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幽霊

幽霊  2014年3月

近代家族の崩壊をシビアに描く、イプセンの18881年の代表作を、1976年生まれ、気鋭の森新太郎演出で。休憩無しで2時間強。シアターコクーン前の方やや下手寄りで8000円。

白い長椅子があるシンプルな居間のワンセット。遠く雷鳴が響く不穏な空気のなか、誰もが深刻な欺瞞を抱える、濃密なセリフ劇が展開される。
孤児院の落成を控えたアルヴィング夫人(安蘭けい)は、かつて自分を拒絶したマンデルス牧師(吉見一豊)にしたり顔で義務を説かれてキレたのか、名士と言われた亡夫が実は放蕩を尽くしており、小間使いレギーネ(松岡茉優)はその不義の娘だと暴露する。肝心の孤児院は出火し、欲得づくでレギーネの父になった過去を持つ大工エングストラン(阿藤快)は、またしてもカネ目当てで牧師と手を結び、原因を隠蔽。レギーネはパリから戻った夫人の一人息子オスヴァル(忍成修吾)を慕っていたが、衝撃の事実を知らされ、意外にもしたたかな顔を見せて屋敷を後にする。そのオスヴァルは父から病を受け継いでしまい、絶望的な状況で夫人がモルヒネを握りしめて幕となる。

夫人は制度や道徳という幽霊から逃れられず、嘘を重ねて生きたあげくに、息子から「こんな命なんか要らない」と糾弾されちゃう。なんとも救いがなく、発表当時スキャンダラスだったのも肯けるが、周到に笑いをまぶし、さらに美しい照明の変化でスタイリッシュに見せた。
ラスト近くで長椅子の背を危なっかしく歩いたり、背からこわごわ顔をのぞかせたりするなど、動きのアイデアが面白い。ただ中盤までは、ちょっと平板だったかな。床に埋め込んだ白い灯りで部屋を囲み、下手の橋、前面の降りる階段で俳優が出入りする構造。
安蘭は役柄と比べると若々しく、細身の忍成は神経質な印象でぴったりなものの、全体にヒリヒリ感は薄め。初舞台の松岡が、冒頭の腰に手を当てた強気のポーズから終盤の豹変ぶりまで奮闘していた。客席には黒柳徹子さんがいらしてたみたいです。

小沢征爾音楽塾「フィガロの結婚」

小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトⅫ モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」オペラ・ドラマティコ形式  2014年3月

2000年からオペラを通じて、次代の音楽家を育てているプロジェクトの演奏会。若いオケの面々が頼もしくて、ニコニコしちゃう。昨夏の室内楽アカデミー奥志賀と同様、ホール全体に応援ムードが満ちて気持ちいい。指揮は塾長の小澤征爾とMETのテッド・テイラーによる珍しい振り分けで、演出はデイヴィッド・ニースだ。ロームミュージックファンデーション主催。ホワイエには著名人も目立つ東京文化会館大ホール、前の方で1万8000円。休憩2回で4時間弱。

今回命名されたという「ドラマティコ形式」は、「本格オペラ劇場での凝縮した表現」だそうで、オケは客席最前列と同じ高さにいる。ボックスに入っていないから、表情がよくわかって面白い。その後方、高めの位置に歌手が登場するセットがあり、確かにシンプルだけど、古風で正統派の印象だ。衣装はMET制作だし。
振り分けはテイラーがチャンバロも弾きつつ指揮し、ここぞというところで小澤さんが下手からとことこ現われて、存分に振る。椅子を置いていたけど、ほとんどの時間は立っていて、とても元気そうなのが嬉しい。オケも生き生きしてました。

歌手陣は米国で活躍する若手が多く、アルマヴィーヴァ伯爵のクレッグ・ヴァーム(バリトン)が溌剌とし、なかなか格好いい。フィガロのウェイン・ティグス(バス・バリトン)は出だしの声が弱かったけど、長身でなかなかの喜劇役者ぶりだ。伯爵夫人のシャーン・デイヴィース(ソプラノ)、スザンナのデヴン・ガスリー(ソプラノ)も安定しており、ケルビーノのドイツ出身・リディア・トイシャー(ソプラノ)が可憐。日本勢ではマルチェリーナのふくよかな牧野真由美(メゾ)が堂々頑張ってました。

カーテンコールは小澤さんが客席からコーチ陣を呼び上げて3度。感動的だなあ。ドナルド・キーンさんや鈴木京香、小澤家の面々、経済人らがいらしてました~

空ヲ刻ム者

スーパー歌舞伎Ⅱ「空ヲ刻ム者 若き仏師の物語」  2014年3月

エンタメ4連続のラストは、3代目猿之助の看板シリーズを継承した4代目によるスーパー歌舞伎Ⅱ(セカンド)。作・演出はなんと現代劇から、お気に入りの前川知大、スーパーバイザーに市川猿翁、音楽は長沢勝俊と藤原道山。おばさま度高めの新橋演舞場、1F中央のいい席で1万5000円。2回の休憩を挟み、たっぷり4時間40分。

舞台は古代宮廷時代らしいし、附け打ちが入るけど、全編現代語、衣装は色鮮やかなラメラメで、歌舞伎というより猿之助オリジナル演劇、ちょっと新感線風、の趣だ。ストーリーの軸はやんちゃな若い仏師・十和(猿之助)の成長談。家柄と才能に恵まれながらも、安住できずに決められた型を壊し、悩みながら前に進んでいくという展開で、まるで本人の決意表明です。

主要キャストの口上に始まり、一幕は若者2人の旅立ち編。十和は母(笑三郎)を死なせた師・父に反発して、貴族から受注した仏像を足蹴に。さらに弟弟子(素直で達者な福士誠治)を傷つけられて、役人を殺めてしまい、故郷を逃れる。同時に幼馴染の一馬(佐々木蔵之介)は、庶民のための政治という理想を胸に、都にのぼる。ちょっと説明が多いかな。
二幕は迷い編。十和は都で双葉(きっぷのいい笑也)、吾平(味のある猿弥)、喜市(弘太郎)らの義賊一味に加わり、貴族のための仏像を壊して回るが、仏師・九龍(重厚で格好いい右近)に諭され、再びノミを握る決意をする。仏像のポーズ=型についての議論など、芸談みたいな理屈っぽさがあるものの、進むべき道を見出す真摯な叫びは感動的です。一方、一馬は権力の座を狙う貴族・長邦(門之助)に加担し、さらに長邦の妻・時子(春猿)に誘惑されちゃうけど、心中の葛藤を双葉に見抜かれて、惹かれていく。
三幕はついにスペクタクルが炸裂。一馬が身勝手にも、庶民の扇動に十和の仏像を利用しようとするが、十和は「仏は観る者の鏡だ」と高らかに宣言して、木くずだけの「空」でこたえる。客席いっぱいに舞う紙吹雪が、とってもカタルシス! ここからは怒涛の展開です。九龍の魂が宿った巨大・不動明王像が、豪快に崩れ落ちるセットのなか、回心した一馬と十和を応援。2人は破滅するにきまっている庶民の反乱を止めようと、宙を飛んでいく。手に手を取った長い宙乗りが微笑ましく、猿之助は実に楽しそう。お約束、ラストの立ち回りは戸板を組み立てたアクロバットに工夫があって、見せましたね~

猿之助は溌剌と、堂々の座頭ぶり。佐々木蔵之介がまったく歌舞伎らしくないけど、落ち着いて舞台を牽引していたし、後半はなかなか色っぽかった。ちなみに売店では実家・佐々木酒造の特製日本酒を売ってましたね。産婆・鳴子役の浅野和之は、猿弥との絡みがぐだぐだになったりして存分に笑わせたけど、狂言回しのほうが忙しくて本来の曲者ぶりを発揮するに至らず、勿体なかったかな。とにかく猿之助一色、エンタメ満載のなかで宙乗りに必然性を与え、さらにひとひねり、テロリズムの哀しさを訴えた前川戯曲に拍手。

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杉本文楽 曽根崎心中

杉本文楽 曽根崎心中付り観音廻り  2014年3月

世界的な現代美術作家・杉本博司が構成・演出・美術・映像、人間国宝の鶴澤清治が作曲・演出を担い、2013年秋にマドリード、ローマ、パリで公演したプロダクションの、話題の凱旋公演に足を運んだ。これまで文楽、歌舞伎で観たことがある演目だけど、今回は近松の原文に忠実な「黒部本」バージョンだそうです。予想よりも文楽の伝統を感じさせつつ、暗い舞台に照明などで深みを加えた舞台でした。客席には美術ファンらしいお洒落さんが目立ち、いつもの文楽とはずいぶん雰囲気が違ってたな。世田谷パブリックシアターの中央いい席で9000円。休憩にはロビーで杉本さんが、気さくにプログラムにサインしてくれました~ トータル2時間半。

プロローグは暗い舞台の中央に清治さんが陣取って、聴きごたえある三味線のソロ。続く観音廻りは山村若振付による復活で、桐竹勘十郎さんが信心深くお参りに歩くお初を、珍しい一人遣いでみせる。衣装はエルメス! 念仏らしき声をサラウンドで、過ぎゆく細道を束芋のアニメーションで表現し、ラストには杉本さんの三十三間堂の仏像が瞬いて迫力がある。床は呂勢大夫、藤蔵、清馗。

次の生玉社の段からはお馴染みの展開だ。人形陣はずっと頭巾姿で、徳兵衛は一輔、お初は可愛く勘十郎。幸助さんの九平次がステレオタイプな憎々しい造形ではなく、新しい2枚目のカシラでクールなワルなのが現代的だ。ぼこぼこシーンもあっさりめ。白い鳥居がぼおっと浮かび、手すりが無くて、足遣いの動きや小道具の出し入れまで、よくわかる。明晰な津駒太夫、清志郎。
休憩を挟んで天満屋の段では、舞台上部の真っ赤な暖簾が鮮やかだ。店の中を手すりで表し、あとは手前に板戸があるだけ。お初が梯子段の途中から扇子で灯りを消すところの、照明の揺らぎが巧い。ひょうきんな下女は蓑二郎。嶋大夫がいつも通り、絞り出すように熱演を聴かせ、清治が力強く盛り上げる。

クライマックスは天神森の段ではなく、山村若振付の道行で、通常より長い感じ。前半は白い細棒を橋げたに見立て、後半はグレーの森をバックに。演出がスタイリッシュな分、2人の幼さ、愚かな純粋さは影をひそめ、哀しくも色っぽい印象でした。文字久大夫、呂勢大夫、靖大夫、清介、藤蔵、清志郎。
カーテンコールはまず人形のお初、徳兵衛が可愛く挨拶し、杉本さん、格好いい清治さん、床の迫力からは想像できない小柄な嶋大夫さんら全員が登場して幕となりました。

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死の都

死の都  2014年3月

怒涛のエンタメ4連続の2つ目は、新国立劇場、最後のシーズンとなる尾高忠明芸術監督が「ぜひ取り上げたかった」という、珍しいオーストリア出身コルンゴルドの1920年の作品だ。古典の現代的な演出はけっこう観ているけど、そもそも現代のオペラを観るのは、考えてみると初めて。後期ロマン派の甘美な旋律と、想像力をかき立てる凝った装置が秀逸だった。ほぼ満席のオペラハウス、通路ぎわ正面という極上の席で2万3625円。2回の休憩を挟み3時間半。

原作はローデンバックの1892年の小説。ベルギー・ブルージュで、パウル(トルステン・ケール、テノール)は若いくせに、いや若いからこそ、過去の栄光と宗教的雰囲気に包まれた古都と同様、亡き妻マリーの思い出にとらわれて暮らしている。妻そっくりだけど、ひどく享楽的な踊り子マリエッタ(ミーガン・ミラー、ソプラノ、赤い傘が印象的)に幻惑され、悲劇に至るが、まさかの夢オチ! 文字通り目が覚めたパウルは、友人フランク(アントン・ケレミチェフ、バリトン)と現実の世界に踏み出し、希望の幕切れとなる。
作曲家20代の作とは思えない退廃的な心理描写が、よくできた短編映画のような味わいだ。ワーグナー風に場面がつながっており、ピアノを使った鐘の音や、柔らかい木管が印象的。

指揮はチェコ出身のヤロスラフ・キズリング。東フィルのオケが強く、歌手が負け気味なのが残念だったけど、歌唱は確かだった。特にほぼ出ずっぱりのケールが、徐々にヘルデンテノールの本領を発揮して健闘。2013年「タンホイザー」の時も良かったミラーが、1幕「アリエッタの歌(リュートの歌)」などをたっぷり聴かせ、マリーの声でも活躍。昨年11月に交代が発表されたケレミチェフは2役の劇団仲間フリッツとして、2幕のひときわセンチメンタルな「ピエロの歌」が見事だった。ほかに信心深い召使ブリギッタの山下牧子ら。

デンマーク出身、カスパー・ホルテンの演出はとてもお洒落。フィンランド国立歌劇場からのレンタルだそうです。英女優のエマ・ハワードが亡妻マリー(黙役)としてずっと舞台上をさまよっており、パウルの辛さ、未熟さを象徴していてわかりやすい。
何といっても美術がぴかイチ! 担当のエス・デヴリンはロンドン五輪閉会式やレディー・ガガらロックコンサートも手掛ける才人だそうだ。奥行きのある装置で、1幕のパウル邸では白を基調に、床と壁に所狭しとマリーの細々した遺品、遺影が並んで、パウルの心中を象徴する。小道具はなんと600以上とか。
ブラインド越しに見えた街のリアルなグーグルアース風俯瞰図が、2幕ではそのまま街角の風景に転じて意表をつく。遺品入れは小さい建物に転じ、舞台全体に街の灯がともって、幻想的で非常に美しい。続いて中央のベッドが船に変わって芸人たちが現われる。照明の変化が効果的に場面の雰囲気を表す。3幕では大がかりに壁が左右に開き、「聖血の行列」の赤い衣装の合唱団がそこここに立ってパウルを追い詰め、錯乱へとなだれ込む。そしてラスト、扉から差し込む外光が美しい。
コルンゴルドは23歳で本作を書いた神童だったが、ナチの台頭で米国に亡命。映画音楽で成功したため、ポップスのレッテルを貼られ、失意のうちに没したとか。まだまだオペラの世界は広くて深いなあ。

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能「男舞」「八島」

能とシェリーを楽しむ会「男舞」「八島」   2014年3月

日本・スペイン交流400周年記念と銘打ったシェリーの伝道師、中瀬航也さんの会に足を運んだ。初めてのセルリアンタワー能楽堂は、客席が小さめで音ががんがん迫ってくる。正面席で5500円。

テンポの速い素囃子「男舞」で幕開け。大鼓・亀井洋佑、小鼓・森澤勇司、笛・栗林祐輔。そのあと中瀬さんのお話「武家のもてなし。能とシェリー」で、本日のテーマの由来を聞く。まず東インド会社の貿易船指揮官、ジョン・セーリスの「日本渡航記」を紹介。1613年に能を観る記述があり、その宴に持ち込んだ「スペイン産葡萄酒2瓶」がシェリーらしい。当時、長い船旅や気温の変化に耐える酒はシェリーだった、セーリスに国書を託したイングランド王ジェームズ1世もシェリー好きだった、王家が贈るので名門イートン校の学長は今でもシェリーに詳しい、といった薀蓄が面白い。
続いて喜多流能楽師・大島輝久さんのレクチャー。足利義満の庇護のもとで発展した能は、秀吉ものめりこんだように武士と縁が深く、家康が武士社会の式楽(公式行事の芸能)と定めた。喜多流の初代は七つの時に秀吉に褒められたことから七大夫と名乗り、大阪夏の陣に出陣。その後、2代将軍・秀忠に認められて派を興した。歴史的には新しい流派だが、動きがダイナミックで、最も武家に好まれる芸風。本日のシテの友枝家は細川家のお抱えだったそうです。
ラストはいよいよ舞囃子「八島」。本当は1時間40分ほどかかるけど、この日はクライマックスの20分だけ観る。シテ方喜多流能楽師・友枝雄人、地謡は大島さんのほか佐々木多門、友枝真也。朧月の春の夜に、旅僧が義経の亡霊に遭遇する「夢幻能」で、激しい戦いを再現する勇猛な「勝修羅もの」だ。笛が鋭く、足踏みの音が重く響く。剣を抜き、最後は橋掛かりの中ほどで一回りして終わりました。

閉幕後はイタリアンに場所を移して、シェリーパーティー。面白かったです。

宅悦とお岩

岩松了プロデュースVol.2「宅悦とお岩~四谷怪談のそのシーンのために~」 2014年3月

忘れられない震災直後に上演された「カスケード」に続いて、岩松さんの作・演出による若手群像劇の第2弾だ。鈍牛倶楽部などの俳優陣が、アテ書きに応えて個性を発揮。瑞々しくて、とても気持ちがいい。下北沢駅前劇場の中ほど上手寄りで3800円。狭い客席に、幅広い年齢層の演劇好きが集まった感じ。休憩無しの1時間45分。

「四谷怪談」上演を目指す一座のバックステージもので、独善的な演出家(小林竜樹)、悩みつつも戯曲を執筆する安藤聖、期待されているのに演出家と衝突して出演を拒む尾上寛之らが、それぞれに屈託を抱えつつ、なんとか初日にこぎつける。しかしゲネプロ直前に事件が起き、衝撃的に幕となる。
若さゆえのコンプレックスと、どうにも成就しない一方通行の思いが招く錯綜。印象的な「しょせん」の繰り返しなど、誰もがどこか思い当たるシーンがありそう。下手奥に階段がある稽古場のワンセットに、障子と板戸をスピーディーに動かして、時間の経過や、幻想的な待ち合わせシーンなどを表現。相変わらず巧いなあ。お馴染み岩松さんのCMパロディ、「ガラスの仮面」ネタなど、やや楽屋落ちの明るい笑いもたっぷりと。音楽はタンゴです。

きりっと眼鏡姿の安藤、大人になってきた尾上に色気があって、すごくいい。ドキドキさせる役者さんたちだ。曲者のマネジャー・駒木根隆介、前回同様キレキレの主演女優・吉牟田眞奈、安藤のマネジメントを買って出るお調子者の児玉拓郎らに安定感がある。ライダー俳優っぽい長身の高橋ひろ無、その付き人で対照的に小柄な藤木修、小太り小道具係・滝沢恵、スリムな新人女優・梅宮万紗子らも頑張ってました。
最後に清水優が、小林以外はみんな本名、と挨拶。吹越満さんが来てましたね~
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フローズン・ビーチ

トライアングルCプロジェクト「フローズン・ビーチ」東京公演  2014年3月

ケラリーノ・サンドラヴィッチの1998年初演の代表作を観にいってみた。思えば「失われた10年」と言い出したころに、岸田國士戯曲賞を受けたブラックコメディを、1983年生まれの高羽彩が演出、豪華女優陣で。CBGKシブゲキの下手寄りで6500円。なぜか年配男性が多い。休憩無しの2時間半。

舞台は海外の孤島にある、別荘のリビングのワンセット。リゾート王の父を持つ双子の姉妹(渡辺真起子の2役)と継母(山口美也子)、女友達ふたり(石田えり、松田美由紀)が、ナンセンスな笑い、やけっぱちみたいな確執を繰り広げる。バブル期の1987年、その8年後、さらに島ごと沈みゆく16年後という設定だ。
今観るとギャグの感覚とか、ベテラン女優陣のヒステリックさがちょっと辛かったかな。登場人物全員が何かしら常軌を逸しており、虚言や狂気、障害、暴力を小道具にしている。とはいえ決して切実ではなく、飄々とバカバカしいのがケラさんらしい。発表当時は、簡単に「ムカツいちゃう」時代の空気をよく表していたのだろう。謎の「カニバビロン」とか電話の向こうにいる少年とか、見えない存在が気になる。

不穏な空気を、セットが歪んで見える流行のプロジェクションマッピングで表現するのが面白かった。女優陣は長身の渡辺がやっぱり綺麗だなあ。皆さんキレキレで奮闘してたけど、全体に色気が薄いのが残念。最終幕で大人になって、ちょっと安心した。アフタートーク付き。
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おそるべき親たち

おそるべき親たち  2014年3月

没後50年のジャン・コクトーによる1938年初演の戯曲を、木内宏昌翻訳・台本、熊林弘高演出で。登場人物5人が、激しいセリフと動きでエゴをぶつけ合う。2010年に評判をとった演出家、俳優陣が再集結。東京芸術劇場シアターウエストで6000円。観客は芝居好きそうな大人が多い。休憩15分を挟んで2時間半。

勉強不足でコクトーについてよく知らないのだけれど、観終わってフランスらしいなあ、と思った。エロティックでところどころコミカルで、全体にはとても皮肉っぽい。親戚の遺産があって生活には困らないけれど、特に先行きの展望もない現代家族。そのエゴの錯綜が招く悲劇だ。母イヴォンヌ(麻実れい)は冴えない夫ジョルジュ(中嶋しゅう)をほったらかして、一人息子ミシェル(満島真之介)を異常に溺愛している。ところがミシェルに年上の恋人ができ、叔母レオ(佐藤オリエ)にけしかけられて家族で訪ねてみると、なんとそのマドレーヌ(中嶋朋子)はジョルジュの愛人だった…。

熊林演出は1月に観た、やはり家族劇の「Tribes」と同様、シンプルで丁寧だ。淡々としたなかに挟まるアクセントが鮮やかで、効いている。冒頭で麻実が無言で見せるけだるい孤独とか、幕下にのぞく足の動きだけで表す若い2人のうきうき気分、そして大詰め、麻実が崩壊する決定的シーンのストップモーションとか。
くっきりした色のコントラストも、Tribesの印象通り。衣装は大人3人が黒、若者2人が白。またイヴォンヌ家がモノトーンの床、マドレーヌの部屋はそこを白い布で覆う。小道具はクッションとシーツくらい。客席が3方から囲む形で、ゆっくり動く回り舞台が不穏だ。ちょっと深津篤史の「温室」を思い出した。
一方で笑いもふんだんにあって、特にマドレーヌとの対面シーンで、情けないジョルジュにイヴォンヌとレオが容赦なくのっかっちゃうところが可笑しい。

俳優はみな実に達者。特に佐藤オリエが出色だ。だらしない妹家族が繰り広げるどたばたを、冷静に観察しているようでいて、裏で糸をひいている。実は最も深いエゴを抱えている人物だ。なにしろ元婚約者と彼を奪った妹を、20年以上もなにくれと世話しているのだから。恐ろしいラストの一言が際立つ。背を丸めた中嶋しゅうのペーソスと、対するすらっとした麻実の、さばさばした立ち居振る舞いとの対比も効果的。中嶋朋子は細身を生かして、年齢を感じさせないたおやかな造形だ。蜷川版「祈りと怪物」で観た満島が、幼さ全開でなかなかの熱演。これから楽しみだなあ。

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METライブビューイング「ルサルカ」

METライブビューイング2013-2014第5作「ルサルカ」  2014年3月

冷たい雨が降る週末。新宿ピカデリーは夫婦連れらで、まずまずの入りだ。私にとって初めてのドヴォルザークのオペラで、「ルサルカ」。1900年の作とあって映画音楽のような、甘い旋律のシャワーを浴びる。珍しいチェコ語。
米国のスター、ルネ・フレミングが当たり役の純なタイトロールを、可愛く伸び伸びと歌う。先日スーパーボウルで、オペラ歌手初の国歌斉唱という大役を果たし、女王ぶりが堂にいってきた感じかな。モントリオール出身、若々しいヤニック・ネゼ=セガンの指揮。オットー・シェンクのクラシックな演出は具象的でわかりやすい。2月8日の上演分で、休憩2回を挟み3時間40分。3500円。

物語はオペラ版人魚姫のメルヘンだ。人間でない者に心奪われた者が、破滅に至るという定番の悲恋もの。そこに、自然を忘れた人間の愚かさが加わっている。ゆったりとしたテンポで、ところどころ民謡風のメロディがロマンティックに響く。
1幕では深い森に住む妖精ルサルカが、水浴びにきた王子(ピョートル・ベチャワ、テノール)に恋をし、魔法使いイェジババ(ドローラ・ザジック、メゾ)に頼んで人間の姿に変えてもらう。ラインの乙女風の妖精3人娘や、着ぐるみでカエルなどに扮した子供たちが可愛い。
2幕は人間界に移り、2階建ての城のセット。王子はルサルカとの結婚式を準備しているが、魔法のせいで口をきかず、情熱の感じられないルサルカに飽きて、外国の姫(エミリー・マギー、ソプラノ)に心を移してしまう。ルサルカの父・水の精ヴォドニク(ジョン・レリエ、バスバリトン)は怒り、呪いの言葉を吐いて娘を連れ去る。前半、歌手なのに歌わないフレミングは我慢の演技だ。深い赤で統一した衣装や、舞踏会シーンのバレエが優雅。
3幕は森に戻り、追ってきた王子がルサルカの口づけとともに死を迎え、失意のルサルカは湖底に帰っていく。ともに命を絶つ、という悲恋ものとはちょっと違いますね。

「銀色の声」と呼ばれるフレミングが、かつてMETのオーディションで歌ったという1幕「月に寄せる歌」や、2幕「この世の誰も」などアリアをたっぷり聴かせる。案内役スーザン・グラハムと仲が良くて、幕間で見せる弾丸おしゃべりが楽しい雰囲気だ。お馴染みベチャワは、ちょっと高音で辛そうなところがあったけど、持ち前の甘い声が役にぴったりで、いい。ライブビューイングの「イル・トロヴァトーレ」でも聴いたベテラン、ザジックは美声もさることながら、なんとゲジゲジ眉のメークで存在感たっぷり。今回、インタビューでの毒舌はなかったですね。メークといえばレリエも、全身緑で熱演してました。2011年来日公演の「ラ・ボエーム」でコッリーネ役だった人だけど、顔がわかんなかったよ。MET初登場のマギーはゴージャスで貫録があり、これから楽しみかも。

落語会「浮世床 夢」「時そば」「花見の仇討」「新聞記事」「宗悦殺し」

IMAホール落語会 喬太郎・一之輔二人会  2014年3月

駅ビルにある古めの光が丘IMAホールで、贅沢な組み合わせの落語会。若い人が目立つかな。右寄り後ろの方で2500円。中入りを挟み約2時間。

まず喬太郎の弟弟子で、二つ目の柳家喬の字が元気よく「浮世床 夢」。床屋で繰り広げられる滑稽噺のオムニバスのなかから、「夢の逢瀬」のくだりだ。建具屋の半二が歌舞伎座で出会った女と茶屋へ行って、と色っぽいエピソードを語るけど、すべて夢でした、というオチ。明るいです。
続いてお待ちかね柳家喬太郎さんが登場。いつもの力が抜けるような長いマクラで、ホール到着がぎりぎりになった言い訳、地元のスーパーで食品、特に惣菜をみるのが好き、立ち食いそばチェーンのコロッケそばのミスマッチぶりが凄い、などとさんざん爆笑させ、「この後古典やろうってんだから」「ちゃんとしたのは一之輔がやるからね」などと語っておいて、なんと「時そば」。テンポが良くて江戸っ子らしい造形だ。巧いなあ。
次は春風亭一之輔さん。学校寄席で気さくな恩師に会った話、日本で花見と言えば桜だけどオランダならチューリップか、メキシコならサボテンか、といったとぼけたマクラから、季節を先取りした「花見の仇討」。仲良し4人組が上野に集まる花見客の前で、仇討を真似たいわば「どっきり」を演じ、座興だと明かして喝采を浴びようと企む。頼りない稽古、肝心のとめ役の男がおじさんと出くわして酔いつぶされてしまい、さらに「本職」の侍が乱入してきて、とドタバタが楽しい。相変わらず声が良くて、色気がある人だなあ。

10分の中入り後は引き続き一之輔さん。皆さんのお目当てはこれから出てきますから、などと言いつつ「新聞記事」。あまり聞かない気がする噺。明治終わりごろの作だそうです。熊がご隠居から「新聞くらい読め、そういえば天ぷら屋に強盗が入って主人が殺されただろ」と言われて真剣に聞いていると、「でも犯人はすぐ挙がった、天ぷらだけに」という落とし噺。悔しくて友人の天ぷら屋に聞かせようとするが、うまく話せなくて…という王道のおうむネタだ。「体をかわす」という言葉が出てこなくて、「ほら渋谷の隣で、恵比寿で、そうそう鯛」と延々連想ゲームを繰り広げたり、なかなか洒落てます。こういうシンプルな噺でも、飄々と沸かせますね。
ラストは再び喬太郎さんだ。マクラは短めで、古典のご存知圓朝作「真景累ケ淵より『宗悦殺し』」。ある年の暮れ、小日向服部坂に住む身勝手な旗本が、取り立てに来た金貸しのあんまと言い合ううちに斬ってしまい、その祟りでやがて混乱のうちに妻を斬る悲劇を招くという、長い因縁話の発端だ。前半の爆笑に次ぐ爆笑とはうってかわって、低い声でじっくりと聴かせて、怖い。怖いといえば「死神」の時も思ったけど、またまた巧いなあ。この人の古典をもっと聴きたいです!

 

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