ・ヴェントレ)は、即興詩「ある日、青空を遥か遠く眺め」で愛の崇高さを説いて、令嬢マッダレーナ(ウルグアイのソプラノ、マリア・ホセシーリ)の心を奪い、同時に貴族たちの傲慢を非難する。
2幕からはジャコバン派が台頭し、どんどん不穏になっていく。伯爵家の使用人ジェラール(イタリアのバリトン、ヴィットリオ・ヴィテッリ)は革命派幹部にのし上がり、職権で恋しいマッダレーナを探索。マッダレーナはシェニエを頼り、2人は愛を誓いあう。
ジェラールはシェニエを裏切り者として起訴するものの、「祖国の敵だと?」で自責の念を吐露。マッダレーナに「死んだ母を」で真情を訴えられ、ついにシェニエの助命を決意する。裁判ではシェニエが「そう、私は兵士だった」で堂々と無実を主張するが、一方的に死刑判決が下ってしまう。
監獄でシェニエが辞世の詩「5月のある美しい一日のように」を詠じ、ともに死を覚悟したマッダレーナとの2重唱「きみのそばにいると」で、誇り高く愛を宣言して幕となる。格好いいなあ。

2013年「アイーダ」で聴いたタイトロールのヴェントレが、輝かしい声で押しまくって見事だ。ヴィテッリも深い声で、聴かせどころをきめて拍手。ホセシーリは少し絶叫ぎみのところもあったけれど、子供っぽさから終幕の崇高へと、変化に説得力がある。弦のソロや、差し挟まった「ラ・マルセイエーズ」などが印象的。脇役も生き生きしていて、シェニエの友人ルーシェに上江隼人(バリトン)、怪しい密偵に松浦健(テノール)、マッダレーナを助ける小間使いベルシに清水華澄(メゾ)ら。

2005、2010年に続く再々演で、演出・美術・照明はフランスのフィリッピ・アルロー。不安定で断頭台につながる斜めの線を多用し、革命の熱狂と残酷を容赦なく描きだす。現代のテロを思わせるほどだ。セットや衣装はシンプルな白にまとめ、建物や空などの映像を投影する手法。小太鼓にのって増殖するギロチンや、銃声と重なる花火が不気味で、複雑な回り舞台と陰影の濃いライティングが迫力満点。幕切れでは民衆がみな倒れるなか、子役のシルエットが未来を予感させてました。

客席には赤川次郎さんの姿も。

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落語「金明竹」「元犬」「締め込み」「粗忽の使者」「へっつい幽霊」

よってたかって春らくご’16 21世紀スペシャル寄席ONEDAY  2016年4月

恒例の落語会の夜の部。熊本で大きな地震があっただけに、豪華メンバーが少し抑え目に、滑稽な古典をテンポ良く聴かせた。穏やかで充実。有楽町よみうりホール2階最前列で4100円。中入りを挟み2時間。

開口一番は市馬一門の柳亭市丸で「金明竹」。27歳で目鼻立ちがはっきりしている。早口を爽やかに。
本編はまず柳家三三が、花見時分に仕事で行った目黒、上野、王子の雰囲気の差を可笑しく語り、犬の散歩も随分違う、と振ってから「元犬」。俗信で「人間に近い」と言われる白犬が、願掛けで人間になり、隠居の家に奉公する。「焙炉」と聞いてワンワン吠えちゃったり、駄洒落交じりのドタバタの挙句、女中のおもとが実はお母さんというオチ。くだらないんだけど、真っ裸のシロを拾う口入れ屋、奉公人は変人がいいという隠居の善人ぶりが、飄々としていい感じ。巧いです。
続いて三遊亭兼好。気温が上がるとビールが売れるといった豆知識に続けて、「38度を超えると半島は戦争」とピリッとした笑いから「締め込み」。前に三三で聴いた空き巣噺。長屋で戸締りもしないし、喧嘩を泥棒に止められて酒をふるまっちゃう夫婦の大らかさをトントンと。泥棒も人が良くて、酔って寝込んでしまい、「そろそろ寝るか、表から心張りをかけておけ」。メリハリが利いていて、40代とも思えない安定感です。

中入り後は柳亭市馬。うっかりと言えば師匠5代目小さんが、上野に行くはずが池袋で寄席を務めてしまい、それでも客は怒らず、いい時代だった、というマクラから「粗忽の使者」。大工「留っこ」中心に短くしていて、1月の談春ほど爆笑ではないけれど、いつもの少しのんびりした語り口が剽軽で心地いい。歌は無くて残念。
トリは待ってました柳家喬太郎。紫の着物が舞台と似ていて、いきなり「すいません、全体に同系色で」、昼の部から聴いている人がけっこういて、「馬鹿じゃないの…言い過ぎました!」と、さすがのトボケぶり。フランスの民家でカラバッジョ作品発見というニュースを聞き、カルパッチョ?と思った、フランス人も片付けてないんだなあ、案外お宝ってあるものだけど、自分にとっては大師匠の5代目小さんが、勘違いを謝った留守録テープが一番のお宝、といつになくシミジミさせて、「へっつい幽霊」。
談志、談春で聴いて重いイメージがあったけど、そこは喬太郎。軽やかに、かつ人物像はくっきりしている。前段で客が幽霊を怖がるさまと、全く動じない遊び人がいい対比だ。特に勘当された若旦那の頼りなさ、いい加減さが秀逸。へっついに隠してあった金を折半しようという遊び人に、出てきた幽霊が「そんなに持ってくの?(主催の)夢空間?」と叫んで笑わせる。オチは博打好きの幽霊が勝負したがり、「大丈夫、足は出しません」。お見事でした。

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アルカディア

シス・カンパニー公演 アルカディア  2016年4月

映画「恋に落ちたシェイクスピア」の脚本などで知られ、ナイトの称号を持つトム・ストッパードの1993初演作。小田島恒志翻訳、栗山民也演出という「海をゆく者」コンビで。
ききしにまさる複雑さで、英国庭園史やらカオス理論やらエントロピーの法則やら、知識をぎっしり詰め込み、おまけに現代と19世紀を行き来しちゃう。随所に笑いがあって洒脱なんだけど、イメージの断片が絡み合って、もう頭がパンク。感動するには難しすぎたかなあ。代表作ながら日本初演というのも、分かる気がする。ミュージカルファンが集まった感じのBunkamuraシアターコクーン、中央いい席で強気の1万1000円。休憩を挟み約3時間。

英国の荘園シドリー・パークの瀟洒な居間という同じ場所で、19世紀と現代のシーンを交互に展開していく。軸になるのは、舞台上には登場しない詩人バイロンと、バイロンばりの色男ふたりだ。19世紀側はバイロンが荘園に逗留中という設定で、飄々とした家庭教師セプティマス(井上芳雄)が、可憐な天才少女トマシナ(趣里)らを翻弄する。
一方の現代側では、野心家の研究者バーナード(堤真一)がバイロンにまつわる新事実を発掘して、名を上げようと躍起。荘園の庵にいた「隠遁者」について調べている作家ハンナ(寺島しのぶ)らと、激論を戦わす。

果たして隠遁者とは?バイロンの放浪の真相は明らかになるのか?という謎解きで引っ張りつつ、今も昔も人は、間違っても後戻りできない、でも、だからこそ青春の切ない恋心が輝きを放つ、ということを描いていく。19世紀と現代の登場人物が次第に重なっていく趣向が面白い。時代を超えて視線があう何とも言えない繊細さ、同じワルツで踊るダンスの美しさ。
アルカディアとは理想郷のことだけど、17世紀の絵画には「どんな理想郷にも死は存在する」と描いているのだとか。深いです。

登場人物が多くて、観ていて焦点が絞りにくかったけど、キャストでは19世紀側の趣里ちゃんが、可愛く、はきはきして光ってた。水谷豊・伊藤蘭夫妻の娘さんですね。楽しみ~ 井上、伯爵夫人の神野三鈴も安定感。
現代側では寺島が落ち着いていて良かった。この人、実はマニッシュな雰囲気のほうが似合うかも。ほかに迫田孝也、山中崇、浦井健治ら。

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イニシュマン島のビリー

イニシュマン島のビリー   2016年4月

2014年「ロンサム・ウエスト」が見ごたえあったイギリス育ちのアイルランド人、マーティン・マクドナーの1996年初演作。目黒条の翻訳、やはり14年に観た「ビッグ・フェラー」が重厚だった森新太郎の洒落た演出で。荒涼たる離島に生きる閉塞と、それでも精一杯希望を掴もうとする若者の思いを、笑いに包んだ佳作だ。世田谷パブリックシアター、前の方で8500円。休憩を挟み約3時間。

1934年、アイルランド西方に位置するアラン諸島。生まれつき体が不自由な孤児ビリー(古川雄輝)は、小さい食料品店を営む老姉妹(平田敦子、峯村リエ)と静かに暮らす。しかしゴシップを喋り倒して歩くジョニーパティーンマイク(山西惇)から、近くの島にハリウッドのロケ隊が滞在すると聞き、素行の悪いヘレン(鈴木杏)、ちょっと足りないバートリー(柄本時生)の幼なじみ姉弟と、純朴なバビーボビー(小林正寛)のボートで島を抜け出し、ロケに加わろうと企む。

貧しく愚かで、イギリスによる抑圧とか辛いことがいっぱいある暮らしだけど、決して陰鬱ではなく、笑えるシーンも多い。まるで「じゃりん子チエ」。立場は明らかに弱者なのに、タフで、個性的な近隣の人々が、どこか懐かしく魅力的だ。自虐的な「アイルランドも悪くない」などなど、セリフに繰り返しが多く、しかもたっぷり間をとって語るので、お伽噺を朗読するようにリズミカルだ。

俳優陣も粒ぞろい。古川がなかなか達者に、主人公の繊細さを表現し、対する鈴木が、卵の演技などいつも以上に振り切れていて、生き生きとチャーミングだ。巧いなあ。もちろん柄本、山西ははまり役。そして何といっても、平田と峯村! 並んでカウンターに立つだけで、外国アニメのようなキャラが存在感抜群だ。医師マクシャーリーの藤木孝、90歳なのにアル中のジョニーの母、江波杏子が抑え気味に見えちゃうほど。

食料品店、海岸、ジョニーの家などシンプルなセットを、回り舞台で切り替えていく。それぞれのセットに、登場人物が無言でたたずんでいる映画のようなシーンや、皆が横一列でドキュメンタリー「アラン諸島の人間」を観るシーンに哀愁があって印象的だ。美術は堀尾幸男。

事前に知らなかったんだけど、終演後に山西さん、時生さんのトークショーがあり、ハプニングの暴露談などたっぷり聞けてお得でした。客席になんと柄本明夫妻の姿があり、微笑ましかった~

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METライブビューイング「マノン・レスコー」

METライブビューイング2015―16第7作「マノン・レスコー」  2016年4月

今シーズン2作に登場、ポスターにも抜擢されたタイトロールのクリスティーヌ・オポライス(ラトヴィアのソプラノ)が気になり、花見の前にいつもの新宿ピカデリー最後列へ。2015年新国立劇場で観た、プッチーニの出世作だ。指揮のファビオ・ルイージが、ネトレプコリサイタルでも演奏された間奏曲など、甘く映像的な旋律をたっぷりと。2回の休憩を挟み、3時間強で3600円。

オポライスはプッチーニに定評があるとのことで、確かにきめ細やかで安定感がある。美目麗しく、足は抜群に綺麗だけど、運命の美少女というには落ち着いた造形かな。
むしろ鳴り物入りだったデ・グリューのカウフマンが降板し、代役を引き受けたお馴染みロベルト・アラーニャが、どんどん飛ばして圧巻。流刑地の荒野にまでついて行っちゃう、あまりに一途かつ気の毒な振り回されっぷりが、はまってました。カウフマンだとストーカーっぽくなったかも…
アラーニャはなんとロールデビューで、1日12時間の特訓2週間で仕上げたとか。観客も心得ているらしく、カーテンコールの拍手が一番大きかった感じ。スターだなあ。
兄レスコーは大柄だけど、柔らかい印象のマッシモ・カヴァレッティ(イタリアのバリトン)、銀行家ジェロントは軽妙なブランドリー・シェラット(イギリスのバス)。

リチャード・エアの新演出は、1940年代ナチ占領下のパリという設定だ。幕間のゲルブ総裁のインタビューでは、衣装をシンプルにして歌手に焦点を絞るのが狙いだ、と説明してました。天井の高さを生かした2幕の長い階段、3幕の2階建て護送船がダイナミックだし、マノンが宝石に執着して逃げ遅れるシーンがリアルです。上演は3月5日。

案内役はデボラ・ヴォイト。ゲルブが来シーズンのラインナップを紹介して、オープニング「トリスタンとイゾルデ」のニーナ・ステンメを「あなたの後継者」と紹介してましたね。それにしても、リンカーンセンター50周年を意識したラインアップらしいですが、いきなり重量級のトリスタンとは意外。
他に「ロベルト・デヴェリュー」の稽古場インタビューで、ガランチャとポレンザーニ、演出のマクヴィガーが登場。衣装部の紹介も。

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