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七月大歌舞伎「南総里見八犬伝」「与話情浮名横櫛」「蜘蛛絲梓弦」

松竹創業百二十周年七月大歌舞伎  2015年7月

夏休み入りの暑い連休。当代の人気者、市川海老蔵、市川猿之助と坂東玉三郎ががっぷり組み、団体さんも加わって歌舞伎座昼の部は大賑わいだ。2階の上手寄りで花道はほとんど見えないものの、名台詞やケレンなどサービス精神たっぷりの演目を満喫。1万8000円、休憩2回をはさみ4時間強。

幕開けは「南総里見八犬伝」。芳流閣の場はいきなりダイナミックな大屋根での立ち回りだ。下野・古川城で、持ち込んだ村雨丸が偽とわかった犬塚信乃(獅童)が、犬飼現八(市川右近、声がいいなあ)と戦う。
大掛かりながんどう返しで、円塚山(まるつかやま)の場へ。炎の中から現れた犬山道節(安定感抜群の梅玉)が本物の村雨丸を取り返し、信乃と現八、犬坂毛野(笑也)、犬田小文吾(猿弥)、犬川荘助(歌昇)、犬江親兵衛(巳之助)、犬村角太郎(種之助)がだんまりを繰り広げた後、勢ぞろいで見得。道節の六方は,、花道が見えなくて残念だったけど。

ランチ休憩の後は「与話情浮名横櫛(よわなさけきなのよこぐし)」。序幕は浜の景色が爽やかな木更津海岸見染の場。お富(玉三郎)がさすがの貫禄だ。与三郎(海老蔵)が若旦那だけに思い切りなよなよで、お富に心を奪われての羽織落としも面白い。
2幕目は3年後の人形町、いよいよ源氏店の場だ。湯屋帰り、唐傘をすぼめた粋なお富に、番頭・藤八(猿弥)がしつこく言い寄るが、お富は小気味よく撥ねつける。化粧する姿も色っぽい。
そこへ小悪党・蝙蝠安(獅童がコミカル、かつ人間味がある)が、与三郎を連れて金をせびりにやってくる。ここでもお富は、一分を投げつけちゃう伝法ぶり。
一方、傷だらけの無頼漢となった与三郎は、門口で小石を蹴ったり、座敷の隅で膝を抱えたり、可愛くて絵になる。お富にじりじり近寄りながらの恨みの長台詞も切ないし。この役、ぴったりだなあ。
終盤は大店の番頭・多左衛門(中車)が鷹揚に場を納め、お富の兄だと明かして幕。ユーモアと、過去をひきずる男女の想い、名場面に納得です。煙管や豆絞りの手拭など、小道具も格好いい。

休憩を挟んでお楽しみ「蜘蛛絲梓弦(くものいとあずさのゆみはり)」。平安中期の武将・源頼光と四天王ものの一つで、退治される側ながら「まつろわぬ民」土蜘蛛が主役の舞踊だ。とにかく猿之助が六変化や華麗なステップ、エビぞりを連発して、もうキレキレ。上手と後方に常磐津連中、長唄囃子連中をずらり並べて、スピーディーなケレンが満載です。
まずは病に伏せる頼光の屋敷。碓井貞光(獅童)、坂田金時(赤面の右近)が宿直をするところへ、スッポンからお茶を持った童熨斗丸(猿之助)が登場。のっけから目つきが怪しく、絹糸を投げて去る。次になんと常磐津の間から、薬売りの彦作(猿之助)が現れ、壁を回して消える。びっくりの超早替りで、花道から番頭新造の八重里(猿之助)がやってきて、文を広げる。続いて花道からと思わせておいて、狐忠信ばりに階段から座頭亀市(猿之助)が飛び出す。仙台浄瑠璃で踊った後、大火鉢の中へ。無人になった舞台に不気味な蜘蛛が降りてきた後、ついに派手な衣装の傾城薄雲(猿之助)が頼光(門之助)に迫り、クドキを聞かせてから斬り合う。
ダイナミックな大薩摩の演奏があり、一面蜘蛛の巣を描いた幕もおどろおどろしく、大詰めへ。頼光と貞光、金時、渡辺綱(巳之助)、卜部季武(名題昇進の喜猿)が蜘蛛の精の棲家に乗り込む。怖い隈取をした女郎蜘蛛の精(猿之助)が大暴れするところへ、花道から平井保昌(海老蔵)が登場、朗々と見事な押し戻し! 超人だなあ。
蜘蛛の精はやっつけられちゃうんだけど、緋毛氈の台に登り、滝のような糸を背に後見もばんばん糸を投げて、ド派手に幕。これでもか、と練り上げられた演出に、客席も大喜びでした~

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ペール・ギュント

ペール・ギュント  2015年7月

ノルウェーの国民的作家で、近代演劇の創始者のひとりと言われるイプセンの初期作(1867年)を、谷賢一の翻訳・上演台本、劇場のアーティスティック・スーパバイザーである白井晃の構成・演出で。落ち着いた雰囲気のKAAT神奈川芸術劇場大ホール、上手寄り前の方で9500円。休憩を挟んで3時間強。

原作が上演を想定しない韻文(レーゼドラマ)のせいか、セリフが抽象的なせいか、どうも入り込みにくくてモヤモヤが残った。白井さんは「マーキュリー・ファー」をはじめ傑作が多いんだけど、時に難解だなあ。
物語は無軌道な若者ペール(内博貴)が放浪する、長大なお伽噺。トロルの一族になりかかり、モロッコで金儲けし、異国の女性に溺れ、エジプトで学者に…。散々冒険したのに、老いて帰郷し、死神の使い(凡人は溶かしてボタンにしちゃう!)と対峙すると、「自分は何者だったのか?」の答えが見つからない。結局、「ずっと愛の中にいた」と語る無垢な女ソールヴェイ(藤井美菜)の腕に抱かれて、人生を閉じる。うーん、帝国主義を背景にした19世紀人の、権威への反発と自我の揺らぎ、ということか。

これを今どうとらえるかか、が難しいところだ。設定は現代の紛争地帯にある廃病院。割れ窓の向こうで爆音が鳴り続き、避難民たちが力なく座り込むなか、医師たちが一人の胎児を救おうとしている。ペールの冒険は胎児の一瞬の夢で、世界の混乱を表現している、らしい。
広い舞台を生かした装置が面白く、床に砂をまいたり、一角から水がボコボコ沸きだしたり、天井板が落ちてきたり(美術はお馴染み「結びの庭」などの二村周作)。イメージが豊かなだけに、ちょっと消化不良だったかも。
主演の内は出ずっぱりで、膨大なセリフを危なげなくこなし、風貌も端正。ただ長尺の牽引力としては今ひとつか。藤井が可憐で芯があって、なかなか楽しみな女優さんだ。母オーセの前田美波里はさすが、コメディが達者。ほかに加藤和樹、堀部圭亮、橋本淳、三上市朗ら。

原作はロマンティックなグリーグの組曲(上演時のいわばBGMだったらしい)でも知られる。今回も音楽が重要なんだけど、それがフリージャズだったのには意表をつかれた。下手奥にトリオが陣取り、作曲とピアノはスガダイロー。全体に即興性が強い。シーンをつないでいく群集のダンスにキレがあり、振付は「赤鬼」などの小野寺修二。
客席には著名エコノミストの姿も。002

NEWシネマ歌舞伎「三人吉三」

NEWシネマ歌舞伎「三人吉三」  2015年7月

シネマ歌舞伎10周年に、坂東新悟と中村鶴松トークイベント付きの上映会に参加してみた。東劇で3000円。
本編は黙阿弥の白浪ものを串田和美が演出、2014年にシアターコクーンで上演した舞台。とはいえ串田自身が新たな撮影、録音、編集を加えて3時間半以上の上演を2時間15分にまとめたということで、舞台中継というよりスローモーションなども多用した映像作品の印象だ。

三人吉三といえば大川端の名乗りが有名だけど、今回は発端から。冒頭は伝吉(笹野高史)が、安森家から名刀・庚申丸を盗み、犬に吠えられて川に落とすシーンだ。宙を舞う刀が幻想的。庚申生まれは盗賊になるという言い伝えにちなんだ名なんですね~
その後、金貸し・太郎右衛門(大森博史)、研ぎ師・与九兵衛(片岡亀蔵)らがコミカルに、また八百屋の息子・十三郎(坂東新悟)、夜鷹おとせ(中村鶴松)が運命的な恋とともに、刀と代金の百両が手から手へと変転していくさまを描く。

続いて名場面・大川端庚申塚の場。2010年に菊五郎、吉右衛門、団十郎という大顔合わせで観たのが懐かしい! 派手な振袖姿のお嬢吉三(元の名はお七、中村七之助)が、おとせから百両を巻き上げ、独特の声で啖呵を切る(節分の厄払い)。2枚目浪人のお坊吉三(尾上松也)と争うところへ、坊主頭でひときわ伝法な和尚吉三(中村勘九郎)が止めに入る。偶然にも同じ名を持つ3人が、義兄弟の契りをかわし、悪党揃い踏みの華やかな見得。こってり白塗りの松也が、なかなか色っぽい。
和尚は殊勝にも父・伝吉に百両を渡すものの、お坊がお竹蔵で金を奪い、伝吉を斬る。実はお坊は伝吉のせいで断絶した安森家の子息であり、巡る因果としかいいようがない。「とった、とった」とささやく笹野が、2008年に観た「夏祭」を思わせて熱演。
そして和尚が潜む荒れ寺・巣鴨吉祥院に、妹おとせと十三郎が訪ねてくる。この夫婦は幼いとき別れた双子であり、畜生道に落ちたとして、なんと和尚は2人の首をはねちゃって、お嬢とお坊の身代わりにしようとする。すべてを見ている仏像、冒頭からつながる犬のイメージも相まって、なんともドロドロ、陰惨なシーンだけど、勘九郎が鬼気迫る形相で圧倒する。無茶な展開にも哀しさが漂うのが、この人の持ち味だなあ。

大詰めはお約束、怒涛の立ち回りだ。木戸を開けて捕われた和尚を救うべく、お嬢が本郷・火の見櫓に登って太鼓を打ち鳴らす姿が美しい。もともとヒット作・八百屋お七と寺小姓・吉三郎がモチーフの作品だということに得心。
あとはもう、主役3人が汗だくで疾走しまくる。舞台上の人物が見えないほど、どっかどっか降る雪。客席も前の方は真っ白だ。観念した3人が刺し違えて幕。盗賊だから当然、破滅しちゃうんだけど、暗いながらもカタルシスがあるのが、串田演出らしい。

上演前に会議室で開かれたトークショーは、話はそこそこ、じゃんけんプレゼントなんかがあって、ファンミーティングみたいでした。女形がメーンだけど長身の新悟(中村座常連の坂東弥十郎の息子)が、小柄な鶴松を盛んにからかう。おちゃめ鶴松はかなりの人気で、阿古屋の話題も振られてましたね。

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COCOON

開館25周年/芸劇フェスティバル「cocoon」憧れも、初戀も、爆撃も、死も。  2015年7月

今日マチ子のコミックを原作に、マームとジプシーの藤田貴大が作・演出した2013年の話題をさらった舞台を、戦後70年の夏に再演。音楽はクラムボンの原田郁子。悲惨体験のリアルな手触りに、衝撃を受けた。若者が多い東京芸術劇場シアターイースト、最前列で4500円。休憩無しの2時間強。今、観るべき舞台だ。

ステージは四角い砂場。ラジコンヘリが飛び、現代に生きるひとりの少女が、知るはずのない戦争体験を夢に見る。時空はシームレスに戦時下の島に飛び、14人の女子学生と教師の、なんてことない学園生活を描いていく。お馴染みの歌うようなリフレインの切なさ、愛おしさ、組み体操のように一層入り組んだ動きの繊細さ。遠雷のようにずっと鳴っている、爆撃音が不穏だ。
そんな日常と地続きに、少女たちは傷病兵の看護に動員され、状況は一気に暗転。とても正視できない過酷さと死に埋め尽くされてしまう。ついにガマ(洞窟)を退去するよう、通告された夜。少女たちのユニゾンの透明感と絶望とが、胸を締め付ける。
容赦なく宿命の夜は明け、彼女たちは何の防備もないまま南の岬を目指す。執拗に続く、必死の疾走シーン。限界まで加速しつつ、目の前を駆け抜けていく汗と涙と息遣い、生々しい緊迫感が圧倒的だ。

拙さは拙さのまま、説明も排してしまう思い切り。反則技の気もするけれど、間違いなく、生身で伝える舞台の力が、ここにある。
これまで藤田のリフレインは、作家の脳内にコダマする忘れられない過去の一場面なのかな、と思っていた。今回は個人の体験ではなく、史実がテーマだけど、少女たちの口調や服装はあえて現代風にしている。忘れてはならない記憶が、世代を超えていく効果を生んでおり、そこに普遍性と一筋の希望を感じた。終盤のスポットライトが余韻を残す。

健気なサンの青柳いづみ、サンが思いを寄せる長身のマユ、菊池明明(ナイロン100℃なんですね)、そしてすべてを見守る、さとこの吉田聰子が、見事な集中力を発揮する。
お馴染みの木枠に加えて、白い布を多用。美しく羽ばたくことなく、繭のまま命を落とす少女たちを、今回新たに参加した飴屋法水が、布でできた繭で優しく包んでいく。後方に紗幕スクリーンと原作などの映像。
公演途中には、俳優が舞台上で激突しちゃう事故もあったとか。なかなかハードな作品。いや~、観るほうも力が入ります。

ロビーには今日マチ子の原画を展示。砂が飛び散るので、前方の席にはブランケットが配られました。

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落語「黄金の大黒」「猫久」「船徳」「日和違い」「本郷刀屋」

瀧川鯉昇・柳家喬太郎二人会「古典こもり其の十」  2015年7月

大好きな喬太郎と、初めての鯉昇。肩の力が抜けていい感じの古典の会だ。大ホールがよく入った、東京芸術劇場プレイハウスの前の方で3700円。中入りを挟んで2時間強。
前座は正蔵さんのところの林家つる子で、長屋の説明から「黄金の大黒」。大家の倅が砂遊びをしていて、縁起のいい金の大黒を掘り出した。祝いの席に招かれた貧乏長屋の面々が、ボロの羽織を着て慣れない口上を述べる、という前半部分を元気よく。

1席目は最初、めくりが鯉昇だったけど、前座さんが直しにきて、「恨み節」で喬太郎登場。小さん流に言葉の誤り、犬に例えられるのと猫に例えられるのと、と振っておいて「猫久」。大人しいため、猫とあだ名される久六がある日、血相を変えて長屋に戻ってくると、女房が差し出す脇差をひっつかんで飛び出していく。驚いた向かいの熊が、床屋で侍から「その女房は偉い!」と聞かされ、帰って真似するものの、女房はお定まりのトンチンカンぶり。鰯を猫にさらわれるだけ、という滑稽噺をトントンと。猫久がそれほど怒った理由は説明しないところがシュールだなあ。
続いて鯉昇が、故郷・静岡県の争いを好まない気質、高校の後輩でノーベル賞学者の天野さんの気取らなさなどを語ってから、そのまま飄々とした雰囲気で「船徳」。勘当された質屋の若旦那が、よせばいいのに居候している船宿で船頭の真似ごと。客を散々な目に合わせた挙句、質屋だけに棹を流す、というオチだ。大川の夏風情で、気持ちよく笑わせてくれる。不思議なマでジワジワ笑わせるあたり、上手いなあ。

中入り後、再び鯉昇で上方の「日和違い」。出かけようとする米さんが、易者に「降る天気じゃない」と言われ安心していたのに、雨で散々。俵をかぶった異様な風体で文句を言うと、「降る、天気じゃない」というナンセンス。馬鹿馬鹿しくていい。
そしてラストは喬太郎。マニアックなウルトラマン話やら、「朋友、ForYou? 今日は古典だ」なんぞと余裕のギャグをかましつつ、
なんと大作・牡丹灯籠の発端「本郷刀屋」。刀屋の店先で、若い武士の平太郎が、酒乱の黒川孝蔵に絡まれ、斬り殺すという因縁の始まり。黒川のどうしようもない行儀の悪さ、物静かな平太郎の精神が徐々に追い詰められていく緊迫感は、講談のよう。全く状況を理解していない野次馬たちの、滑稽なやり取りが見事な対比だ。堪能しました。

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ジャージー・ボーイズ

ブロードウェイミュージカル「ジャージー・ボーイズ」  2015年7月

2006年トニー賞4冠、フォー・シーズンズの足跡をたどるジュークボックス・ミュージカルに足を運んだ。難しいことは考えず、懐かしい60、70年代ヒットを満喫できて楽しい。2014年に巨匠イーストウッドが映画化したせいか、ミュージカルでは異例の、年配男性がやたら多い東急シアターオーブ、前のほう中央のいい席で1万3000円。休憩を挟んで3時間近く。

キャッチ―なポップスを畳みかけるコンサート風構成で、テンポがいい。誰もが好きな「December,1963」「Can't take my eyes off you」では会場全体がのりのり! 「Cry for me」で4人のアンサンブルができあがっていくシーンが抜群だし、前半の「Sherry」「Big Girls don’t cry」「Walk like a man」の王道メドレーや、後半の「Beggin」「C’mon marianne」「Who loves you?」がご機嫌。しっとりした「My eyes adored you」や「Bye bye baby」で泣かせます。
フランキー・ヴァリのヘイデン・ミラネースは独特のファルセットをたっぷり聴かせ、作曲家ボブ・ゴーディオのドリュー・シーリーも声に張りがある。リーダー・トミーの太っちょマシュー・デイレイ、ニックの長身キース・ハインズもコーラスに演技に活躍。誇張されたダサいダンスも微笑ましい。ほかにマフィアのジップにトーマス・フィセラ、ゲイのプロデューサー・ボブ・クルーにバリー・アンダーソン。

物語はいたってシンプルだ。グループ名にちなんだ春夏秋冬の4パートで、4人が「オレにいわせりゃ」と、微妙に違う視点から語る。成功の裏で起きる仲間割れや警察沙汰、莫大な借金、家族との諍い。哀しい出来事を、巧妙な伏線や洒落、ホテルのタオル騒動といった笑いで包む。
メンバーはもともとニュージャージーの貧しいイタリア移民で、ケチなチンピラだった。同じバックステージものの「ドリームガールズ」と比べてキャラは地味。そんな冴えない若者たちが街角で、奇跡のようにヒット曲を生み出すシーンがなんとも健気だ。仲違いしても、根っこはずっとダチ。「木更津キャッツアイ」みたいな郷愁に、じんとする。
ボブ・コーディオが10代で、お馴染みタモリ倶楽部テーマ曲「Short Shorts」をヒットさせてたとか、後の名優ジョー・ペシがボブを紹介したとか、名曲「Can't take my eyes off you」が当初はなかなかオンエアされなかったとか、エピソードも興味深い。

ステージ後方に2階立ての鉄骨セットを組み、テレビ映像やアメコミ風の絵を使用、前方に簡単な机などを出し入れしてシーンを展開する。キーボードやホーンセクションなど少規模のバンドが演奏。すぐ後ろの席にジュディ・オングさんが来てましたね。

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