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イェヌーファ

イェヌーファ   2016年2月

新国立劇場2015-2016シーズンの中でも、話題の新制作に足を運んだ。「1Q84」で知られるレオシュ・ヤナーチェクのチェコ民族オペラ。プログラムによると、国内の舞台上演は5回目という馴染みの薄い作品だけに、ちょっと身構えていたのだけど、温かい旋律と庶民の愛憎劇の普遍性、洒落た演出に感動しました! チェコ出身のトマーシュ・ハヌス指揮で東響。新国立劇場オペラハウス、2階中央の前の方で2万4300円。休憩2回を含め約3時間。

閉鎖的な村のある夏の日。娘イェヌーファ(ドイツのソプラノ、ミヒャエラ・カウネ)は裕福で軽薄なシュテヴァ(イタリアのテノール、ジャンルカ・ザンピエーリ)と付き合っているが、一途にイェヌーファを思う粗野なラツァ(テノールのヴィル・ハルトマン)に、美しい頬を傷つけられてしまう。冬にはシュテヴァは心変わりしており、イェヌーファはひっそりと彼の子を出産。継母コステルニチカ(アメリカのメゾ、ジェニファー・ラーモア)はシュテヴァが村長の娘と婚約したと知って、娘の評判を傷つけまいとするあまり、赤ん坊を亡きものとする。女2人それぞれの切々たるアリアが聞かせます。そして春。悲劇が白日の下にさらされた後、イェヌーファは悲痛を噛みしめつつ、真実の愛にたどり着く。幕切れ、ラツァとの2重唱が美しい。
ベタなメロドラマ風だけど、登場人物誰もが抱えている罪が哀しい。嬰児殺しはもちろん、考え無しの妊娠も、女性への暴力や裏切りも、そしてとっくに成人した子に対する親の抑圧や甘やかしも。

故郷モラヴィアの民謡を取り入れ、チェコ語の抑揚を大切にしたというメロディーは、耳に心地よい。2階席でオケが良く見えたせいもあり、大活躍のヴァイオリンのソロやハープ、打楽器が歌とよくシンクロ。
歌手陣が高水準で、なかでも実は誠実な男を演じるザンピエーリが、声が良く響いて切なさに説得力がある。タイトロールのカウネは、真っ赤なドレスの恋する娘から、静かに子を思う母、すべてを諦めた大人の花嫁へと、変化するさまが表現豊か。序盤から重苦しさを体現するラーモアも、難しい役どころだと思うけど、達者だ。

鬼才クリストフ・ロイ演出のプロダクションは、ベルリン・ドイツ・オペラの2012年初演版。いかにもドイツっぽくて、緻密でいい。セットは無機質な白い箱で、当初は狭く、全体が独房にいるコステルニチカの回想だと思わせる。
シーンに合わせて、壁が静かに静かに横に広がったり、後方が開いて金色の草原や雪と氷の世界が現れたり。窓から差し込む光など、最小限の道具立てで端的に状況を伝えていく。赤ん坊の死を聞かされ、イェヌーファが鍵を取り落とす演出や、ラストの不透明な未来へ手を携えて踏み出すシーンが余韻を残す。

関係者レセプションがあったらしく、客席には飯守芸術監督らしき姿も。

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落語「火焔太鼓」「天狗裁き」「らくだ」

COREDO落語会第五回  2016年2月

2014年の初回から久しぶりに、山本益博プロデュースの落語会に足を運んだ。シュールで高水準の高座が並んだなかでも、笑福亭鶴瓶の1時間強の大ネタ「らくだ」が圧巻! 観て良かったです。COREDO室町1・日本橋三井ホールの中央上手寄りで5000円。中入りを挟み2時間半。

まず益博さんがあいさつで、めくりの寄席文字をちょっと解説して、1席目は橘家圓太郎。初めて観たけど、小朝さんの弟子ですね。電車内の老夫婦、五郎丸をゲンゴロウと言い間違える妻と、指摘を我慢する夫というコミカルなマクラから「火焔太鼓」。商売下手の道具屋・甚兵衛がお武家に持ち込んだ古太鼓が、なんと300両で売れ、いつもやりこめていた女房も仰天する。今度は半鐘だ、と張り切る甚兵衛に、「おジャンになるよ」というサゲ。
思わぬ大金を目にして悶絶するだけのような噺だけど、「惚れてるか惚れてないか」とこだわる夫婦が微笑ましく、古典らしい語り口がいい。

続いて柳家花緑。しばらく見ない間に、髪形が七三からトンガリに変わっていてびっくり。昨年の舞台で兵士を演じるため五分刈りにしたら、祖父に似てきたと言われる、舞台はアウェーで緊張する、不安で出とちる夢を観た、とちったのはネズミの着ぐるみの桂米朝に驚いたから、その米朝に稽古をつけてもらって「好きにやりなはれ」とだけ言われたネタ、と振って「天狗裁き」。
八五郎が寝言を言うので、女房がどんな夢だったか尋ね、夢なんか見てないと答えて喧嘩になる。仲裁に入った幼馴染の男も、大家も知りたがって、話さないなら長屋を出ていけ、となり、揉め事はお白洲へ。奉行まで夢を尋ねて、答えないと松の木に吊るしちゃう。突風にあおられて高尾山まで飛ばされ、ついに天狗に問い詰められる。首を絞められ苦しむところで目が覚め、女房が「うなされてたけど、どんな夢?」。
夢は見てないと繰り返すだけの噺だけど、あっさりとテンポがよく、次々登場する人物の演じ分けがクリアだ。

短い中入り後、客電を落とし、釈台を置いて出てきた鶴瓶が、マクラ無しでいきなり「らくだ」。冒頭、兄貴分がふぐ毒にあたったらくだを見つけ、「どぶされくさって」「ごねてけつかる」とつぶやく関西弁で、一気に引き込まれた。低くドスの効いたセリフが、尋常でない無法者ぶりを実感させる。葬礼(そうれん)をととのえるべく、通りかかった気の弱い屑屋が命じられて月番に香典を、次いで大家に酒肴をせびりに行き、死人を背負って「かんかんのう」を踊る羽目に。
漬物屋で樽までせしめ、一息ついて酒を呑むと一気に形成逆転。屑屋が酔って身の上を語り、急に強気になって兄貴分に命令。剃刀を借りてこさせて、らくだの頭を剃り、樽をかついで千日前の火屋まで運んでいく。部屋を出ようとして、知らんぷりを決め込む長屋を眺め、人間って哀しなあ、とわめくシーンの強烈な無常感が素晴らしい。
それから「葬礼や葬礼や」と呼ばわって歩き、商家に因縁をふっかけたりする間に樽の底が抜け、橋のたもとで酔いつぶれていた願人坊主を拾っちゃう。間違えて焼かれかけた坊主が「ここはどこ」「火屋だ」「冷やでいいからもう一杯」。鶴瓶バージョンは続きがあって、らくだが息を吹き返し、足をひきずりつつ帰ってきちゃう2段サゲでした。
とにかく立派な人が一人もでてこない人物造形が見事だ。生前「家賃って何」とうそぶいていたらくだ、その死を喜ぶ近所の人々、床を踏み鳴らして凄む兄貴分。そして何より屑屋だ。前半、散々な目に遭うので、聴衆がうっかり感情移入していたら、酒と博打で女房を死なせたと告白しだしちゃう。
鶴瓶は笑いのなかに絶妙の間を挟み、それぞれのダメ人間ぶりと、暗く凄惨なシーンをじっくり描く。恐らくマスメディアでは不可能な、古典かつパフォーミングアーツならではの表現だ。
志ん朝、談志が絶賛した師匠・松鶴の十八番だそうで、しびれる噺だろうけど、説得力十分。恩師や母の思い出で泣かせるだけでなく、こういう伝承があるから落語は面白い。益博さんのリクエストで聴けてラッキーでした~

「夜、さよなら」「夜が明けないまま、朝」「Kと真夜中のほとりで」

マームとジプシー「夜、さよなら」「夜が明けないまま、朝」「Kと真夜中のほとりで」  2016年2月

昨年の「COCOON」再演が鮮烈だった藤田貴大の作・演出。蜷川幸雄をテーマに、競作も予定していた「蜷の綿」が延期となり、急遽、過去作を再構築して上演。若者が個人的体験をずうっと考え続け、やがて町を出て行こう、と決意する。お馴染みの「女子」満載・藤田節の原型を観る感じだ。彩の国さいたま芸術劇場小ホール。自由席で、ステージ3方を囲んだ上手寄り上の方、3800円。休憩無しの約2時間。

3作は同じ、故郷の町で過ごす若い男女の、ある眠れない1夜を描いている。10年前に行方不明となったひとりの少女のことを、兄(切なく尾野島慎太朗)や級友たち(成田亜佑美、吉田聡子ら)がそれぞれに思い出し、独特のダンスや組体操にのせて、繰り返し繰り返し語る。1985年生まれの藤田が20代に書いた作品で、初演は2006年、2009年、2011年だそうだ。
寂しい街頭といったわずかな映像と、ベンチ、ちゃぶ台などのシンプルなセットだけで、静かな黒いステージに夜の深さが漂う。俳優の衣装も黒ずくめ(ステージでの着替えも)。遠くを走っていく列車の明かりや、ラストの倒した壁に映し出される宿命の水面が、喪失感をかきたてて、ぐっとくる。照明が細やかだ。

感傷過多は織り込み済みとしても、終盤のリフレインは、意図的なんだろうけど、さすがに長くてちょっと辟易。しかし大詰め、湖のほとりに集まった仲間たちの前で、ついに白んでいく空と、深い悔恨を胸にしまい、幼い子の手をひいて旅立つ「さえ」が、明日を予感させる。

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逆鱗

NODA・MAP第20回公演「逆鱗」  2016年2月

野田秀樹作・演出。お洒落なタッチのなかに、タイトル通り、時代状況に対する作家の強い怒りが溢れる。松たか子ら手練れのキャストが確かな説得力だ。立ち見も多い東京芸術劇場プレイハウス、後ろの方だけど見やすい中央あたりで9800円。休憩無しの2時間強。

舞台は海上水族館。足元の海底に棲むという「人魚」(松)を手に入れようと、一途な潜水夫たち(阿部サダヲ、満島真之介)と、巻き込まれる気のいい電報配達人(瑛太)、何か企んでいそうな水族館長(池田成志)と娘(井上真央)、人魚学者(野田秀樹)、さらに一切を見つめている人魚の母(銀粉蝶)が入り乱れ、ドタバタを繰り広げる。やがて明らかになる、意外な人魚の正体。

前段はファンタジータッチで賑やかだ。フワフワ衣装のアンサンブルの美しい動きと印象的な装置で、テンポよくシーンを展開していく。お馴染みコミカルな言葉遊び、アナグラムも、俳優陣が区切って発声してわかりやすい。
届かない電報、魚、アンデルセンや比丘尼等々、おもちゃ箱ひっくり返したように膨大な情報を楽しんでいたら、後段で重い主題をぐいっと突きつけられる。この飛躍、まさに演劇かも。
2013年「MIWA」、2012年「エッグ」と共通する問題意識だけど、メッセージはよりストレートだ。歴史に押しつぶされる者の悲哀、当事者意識が薄いまま、お祭り騒ぎに飲まれていく大衆というものの深い罪。大詰めのリフレインで緊張が途切れちゃうけど、この破綻は長崎出身、還暦を迎えた作家の危機感ゆえか。

美術(堀尾幸男)が幻惑的。広い舞台の後方に坂を設け、不思議な半透明の衝立、丸パネル(新素材だそうです)に映像、照明を駆使。特に幕切れの、照明とシャボン玉で表現する海面の遠さ、何とも言えない息苦しさと命への希求が胸を締め付ける。

ひとり異質な存在の松が、凛とした声とダンスで際立ち、阿部はいつも通り切なさを体現。井上がなかなかの色気を発揮する。いつもほど、野田が突出して見えないのは、俳優陣が高水準だからだろう。

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歌舞伎「ひらかな盛衰記」「籠釣瓶花街酔醒」

二月大歌舞伎 夜の部  2016年2月

日程が合わずに諦めていた、2月の歌舞伎座。予習もしたし、どうしても評判の「籠釣瓶」を体験したくて、予定と予定の合間に何とか2演目まで観劇した。「お父さんそっくり」「待ってました」など、いつになく大向こうも多彩で盛り上がる。前の方、中央のいい席で1万8000円。30分の休憩を挟み3時間半。

お目当ての「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」は、確かに彫の深い舞台。享保年間の「吉原百人斬り」事件を元にした、三世河竹新七の作だ。明治21年初演とあって、社会システムにからめとられ、虐げられた者の不条理感が現代的味わい。
なにしろ序幕、吉原中之町見染の場、通称「見染め」から、いったん場内が真っ暗になって、ぱあっと遊郭が立ち現れる鮮やかな演出だ。落語の登場人物のような田舎者・次郎左衛門(極め付け吉右衛門)が心奪われる、夢の世界。さらに花魁道中の艶やかなこと。八ツ橋(少し丸顔の尾上菊之助が美しい)は意表をついて、花道ではなくセット裏から現れる。引っ込みで次郎左衛門に投げかけるたっぷりと思わせぶりの笑みは、確信犯か花魁のサガか。

二幕目立花屋見世先の場、大音寺前浪宅の場で、恋人・栄之丞(崩れた二枚目がぴったりの菊五郎)に猜疑が芽生えて、三幕目兵庫屋二階遣手部屋の場では、すっかり常連になった次郎左衛門が、いい気分で地元の友人を連れてくるのが、その後の暗転を知る観客の目に悲しく映る。
廻し部屋の場で栄之丞が八ツ橋を追い詰め、ついに八ツ橋部屋縁切りの場で名ゼリフの応酬へ。胡弓の哀調をバックにした八ツ橋の、苦しくも毅然とした「間夫でござんす」、そして次郎左衛門の「花魁、そりゃあんまりそでなかろうぜ」の絞り出すような切なさ。気遣う九重は上品な梅枝。
大詰、立花屋二階の場は数カ月恨みを蓄積した次郎左衛門が、妖刀籠釣瓶で八ツ橋を一太刀に切り下げ、下女も犠牲に。刀は床の間に置き、とどめは刺さない様式的なスタイルだが、じっと抜き身に見入る不気味なシーンで幕となる。

吉右衛門は陽気というより気のいい雰囲気で、哀れさが際立つ。その大先輩を向こうに回し、ひどい仕打ちをしちゃう菊之助が、煙管を落とすシーンから幕切れの見事なエビぞりまで、華やか、かつ凛と男前の造形。なかなかの存在感です。もっとも、この屈折したストーリーでは、むしろ愚かな女という考え方もある気はした。

「籠釣瓶」に先立つ演目は「ひらかな盛衰記」から、木曽義仲討伐戦・宇治川の先陣争いを踏まえた「源太勘当」。2009年に文楽で観た時と同じで、どうも地味な印象だなあ。
わがまま次男坊の梶原平次景高(錦之助)は、仮病をつかって出陣をさぼり、兄の恋人で腰元の千鳥(孝太郎)を口説く。憎たらしいけどコミカル。そこへ花を飾った烏帽子姿という伊達男の兄・梶原源太景季(梅玉)が帰館し、母・延寿(重厚に秀太郎)も加わって「先人問答」に。実は恩ある佐々木高綱に先陣の巧名を譲ってしまったという。
切腹を覚悟する源太を、延寿は涙を飲んで「阿呆払い」=勘当にして命を救う。源太は荒縄帯のやつし姿となり、母の餞別の甲冑=千鳥と共に西国へ旅立つ。文楽の首に「源太」があるほどの代表的2枚目だから、落差が生きるわけですね。梅玉・孝太郎コンビは手堅いんだけど、生真面目過ぎるかな~

歌舞伎座は地下にお雛さまが飾られ、すっかり早春の雰囲気でした。

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同じ夢

同じ夢  2016年2月

作・演出は2014年「風の吹く夢」が良かった赤堀雅秋。幅広い層の観客が入り、立ち見も多いシアタートラムの、中央あたりの席で6300円。このくらいのサイズの劇場が、戯曲の雰囲気に合っていると思う。
言ってしまえば平凡な庶民の一日なのだが、手練れの俳優が揃い、しかもそれぞれにはまり役。ゆったりしたテンポで、細かい視線の絡み合いから、ぱっとしない、でも愛すべき大人たちの心の揺れがしみじみと伝わってくる。休憩無しの約2時間。

商店街にある精肉店。ごたごたしたDKとリビングのワンセットで、神経質な2代目店主(光石研)と近隣の文房具店主人(田中哲司)、店員(赤堀雅秋)、亡くなった妻の事故当事者(大森南朋)という「さえないボーイズ」に、寝たきりの父を世話するヘルパー(大好きな麻生久美子)、娘(健気な木下あかり)がからむ。
登場人物それぞれが抱える屈託が、解決するわけではない。老親介護の辛さとか、取り返しのつかない過去の罪とか、成就しない淡い恋とか。それでも随所に力が抜けちゃうような笑い、愛嬌が散りばめられ、ちっとも息苦しくない。
中年男たちが換気扇のそばに並んで、タバコを吸いながら歌う「いつでも夢を」(名曲!)の、やけくそ気味の切なさ。そして一人ひとりがさえないなりに、何かを振り切っていくということ。手癖の悪いダメ男の赤堀が、土壇場でものすごく役に立つシーンでは、思わず拍手したい気分になる。悩み多き人生を象徴するような、靴下の伏線も効いてます。

俳優陣はみな、期待通りの自在な演技だ。個人的にちょっと苦手な大森が、今回は飄々としてとてもいいし、昨年「RED」で観ごたえがあった田中哲司も、なかなかの色気。
客席にはなんと加賀まりこ、秋山菜津子らしき姿も。赤堀さん、人気ですねえ。

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トーテム

ダイハツトーテム東京公演  2016年2月

5回目のシルク・ドゥ・ソレイユ、2月から始まった日本公演「トーテム」に足を運んだ。脚本・演出ロベール・ルパージュ。家族連れなどでいっぱいのお台場ビッグトップ、SS席で1万3500円。浮き浮きとボールペンなどグッズ3300円を買い、フェイスブックと連動した写真を撮り、ビールとポップコーンなどつまみ3000円を抱えて席に着く。30分の休憩にアイス600円をぱくついて、合計2時間半。
以下、ネタバレを含みます。

進化がテーマで、海から始まり宇宙へと至る。タイトルになっているトーテムポールは種の積み重なり、そして垂直の芸術であるサーカスを表しているとか。でも、あまりストーリー性はクリアではなく、大掛かりな装置もなくて、力技を見せる構成だ。これは最近の傾向通りかな。

なかでも中国娘たちが高さ2メートルの一輪車を操り、金属のボウルをジャグリングするユニサイクル・ウィズ・ボウルが可愛い。蛙たちが活躍するオープニングのカラペース(甲羅)は、トランポリンと鉄棒が組み合わさって緻密。吊り輪のリングス・トリオは鍛え上げたアメリカ、チェコのパフォーマーが格好良く、空中ブランコのラブ・バーズ(フィックス・トラピス・デュオ)はフランスやカナダの若い恋人たちが微笑ましい。ラストは弾力のある板を使ってロシアや中央アジア、モンゴルの達人たちが自在に飛ぶ、びっくりのロシアン・バーでした。

演出はルパージュらしく、ステージ後方の丘に、人の動きと連動するプロジェクションマッピングを投影して、ダイナミックに海や火山を表現。ブリッジが人を乗せてせり出したり、爬虫類のように立ち上がる。合間にクラウンが五郎丸の物まねをするサービスもあって、相変わらず楽しい。

終演後、特別にバックステージツアーに参加。メークしたままのパフォーマーが過ごしているトレーニングエリアや衣装工房、ランドリー、旧正月の飾りつけをしたキッチンなどを見学できて楽しかった! 帰り道の夜景も綺麗でした~

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文楽「靭猿」「信州川中島合戦」「桜鍔恨鮫鞘」「関取千両幟」

第一九四回文楽公演 第一部 第二部  2016年2月

2日連続で足を運んだ国立劇場小劇場。人間国宝に指定されたばかりの8代目豊竹嶋大夫引退公演とあって、掛け声が多くて盛り上がる。充実した人形陣、若手台頭の三味線陣に支えられ、咲甫大夫、文字久大夫が奮起した感じだ。3部制の1、2部を連続で計6時間は、さすがに疲れたけど。それぞれ前の方、やや下手寄りのいい席で5900円。

幕開けは申年にちなんだ、松羽目の明るい舞踊「靭猿」。もとは近松門左衛門作品の劇中劇だそうです。2014年に歌舞伎の三津五郎さん復活公演で観た演目で、感慨深い。
大名が猿曳を見かけ、靭(矢を携帯する容器)に皮を所望するが、健気な猿の芸を観て諦め、皆でめでたく舞う。床は竹本三輪大夫以下、鶴澤清友以下5丁5枚。人形は大名が文司、猿曳が勘壽。蓑次の猿の仕草が、コミカルで可愛い。

ランチ休憩の後、近松69歳の作「信州川中島合戦」。なんとかして武田方の軍師・山本勘介を獲得しようとする上杉輝虎(後の謙信)と、家臣や家族のせめぎ合いが重厚な時代物だ。
プログラムの解説によると、原作の姿が残っている作だそうで、特に後段は昭和48年復活以来、引退したキング住大夫しか手掛けなかったという。確かに古風だし、大詰めは動きが少ないけど、そこまでの輝虎、越路のせめぎ合いはダイナミックで意外に面白かった。

まず輝虎配膳の段は、奥の咲甫大夫、清介が朗々と。輝虎(玉也)と執権・直江山城守(大河ドラマになった兼続ですね。幸助さんが格好良く)は、勘介を口説く目的で、直江の妻・唐衣(一輔)が勘介の妹という縁を利用。勘介の老母・越路(和生)と妻・お勝(簑二郎)を居城に招く。
輝虎自ら烏帽子姿で給仕する奇手に出るものの、気が強い越路がきっぱり拒絶し、短気な輝虎が刀を抜く事態に。言葉の不自由なお勝が、必死に琴にのせて宥める。ドラマチックです。琴は清公。

続く直江屋敷の段は文字久大夫、藤蔵が好調で嬉しい。母急病というお勝の手紙に、勘介(堂々と玉男)が駆けつけるが、真っ赤な嘘。勘介が激怒するものの、実は手紙は唐衣の偽装。共に体に不自由を抱える悲しい夫婦は、やがて互いを思いやる。
唐衣とお勝が対決していると、越路がなんと刀の上に身を投げ出す。このへんから時代物お約束の、怒涛の無茶な展開に。ことを収めようと、自らを犠牲にした越路に感銘した輝虎、勘介が髪を落とし、さらに輝虎が「武田に塩を送る」と宣言して、幕となりました。

30分の入れ替えを挟んで、第二部はまず世話物「桜鍔恨鮫鞘(さくらつばうらみのさめざや)」から鰻谷の段。東京では45年ぶりだとか。縁切り物で、地味なんだけど、切の咲大夫、燕三が哀感たっぷりで、さすがの説得力だ。
女房・お妻(勘十郎さんが、昨日とうって変わって色っぽく)と母(簑一郎)は、夫・古手屋八郎兵衛(和生が手堅い)のため金を工面すべく、こともあろうに八郎兵衛を縁切りして香具屋弥兵衛(いやらしく勘市)を、持参金付で婿に迎えようとする。そうとは知らない八郎兵衛は、屈辱と娘・お半(玉誉がなかなかきめ細かい演技)を追い出す仕打ちに激高し、お妻と母を斬ってしまう。幼いお半が、無筆のお妻から託された書き置きを語るところが悲しい。

短い休憩後、いよいよ引退披露狂言の「関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり)」となる。まず床に嶋大夫と寛治が並び、呂勢大夫が「心細い限り」と挨拶してから、猪名川内より相撲場の段。2013年に呂勢さんらで聴いた娯楽作だ。

嶋大夫は女房おとわ一役をしみじみと。引退にしては出番が少なく、物足りないけれど、英大夫、津国大夫、呂勢大夫、始大夫、睦大夫、芳穂大夫と大勢の一門が、入れ替わり立ち代わり登場して華やかだ。
お話は夫婦もの。人気力士の猪名川(一部に続いて玉男)が200両の工面を迫られるところへ、ライバル鉄ケ嶽(文司)から「魚心あれば水心」と八百長をもちかけられて悩む。おとわ(待ってました、簑助)が髪を梳くシーンと、クドキが情愛深い。胡弓は錦吾。
いったん床が寛太郎くん一人となり、呂勢さんの紹介で、寛治さんの家伝統の櫓太鼓曲弾きを披露。コミカルでアクロバティックなパフォーマンスに加え、よく通る掛け声が頼もしいぞ!

セットが変わり、大詰め取り組みの三味線は宗助。なんと鉄ケ嶽が琴バウアーが披露する大サービス! 「200両進上」の声に、猪名川は無事勝ちを納めるが、そのために身を売ったおとわが駕籠で去っていく。嶋大夫さんが深々と頭を下げて幕を閉じました。いや~、盛りだくさんでした。

文楽「義経千本桜」

第一九四回文楽公演 第三部  2016年2月

3部制の初日に足を運んだ。悲劇の武将、平知盛を桐竹勘十郎さんが遣う。ちょっと空席がある国立劇場小劇場の、中央あたりで5900円。休憩を挟んで3時間弱。

お馴染み義経千本桜からまず二段目、動きがあって迫力満点の渡海屋・大物浦の段。知盛を現・玉男で観た豪快な印象が強いけど、勘十郎さんも庶民の銀平から白い鎧姿に変わって登場するシーンとか、品があって格好いい。白柄の長刀をぶんぶん振り回し、でかい碇を持ち上げ、ためにためた団七走り、そしてもちろんラストの入水! つくづく体力のいる役だなあ。
対照的に典侍局の豊松清十郎はクールで、抑制が効き過ぎと思えるほど。きらびやかな衣装に変わってから、覚悟を決め、舞台いっぱいに白い布を敷いて海へ向かうシーンが悲しくも美しい。ほかに安徳天皇が勘次郎、相模五郎が玉佳、義経が玉輝。
床は靖太夫・宗助、睦大夫・錦糸、千歳大夫・富助のリレーだ。途中、激しい波音などでは御簾裏からの三味線合奏が3回入る。みな声はよく出ていたけれど、能「船弁慶」の詞章を引用するなど、格調高い曲だけに、もっと味わいが欲しい、と思っちゃいました。

休憩後は四段目、踊りの道行初音旅。通称吉野山ですね。紅白の幕が落ちると桜いっぱいで、前段からがらりと変わって華やかだ。床は竹澤団七、鶴澤清志郎以下5丁の太棹三味線が並んでリズミカル。大夫も津駒大夫、芳穂大夫以下5枚。
人形は静御前が文昇、忠信、実は源九郎狐は白髪の勘彌。狐が犬みたいに耳の後ろを掻いていたかと思うと、遣い手の衣装も忠信に早替りして、桜の後ろからドーンと登場。鼓と鎧で義経を思い、雁と燕の舞、軍物語、そしてかなりのスピードでの扇投げ渡しと、趣向が多い。旅装に戻って幕となりました。

夫婦

ハイバイ「夫婦」  2016年2月

岩井秀人作・演出の劇団ハイバイ公演。2014年の「おとこたち」からまた、「自分」に焦点が絞られた感じか。若者が通路までぎっしりの、東京芸術劇場シアターイースト。後ろの方だけど見やすい、下手寄りの席で3500円。休憩無しの約2時間。

妻子に無茶な理屈を並べ立て、暴力を振るう横暴な父が、とにかく強烈。母とは長く不仲だったが、年老い、病を得て、関係が変化していく。家族という重荷からの逃げ場のなさ、長い時間をかけてたどり着く和解というものを、自在に時を行き来しつつ、じっくりと描く。

80歳だった実父の死を題材にしたという。外科医でありながら、医療過誤のようなかたちで人生を閉じる皮肉。いつもながら向田邦子を思わせる、半径3メートルの出来事の羅列なんだけど、笑いも多く、決して息苦しくない。BSテレビの契約が、引きこもり脱出の契機になるといった、エピソードがいちいちリアルだ。

装置は不揃いな椅子、テーブルを一見、無作為に並べただけ(美術は秋山光洋)。天井から静かに照明があたり、背後のスクリーンに時折、心象風景のような静止画。その間を縫うように歩いたり、登ったりしながら、冷え冷えした家や病室を表現する。シンプルだけに、大詰めで父の顔を映し出すカメラの使い方が意表をつく。

配役にひとひねりあり、なんと重要な母役は山内圭哉。スキンヘッドにカツラ、終始おどおどしていて怪演だ。その母より小柄なのに、怒鳴りだすと手が付けられない猪股俊明の父も、かなり不気味。ずっと舞台上にいて自らの過去を見つめ、解説する岩井本人役は菅原永二で、淡々とした語りがいい。
ほかに過去の岩井(小岩井)の田村健太郎、姉の鄭亜美、兄・平原テツらがいい呼吸だ。岩井は葬儀屋などで登場。

落語「牛ほめ」「大どこの犬」「らくだ」

第十一回咄と小唄の会  2016年1月

恒例の落語と小唄の会。寒くて雨交じりだったけど、座敷がいっぱいになった、ねぎし三平堂で2000円。休憩を挟み2時間弱。

開口一番は受付を兼ねている4代目(正蔵の長男)林家たま平クンで「牛ほめ」。市馬さんで聴いた前座噺だ。はきはきしていて楽しみ。
続いて林家正蔵さん。食通で知られる人だけど、高座の前には立ち食い蕎麦に行く、なんて、ちょっと枯れていい感じで話してから「大どこの犬」。商家で育てていた捨て犬兄弟のうち、クロを欲しいという人が現れる。結納みたいに大仰な迎えに気を悪くすると、実は岩崎家の遣いとわかり、喜んで送り出す。やがてクロはボス犬となり、すっかりうらびれてしまった弟シロと再会。飼い主に呼ばれるたび、美味しいものを弟に分け与えるけど、最後の「クロ、シロ」の声は碁打ちでした、というサゲ。
もとは上方のネタで、先代正蔵の18番だったそうです。前半は犬の可愛さ、後半は兄弟の情愛で聞かせて流暢。でも落ちはナンセンスで、ちょっと不思議な噺だったかな。

短い仲入りのあと、いつもの千葉しんさんの三味線で小唄。まず三遊亭萬窓さんが干支にちなんだ「猿づくし」、そして「梅が枝さん」。源平を題材にした文楽「ひらかな盛衰記」で梶原源太景季を出世させようと尽くす傾城梅ケ枝のシーンだ。色っぽい。
続いて正蔵さんで、季節感ある節分の「月は朧に」。「厄落とし」のところは声色を替えて、と解説しつつ、歌舞伎好きらしく「三人吉三」の名ゼリフが気持ちよさそう。そして芸妓さんが稽古しているのを聴いていいな、と思って、と「わしが思いは」。なかなかキワドイ。

トリは萬窓さんで、お馴染みの大ネタ「らくだ」。シュールだけど、無茶な兄貴分のやさぐれた感じ、きりきり舞いする屑屋が調子に乗っていく感じに説得力がある。帰って調べてみたら、明治の俗曲「梅ケ枝節」が「かんかんのう」の節だった、というつながりなのかな。考えてます。

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