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タンゴ・冬の終わりに

PARCO PRODUCE「タンゴ・冬の終わりに」  2015年9月

清水邦夫の1984年初演(蜷川幸雄演出)の戯曲を、今回は行定勲が演出。見られることを求めずにいられない人間存在の哀しさを、三上博史が濃密に演じて圧巻の舞台だ。名演。年配男性もちらほらのPARCO劇場、前の方上手寄りのいい席で9500円。休憩を挟んで3時間弱。

実力舞台俳優・盛(三上)はまだ40代の3年前、突然引退を宣言。故郷・新潟で弟・重夫(岡田義徳)が営む、取り壊し間近いオンボロ映画館に引きこもっている。次第に精神が崩壊していくさまを見かねた妻・ぎん(神野三鈴)の企みで、かつての愛人で新進女優の水尾(倉科カナ)が呼び寄せられ、その夫・連(ユースケ・サンタマリア)も追ってきて、悲劇に至る。

設定や故郷にまつわるイメージは、2014年に観た「火のようにさみしい姉がいて」にそっくりなものの、過去のいきさつのミステリー要素が薄い分、三上持前の毒が前面に出て舞台を制圧する。まさに芝居がかって、わざとらしさ満点、ほかの戯曲だったら規格外になりそうな造形が、今作ではまさに盛そのものだ。
決して手の届かない理想の美を表す三島由紀夫「孔雀」や、俳優論が人間存在の危うさに通じていくサルトル「狂気と天才」、シェイクスピア「オセロー」、そして盛が若いころ演じたという、青臭く騒乱の時代を思わせる芝居…。
盛が繰り出す、虚構の世界のセリフが現実を侵食し始めたとき、いったい人に何が起きるのか。三上は戯曲の普遍的なテーマを体現し、大詰め、前方に出てきて語るシーンでは、思わず観る側がのけぞるほどの迫力だ。

三上の熱を受け止める神野、ユースケはもちろん、普通人として盛と絶妙の対照をなす岡田、その恋人・信子の河井青葉が、それぞれしっかりと存在感を発揮。2個のパンとか、力いっぱいの壁ドンとか、笑いの要素も効いている。倉科は立ち姿と声が爽やか。重要なタンゴのシーンに、もうちょっと色気があったらよかったかな。
叔母・はなに梅沢昌代、幻覚シーンの巡査に有福正志、行商人に有川マコトらと、ベテランも盤石だ。

映画館のワンセットは、盛の内面のように朽ちかけている。仕掛けは少なく、冒頭、舞台前面の紗幕に名画の著名シーンが逆映しになって、一気に観る者を引き込むほか、照明の変化が鮮やか。小道具ではナイフの伏線が巧い。

それにしても、スタンディングのカーテンコールまで熱く演じきる三上。このテンションで連日とは…。初演、再演の平幹二朗、2006年シアターコクーン版の堤真一も観てみたかったけど。
若者向けファッションビルにアングラの香りを持ち込んだこの劇場も、1年半後には建て替えなんですねぇ。客席には渡辺えりさん、麿赤児さんらしき姿も。

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RED

シス・カンパニー公演「RED」  2015年9月

映画「ラストサムライ」などで知られるジョン・ローガン作で、2009年英国初演、2010年にはトニー賞6部門を制した戯曲。知的興奮たっぷりの2人芝居だ。翻訳・演出の小川絵梨子、そして田中哲司、小栗旬という顔合わせに期待して足を運んだ。真横から舞台を見下ろしちゃう席だったけど、変則的な視角が気にならない緊迫感を味わい、満足。小栗ファンらしき女性が多い新国立劇場小劇場のバルコニー席で7000円。数回の暗転を挟んで1時間半強。

舞台は1950年代、アトリエのワンセット。抽象美術の鬼才マーク・ロスコ(田中)はNYシーグラムビルに入居する高級レストランの壁画制作を請け負うものの、途中で契約を破棄してしまった。この美術史上の事件を、若い助手ケン(小栗)との2年にわたる対話だけで描いていく。
2人の間に繰り広げられるのは、赤と黒の意味を巡る激しい哲学論争だ。現代絵画の予備知識無しに出掛けたので、正直、議論にちょっと追いつけないところもあった。しかし決して、芸術論にとどまらない戯曲だと感じた。

独善的なマークは先達のキュービズムを否定し、自分を取り巻く美術ビジネスに憤懣をぶつけ、さらには画家志望のケンに創作論をふっかける。傲慢にも、自作の鑑賞の場を神殿にすると宣言し、観る者の自由さえ否定するかのようだ。だがすべては、まだどこにもない表現を追い求める真情ゆえ。
一方のケンは、息詰まる密室でさんざん振り回されるが、やがてマークの内面、創作のもがきと、理解されたいという渇望を抉り出していく。 マークは政治に翻弄された亡命ユダヤ人であり、ケンは両親の残酷な死の記憶から逃れられずにいる。2人とも、なんて孤独で、不安定なところに立っていることか。

田中の熱量が圧巻だ。丸刈りで歩き回り、時にテイクアウトの中華を口いっぱいほおばりながら、喋りまくる。
対する小栗の舞台を観るのは3度目だ。いつも滑り出しは、上手に演技している小栗にしか見えないんだけど、徐々にケンとしての存在感を発揮。終盤、ポップアートに新世代の可能性を見出すあたりは、透明感が漂う。
2人が息を合わせ、絵の具を浴びながら、巨大カンバスを暗い赤に塗りあげるシーンの高揚が素晴らしい。

角度のせいで十分楽しめなかったけど、ロスコの絵画をどんと中央にすえた構成で、シンプルな色と光、そしてモーツァルトの音楽が雄弁だ。美術は松井るみ、照明は服部基。

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文楽「面売り」「鎌倉三代記」「伊勢音頭恋寝刃」

第一九二回文楽公演 第一部  2015年9月

プログラムの大夫の部が、上段に新・人間国宝の嶋大夫と切り場語りの咲大夫が並ぶレイアウトに変わり、世代交代を感じさせる文楽公演。千秋楽に足を運んだ。いつになく掛け声の多い国立劇場小劇場、上手寄り前の方のいい席で6700円。休憩2回で4時間半。

幕開けは明るい舞踊「面売り」。床は寛太郎ちゃんら5挺に、三輪大夫以下4枚の変則で。大道芸人・おしゃべり案山子(玉佳)のリズミカルな講釈にのせ、面売り娘(勘彌)が天狗、おかめなどの面を付け替えながら楽しく踊る。

休憩10分を挟み、大坂夏の陣400年にちなんだ時代物「鎌倉三代記」。思えば2008年に文楽初体験で観た演目だ。もう7年もたつんだなあ。
物語は鎌倉方(=徳川方)で三姫のひとつ時姫と、京方(=豊臣方)の三浦之助の、戦さに翻弄される悲恋。歌舞伎では魁春、梅玉の古風な味わいが良かった覚えがある。
導入は希大夫で短い局使者の段、通称「ほととぎす」。米洗ひの段は呂勢大夫、宗助。酒好きなおらち(達者な紋壽)が、きんきら振袖の時姫(清十郎が淡々と品よく)にコメの磨ぎ方を教えるシーンが滑稽だ。
三浦之助母別れの段は津駒大夫とベテラン寛治。幸助さんの格好いい三浦之助が、母の見舞いに駆けつけるものの、母(勘壽)は会うことを許さない。時姫が切々ととりすがる。
そして高綱物語の段は、英大夫、清介が情感がこもって聴きやすい。時姫がいよいよ愛する夫のため、父・時政を討つことを決意。井戸から登場した佐々木高綱(でっかく玉男)がすべて計略だと語る。事情を知った母の自己犠牲の後、高綱が木に登り、それぞれ戦いに向かう。なんとも非情だなあ。

30分のランチ休憩の後、一転、世話物の「伊勢音頭恋寝刃(こいのねたば)」。こちらは2009年に観たことがある。実際の事件を素材に、歌舞伎を文楽に移した夏狂言だ。
古市油屋の段は公演当初の病気休演から復帰した咲大夫が、燕三との鉄壁コンビでたっぷりと。複雑な人間関係も、巧みにさばく。
舞台は精進落としで賑わう伊勢。わけあって名刀の折紙を探す下級神官の福岡貢(初役の和生)を助けようと、女郎お紺(簑助が抜群にけなげで可愛い)は悪党の岩次(玉志)とかりそめの祝言をあげる。知らずに激怒する貢を、いじわるな仲居・万野(勘十郎がこちらも初役を生き生きと)が、ねちねち追い詰めちゃう。初めはコミカル、そして徐々に緊迫感が高まるあたりが床、人形とも見事だ。
大詰め奥庭十人斬りの段では、咲甫太夫、錦糸が疾走。貢が怒りにまかせて、廓の人々を斬っていく。陰惨にならない演出が人形ならではだ。
変化があって楽しめました!

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英国ロイヤル・オペラ「ドン・ジョバンニ」

英国ロイヤル・オペラ「ドン・ジョバンニ」  2015年9月

快晴のシルバーウィーク、ロイヤル・オペラ来日のもう1演目は、モーツァルトのこの上なく流麗なメロディーに乗せたドンファン物語。身勝手な色男のコミカルなドタバタが、急転直下で破滅に至るお馴染みのストーリーを、最新鋭のプロジェクションマッピングを駆使して、深く知的に表現。パッパーノの指揮(フォルテピアノも)に加え、豪華キャストの歌手陣がとにかく粒ぞろいで、大人っぽいドラマをおおいに楽しめた。NHKホール2F下手寄りの、これまたいい席で5万5千円。休憩30分を挟んで3時間半強。

タイトロールのイルデブランド・ダルカンジェロ(イタリアのバス・バリトン)が、高揚する「シャンパンの歌」や、ピッチカートも甘いセレナーデ「おいで窓辺に」など、深みのある声と堂々の2枚目ぶりで舞台を牽引。そして楽しみにしていたジョイス・ディドナート(米国のスター・メゾ)! 散々な目にあっても彼を見捨てないドンナ・エルヴィーラ役で、期待通りの華やかさだ。「あの人でなしは私をあざむき」とか、余裕たっぷりな感じが、いいんだよなあ。
さらに色っぽい村娘ツェルリーナのユリア・レージネヴァ(ロシアのソプラノ)が、「ぶってよ、マゼット」「薬屋の歌」などでよく声が通り、小柄なきゃぴきゃぴ感も役にぴったりで、存在感十分。若手技巧派ということで、楽しみな歌手ですね。
ほかに父を殺されちゃうドンナ・アンナは若手アルビナ・シャギムラトヴァ(ウズベキスタンのソプラノ)が実力を発揮し、3枚目の従者レポレロはアレックス・エスポージト(イタリアのバス・バリトン)が軽妙に、したたかに。
騎士長は2演目登場でフル回転のアチェト、ツェルリーナの夫マゼットは大柄なマシュー・ローズ(英国のバス)と、いずれも安定。ドンナ・アンナの婚約者ドン・オッターヴィオのローランド・ヴィラゾン(メキシコのテノール)は、前日のコンサートでは不調で途中降板しちゃったらしいけど、本公演はなんとか乗り切っていた。偉い!

さらにデンマークの大物・カスパー・ホルテンの、2014年初演の演出が非常にお洒落だ。2階建てのセットを回転させ、扉や階段で複雑に人物を動かす。こんがらがった関係が視覚化されると共に、混沌ぶりが欲望の虚しさを表現。歌手もドン・ジョバンニとレポレロの服の交換で帽子が遅れるとか、難しい段取りをこなす。
なんといっても目を奪うのは、全編を彩るプロジェクションマッピング。演出過多という見方もできるけど、文字や色かたちの変化が登場人物の脳内を投影。ハイテクとヴィクトリア朝衣装とのアンバランスも面白い。後半では白装束の幽霊も登場。
映像が凝っている分、合唱はピット内が多く、小道具も控えめ。ラストの6重唱は短縮版を、舞台の左右端に歌手が分かれて歌い、ドン・ジョバンニが中央に取り残される演出。地獄落ちはないけど、孤独という地獄を味わうかたちですね。再演監督は英国の歌手出身、エイミー・レーン、ビデオ・デザインは同じく英国で、ロンドン五輪閉会式やスターバンドのコンサートなどを手掛けたルーク・ホールズ。

ロビーでは大物財界人や女性エコノミストをお見かけしました。いや~、充実してました!

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ピピン

ブロードウエィミュージカル「ピピン」  2015年9月

ボブ・フォッシーが振付・演出した1972年初演作を、「ポーギーとベス」「Hair」やシルク・ドゥ・ソレイユのダイアン・パウラスが演出し、2013年のトニー賞リバイバル作品賞を獲得した作品の来日公演。幅広い客層のシアターオーブ、上手寄り前の方で1万3000円。休憩を挟み2時間半。

チェット・ウォーカー振付の、スタイリッシュで色っぽいダンスに期待して足を運んだが、そちらはほんのちょっと。むしろシルク・ドゥ・ソレイユ流のアクロバット、ジャグリングとマジックの比重が大きかった。
物語はサーカスの旅一座が演じる劇中劇。どこぞの王子ピピン(新星ブライアン・フローレス)が特別な人生を求めて、戦争や革命を経験するものの、結局、子持ち女性との愛、そして平穏な暮らしを選ぶ。サーカスの設定とあって、カラフルできらびやかなんだけど、幕切れは劇中劇から現実に戻っていくので、カタルシスはなくちょっと寂しい。

重要な舞台回し役リーディングプレーヤーは、ブロードウェイ・キャストのガブリエル・マクリントン。唯一、存分にフォッシースタイルを披露して、歌も達者だ。
そしてなんといっても祖母バーサ役のプリシラ・ロペス! なんとコーラスラインの初演メンバーだそうで御年67歳だけど、見事なアクロバットを演じ切り、拍手喝采を浴びていた。

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英国ロイヤルオペラ「マクベス」

英国ロイヤル・オペラ「マクベス」  2015年9月

5年ぶりとなったロイヤル・オペラの引っ越し公演。前回は主演歌手の降板が相次いで散々だったけど、今回は小柄な音楽監督、サー・アントニオ・パッパーノの指揮のもと、安定感抜群で、音楽であると同時に、演劇であるという英国らしさを満喫した。
1演目めはヴェルディのドラマチックなシェイクスピア悲劇「マクベス」。東京文化会館大ホール、やや下手寄りのいい席で5万5000円。25分の休憩を挟み、約3時間。

演技派スター、サイモン・キーンリサイド(英国のバリトン)が、自らの悪事にからめとられていくタイトロールの苦悩を、丁寧に表現。辞世のモノローグ「やみくもに地獄の予言を信じたのだから」までを抑制気味に仕上げる。一方、難役レディ・マクベスのリュドミラ・モナスティルスカ(ウクライナのソプラノ)は、寝転がりながらの「地獄の使者よ、目覚めなさい」や「日の光が薄らいで」などを、やや絶叫調に飛ばし、迫力満点。METのライブビューイングで観たネトレプコが強烈過ぎたせいか、やや色気不足と思ったけど、夢遊病の場で細い高音をコントロールして、存在感を発揮していた。
終盤、マクベスを倒す若い敵将マクダフのテオドール・イリンカイ(ルーマニアのやや若手テノール)が、「ああ、父の手は」で見事に輝きを放ち、拍手喝采。早々に裏切られちゃう友人バンクォーにライモンド・アチェト(米国のバス)、ダンカン王の遺児マルコムにサミュエル・サッカー(オーストラリアのテノール)。スコットランド難民の哀しい「虐げられた祖国よ」など、合唱も分厚い。

ミュージカル「マンマ・ミーア!」や映画「マーガレット・サッチャー」を手掛けた女流フィリダ・ロイドの演出は、照明、衣装とも暗く、スモークたっぷりで視界不良。玉座などを表す、回転する金の格子が、呪われた檻のようで、強い印象を残す。
魔女たちがマクベスに王冠を渡したり、バンクォーの幼い息子を井戸から逃がしたりして、すべての運命を差配。つながった太い眉と、大きな赤い帽子がちょっとコミカルなだけに残酷だ。再演監督はカナダ出身のダニエル・ドナー。

1F後方から歌舞伎みたいな掛け声(たぶん英語)が盛んにかかっていて、珍しいなあと思ったけど、後半はたしなめられたのか、大人しくなってた。ロビーには著名経済学者や林真理子さんの姿も。

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