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「荒大名の茶の湯」「赤垣源蔵徳利の別れ」

HIDE講談の夕べ  2015年10月

花園神社の真裏、新宿ゴールデン街にあるHIDE(ハイド)で、神田春陽さんの講談を聴く。こぢんまりしたバーが満席だ。ワンドリンク付き2000円。

マクラもそこそこに「難波戦記」から「荒大名の茶の湯」。笑えて汚くて、講談にはこんなギャグ話もあるんだ、とびっくり。秀吉の死後、本多正信が福島正則、池田輝政、浅野幸長、黒田長政、加藤嘉明といった武将の面々(名前を言うのが大変)を茶の湯に招くが、みな荒くれ者で作法には疎い。唯一心得がある細川忠興を真似するものの、碗を回すほどに無茶苦茶になっていく。加藤清正に至っては長い顎髭が、びっしょり茶に漬かっちゃう始末。
大坂夏の陣から400年、2016年には真田幸村が三谷大河の主人公にもなるとあって、勉強してみたい題材。今回はまるきり落語のシーンだったけど、それぞれ登場人物のキャラもたってるし、聴きごたえある演目なんだろうな。

続けて2席目は、お馴染み「義士銘々伝」から「赤垣源蔵徳利の別れ」。素浄瑠璃や、別の講談師さんで聴いたことがある感動ストーリーだ。
源蔵の酒呑みぶりなどはさらっと語って、羽織を留守の兄に見立てて盃を交わすあたり、泣かせます。翌朝、討ち入りの知らせを聞いた兄が、駆けつけたいけど主家に迷惑がかかっては、と思いとどまるあたり、切ないなあ。
面白かったです。

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ヴェローナの二紳士

彩の国シェイクスピア・シリーズ第31弾「ヴェローナの二紳士」  2015年10月

満80歳・蜷川幸雄演出の残り6作というシェイクスピアシリーズ。若い俳優たちが頑張るオールメール版とあって、女性客が圧倒的な彩の国さいたま芸術劇場大ホール。距離があるのと、手すりのせいで見づらい2階最前列上手寄り9000円。休憩を挟んで2時間半。

シェイクスピア初期の喜劇ということで、お話は能天気な恋のドタバタだ。ミラノで修業中の若者プローティアス(三浦涼介)が、こともあろうに親友ヴァレンタイン(高橋光臣)の恋人シルヴィア(月川悠貴)に横恋慕。心配した恋人ジュリア(溝端淳平)が、故郷ヴェローナから男装して追ってくる。
駄洒落満載の松岡和子訳は、昨年の「ロミオとジュリエット」と違って笑いが多く、さらに舞台はごくシンプルで、鏡の前に市場の屋台やシャンデリア、森の木を出し入れするくらい。いきおい推進力は俳優陣にかかってくる。

というわけで、若者4人がロマンチックな衣装で奮闘。視線を合わせようとするギャグなどが効いている。メーンの溝端君は声を作らず、仕草で一途な女を表現して立派だ。相手役の三浦君も、2重の裏切りの末にころっと反省しちゃう難しい役どころを、よくこなす。ただ、この2人は色気が今ひとつかな~。親友を許す高橋君が、よく通る声で、やや一本調子ながら存在感があったかも。月川君はもう、オールメールの女王と呼びたい貫禄ですね。
脇役陣が巧くて、プローティアスの父とシルビアの父・ミラノ大公の横田栄司が、2役の演じ分けはもちろん、コメディセンスも見事。ピエロ風の従者たち、小名僕蔵と大石継太もさすがのボケぶりだ。一時もじっとしてないワンちゃんが可愛かったな。チェロ、ギター、マンドリンの生演奏入り。

ホール外では蜷川作品のポスター展や、和楽器オーケストラあいおいのシアターライブが楽しませてくれました。

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「阿古屋」「髪結新三」

松竹創業120周年芸術祭十月大歌舞伎 夜の部 2015年10月

「阿弖流為」「ワンピース」と中堅のチャレンジが話題の歌舞伎界だが、人間国宝・玉三郎の極付「阿古屋」を見ておかなくちゃと、歌舞伎座に足を運んだ。1F前より中央のいい席で1万8000円。40分の休憩1回を挟んで約4時間。

夜の部はその「壇浦兜軍記 阿古屋」1幕、通称琴責めから。源氏がたの武将・重忠が、平家の残党・景清の行方を詮議するため、愛人の傾城・阿古屋にポリグラフとして琴、三味線、胡弓を弾かせる。
坂東玉三郎がオーラ全開で、実に美しい。3曲、特に胡弓を見事に弾きこなすのが素晴らしく、バックの浄瑠璃(上手)、長唄(下手)も活躍する。けれど、2012年に文楽で聴いているせいか、眼目の演奏よりもむしろ、スターの研ぎ澄まされた存在感に圧倒された。
なにしろ花道登場から、孔雀のまな板帯など超豪華衣装で一気に場内を掌握。白洲梯子に身を投げ出したり。凛とした芯の強さ、気品があるからこそ、遠い目をして愛する人を想う姿が切ない。
情理を尽くす裁き役・重忠の尾上菊之助がまた、いい。相変わらず声が通ってスケールがあり、微動だにせず阿古屋を見つめる姿が絵になる。一方、赤っ面の岩永(坂東亀三郎)の人形ぶり、ツメ人形風の竹田奴たちは予想以上にコミカル。演奏の緊張感とバランスをとる工夫ですね。

休憩に席でお弁当をつつき、後半はがらっと雰囲気が変わって世話物「梅雨小袖昔八丈 髪結新三」。こちらも初見で、楽しみだった演目だ。河竹黙阿弥作、明治6年初演で、小悪党の無頼さがかなり現代的な味わい。二世尾上松緑27回忌追善狂言として、孫の当世・松緑が初役でタイトロールに挑戦する。細身、小顔に大きな目が光り、ケチなチンピラの未熟さ、危うさが際立つ。ただ、主役としての色気はちょっと物足りないかなあ。
序幕・白子屋見世先の場は材木屋の身代を守るため、娘お熊(中村梅枝が可愛く)の縁談が進む。新三が立ち聞きを誤魔化したり、手代忠七(上品な中村時蔵)に駆け落ちをそそのかすシーンで、細かく髪結の技を見せたりするのが面白い。小道具は祖父伝来で、30年ぶりの登場だとか。松緑さんの息子・尾上左近が丁稚で登場してました。
続く永代橋川端の場では、新三がお熊かどわかしの企みを明かし、忠七を踏みつけて七五調の名台詞、傘尽くしを聴かせる。
1幕目・富吉町新三内の場では、その新三の不逞ぶり、刹那的な生き様をたっぷりと。お熊の身代金を持ってきた顔役・源七(耐える親分、市川團蔵が格好いい)を追い返す。ところが因業大家の長兵衛(古風に市川左団次。松緑さんとのバランスにやや難か)には、逆にやりこめられちゃう。ホトトギスに初鰹、浴衣、縁台。江戸庶民の初夏風情、リアルな生活感が楽しい。
大詰・深川閻魔堂橋の場は、恨みを抱いた源七との立ち回りで、いっぱしの侠客となった新三の破滅を暗示し、格好良く、かつシニカルに幕となりました。
白子屋後家お常に片岡秀太郎、チョイ役の上品な仲人に片岡仁左衛門、さらには威勢のいい肴売に尾上菊五郎と、御馳走づくしが贅沢だ。手下・勝奴の坂東亀寿も軽快。面白かったです!

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ラインの黄金

ラインの黄金  2015年10月

新国立劇場2015/2016シーズンの開幕は、飯守泰次郎オペラ芸術監督が指揮するお得意、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」除夜「ラインの黄金」だ。東フィル。長い物語の発端となる世界秩序の揺らぎを、説得力をもって描く。言わずと知れたワグネリアン集結のオペラパレス、1F中央あたりの席で2万4300円。休憩無しの3時間弱。

歌手が充実。なんといってもステファン・グールド(米国のヘルデンテノール)が、初役で火の神ローゲを、赤いマントとサングラスで威風堂々歌って、コズルい半神のイメージを覆す。グールドはリング4作すべてに出演する予定だそうで、楽しみ~。神々の長ヴォータンは2009年にも観たユッカ・ラジライネン(フィンランドのバスバリトン)が安定。さすがに、ちょっと老けたかな? そして指環を呪うアルベリヒのトーマス・ガゼリ(ドイツのバリトン)が、虐げられる者の哀しさを漂わせて表情豊かだ。3場、4場の3人の掛け合いが素晴らしい。

ほかの主要キャストはドイツ出身で固めていて、鍛冶屋ミーメはアンドレアス・コンラッド(テノール)、妻フリッカはシモーネ・シュレーダー(メゾ)、智の神エルダはクリスタ・マイヤー(メゾ)。
日本人も大活躍だ。特に人質になるフライアの安藤赴美子(ソプラノ)が、声が伸びて美しい。ボクサー姿のドンナーは黒田博(バリトン)、ピエロ風のフローは片寄純也(テノール)、厚底靴の巨人ファーゾルトは妻屋秀和(バス)。ラインの娘たちは増田のり子(ソプラノ)、池田香織(メゾ)、清水華澄(メゾ)。

演出は新制作で、フィンランド国立歌劇場の故ゲッツ・フリードリヒ版。2001~02年の再演で観たキッチュで賑やかな「トーキョーリング」と比べると、地味ながらシンプルで力強い。冒頭のライン河と天上界は、斜面の床とネオン管、色とりどりに輝く照明で象徴的に表現。一方、地底界はエレベーターや「DANGER」のサイン、コミカルなマペットの蛙など具象が多く、変化をつけていた。

4作は3シーズンがかりの上演になるのかな。劇場エントランスの巨大な活け花が、「リング」風で良かったです!

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語る室

カタルシツ「語る室」  2015年9月

作・演出前川知大。爽やかな秋晴れの週末、劇団イキウメとは別シリーズのカタルシツ公演に足を運んだ。大切なものを失い、辛さを噛みしめつつも、人生は続いていく。お得意、日常の地続きにあるSFミステリーだけど、いつになくしみじみと、大人の舞台だ。東京芸術劇場シアターイースト、2列目中央のいい席で4500円。休憩無しの2時間弱。

ある田舎町。5年前に失踪した幼い子供の母・美和子(中嶋朋子)と、運転手の兄・古橋(盛隆二)、そして美和子の弟で交番の巡査・譲(安井順平)を加えた3人は、癒えない痛みを抱えながら、一緒にバーベキューをしている。
そこへ事件当夜に現場から消えた謎の若者ガルシア和夫(大窪人衛)、亡父の秘密を探る大輔(浜田信也)と妹・真知子(木下あかり)が交錯する。すべての真実を、霊媒師・佐久間(板垣雄亮)がみつめる…

テーマは独白だそうで、全編ひとり語りの「地下室の手記」とはまた違い、会話の間にモノローグが挟まる。わざとらしくなりそうなところを、俳優陣が達者にこなす。
何故自分が辛い目に遭っているのか、大切な人は今どうしているのか。登場人物それぞれが知っていることには、限りがあるという現実。全員のモノローグを聴く観客だけには、それがわかるから、もどかしくて仕方ない。でも欠落があるからこそ、人は支え合い、未知の明日に向かって踏み出そうとするのかもしれない。
決してハッピーエンドではないけれど、人生の理不尽と和解していく姿が丁寧に描かれていて、温かい余韻を残す。ヒリヒリする「片鱗」「関数ドミノ」より、「聖地X」寄りかな。

いつもながら、構成は知的で精緻だ。交番と公園をベースにしたワンセットのまま、時間と空間を行き来し、シーンの繰り返しも使って、複雑な人間関係と超常現象を見せていく。
そして喚起される印象的なイメージ。知らないことを思い出す、見えなくても存在しないわけではない、世界のどこかに膨大な人類の記憶のプールがある…。

お馴染み劇団メンバーが、持ち前の切なさをいかんなく発揮。安井があまり変人じゃない設定は珍しいかも? 客演陣では、子供を思うあまり壊れかける中嶋に、思わず涙が出ちゃうし、「冒した者」「ロンサム・ウェスト」で観た木下は溌剌。何故かオネエ風の板垣が、軽妙にテンポをつくる。「SP」に出てた役者さんなんですね~ セットの宙に浮いたような立ち木が象徴的だった。

劇場を出ると、青空市や大道芸が賑やか。010

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