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マーキュリー・ファー

マーキュリー・ファー  2015年2月

観終わって俄かに立ち上がれないほどの名舞台。英国のフィリップ・リドリーがイラク戦を背景に、2005年に発表した鮮烈な戯曲だ。小宮山智津子訳、白井晃の演出で。胸が苦しくなるほどの恐怖と絶望を、大好きな高橋一生が振幅大きく演じ切る。若い女性が目立つシアタートラム、中央前寄りのいい席で6300円。

暴力と無秩序にすさんで、命が軽くなってしまった町。足の悪い売人エリオット(高橋)と無垢な弟ダレン(瀬戸康史)は廃アパートに入り込み、そこに住みついていた気のいいナズ(水田航生)、恋人ローラ(中村中)と一緒に「パーティー」の準備を急ぐ。ローラの兄スピンクス(小柳心)が請け負ってきた、金持ち(半海晃)相手の醜いビジネス。それは精神を打ちのめし、崩壊へとなだれ込む。

予備知識なく、チラシ写真から何か退廃的なものをイメージしてたら、全く違っていて、見事にノックアウトされた。若者が切れ切れに、また饒舌に語るハードな過去と現在。「バタフライ」で記憶を混濁させなければ、とても乗り切れない過酷さだ。それでも必死で、互いの心臓の音を聴き、正気を保とうとする姿の切なさ。ラスト、絶望的としか言いようのない状況で、ダレンが兄を揺さぶるシーンの美しさ。休憩無しの2時間15分にまるで無駄がない。
エリオットが語るミノタウロス退治の神話が、ひときわ印象的だ。ダレンは尋ねる。ミノタウロスは人間の体を持つ牛なのか、牛の頭を持つ人間なのか? もし人間なら話せばわかるかもしれない、でも牛なら殺してもしょうがない… 果たしてそれを誰が峻別できるのだろう?

「ガラスの葉」みたいな仕掛けはなしで、客席の暗闇と廃アパートの闇をうまくだぶらせ、観る者を無残な世界に引きずり込む。舞台ならではの体験。ぶっ飛んだダークファンタジーのようだけど、実はこの物語はずっと人間がしてきた、そしてまた今もしつつある、リアルな所業なのだ。
観終わって、1957年生まれの白井が今、これを手掛けることの意味がずしりと胸に残る。埃っぽい廃墟の美術は「SEMINAR」などの松井るみ、衝撃の幕切れまで感情にぐいぐい訴える照明は「背信」などの齋藤茂男。

俳優は皆、エネルギーがあって素晴らしい。なんといっても高橋が、冒頭からよく響く声でテキパキと強く、しかし弱くもある多面的造形。持ち前の繊細さをいかんなく発揮していた。ストーリーの無残を象徴する水田のきらめく愛嬌は、先々楽しみ。小柳の野太さ、瀬戸の不安定さもいい。ほかに母役に千葉雅子、「プレゼント」に小川ゲン。

ロンドンではもっとハードな演出だったらしい。恐るべし。

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