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断色

ヴィレッヂ・プロデュース2013「断色~danjiki~」  2013年6月

エグゼクティブプロデューサー細川展裕。青木豪が2011年の「断食」を改作、いのうえひでのりが演出。360度座席が取り囲むこぢんまりした青山円形劇場に、シンプルな白いテーブルや椅子を出し入れし、後方の壁に映像を映す。休憩無しの2時間弱で、6800円。

「八犬伝」以来の青木豪の戯曲は、いつどことも知れないSFの世界。妻に去られた男(堤真一)のもとへ、保険会社の外交員(田中哲司)が現れ、亡き母が残したクローン(麻生久美子)を処分するか解放するか、と尋ねる。やがて「色」をキーワードにして、堤の幼少期にまつわる真相が明らかになっていく。散りばめられた苺やリンゴや朝日の赤が、色気を伴って鮮烈。
エピソードは非常にグロテスクなんだけど、堤が抱える母への思慕が物語の芯になっていて、「男の子って幾つになってもしょうがないなあ」という気にさせる。その普遍性に比べると、黒ならぬ黄色い防護服を着た黒衣、命というものが損なわれた社会といった現代的なニュアンスは背景に過ぎないのかも。

えげつない展開をこなせる俳優3人の技量がさすが。堤は「今ひとたびの修羅」に続いて、ギャグっぽい仕草などにいのうえ色を出しつつ、さえない男をしっかり演じ、かなりの悪役の田中も愛嬌がある。そしてなんといっても麻生さん。特に熱演にもみえないのに、マネキンのような序盤から、魔性の女、さらに母へとかなりの振幅だ。相変わらず低い声にも存在感があって、よかった。客席には古田新太さんらしい姿も。

柳の家の三人会「花筏」「金明竹」「紺屋高尾」

柳の家の三人会  2013年6月

飛び道具ありの喬太郎、技巧安定の三三、御曹司の花緑という、個性的な売れっ子揃い踏み柳家の会。レベル高かった! 一門だからか妙に張り合う空気もないし。練馬文化ホール大ホール、前の方中央で、表情の工夫もじっくり見えました~ お得な3600円。

前座が始まったところで会場に滑り込んだ。花緑さんの弟子・花どんで、間抜けな見習い泥棒の話「出来心」で、空き巣狙いにでかけるところまで。
続く1席目はいきなり喬太郎さん。青い絽の羽織が夏らしい。会場の広さ、練馬の地名、当日の通り魔ニュース、人気ドラマのフレーズ、座布団で解説する小さんの相撲中継鑑賞法など、いつもの弾けたマクラで存分に沸かせてから「花筏」。人気大関の替え玉で銚子の興行に同行した提灯屋が、めっぽう強い網元の息子と立ち会うハメになる。地元の落語ファンがやけに巧かったエピソードをまじえつつ、声を低くした親方とのやり取りとかが馬鹿馬鹿しくて、相変わらず絶妙だ。

15分の中入り後、飄々とした足取りで三三さん。昨秋に、やっぱり喬太郎さんの後で出たとき、ちょっと肩の力が抜けてきたかな、と思ったけど、今回さらに人物に可愛らしさが加わって、とてもいい感じでした。中村橋に住んでいた頃の西武線、師匠小三治の湯飲みのエピソードなどから「金明竹」。前半の松公のあっけらかんとしたトンチンカンさ、そして後半、使いの関西弁の言い立てがどんどんスピードアップして、見事。前に志らくの英語バージョンで聴いたけど、あえてまっとうに語ったのが好印象です。
トリは花緑で、マクラもそこそこに「紺屋高尾」。意外な大ネタでちょっと会場がどよめく。前の2人に比べると硬いし、現代的な雰囲気なので、以前に聴いた談春、志の輔のような深みはない。でも持ち前の華とゆとりという武器がある。聴きやすくて、ストレートな純愛噺が似合っていた。一夜明けて告白という展開で、随所でみせる久蔵の声にならないセリフが、思いこみの激しさを表す。口が回らなかったところは、うまく笑いにしてましたね。楽しかったです!

歌舞伎「御存鈴ヶ森」「助六由縁江戸桜」

歌舞伎座新開場柿葺落六月大歌舞伎 第三部  2013年6月

大顔合わせシリーズのラストを飾るのは、理屈抜きの歌舞伎らしい娯楽作で、海老蔵が伸び伸びと躍動し、楽しませてくれた。休憩を挟んで約3時間、2階左端で2万円。

まず四世鶴屋南北作の「御存鈴ヶ森」。お尋ね者の白井権八は、さよなら公演と同じ梅玉が、ひわ色の衣装で端正に。前半は暗闇のなか、手探りで雲助を次々やっつける。ゆったりとコミカルな立ち回りだ。後半に登場する幡随院長兵衛の幸四郎は貫録があり、名文句の応酬のなかで「五代目」や「おやじ」に触れて歴史を感じさせる。侠客としては上品かな。ずっと薄暗い刑場シーンだけど幕切れ、後ろの黒幕が落ちてぱあっと明るくなる転換が、鮮やかで気持ちいい。

30分の休憩後、「十二世市川団十郎に捧ぐ」と題したスター揃い踏みの「助六由縁江戸桜」。さよなら公演のラストに団十郎・玉三郎で観たのが懐かしい。ばからしいほどの派手さ、夢のような吉原、登場人物の単細胞ぶりが痛快だなあ。口上は幸四郎で、柿色の裃に鉞のまげで、団十郎にかわり海老蔵が演じると語る。御簾の内はお約束の河東節十寸見会御連中だ。今日のロビーの名札にはなかにし礼さんや財界人の名前がありましたね。
まず揚巻は、福助が見事な立兵庫、きんきらきんの衣装で。セリフ回しが重々し過ぎるかな、と感じたけれど、大物らしさがある。前回は福助だった白玉はぴったりの七之助。すらっとした姿と声が良く、本当に楽しみだ。髭の意休は定番の大柄な左団次。おつきの男伊達は亀鶴、松也、歌昇らが若々しく。
揚巻が悪態の初音を聞かせ、立ち去りかけて戻ったところへ、いよいよ助六が登場。やっぱり華があって、格好良いなあ。花道の出端でたっぷりと杏葉牡丹紋の傘を回したり、紫の喧嘩鉢巻きを指さして、奥女中・江島に頭を下げる仕草をしたり。2部の「対面」に比べて、ツラネのセリフ回しが滑らかで、煙管で意休を挑発するあたりの子供っぽさに、何とも言えない色気がある。コミカルなくわんぺら門兵衛は、ご馳走の吉右衛門。福山のかつぎは、婿舅対決で、若手ご馳走の菊之助がきびきびと。啖呵の声がよく通って、爽やかだ。この人もこれからが楽しみ。
兄の白酒売りで、前回と同じく菊五郎が登場。余裕たっぷりで愛らしい。股くぐりのシーンの通人里暁は三津五郎。前回の勘三郎さんに負けず劣らず、はやり言葉、菊之助の結婚、海老蔵のブログや競馬、長男誕生をネタにして笑わせつつ、すえながい贔屓を乞うて泣かせます。
揚巻が墨絵のような松の打ち掛け、七夕の帯で丸顔・東蔵の母満江と再登場。紙衣への着替え、意休の香炉切りと続いて、楽しく幕となりました。

不道徳教室

M&0 Playsプロデュース「不道徳教室」  2013年6月

作・演出岩松了。大好きな岩松さんの新作は、現代国語教師・山城(大森南朋)と女子高生あかね(二階堂ふみ)の、危ういラブストーリー。登場人物の間に漂う不穏な空気、ヒリヒリ感を味わう。休憩無しの約2時間半。シアタートラムの中央で6800円。

「見る」「見られる」という関係が印象的だ。教師はストーカーまがいに少女をつけるし、マッサージ店の女リカコ(黒川芽以)も何故か教師をつける。花屋の窓に、自分と、背後から自分を見ている人の姿が映り、そこに窓の向こうにいる人が重なり合ったりする。「ただ見る」という思いのかたちの、官能的な引力と不確かさ。
ストーリーをたどるのは正直、なかなか難しい。独特の空白の多いセリフに加えて、時間が行ったり来たりする。恋人同士に罠を仕掛けるようなリカコや、少女たちの空想の産物らしい「帰還兵グレイ」など、謎の存在も気になる。事件はどうやらグレイが潜むとされる、観客からは見えない洞窟で起こるらしいし。これは戯曲を読まないと、かな。

1994年生まれの二階堂ふみが、確かな存在感で驚く。チャーミングなアイドル体型と意外に太めの声で舞台を牽引していて、これからが楽しみだ。恋敵になるチャコの趣里(1990年生まれ)、2人を取り持つ立場の弥生・大西礼芳(同)を加えた仲良し3人組が、放課後の寄り道とか奇妙なダンスとかで、少女らしく生き生きと躍動。みていて思わずニコニコする。特に大西の仕草が綺麗。俗物の教頭を演じる岩松さんは、笑いを含んで程よい重しだ。
シンプルな舞台だが、壁の前後を使ったスピーディーな追いつ追われつが巧妙だった。

追記。…というわけで、雑誌「悲劇喜劇」7月号の「特集岩松了」で戯曲を読んで復習した。セリフだけでなく、詩のようなト書きもイメージを刺激する。やっぱり恋人同士を見ている第三者の存在は謎だけど。この謎を反芻するのも楽しみのひとつですね。

オセロ

オセロ~シェイクスピア作「オセロー」より~ 2013年6月

福田恆存の翻訳をもとに、白井晃が構成・上演台本・演出。世田谷パブリックシアターの中央やや右寄りで6500円。休憩を挟んで約2時間半。

白井さんらしいスタイリッシュな上演で、面白かった。どうやら舞台稽古という設定で、蛍光灯や階段、楽屋風の洗面台などセットはモノトーン、かつごくごくシンプルだ。役者が客席の間に陣取り、マイクを使って稽古を進行させる演出家と助手の役回りを兼ねたり。さらにはあらかじめ「注意とお願い」と題した1枚紙を配って予告してある通り、時に観客も演出に参加しちゃったり。そうして私たちは、この著名な悲劇をリアルタイムで目撃する大衆になる。

当たり前ながら、400年前の作品とは思えない心理劇ぶりに驚く。疑念の連鎖と人間の愚かさというテーマは、ちっとも古くない。タイトロールの仲村トオル、妻デズデモーナの山田優、副官キャシオの加藤和樹の3人がすらっとしていて、彼らを陥れるイアーゴの赤堀雅秋といい対比だ。低音を響かせて熱演する仲村と並ぶと、赤堀は当初、セリフが聞き取りにくい気がしたけれど、そんな少しもたつく感じが、この敵役が抱える焦燥感を醸し出す。イアーゴの造形がそれほどドロドロしていない分、むしろ「被害者」側のピュアであることの罪のほうが際立つ。なんだかイアーゴが気の毒に見えてきちゃう。

イアーゴの妻・高田聖子、裕福な貴族の水橋研二、サイプラス島の元総督・有川マコトらが安定。舞台上でアコーディオン、チェロ、バスが現代的な音楽を奏で、俳優たちが騒々しくアルミ缶を叩いて不穏な空気を増幅する。モダンダンスのような動きと、時に人物の影を浮かび上がらせる照明が効果的だ。

歌舞伎「寿曽我対面」「土蜘」

歌舞伎座新開場柿葺落六月大歌舞伎 第二部  2013年6月

だいぶ慣れてきた新歌舞伎座。6月は2回に分けて観劇です。第二部は2階の3列、ほぼ中央で2万円。休憩を挟んで2時間半強。

演目はいずれも様式美を堪能できるもの。まず楽しみにしていた「寿曽我対面」。赤穂浪士、伊賀越えと並ぶ3大仇討ちを扱った「曽我もの」の黙阿弥による集大成で、初春興行が吉例だった祝祭的な演目だそうです。確かに歌舞伎座開場をうたう大薩摩のあと、浅黄幕が落ちると、そこは金箔ばりばりの工藤の館。同じく金箔衣装の工藤(仁左衛門)をはじめ大名たち、舞鶴(落ち着いた孝太郎)、傾城の虎(芝雀)、化粧坂の少将(七之助)らがずらり並ぶ極彩色の世界で、もうそれだけで大満足だ。途中から関西風に襖を開け、雄大な富士が見えるのも格好良い。
仁左衛門さんは敵役ながら白塗りで人物が大きく、さすがの貫録。七之助がきりっとして、ますますいいなあ。花道から登場する曽我兄弟は兄の十郎(菊之助)が和事、弟の五郎(海老蔵)が典型的な荒事という対照がくっきり。御曹司ふたりのうち、菊之助はおっとりと安定しているが、肝心の海老蔵がいつの間にか、こもったようなセリフ回しが奇妙になっていて残念。気張っても客席から失笑がもれちゃうし。工藤から盃を受けて三宝を壊したり、とてもチャーミングで、しかも助六につながる大事な役なのに。
実事の鬼王新左衛門(愛之助がここはチョイ役で)が取り戻した友切丸を持って駆け付け、工藤が兄弟に巻狩通行証の「切手」を渡して度量を見せつける。それぞれめでたい見得をきめ、幕となりました。

休憩で行列してめでたい焼きを食べ、後半は黙阿弥作で、菊五郎家の芸「新古演劇十種の内 土蜘」。平家物語の謡曲をベースにした松羽目ものだ。舞台後方に長唄囃子連中が並び、後見が活躍する。
前半は頼光(吉右衛門)の館で、重々しい能仕立て。まず平井保昌(三津五郎)の登場、吉右衛門さんが元気がないのは病気の設定だからかな。胡蝶(魁春)の踊りのあと、珍しく暗いままの花道から静かに僧侶・智疇(ちちゅう、菊五郎)が現れる。音若(玉太郎、東蔵の孫で松江の長男)に正体を見破られ、お待ちかね千筋の糸を投げつけたり、二畳台の上で数珠を使った「畜生口の見得」を披露したり。最後は袖をかぶって引っ込む。
ユーモラスな間狂言は「石神」をもとに、番卒がどたばたを繰り広げる。太郎(雀)、次郎(松緑)、藤内(勘九郎)と巫女(曽我に続いて芝雀)が石神に蜘蛛退治の成功を祈ると、実は小姓(藤間大河、松緑の長男)が悪戯で像に化けていた、というもの。
そして中央に古塚をかたどった作り物が据えられ、大詰めは一転して派手な歌舞伎舞踊になる。このへんの変化が楽しい。大薩摩のあと、花道から色とりどりの衣装の保昌と四天王が出てくる。おどろおどろしい隈取りに変わった土蜘の精が巣を破って出て、勇壮な立ち回りに。軍卒の配置で巨大蜘蛛の足を表すといった形が面白い。土蜘は妖怪だけど、中央に屈しなかった土豪を表すときくと、何だか哀しい気もする。歌舞伎らしさ満載でした!

ハイバイ「て」

ハイバイ10周年記念全国ツアー「て」  2013年6月

1974年生まれ、引きこもり経験があるという岩井秀人の作・演出で、2009年初演の話題作を観る。東京芸術劇場シアターイースト。若い人が多い。整理番号順に入場し自由に席を選ぶ形式で、前のほう左寄りで3300円。休憩無しの1時間45分。

父の暴力のせいでバラバラになっていた一家が、久しぶりに集まった夜、高齢の祖母が亡くなる。家族の忘れられない出来事を、ごく普通の会話で淡々と、とぼけた笑いを交えつつ描く。身近な人に向けられた冷静な観察眼と、他人でないが故に傷つけあってしまう登場人物たちのいじらしさ。連れが「向田邦子のようだ」と言っていたが、まさにそんな感じだ。幻想のカラオケシーンの哀切が胸に響く。
セットはシンプルで、天井から吊したパイプの柱とノブだけのドア、ベッドと座卓など。ステージの前後を客席で挟み、立ち位置を180度入れ替えて同じエピソードを2度繰り返す。微妙に見えているところが違っていて、1回目が作家本人である次男の視点、2回目が母の視点なのだろう。祖母がずっと持っているマネキン風の「手」が奇妙だけど、それ以外は北海道の土産物やら細部がリアルで、よくできた短編小説のようだ。

冒頭、母役の扮装をした岩井が上演中の注意事項をしゃべる。「飲み物は構わないけど、飴の包みを静かに開けようとして、ずっと小さい音がしていると、かえって周囲のお客さんが気をとられて、苦労して作った芝居のほうが負けてしまうので辞めてください」。繊細で、この作家らしい言い回しだなあ。長女役の佐久間麻由、長男役の平原テツがいい存在感。

立川談春「三方一両損」「包丁」

立川談春独演会2013 デリバリー談春  2013年5月

「デリハル」シリーズにまた行ってきました。立派なサンパール荒川大ホール、後ろのほう左寄りで3800円。
立川春吾の「崇徳院」の途中で滑り込む。若旦那の恋煩いを案じた旦那に頼まれ、「瀬をはやみ」の歌だけを手がかりに一目惚れの相手を探す。ちょっと長めの噺にしたのかな。折り目正しい語り口が好印象。

談春さんが登場し、周囲から江戸っ子っぽいと言われる、それは短気だけどすぐ許すから、今日も地下鉄に乗っていて洒落たランドセル(リュック)や滑車(キャリーケース)にぶつけられて頭にきて…といったマクラから1席目は「三方一両損」。お馴染みの噺だけど、この人にかかるとやっぱり巧くて、啖呵のスピード感が気持ちいい。左官と大工の意地の張り合いも凄いが、大家同士の喧嘩好きも相当なもの。どうみても大岡越前に誉められるようなキャラじゃないよなあ。
中入り後、2席目はマクラ無しで「包丁」。初めて聴いた演目だが、絶品でした。博打打ちの寅が久々に江戸に舞い戻り、昔なじみの兄貴・常に出くわす。鰻をおごってもらいながら話を聞くと、「清元の師匠のヒモをしているが、堅い女で息が詰まるし、若い恋人ができたので別れたい、間男のふりをしてくれ」とひどい企みを持ちかけられる。承知して常の家に上がりこむものの、うまく口説けず、逆ギレして常の策略をばらしてしまう。そこへ当人が包丁片手に帰ってきて…という、どうしようもない小悪党の噺だ。大爆笑はないし、泣かせるわけでもない。ところが欠点の多い男女3人の、なんとも人間くさい感じがほろ苦くて、フランス映画みたい。途中で小唄もあって、談春さんらしい味わいを堪能した。
最後のコメントは、チケットがとりにくいと言われている割に空席が目立つとか、おごらないようにしなくちゃとか、けっこう屈折してました~

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