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おそるべき親たち

おそるべき親たち  2014年3月

没後50年のジャン・コクトーによる1938年初演の戯曲を、木内宏昌翻訳・台本、熊林弘高演出で。登場人物5人が、激しいセリフと動きでエゴをぶつけ合う。2010年に評判をとった演出家、俳優陣が再集結。東京芸術劇場シアターウエストで6000円。観客は芝居好きそうな大人が多い。休憩15分を挟んで2時間半。

勉強不足でコクトーについてよく知らないのだけれど、観終わってフランスらしいなあ、と思った。エロティックでところどころコミカルで、全体にはとても皮肉っぽい。親戚の遺産があって生活には困らないけれど、特に先行きの展望もない現代家族。そのエゴの錯綜が招く悲劇だ。母イヴォンヌ(麻実れい)は冴えない夫ジョルジュ(中嶋しゅう)をほったらかして、一人息子ミシェル(満島真之介)を異常に溺愛している。ところがミシェルに年上の恋人ができ、叔母レオ(佐藤オリエ)にけしかけられて家族で訪ねてみると、なんとそのマドレーヌ(中嶋朋子)はジョルジュの愛人だった…。

熊林演出は1月に観た、やはり家族劇の「Tribes」と同様、シンプルで丁寧だ。淡々としたなかに挟まるアクセントが鮮やかで、効いている。冒頭で麻実が無言で見せるけだるい孤独とか、幕下にのぞく足の動きだけで表す若い2人のうきうき気分、そして大詰め、麻実が崩壊する決定的シーンのストップモーションとか。
くっきりした色のコントラストも、Tribesの印象通り。衣装は大人3人が黒、若者2人が白。またイヴォンヌ家がモノトーンの床、マドレーヌの部屋はそこを白い布で覆う。小道具はクッションとシーツくらい。客席が3方から囲む形で、ゆっくり動く回り舞台が不穏だ。ちょっと深津篤史の「温室」を思い出した。
一方で笑いもふんだんにあって、特にマドレーヌとの対面シーンで、情けないジョルジュにイヴォンヌとレオが容赦なくのっかっちゃうところが可笑しい。

俳優はみな実に達者。特に佐藤オリエが出色だ。だらしない妹家族が繰り広げるどたばたを、冷静に観察しているようでいて、裏で糸をひいている。実は最も深いエゴを抱えている人物だ。なにしろ元婚約者と彼を奪った妹を、20年以上もなにくれと世話しているのだから。恐ろしいラストの一言が際立つ。背を丸めた中嶋しゅうのペーソスと、対するすらっとした麻実の、さばさばした立ち居振る舞いとの対比も効果的。中嶋朋子は細身を生かして、年齢を感じさせないたおやかな造形だ。蜷川版「祈りと怪物」で観た満島が、幼さ全開でなかなかの熱演。これから楽しみだなあ。

0308

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