松竹創業120周年六月大歌舞伎 2015年6月
当代の大看板が総登場する公演だ。眼目は上演機会が少ない「新薄雪物語」の通し狂言で、揃い踏みの「詮議」は昼の部だが、渋く親子の情を描く夜の部を選択。幹部たちの個性、スケール感と、脇役・若手とのアンサンブルを堪能した。1Fほぼ中央のいい席で、1万8000円。休憩2回を挟んで4時間弱。
「新薄雪物語」は重厚な時代物の義太夫狂言。人間関係が複雑で、入り口で昼の部のあらすじと相関図を配っていたほどだけど、個人的には予習十分なので問題なく楽しめた。
夜は3幕目から。第1場・園部邸広間の場では、園部兵衛(仁左衛門)が息子・左衛門と並んで謀反の嫌疑をかけられ、身柄を預かっていた薄雪姫(歌六の息子、米吉)を逃がす。丸顔、たれ目で一途な米吉が可愛い。
ところが姫の父・幸崎伊賀守の使者(又五郎)から、交換で預けていた左衛門の首をうったと聞かされた兵衛。問題の鑢(やすり)目入り「影の太刀」の血糊を見て、伊賀守の真意を察知し、狼狽しまくる妻・梅の方(6代目歌右衛門の養子、魁春が片外しで安定感)を叱りつけて「身支度」に向かう。表情の変化で表す伏線が巧妙だ。
舞台が回って、いよいよ第二場・奥書院合腹(あいばら)の場。花道から首桶を抱えた白髪頭の伊賀守(幸四郎)が、よたよたとやってくる。木戸を開けるところ、草履を脱ぐところの、陰腹の演技が大袈裟過ぎなくて巧い。梅の方が無視していると、伊賀守にうたれたはずの左衛門(りりしく錦之助)が親に別れを告げに帰ってきちゃう。伊賀守は「成仏の道、忘れたか」と、一喝して追い返す。
そこへ兵衛がやはりよたよたと、刀を杖替りに登場。2人同時に首桶を開けると、そこには首ではなく同じ願書が。ともに命を差し出して、互いの子を救う決意だったのだ。梅の方をまじえて、苦しみながらも爽快に笑うクライマックスへ。この「三人笑い」、浄瑠璃らしい無茶苦茶な設定なんだけど、この顔ぶれだとさすが感動させる。魁春の抑制、仁左衛門の痛切さとみなぎる使命感、そして幸四郎の実直さが良かった~。
休憩で食事をとり、大詰第一場・刀鍛冶正宗内の場。通称「鍛冶屋」は久しぶりの上演だそうで、がらっと賑やかになる。
こともあろうに父の正宗(歌六)を追い出していた暴れ者・団九郎(吉右衛門)を、村人(爽やかな歌昇、種之助、隼人)がとりなす。敵役・渋川藤馬が、いちゃつく妹おれん(芝雀)と下男、実は来国俊(声がよく通る橋之助)にからんだり、下女とやり取りするチャリ場をへて、第二場・風呂場の場へ。正宗は国俊が恩師の孫と悟り、秘伝の焼き刃の湯加減を教える。橋之助は一歩ひいた役回りながら、歌舞伎らしい古風な二枚目がぴったりだなあ。
いったん幕を引いてから、第三場・仕事場の場では注連縄も神々しく、正宗、団九郎、国俊のリズミカルな相槌がダンスのよう。正宗が団九郎を見限って、腕を落としちゃう衝撃の展開の後、団九郎が一転、親の心根に触れてすべてを白状し、改心する。
やってきた薄雪姫を国俊に託し、吉右衛門がスケール大きく、鍛冶屋にちなんだ立ち回りで追手をやっつけて、幕となりました。拍手!
短い休憩を挟んで、ラストは川尻清潭作「夕顔棚」。これがまた素晴らしく、婆(菊五郎)と爺(左團次)による老夫婦の夕涼みの一コマは、田園情緒のおおらかさと、ベテランならではの洒脱な味わいが染みる逸品だ。
猿之助(現猿翁)、7世三津五郎で1951年に初演、当時は終戦の喜びがこめられていたとか。客席の照明を落とし、舞台は久隅守景「夕顔棚納涼図屏風」にちなんだ夕顔、月と川の流れが美しい。上手に清元連中。
風呂あがりの爺との手拭の投げ合い、婆のあられもない登場シーンがまず笑える。仲良く酒を酌み交わしていると、盆踊りの唄が聞こえてきて、若い日を思い出して踊り出す。洗濯に使う打盤や砧を使ったり、入れ歯を飛ばしたり、里の男女(柔らかく、きりっとした巳之助、梅枝)に触発されて頬を寄せあったり。やがて華やかな盆踊り装束の村人たちに誘われて、河原へ向かう。いやー、充実してました。