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平成中村座「妹背山婦女庭訓」「高杯」「幡隨長兵衛」

平成中村座 陽春大歌舞伎 夜の部  2015年4月

18世中村勘三郎の没後3年目に復活した、猿若町にほど近い浅草寺境内の仮設劇場だ。小ぢんまりした江戸の芝居小屋の親密さと、中村屋の面々を応援する温かい雰囲気が心地よく、古典に庶民の楽しみという血が通う。舞台に近い1階上手桟敷で1万4500円。休憩2回を挟んで約4時間。

まず浄瑠璃が入る近松半二作「妹背山婦女庭訓」から、七之助奮闘の「三笠山御殿」。2年前に文楽で観た時代物だ。鎌足の子息・淡海(中村橋之助)と入鹿の妹・橘姫(中村児太郎)は、苧環を使って互いが敵同士と知るが、姫は恋に生きる決意を吐露、官女たち(中村芝のぶら)が応援する。そこへお三輪(中村七之助)が、苧環で恋しい淡海を追ってくる。豆腐屋のおむら(中村勘九郎)と行き会うチャリ場では、娘お柳(波野七緒八)が花道で「中村屋!」と声をかけて可愛らしい。
ここからお三輪の悲運ストーリーとなり、立ち役が演じる無骨な官女たち(中村いてうら)にいたぶられた末、姫の祝言が近いと知って嫉妬から「疑着の相」を顕す。七之助、町娘からの表情の変化が見事です。ついには鎌足の家臣・金輪五郎(中村獅童)に刺され、淡海のため落命する。

休憩に席で老舗のお弁当をつつき、次はお待ちかねのお家芸「高坏」。1933年に6世尾上菊五郎と7世坂東三津五郎が初演し、1952年に17世中村勘三郎が復活させたという新作舞踊だ。作詞は宝塚の久松一声、作曲初世柏伊三郎、振付は二世藤間勘祖。
幕が開くと、背景は松羽目ならぬ花盛りの桜で明るい。嵯峨野まで花見にきた大名某(片岡亀蔵)は、盃を地べたに置こうとする次郎冠者(勘九郎)に、高坏を手に入れるよう命じる。戸惑う勘九郎の表情、特に目つきに父譲りの愛嬌があふれる。
高足売(中村国生が達者)にからかわれて高下駄を買い、あげく2人で酒盛りして寝込んでしまう次郎冠者。大名と太郎冠者(小柄な中村鶴松)に咎められるが、これが高坏だと言い張り、高下駄で見事にタップを踏む。ラストは後方の扉を開け放って3人でわいわい。勘九郎の魅力全開ですね。

休憩後は一座総出で、河竹黙阿弥の世話物「極付番隨長兵衛」。松本幸四郎や中村吉右衛門で観た「鈴ヶ森」でお馴染みの侠客伝だ。序幕が楽しい村山座舞台の場。3世河竹新七が改定したそうで、金平浄瑠璃を題材にした元祖・荒事「公平法問諍(きんぴらほうもんあらそい)」を上演中という設定だ。場内が一体になって、まさに平成中村座にぴったり。
なんと場内スタッフまで参加し、酔って芝居を邪魔する白柄組・水野十郎左衛門の中間を、舞台番の新吉(長身の中村橋吾)らが止める。名題昇進の公平役・いてうが口上を述べちゃうチャリ場を挟み(源頼義役の坂東新悟も声が通っていい)、今度は水野の家臣・坂田金左衛門が花道に居座っちゃう。そこへ後方の座席から悠々と、長兵衛(橋之助)が登場。座布団席の客らに話しかけながら歩いてきて、満場の拍手だ。格好良く金左衛門をやっつけると、正面のお大尽席に立った水野(坂東彌十郎)、近藤登之助(亀蔵)と対峙する。男伊達だなあ。

二幕の花川戸長兵衛内の場は、一転して愁嘆場となる。浅草の長兵衛宅に水野の使者が訪れ、藤の花見に招く。招待を受け、死を覚悟した長兵衛に、女房お時(七之助がはまり役)は涙ながらに晴着を着せる。駆けつけた弟分・唐犬権兵衛(獅童)や子分たち(勘九郎、国生、鶴松ら)、ついには幼い息子まで身代わりを申し出るが、長兵衛は町奴の意地を通し、早桶を用意するよう言いつける。貫禄です。「商売往来にある稼業をしろ」と言い残す、子別れが切ない。

大詰第一場、麹町水野邸座敷の場は美しい藤棚を背景に、長兵衛が剣術の腕を見せつける。それと知りつつ罠にかかった長兵衛は第二場、湯殿の場の美しい檜風呂で、9世市川團十郎発案という珍しい柔術の立ち回りを披露。水野との七五調のやりとりから、ついに槍にかかる。

今回は開幕後に現役最古参・中村小山三が94歳で亡くなるという寂しい出来事もあった。でも場内に勘三郎の目をかたどった絵を18か所に散りばめ、一座と見物衆の一体感が堪能できました!

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正しい教室

正しい教室  2015年4月

蓬莱竜太の作・演出、小学校の教室でのワンシチュエーション劇。「ハンドダウン・キッチン」風かな。ミュージカルスター井上芳雄が主演とあって、ファンが集まった感じのパルコ劇場、後ろのほうで8700円。休憩無しの2時間。

教師となった元委員長(井上)が、息子を亡くして帰郷したマドンナ(鈴木砂羽)を慰めようと、懐かしい教室でミニ同窓会を開く。「変わらないねえ」「誰だっけ」と、ぎこちなくも温かい、いかにも同窓会の空気だったが、横暴だった元担任(近藤正臣)の登場で一転、険悪に。
今も近藤を強く嫌悪するおしゃま女子・児島聖、妻に逃げられた番長(高橋努)、その手下でたちの悪い商法にはまっている有川マコトら、封印した暗い過去や、それぞれが現在直面する窮地が露見していく。

横暴でひねくれ者の近藤は、果たしてただの嫌な奴なのか。対照的に、生徒や保護者から好かれている真っ直ぐな井上が、本当に理想の教師なのか? 有川のカツラとか、高橋が持参するカレーとか、素朴なギャグを散りばめつつ、普通の人々が抱える屈託、そして人の本性というものを描く。緻密で、よくできた脚本です。壁に並んだ子供たちの習字「希望」の文字が皮肉だ。

近藤がよく通る声で、嫌われ老人を好演。カーテンコールで、打って変わって溌剌とするのもいい。共演陣は手堅いものの、群像劇だけに突出した求心力はないかな。ほかに前田亜季、岩瀬亮。

禁断の裸体

シアターコクーン・オンレパートリー2015「禁断の裸体」  2015年4月

日ブラジル外交関係樹立120周年と銘打ち、来年の五輪開催地リオデジャネイロを舞台にしたネルソン・ロドリゲスの「カリオッカ悲劇」を上演。芸達者な キャスト、「ポツドール」三浦大輔のお馴染み大胆演出と話題が揃うものの、翻訳劇のせいかひりひり感は薄いかな。けっこう年配客が目立つシアターコクーン、後ろ のほう中央で1万円。休憩を挟んで2時間半。

物語は家族の崩壊劇。妻を亡くした紳士エルクラーノ(内野聖陽)が、兄にコンプレックスを抱く不良の弟パトリーシオ(池内博之)の企みに落ちて、あろうことか娼婦ジェニー(寺島しのぶ)に溺れてしまう。亡き母を慕う息子セルジーニョ(野村周平)は父に反発して転落、幸せを求めて精一杯取り繕っていたそれぞれの人生が破綻する。

背景に林立する巨大なクロスが精神のくびきを象徴し、登場人物の無軌道を際立たせる。1965年初演、73年には映画化されてベルリン映画祭銀熊賞を受賞したそうだが、宗教をベースにした文化の違いのせいか、時代の変化のせいか、センセーショナルさを感じるのが厳しい感じは否めない。個人的に三浦演出は、もっと得体のしれない虚無的戯曲のほうが生きる気も… 翻訳・ドラマターグは広田敦郎。

内野、寺島の文学座同期コンビと、たおやかにどんでん返しを担う野村が、生真面目に奮闘。内野はけっこうコメディタッチ、寺島は色気より端正さが先に立つ。この演目のために体重を増やしたという池内のだらしなさが、一番はまっていた。ほかに甥を溺愛する3人の魔女ならぬ3人のおば、木野花、池谷のぶえ、宍戸美和公や、ポツドールの米村亮太朗らが安定。
ガウディ風の岩の洞窟のような3階建てセットがお洒落だった(美術は田中敏恵)。

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三人会「転失気」「金満家族」「文違い」「竹の水仙」

喬太郎 三三 桃太郎 三人会  2015年4月

高水準の顔合わせの落語会に足を運んだ。日本橋公会堂(日本橋劇場)の中央あたりで3500円。中入りを挟んで2時間弱。

前座は昔昔亭喜太郎で、お馴染みの馬鹿馬鹿しい「転失気」。
続いて師匠の昔昔亭桃太郎。兄弟弟子の春風亭昇太を結婚させなくちゃ、自分が図書館通いと、浮気するようになったのは妻のおかげ、昇太は二つ目の頃もてた、長嶋や王は早く奥さんを亡くしている…など、とりとめないマクラから、2年前にも聴いた「金満家族」。変わらず飄々と。
2席目は柳家三三で、女性ファンに話しかけられたら一之輔ファンだった、などと、さらっと語って「文違い」。内藤新宿の遊女が馴染み客に、手切れ金だとか親が病気だとか適当な嘘をついて金をせしめ、病気の恋人に貢ぐ。ところが恋人は別の女に貢いでいて、互いに落とした手紙から事情を知った遊女と馴染み客が喧嘩になる。騙し騙され、どっちもどっちのシニカルな廓噺。下手をすると不快になりそうだけど、淡々と演じていて巧いなあ。

最後は柳家喬太郎。4月の新潟の落語会(虹色寄席)は2会場でひとり3席もやる、楽屋のカレーが美味しい、共演陣が同年輩なので打ち上げが弾ける、かつては三遊亭白鳥が酔いつぶれ、翌朝部屋にダウンの羽が散乱していて大騒ぎ、などなど爆笑させてから、意外にしっとりした「竹の水仙」を短めに。3年前に橘家文左衛門さんで聴いた左甚五郎ものだ。
宿の主人の夫婦喧嘩は割とコンパクトで、悠々と語る甚五郎の大人物ぶりに力点がある感じ。村役人がいい人で面白い。ちょっと説明を入れて「今日は古典だ、我慢しろ」なんてクスグリが楽しい。堪能。

中入り後はなぜか3人でトークショー。といっても桃太郎さんの楽屋話の放談を2人が聞くだけだ。桂米丸、歌丸師弟の噂とか、協会長は昼行燈がちょうどいいとか、襲名は難しい、志ん朝の名は誰も継がないでほしい、芸術協会に移籍した立川談幸は転校してきた女子みたい、などなど、喬太郎、三三は受け答えに窮してばかり。最後は喬太郎を芸術協会にスカウトしたい、と言って幕となりました。

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METライブビューイング「湖上の美人」

METライブビューイング2014-15第9作「湖上の美人」  2015年4月

いやー、スクリーンとはいえ堪能しました。ここ数年、世界的ブームだというロッシーニ円熟期の作品を、METが初演(上演は3月14日)。当代一流のスターが、登場いきなり装飾音符満載、超絶技巧のベルカントを次々に披露して素晴らしい。まさに声の饗宴です。年配のファンでほぼ満席の新宿ピカデリー、いつもの最後列で3600円。休憩を挟み3時間20分。

お話は16世紀スコットランド、カトリン湖を舞台にしたロマンティックな騎士物語だ。ハイランド反乱軍ダグラス(米国期待の新星バス、オレン・グラドゥス)の美しい娘エレナ(お馴染みカンザス生まれのメゾ、ジョイス・ディドナート)を巡り、身分を隠して近づいた国王ジャコモ5世(待ってましたファン・ディエゴ・フローレス)と、父の盟友である婚約者ロドリーゴ(アイオワ出身のテノール、ジョン・オズボーン)、そして真実の恋人マルコム(イタリアのメゾ、ダニエラ・バルチェッローナ)が競う。

イタリアの有望株ミケーレ・マリオッティの若々しい指揮で、全編明るい旋律が弾む。道具立ては戦いの高揚、勝利の褒美としての女、やたらに飲む酒と、まるっきり任侠映画だけど、決して「チェネレントラ」や「オリー伯爵」のような単純・お気楽路線ではない。ピュアなエレナが命がけで、敵対する勢力に和平を訴える。勝者である王はそれに応えて叛徒ダグラスを赦し、エレナと恋敵マルコムを祝福しちゃう感動の幕切れだ。1幕ラスト「星よきたれ」などの合唱も重厚で、1819年初演、ロマン派の先駆けという解説がうなづける。

歌手陣がとにかく粒ぞろい。なかでもやっぱり100年にひとりのロッシーニテノール、フローレスが一頭地抜けた輝かしさだ。休養十分の2幕冒頭、「おお甘き炎よ」が分厚くて圧巻。対峙する恋敵オズボーンにも色気があり、1幕のアリア、そして2幕フローレスとのハイC対決でも、全く気負いがなくてお見事。
もちろんヒロインのディドナートは、第一声からフィナーレ「胸の思いは満ち溢れ」まで、ドラマティックで自信満々に舞台を牽引する。さらに堂々たるズボン役(スコットランドだからスカート着用だけど)のバルチェッローナが、憂いをたたえた「エレナ君を呼ぶ」「ああ死なせてくれ」などで拍手喝采。ドリームチームだけに2重唱、3重唱もたっぷり聴かせます。幕間のインタビューのコメントに、それぞれ含蓄があるのも楽しい。

演出はスコットランド生まれのポール・カラン。空や雲の映像が幻想的で、大詰め王宮の金ぴか衣装と王座が鮮やかだったけど、ちょっと照明が暗かったかな。
幕間の案内役はパトリシア・ラセット。ゲルブ総裁と来シーズンの演目を紹介してた。

ヒダリメノヒダ

ヒダリメノヒダ  2015年4月

マームとジプシーの新作で、精力的に活動する藤田貴大が、作・演出のほか黒子として登場。乙女の思考のみずみずしさと、大人になってもずうっと脳内で反芻しているような、妙な心地よさは、いつも通り。表現にいくらか新しい工夫があって、今後の進化が楽しみです。
若者が多めのKAAT神奈川芸術劇場大スタジオ、予約3500円で自由席。この日はゲストにピアニストKanSanoが加わったバージョンで、ピアニカや歌が盛り上がる。休憩無しの1時間半強。

物語はお馴染み、作家がこだわり続ける北海道の海辺の町で、サトコ(吉田聡子)の中学時代の記憶がフラッシュバックしていく。命を絶った同級生シンタロウ(尾野島慎太朗)への苦い思い、家業の畜産業を継ぐリョウスケくん(石井亮介)との恋と別れ、故郷を出る選択。そんな断片が、リョウスケのチャーミングな妹ユリコちゃん(川崎ゆり子)や、元彼でボクサー志願のサトシ(波佐谷聡)、兄貴分の中島広隆という、ごく親しい数人とのやり取りで、淡々と綴られる。
サトコが子供時代、視力が落ちた左目で観ていたという、ぼんやりした世界の存在が印象的だ。繰り返される、観たくないものは観なくてよかった幸せな時代。そして実は、脳がとらえる視界と現実とはずれているかもしれない、という疑念。文学だなあ。

スタジオ両辺に客席を並べ、空間に2列の金属枠を吊るして細長いステージを構成。枠の間に長机や自転車などを出し入れして、シーンを展開する。登場人物がしゃべりながら、延々と並んで歩くのがいいリズムを生む。誰もが覚えがある、あの頃の時間の流れを思い出ささせて、懐かしい。
そのぶん今回はトレードマークのでんぐり返しやセリフのリフレインは控えめだ。川崎が歌う「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」が、ストレートに切なさを訴えかけてくる。まあ、感傷的過ぎ、乙女過ぎとも言えるので、相変わらず好き嫌いは分かれるだろうけど。
開幕前からステージでなにやら調理していて、いい匂いが漂ったり、ショッキングな解剖やら写真の現像やらもあって、面白い試みでした。


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運命の力

運命の力  2015年4月

ヴェルディがマリインスキー劇場のために書いた中期作を、スカラ座版で。個人的には震災直後、フィレンツェ歌劇場の来日公演をパスした時の演目であり、感慨深い。入りは今ひとつだけど、オペラ好きが集まった感じの新国立劇場オペラハウス、中央のいい席で2万520円。25分の休憩を挟んで3時間半。
金管が3度鳴る印象的かつ多彩な序曲から、華麗な旋律が盛りだくさんだ。指揮は気鋭のホセ・ルイス・ゴメスで、ベネズエラ生まれのスペイン人。東フィルが良く響き、歌手陣も堅実だった。

物語は言ってしまえば救いがなく、セヴィリアでの異文化差別と偶然の事故が、名誉のための復讐劇につながってしまう悲劇だ。宗教色もあって、「ドン・カルロ」を思わせる。
ヒロインのレオノーラ(グルジアのソプラノ、イアーノ・タマー)は、インカ王族の血をひくドン・アルヴァーロ(ベオグラードのテノール、ゾラン・トドロヴィッチ)と駆け落ちしようとするが、恋人が誤って父の公爵(久保田真澄、バス)を射殺してしまう。逃走したレオノーラは修道院のグァルディアーノ神父(バスの松位浩)を頼り、洞窟に隠棲する。一方、軍に身を投じたアルヴァーロは戦場でレオノーラの兄ドン・カルロ(イタリアのバリトン、マルコ・ディ・フェリーチェ)と出会い、一度は友人になるものの、正体がばれて決闘になる。結局、カルロ、レオノーラが落命、残されたアルヴァーロは宗教的な雰囲気のなか運命を受け入れていく。過酷だなあ。

2007年に新国立劇場の「カルメン」で聴いて以来だから、久しぶりのトドロヴィッチがのっけから声が良く伸びて、3幕の「天使のようなレオノーラ」など迫力たっぷり。外見はデニーロみたいだったけど。フェリーチェも達者に難役をこなし、トドロヴィッチとの2重唱、3幕1場の「命ある限り、また死んでからも」や4幕1場の「アルヴァーロ、無駄だ」を堂々と。タマーは地味な印象ながら、徐々に調子をあげ、2幕2場「あわれみの聖母よ」の細い声が素晴らしく、4幕2場のドラマチックな大アリア「神よ平和を与えたまえ」で最高潮に。
脇も贅沢で、兵士たちを鼓舞するロマの娘ケテワン・ケモクリーゼ(グルジアのメゾ)が大人気。3幕2場の軽快な「ラタプラン」が実に盛り上がる。2013年のスカラ座「リゴレット」で妹マッダレーナを聴いた美人さんですね。お馴染み松位さんも深い声がいい。

散漫になりがちで難しい演目ということだけど、演出は洒落ていた。設定を18世紀から1920年代に移し、3幕のオーストリア継承戦争はスペイン国民軍のキャンプに。不穏な赤い背景と、冒頭と終幕の四角い枠のセットが、だんだん狭くなって運命の行き詰まりを表現。2幕2場の修道院で合唱団がもつ蝋燭の光、そしてラストに舞い落ちる雪が美しかった。
この作品、スカラ座初演時にヴェルディが、当代一流指揮者のマリアーニから婚約者のソプラノ、シュルツを奪っちゃって、以後、マリアーニはワーグナーに傾斜したとか。いやあ、オペラってバックステージもドラマだなあ。

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