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Tribes(トライブス)

Tribes(トライブス) 2014年1月

英国から日本初登場のニ-ナ・レイン作、木内宏昌翻訳・台本、気鋭の熊林弘高が演出。世田谷パブリックシアターの企画制作だが、舞台機構などの改修で新国立劇場小劇場(ThePit)での上演となったそうです。左後方の席で6500円。客席には若い女性が目立つ。休憩を挟んで2時間半。

非常に含意の豊かな戯曲を、シンプルな構成で丁寧にみせる舞台だ。登場人物は耳の不自由な若者ビリー(田中圭)と毒舌の評論家である父(大谷亮介)、口論ばかりしている母(鷲尾真知子)、学者を目指して論文執筆中の兄・ダニエル(中泉英雄)、オペラ歌手の卵の姉・ルース(中村美貴)。そこへやはり聴覚障害をもつ魅惑的な恋人シルビア(中嶋朋子)がやってくる。
四角いパイプで囲ったビリー宅のワンセット。ダイニングテーブルにもなる1台のグランドピアノが、家族の間を隔てる「音」を象徴し、床に積み重ねられた書籍や散乱する書類が、「語るべきこと」の堆積を思わせる。照明を落としたなかで濃密な会話劇を展開しつつ、ポイントでダンスのような動きや音楽が挟まる。間合いが効果的だ。

長く家族に庇護されていた弱者のビリーが、シルビアと恋に落ちたことで、手話という新たな表現手段を獲得。家族には理解できない「言葉」で、激しく本音を語り始める。異質なバックグラウンドの者を見下してしまう意識の根深さと、そこに生じるコミュニケーションの断絶を鋭く表現。
物語の構図は決して単純ではない。同じ障害者であるシルビアも、実はビリーとは違った恐れを内に抱えている。同時に、知的でクリエイティブなはずの家族はそれぞれに弱さを露呈していき、特に当初は傲慢にさえみえたダニエルがどんどん壊れていく。一方で、ようやく獲得したビリーの自立も、破綻をはらむ。依存・被依存、その裏にある自己嫌悪。どうしようもない人間の弱さが哀しい。
カタルシスは乏しいのだけれど、思考を刺激するテーマがぎっしり。ビリーの発する言葉の変化や、スタイリッシュな黒、白、グレーの衣装の色分け、絡み合ったり隔たったりする人物の距離感なども巧妙だ。実に計算が入念だなあ。

出演陣は全員安定感があり、なかでも田中がみせる切なさ、中嶋の色気が期待通り。不安定な役回りの中泉も、なかなか存在感があった。千秋楽で、カーテンコール4回目で挨拶がありました~

志の輔らくご「こぶ取り爺さん」「モモリン」「井戸の茶碗」

PARCO Presents 志の輔らくご in PARCO 2014  2014年1月

年始恒例の大人気1カ月公演。なんとかチケットを入手して4年連続で行ってきました。楽しかった! 1月開催になって9年、師匠ももう還暦だそうです。幅広い聴衆に開演前から期待感が漂い、ロビーのおめでたい飾りつけが気分を盛り上げるのはいつも通りだけど、演目としてもいつになく朗らかで爽やかだった~。手拭いを買って、福引で野菜用ブラシをゲット。PARCO劇場の後方、右寄りの席で6000円。休憩を挟んで3時間弱。

ひとりで前座、二つ目、真打をやります、武道館だったら1回で済むんだけど、などと例の調子で笑わせて、海外で活躍するマー君、本田らに感心するマクラ、エイはどこまでがヒレか、といった飲み会で使えそうな小話から、まず「こぶ取り爺さん」。昔話に素朴な疑問を抱く父親と大家のやり取りで、2010年に聴いたことがある。相変わらず軽妙。
2席目に移る前に、スクリーンに師匠の故郷・射水市のゆるキャラ「ムズムズくん」の映像が流れ、なんと客席通路に青い水の精ムズムズくんが登場。師匠が着替えて登場して、ゆるキャラブームを紹介、そのうち裁判所でも「有罪くん」と「無罪くん」が出てくるかも、などと振ってから、今年の新作「モモリン」へ。尊大だけど憎めない市長が、イベント前にうっかり人気ゆるキャラの着ぐるみをかぶっちゃったことで巻き起こるドタバタ劇だ。
「メルシー雛祭り」や、映画にもなった「歓喜の歌」などに通じる師匠の定番・小役人もの。こういう現代庶民の造形と、追いつめられシチュエーションの滑稽さは、本当に巧いなあ。特に土地売却交渉の脱力シーンは爆笑。オチも決まってた。
休憩ではロビーでムズムズくんが愛嬌を振りまき、一緒に写真をとってもらった。郷土愛ですねえ。

そして仲入り後は、袴姿で「井戸の茶碗」をたっぷりと。志の輔さんでも聴いたことがある、お馴染みの気持ちのいい古典だ。同じ展開の繰り返しは1席目の「こぶ取り爺さん」に通じるし、頑固な武士2人の間を右往左往する正直者の屑屋は、「モモリン」の小市民キャラに重なる。
会話部分が饒舌なのに加えて、出商いの者は黙っていたくても歩くと自然に声が出ちゃうとか、お約束の大家に相談にいくくだりで、商いだったら勝手口へ回れと言われるとか、ディテールの膨らみがいじましく、いとおしい。細川下屋敷と清正公(覚林寺)のある白金の雰囲気もいいなあ。
ラストはいったん降りた幕をあげ、舞台後方に囃子方がずらりと並んだところで、2月からはアジア公演です、などと話して、賑やかに手締めとなりました。終演後のBGMは心憎い追悼の大瀧詠一「君は天然色」! 満足しましたぁ。

続ける理由

おかぼれ#002『続ける理由』   2014年1月

安藤聖、尾上寛之、松居大悟、新井弘毅のパフォーマンス音楽ユニット「おかぼれ」による演劇+バンド演奏。大好きな岩松了さん「カスケード」(忘れられない2011年)での、若手陣の出会いから生まれたユニットだ。応援せずにはいられない。
学園祭ぽい雰囲気だけど、ストレートなロックで演奏も結構しっかりしていて、最後のほうでは思わずニコニコしちゃう。客層は
若くて、男女を問わず一人で来ている芝居好きが多い。唐突な演奏に戸惑い気味なのが面白かった。座・高円寺1の前のほう左寄り、3500円で1時間半弱。第六回演劇村フェスティバル参加作品。

演劇パートではどこにでもいそうな3人の人物、公演初日を明日に控えた劇団の冴えない作家兼演出家(松居)、年上の彼女にプロポーズしたばかりの無邪気なスポーツインストラクター(尾上)、30になっても夢を追いかけているアイドルの卵(安藤)が、それぞれ日常に追いつめられていく様子を描く。なんてことない話だけど、ばらばらのシーンをテンポよく組み合わせて、焦燥感を募らせる。安藤、尾上は達者で、楽しみな役者さんです。劇団ゴジゲンの主宰のほか、映画の脚本・監督も手掛ける松居は、変幻自在で曲者だ。「静かな演劇」を目指しているという設定が個人的にツボ。

間に挟まるバンドパートは、劇中で効果音やBGMを引き受けていた長身の新井が、本職とあって作曲、および格好いいギターソロを務めて全体を牽引する。ボーカルの尾上はなかなか色気があって、妙な照れもないし、侮れません。いつもより大人っぽい感じだし。そして演劇パートでも元気いっぱいの安藤聖が、シンバルを落としそうな勢いでドラムを叩きまくる。若いっていいなあ。
席に配られたチラシで事前に松居の歌詞を読んだときは、正直ちょっと引いたんだけど、曲にのせて聴いたらOKだった。なかでも伸びやかな「仕事終わったソング」がチャーミング。ラストはステージごとバンドセットが前にせり出して、さらに衣装を替え、ビシッときめてもう1曲。可愛らしかったです。

真田十勇士

真田十勇士  2014年1月

日本テレビ開局60周年特別舞台と銘打って、マキノノゾミ脚本を堤幸彦が演出。ゲーム風の映像やわかりやすい字幕、楽屋落ちを含めたギャグが満載で、フライングも飛び出すチャンバラアクションだ。若手男優が勢ぞろいとあって、女性客が圧倒的。青山劇場の中央やや右寄りで1万1500円。休憩を挟んで3時間半。

2枚目・幸村(加藤雅也)が実は知将ではなく、密かに淀(真矢みき)を想う心優しい凡人で、抜け忍者で大ぼら吹きの猿飛佐助(中村勘九郎)とクールな相棒・霧隠才蔵(松坂桃李)が知恵をつけていた、という設定だ。前半で佐助が根津甚八(福士誠治、秀頼と2役)、真田大助(中村蒼)ら十勇士を集め、後半が大坂夏の陣。そこへ才蔵をつけ狙う忍びの仙九郎(石垣祐磨)、火垂(初舞台の比嘉愛未)がからむ。無謀な合戦に至った謎解きをからめつつも、基本はシンプルな滅びの物語。だが佐助の軽い口八丁キャラを生かしたどんでん返しが用意されていて、爽やかだ。

勘九郎ちゃんが全編大きな舞台をきびきび動き回り、勘三郎さんっぽい笑いも効いていて一頭地を抜く。さすが、歌舞伎仕込みだなあ。松坂は気取り切れなかったかな。曲者・筧十蔵役の高橋光臣がいい味で、主要キャストにベテラン不在のなか、加藤雅也がなかなか堂々としていた。親切な語りは坂東三津五郎で、声だけだけど元気そうで一安心。徳川家康はなぜか巨大な映像だけの出演で平幹二朗。

新春浅草歌舞伎「博奕十王」「新口村」「屋敷娘・石橋」

新春浅草歌舞伎 第2部  2014年1月

2014年エンタメはじめは次代、次々代を担う若手応援の気持ちをこめて、花形の登竜門・浅草の新年初日に、初めて足を運んでみた。周囲が初詣客で賑わっている浅草公会堂、1F後方中央の席で1万1000円。2013年に「半沢直樹」でブレイクしたラブリンファンの熱気を感じるものの、女性陣の着飾り加減はそこそこかな。ロビーで地元のお店が実演販売をしているし、歌舞伎座よりかなり庶民的ですね。プログラムも俳優の写真が大きく載っていて、なんだか宝塚風だ。第1部が大幅におして、30分遅れの開場。20分の休憩2回を挟んで3時間半。

まず日替わりの年始ご挨拶は、ラッキーにも片岡愛之助。とはいえ歌舞伎らしさはなく、マイクを使ってのフリートーク、客席とやりとりしたり、バラエティーののりです。気さくだなあ。
「博奕十王(ばくちじゅうおう)」は狂言仕立ての長唄舞踊劇。コミカルで楽しい。1970年の現猿翁の創作を、当代市川猿之助が受け継ぎ、2011年に41年ぶりで復活させたそうです。舞台は六道の辻、居並ぶ演奏陣がみな天冠をつけており、のっけから可笑しい。花札やサイコロをあしらった衣装からして、おおいに人を食った風情の博打打ち(猿之助)が、閻魔大王(市川男女蔵)らを得意のギャンブルに引き込んで、まんまと鏡や衣装を巻き上げ、はては極楽への通行切手まで手に入れちゃう。権威を笑い飛ばす小気味よさ、猿之助の余裕のある達者さで楽しませる。
続く「恋飛脚大和往来 新口村(にのくちむら)」はご存知「冥途の飛脚」の歌舞伎版で、上方和事らしい演目。「封印切」の後、故郷に逃げてきた忠兵衛(愛之助が意外に初役で、仁左衛門の当たり役を継承)と傾城梅川(藤十郎の孫・中村壱太郎)が、父・孫右衛門(嵐橘三郎)と、雪景色のなか涙の別れをする。期待の主役2人が揃いの黒に梅模様の着付け、糸立て(ゴザ)からぱっと登場して、おひねりが飛びそうな演出だ。確かに綺麗なんだけど、文楽で観たイメージが強いせいか、しみじみした情緒、愚かさゆえの悲しみは今一つだったかな…
ラストの舞踊2題が平成生まれ6人で、ところどころ拙いながらも、お正月らしいめでたさで良かった。前半の「屋敷娘」は、大名屋敷に奉公する娘3人の宿下がりを描いたもので、引き抜き、毬つき、鈴太鼓が楽しい。お春の壱太郎がなかなかしっかりしていて、お蝶・中村米吉、お梅・中村梅丸はこれから、という印象。
後半の「石橋」は、お馴染み能を題材にした石橋ものの長唄舞踊で、浅黄幕の前で演奏する大薩摩が盛り上がる。播磨屋のイケメン中村歌昇、その弟・種之助、錦之助の長男・中村隼人の3人が、紅白の毛振りで奮闘し、ハツラツとして若々しい。前方に振り出す「髪洗い」や地面を叩く「菖蒲打ち」、ぐるぐる回す「巴」など。歌昇が格好よくて、隼人くんはまだまだかな~ 頑張れ!

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