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十九歳のジェイコブ

十九歳のジェイコブ  2014年6月

中上健次が1978年から80年にかけて執筆した原作を、「サンプル」の松井周脚本、「維新派」の松本雄吉演出で。音楽監修は菊地成孔(なるよし)だ。新国立劇場小劇場の中段上手寄りで4800円。休憩なしの2時間。

新宿のジャズ喫茶でドラッグにおぼれるジェイコブ(石田卓也)と金持ちのユキ(松下洸平)、はすっぱなキャス(横田美紀)、ロペ(奥村佳恵)。若者たちの無軌道と崩壊を乾いたタッチで描く。ジェイコブは父かもしれない高木(石田圭祐)の存在や兄の死にとらわれており、やはり家族との間に葛藤を抱えるユキはバクーニンを読み、大企業爆破を妄想する。
淡々と進む、現実とも幻影ともつかないシーンはとらえどころがない。自分が中上作品に馴染みがないせいか。暗い舞台にベンチ数個で場面を構成しており、街中で鳴り出す赤い公衆電話や鮮やかな色に塗られた家中の日用品、大音響で鳴るヘンデルなどなど、イメージは豊富なのだけど。ところどころ背景のスクリーンに小説のテキストを流すスタイル。
若手はみな頑張ってましたね。カーテンコールは無しでした。

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海辺のカフカ

海辺のカフカ  2014年6月

2002年刊行、ニューヨーク・タイムズ紙で2005年ベスト10に選ばれた村上春樹の原作を、蜷川幸雄の演出で。2008年にシカゴで舞台化した折のフランク・ギャラティ脚本、平塚隼介の翻訳という逆輸入バージョンだ。2012年以来の再演で、2015年にロンドン、ニューヨーク上演が予定されている話題作でもある。赤坂ACTシアター、前のほうやや上手寄りで1万1000円。休憩を挟み3時間45分。

「世界で最もタフな15歳」田村カフカ(新人の古畑新之)は、父と決別して東京・野方の家を出、高松の私設図書館に身を寄せる。道中に美容師さくら(鈴木杏)と、また図書館では管理にあたる佐伯(宮沢りえ)、司書の大島(藤木直人)と出会う。一方、猫と話せるナカタさん(木場勝己)は、謎の男ジョニー・ウォーカー(新川将人)を殺すはめになり、星野(高橋努)のトラックに乗って四国へ向かう。やがてカフカとナカタさんの運命がシンクロしていく。
フランツ・カフカ、ギリシャ悲劇を思わせるエピソードや、半分しかない影、「入口の石」。意味深な暗示が盛りだくさんで、特に謎解きはないままイメージが放り出される。確かなのは登場人物誰もが、容赦ない暴力に遭遇し、深く傷ついていること。こんなにも理不尽に満ちた世界を、果たしてカフカは生き延びるのか。

広く暗い舞台に、透明アクリル板でできた大小の箱を人力で出し入れしてシーンを作る。ある箱は書斎、ある箱はサービスエリア、ある箱は樹木が茂る深い森。狭いところに閉じ込められた登場人物たちの、行き場のなさがくっきりする。シガー・ロスなどの音楽、節目にチェンバロや和楽器の演奏を挟むが、全体にはひどく静謐な印象だ。残酷だったりセクシーだったりするのに、透明感があって、風に膨らむ白いカーテン、終盤で舞台いっぱいに降り注ぐこぬか雨が美しい。美術は中越司。
俳優陣は宮沢の歌以外、マイクを使わずに健闘。木場に終始、確かな存在感があり、コンビを組む高橋が伸び伸びといい味。小柄で弱々しい古畑は、迷い続けるカフカを表現し、分身カラス役、柿澤勇人の若者らしさといい対比だ。宮沢は期待通り、たおやかで美しい。前半ほとんど出番がないのが贅沢です。カーテンコールの引っ込みで、宮沢が古畑にちょこんとお辞儀させるのが、親子っぽくて微笑ましい。たださすがに、ちょっと長かったかな。演劇で語るには、イメージが豊富過ぎるのかも。

「言うな」「転失気」「寝床」「お見立て」「友よ」

東西競演特選落語会  2014年6月

三三、喬太郎、たい平、文枝という豪華顔ぶれの落語会で、昼の部。トリを意識してか、軽めの古典が多く、テンポのいい会でした。雨交じりの地元・杉並公会堂大ホール、中央あたりの席で4500円。ロビーでは笑点グッズの販売も。中入りを挟み2時間強。

前座はびっくりの名前、三遊亭ございます。演目は前座噺ではなく創作「言うな」。時節をとらえて、残業でサッカー中継を見られないファンが、録画で楽しもうと結果が耳に入らないよう奮闘する。安定感あり。
そして柳家三三。ひょこひょこ歩きに磨きがかかった感じだ。駅から公会堂までちょっと歩くこと、忙しいふり、保育園児相手の落語といったマクラから「転失気」。医者に「テンシキはあるか」と聞かれ、知ったかぶりをしちゃった和尚が、小僧に花屋で尋ねさせるが、「床の間に飾っていた」とか「味噌汁の実にした」とか要領を得ない。小僧は医者から、実はおならのことだと教わり、和尚にいっぱい食わそうと盃の意味だと偽る。和尚と医者の頓珍漢なやりとりで笑わせる他愛ない噺が、この人にかかると上品だ。
続いてお楽しみ柳家喬太郎。いつもの人を食った雰囲気で、前のほうに空席があることを嘆いたりしてから「寝床」。旦那が下手な義太夫を聴かせようとし、長屋の店子、店の使用人が逃げ回る。旦那がヘソを曲げたため、みな観念して聴くものの、酔っ払ってしまう。ひとり泣いている丁稚に、御簾から出てきた旦那が喜んでどこに感動したのか尋ねると、「その御簾が自分の寝床だ」というサゲ。テンシキや芝浜をまじえた苦し紛れの言い訳づくし、義太夫の意味不明の唸りやピストル並みの破壊力などで爆笑を誘う。さすが、強引にもっていくなあ。

中入り後は林家たい平。笑点ネタで笑わせておいて「お見立て」。花魁が嫌なお大尽に会おうとしないため、間に入った若い衆は病気だと嘘をつく。お大尽が見舞うと言い張るので、死んだことにし、ついには山谷の墓に案内する羽目になる。「どれが本当の墓だ」と聞かれ、花魁選びになぞらえて「どうぞお見立てください」。はきはきしているが、色気は少なめ。
トリは釈台をおいて大御所・桂文枝で、実はこの人の落語を聴くのは初めてだ。1年8カ月に及んだ襲名興行の話から創作「友よ」。高校時代からの旧友、柳原と石山が70代になって、温泉に出かける。膳をつつきながら互いの老境の愚痴やら、若き日に熱中したジャズバンドの思い出やら。いじましいなかに、ほろりとさせる友情談だ。さすが、飄々としてましたね。
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ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと――

マームとジプシー「ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと――」  2014年6月

現在29歳の藤田貴大が作・演出。2011年の岸田國士戯曲賞受賞作を大幅に再構築したという。畳みかけるセリフとでんぐり返しが独特の空気を生んで、不器用に、だけど繊細に「帰る場所の喪失」を描き出す。若いファンが多い東京芸術劇場シアターイースト。整理番号順に入って、自由に席を選ぶ形式だ。前寄り中央で、お得な3000円。休憩なし1時間50分。

都会で家庭を築いた長女りり(声が印象的な成田亜祐美)と次女すいれん(荻原綾)が、今では長男かえで(張り切り気味の尾野島慎太朗)が一人で住む故郷の家に帰ってくる。取り壊されると知ってあふれ出る、この家で過ごした日々の、忘れられない記憶の断片。父の死、従兄の事故死、りりの旅立ち、すいれんの傷心。
視界はあくまで半径3メートルの、些細でありふれた日常だ。いっそ古臭いほど。だからこそ、一本調子なまでの言葉と動きのリフレインが、観る者の心の底にある哀しみをぐいぐい引っ張り出す。ドラマチックな驚きがあるわけでもないのに、昨年の「モモ」同様、終盤ではすすり泣く女性も。不思議な魅力だなあ。
それにしても、女子の気持ちがわかり過ぎ。りりの娘(個性的な吉田聡子)とすいれんの娘(川崎ゆり子)、十代同士の喧嘩シーンが瑞々しくて、ちょっと笑える。家族団欒に紛れ込む、すっとぼけた旅人あんこ(召田実子)もいい味だ。ほかに伊東茄那、波佐谷聡、斎藤章子、中島宏隆、石井亮介。

俳優全員が白い衣装で個性を抑え、自在に年齢を行き来する。俳優自ら中央の舞台(盆)を手で回し、細い角材で家を組み立て、解体するのがちょっと学園祭っぽい。「そっか、そっか」とか、歌うようなセリフ回しなので、上手い下手はよくわからないんだけどね。
前半には舞台奥で食事を用意する手元を、カメラでスクリーンに投影する面白い趣向もあった。ずっとこのまま内省的なのか、変わっていくのか、気になる作家、劇団です。
パンフは小さい折り紙風で、飴のおまけ付き。客席には山中崇さんがいらしてました~
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関数ドミノ

イキウメ「関数ドミノ」  2014年6月

見逃せない前川知大作・演出の劇団イキウメ。リアルな日常のすぐ隣に、SF的状況がぽっかり口を開けている。笑いもあって、休憩無しの約2時間を長く感じさせない。2005年初演作の再々演だが、内容は毎回書き換えられているという。若いファンが目立つシアタートラムの、下手寄り最前列でお得な4200円。

きっかけは平凡な地方都市で起こった、不可解な交通事故だ。保険調査員(岩本幸子)が、大破した車のドライバー(新倉ケンタ)、なぜか無傷で済んだ歩行者(大窪人衛)とその兄(浜田信也)、恋人(吉田蒼)、さらに目撃者たち(安井順平、森下創、盛隆二、伊勢佳世)を集めて証言させるところから、ミステリーが始まる。安井が「願いが無自覚にかなってしまう人物=ドミノの仕業だ」と言い出し、周囲はまさかと否定しつつ、「ドミノ幻想」にどんどん巻き込まれていく。
「うまくいく奴は、何かズルしているに違いない」というネガティブな思考回路は、ネット社会に広く蔓延する一種の陰謀説を思わせる。確かに、たいして努力しないのに、成功する人はいる。それにひきかえ自分は…。誰でも少しは覚えがある、胸がちりちりするような割り切れなさ。それを飲み込んだうえで、どう行動するのか。

シンプルな四角い舞台と、周囲に点在するテーブルと椅子で、場面を転換していく。安井は「地下室の手記」で観た時のような、歪んだ人物像をくっきり描き、対する浜田がいつもの少し不気味な身体能力を発揮して、謎を振りまく。2つの個性の間で、あくまで普通の人、森下の存在がいいバランスだ。新倉が野性的で要注目。
上手な劇団だけど、やっぱり理屈が勝っている分、色気の要素は少ない。そんななか、浜田が吉田にパスタを食べさせる妄想シーン、がんばってました。お勧め!

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昔の日々

昔の日々  2014年6月

英国のノーベル賞作家、ハロルド・ピンターの戯曲を、人気演出家デヴィッド・ルヴォーで。谷賢一翻訳。客席は年齢層が高めだ。やや広すぎる感じの日生劇場、前のほうで8000円。休憩なしの1時間半。

ピンター作品は2012年、深津篤史演出で「温室」を観たことがある。それに比べると不条理度は低めなのに、一段と難解に感じたのは、設定が日常的だからか。舞台はディーリー(堀部圭亮)とケイト(若村麻由美)夫婦が暮らす海辺の家だ。ケイトの旧友アンナ(麻美れい)が訪れてきて、前半は居間、後半は寝室のワンセットでえんえんと会話が続く。饒舌だけど、夫婦も、20年ぶりに再会したはずの女同士も、ひどくよそよそしい。それぞれが語るロンドンでの華やかな日々の記憶は、微妙に食い違っている。
ケイトとアンナは単なるルームメイトだったのか、かつてディーリーとアンナは何かあったのか、いったい誰が生きて実在するのか? 帰りに出口で演出ノートの抜粋が配られ、今回の設定を種明かし。確かにいかようにも解釈できそうで、だからこそ、どう解釈しても居心地の悪さが残るのかも。

セットは真四角の舞台を印象的な白い照明で囲み、遠くにピアノや蓄音機が点在する背景をわざとパネルで遮る。狭い閉鎖空間が静謐かつスタイリッシュだ。美術は「シダの群れ第三弾」などで観た伊藤雅子。
俳優3人が膨大なセリフをこなして立派。不安定にコーヒーカップを持ちながら、ぐっと顔を近づけたり、バスローブ姿で床に転がったり、どきっとする仕草が多い。麻美のスタイルの良さも際立ってました。

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赤鬼

青山円劇カウンシルファイナル「赤鬼」  2014年6月

1996年初演で、タイ、ロンドン、韓国ヴァージョンを経てきた野田秀樹の人気戯曲を、1984年生まれの中屋敷法仁(柿喰う客代表)演出、俳優も20代が多いフレッシュな布陣で。閉館が迫ってきた青山円形劇場で、6500円。客席は老若男女幅広い。休憩なしの1時間40分。

村の浜辺に異人(カンパニーデラシネラの小野寺修二)が打ち上げられる。村人は「赤鬼」と呼んで近寄らないが、あの女(黒木華)と兄のとんび(柄本時生)だけは少しずつ心を通わせていく。女を思う嘘つき水銀(玉置玲央)の嫉妬が発端で、赤鬼と女が処刑されかけ、とんびと水銀が救い出して海に漕ぎ出す。赤鬼のふるさと「海の向こう」を求めて。しかし4人を待ち受けていたのは悲劇だった。

言葉とは何か、無知とディスコミュニケーションの悲しさ、そして本当の残酷さとは。常に現代性を帯びるよくできた寓話を、二重の円形ステージと、踏み台やガラス瓶など最低限の道具立てで濃密に綴る。マイムが本業の小野寺の振付で、俳優陣が疾走し、身体でズレや対立を表現する。
役者は全員ほぼ出ずっぱりで健闘だ。2010年に「表に出ろいっ!」で観てから、あれよあれよとのしてきた黒木がしなやか。玉置はいつもながら、とんがった存在感がいい味だ。散りばめられた笑いや言葉遊びの要素を、柄本が軽妙に。
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ビッグ・フェラー

ビッグ・フェラー  2014年6月

偶然にも2週連続でアイルランドものを観る。1956年英国生まれのリチャード・ビーンによる2010年の戯曲を森新太郎の演出で。精神の閉塞と排他性が、いかに救われないか。緊張感ある王道の大河ドラマだ。小田島恒志訳。浦井ファンらしき女性が目立つ。世田谷パブリックシアター2F席で7500円。休憩を挟み約3時間。

1972年の「血の日曜日」から98年の和平合意を経て2001年まで、ニューヨークでIRA地下活動に携わる男たちの30年。大立者コステロ(内野聖陽)はアメリカンドリームを掴み、純な消防士マイケル(浦井健治)は移民として自らIRAに加わったものの、恋人の死を契機に揺れ始める。アイルランドから逃れてきたお調子者ルエリ(成河=ソンハ)は、ニューヨークで人生を再構築しようとする。それぞれの苦しい選択から、年月の重みや、アイルランドにとどまらず連鎖するテロの虚しさ、正義の不確かさを描く。自由の国で大統領を輩出したアイルランド系社会が、裏ではテロを支え、中東紛争ともつながっていた現実。

シビアなストーリーだけど、テンポがよくて、笑いも多い。男同士の下ネタ満載の悪ふざけに、クラブ活動みたいな無邪気さと色気が漂う。やたらビールを飲むし。それだけに後半冒頭、田舎のおっちゃんにしかみえない幹部フランク(渋く文学座の小林勝也)がふるう唐突な暴力が、テロ組織の正体を見せつけるようで衝撃的だ。またラスト、おそらくこれから9・11の現場に赴くであろうマイケルの、ごくごく平凡な朝食風景が、皮肉で哀しい。

俳優陣は安定感があり、内野はマフィア風の格好よさ、そして長台詞のセント・パトリックス・デイ演説で圧倒する。ちょっと正当派過ぎるかもしれないけど。成河は相変わらず、声と動きに張りがあっていい。奇妙な訛りがだんだん洗練されていくあたりが巧くて、はまり役だ。2人に比べると浦井は抑えた演技だけど、雰囲気がある。三谷、蜷川、野田と、けっこう観ている人なんだなあ。ほかに謎のカギとなる美女カレルマに町田マリー(毛皮族)、怜悧なマイケルの恋人エリザベスに色っぽい明星真由美(氣志團のマネジャーもしていたという変わり種)、無骨な警官トムに黒田大輔(元THE SHAMPOO HAT)、声の出演は大谷亮介ら。

森演出は3月に観たイプセン「幽霊」のようにスタイリッシュではなく、リアルで丁寧だ。かつてアイルランドものの「ロンサム・ウエスト」も演出してたんですねぇ。セットの大部分を占めるマイケルのアパートは、時の流れとともに家具を入れ替えていて、きめ細かい。照明の変化が印象的で、奥のバスルームはラストで重要な謎をはらむ。一部マイク使用。プログラムは北アイルランド紛争やイエーツなど、背景の解説が充実してました。
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「小政の生い立ち」「太閤の風流」「浅妻船」「応挙の幽霊」「宅悦殺し」

神田春陽・旭堂小二三 二人会  2014年6月

雨の神保町で、今秋に真打昇進披露を控える春陽さんの会。怪しげな神田古書センター5Fの、怪しくないらくごカフェで2000円。満席です。中入りを挟んでたっぷり2時間半。
まずお二人の挨拶から。小二三(こふみ)さんは旭堂南陵門下の女流で、拠点は大阪。「旅費で赤字になるので、独り身とはいえ、最近はあまり東京に来ていない」。すかさず春陽さんが「独り身というところがポイント」と突っ込む。仲好さそうですね。

前座さんが人手不足だそうで、かわきりは「お手伝い」として、春陽さんが教えている声優学校JTBエンタテインメントアカデミーの学生さん、川村佳代が「次郎長外伝~小政の生い立ち」を、拙いながら元気よく。魚屋の政吉が次郎長と知り合うエピソードで、気のいい石松に突っ込む生意気ぶりが可愛い。
小二三さん1席目は、外国人の妹弟子のこと、大坂の陣400年と真田の大河ドラマで3年食える、というマクラから滑稽な「太閤の風流」。成り上がりの秀吉が意地悪な公家に歌を所望され、「奥山に紅葉踏み分け鳴く蛍」とやってしまう。細川幽斎が下の句を「しかとは見えぬ杣(そま)のともし火」と知恵をつけ、切り抜けたという、ちょっと教養を感じさせる話。美人だし、はきはきして非常に聞きやすい。
続く春陽さんは、旬の鮎の香りは加齢臭に似ているらしい、という「耳寄りな話」で笑わせてから、前にも聞いた「浅妻船」。紀伊国屋文左衛門の座敷での屛風のエピソード、そして三宅島に流された英一蝶からの便りとして、宝井基角が干物の印を探す友情談。前より軽妙さが増した印象。

中入り後は、小二三さんでこれは実話、という振りから「応挙の幽霊」。幽霊画で知られる円山応挙が長崎の遊郭で、病に伏している遊女を描き、形見の匂袋を受け取る。大坂の馴染みの店に絵を掛けると、物珍しさで大繁盛。お礼の着物から、実は遊女が幼いころ行方知れずになった娘だったと判明する。しっとりした孝行話にほろり。
ラストの春陽さん、告知が幾つかあり、これから語る怪談を中和するため魔法の言葉を、と称して何故かホモ映画館の爆笑マクラから「宅悦殺し」。喬太郎さんの落語で聴いたことがある「真景累ケ淵」の導入部ですね。宅悦が家を出るあたりが絵画的だ。不気味さは控えめかな。充実してました!

METライブビューイング「ラ・チェネレントラ」

METライブビューイング2013-14第10作「ラ・チェネレントラ」  2014年6月

今シーズンライブビューイングの締めくくりは、古風で能天気、イタリア版松竹新喜劇とも思えるロッシーニ作品を、「オリー伯爵」でも観た黄金コンビ、ディドナート&フローレスで。ファビオ・ルイージの指揮で、休憩1回を挟み3時間半。東劇の通路少し後ろで。上演日は5月10日。

2009年に新国立劇場のシラグーザで聴いた、童話シンデレラをベースにした演目だ。王子ドン・ラミーロ(ファンディエゴ・フローレス、テノール)が従者ダンディーニ(ピエトロ・スパニョーリ、イタリアのバリトン)と入れ替わっていて、チェネレントラ(ジョイス・ディドナート、メゾ)も舞踏会に仮面をつけて現れ、お互いに素性を知らないまま恋に落ちる。チェネレントラはとても善良でしっかり者の造形だ。対するパパ(アレッサンドロ・コルベッリ、イタリアのベテランバリトン)と姉たち(ソプラノのラシェル・ダーキン、メゾのパトリシア・リスリー)は愚かな打算のドタバタを繰り広げて可笑しい。

言ってしまえばベタなロッシーニ節を、歌手陣の力で聴かせる。フローレスはやっぱり、張りのあるベルカントが抜群。実は休演していたが、ライブビューイングにはしっかり間に合わせたそうで、2幕「あの娘を探し出してみせる」の高音を軽々決めて鳴りやまない拍手に再登場してた(アンコールは無し)。ディドナートは大詰めの大アリア「悲しみと涙のうちに生まれ」など、全編で超絶技巧を披露。ただ幕間のインタビューによると、この出世作も歌い納めらしい。さすがに幼すぎる設定なので、昨年の「マリア・ストゥアルダ」のような役にシフトしていくのかな。

新国立の「愛の妙薬」も手掛けたチェーザレ・リエーヴィの演出は、ポップ。ちょっと退屈な曲の繰り返し部分を、傾くソファーや登場人物を束ねちゃうリボンなど、動きのある笑いで埋めていく。白塗り、頬紅姿でわかりやすく道化に徹した脇役たちが、難しい早口の歌と演技をこなし、隙がない。なかでも後見人アリドーロのルカ・ピザローニ(ベネズエラ生まれのイタリア人、バスバリトン)が、すらりとして美声だし、突然天使になっちゃうし、チャーミングだ。2011年の「ドン・ジョバンニ」従者役でも、格好良かった人ですね。要注目。おじいちゃんコルベッリや2人の姉は、息が合っていてコメディをエンジョイしてる感じ。聴衆もよく笑ってました~

解説者で対照的なワーグナー歌手、デボラ・ヴォイトと歌手陣のやり取りも軽妙だった。来シーズン予告では定番演目にまじって、馴染みのない2本立て公演や、新進スターもあり、秋以降も楽しみです! 客席にはドナルド・キーンさんらの姿も。

ローマ歌劇場「ナブッコ」

ローマ歌劇場「ナブッコ」  2014年6月

巨匠ムーティが統率するローマ歌劇場公演最終日で、極め付け「ナブッコ」を聴く。シンプルかつ静謐なジャン=ポール・スカルピッタの演出(2011年)で、変化に富む美しい旋律、マイクを通さない声の魅力を堪能した。政治家、財界人も目立つNHKホール、いつもの2F通路沿いの上手寄りで4万7000円。2回の休憩を挟んで3時間15分。

前奏曲でいきなり、管楽器や打楽器ががんがん鳴って気持ちがいい。一方、アリアでチェロとフルートだけ、といった繊細さも存分に。また合唱が大活躍の演目。なんといっても第3部ユーフラテスの河畔で、力なく座りこむ囚われのヘブライ人たちが歌う、お馴染み「行け、わが思いよ金色の翼に乗って」は、切なくて文句なく泣けた~
独唱陣では、大祭司ザッカ―リアのドミトリー・ベロセルスキー(バス)が圧巻。第1部冒頭の「エジプトの海辺で」から、圧倒的な声量で広いホールを制圧し、「ブラボー」を浴びていた。先週の「シモン・ボッカネグラ」でも、シモンと敵対するフィエスコを務めており、フル回転。立ち姿も格好よくて、要注目ですね。
対するナブッコのルカ・サルシ(イタリアのバリトン)は、起伏のある演技が必要な役。滑り出しは弱いと思ったけど、徐々に力を増し、4部「ユダヤの神よ!祭壇も神殿も」あたりでは聴かせました。イエルサレム側なのにバビロニア王女と愛し合うイズマエーレ役の若手アントニオ・ポーリ(イタリアのテノール)は、瑞々しい美声。
気性が激しく、権力欲の強い姉アビガイッレは、タチアナ・セルジャンの病気降板で急きょ、ラッファエッラ・アンジェレッティに。イタリアのソプラノの新星だけど、やや線が細く、第2部の難曲「私がみつけてよかった、この宿命の古文書を~かつて私も」はいま一つだったかな。ほかに妹フェネーナはソニア・ガナッシ。

物語は紀元前6世紀、バビロニア王ナブッコがエルサレムに侵攻。娘アビガイッレと対立するが、エホバ神に許しを請うことで復権し、ユダヤ人を解放する。
最小限に抑えたセットが上品で秀逸だった。旧約聖書の世界を、墨絵のような雲などで表現。がらんとした舞台に、照明による陰影が濃く、イエルサレムの神殿は空から静かに小石が降り積もり、バビロンの王宮では背の高いパネルを左右に動かす。衣装も古風で、渋い色調と光沢ある生地が美しい。大詰めでは背景に描いたオリーブの木が金色に輝いて感動的でした。
盛大なカーテンコールではやっぱりムーティが主役。最終日のお約束でオケやスタッフも舞台に上がり、手作りっぽい「ありがとう grazie」の横断幕が登場してフィナーレとなりました。

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