ゴドーは待たれながら
ナイロン100℃結成20周年記念企画第二弾 ゴドーは待たれながら 2013年4月
いとうせいこうの1992年の戯曲を、ケラリーノ・サンドロヴィッチが演出。大倉孝二のひとり芝居でまず1時間、休憩を挟んで45分。結構長いけど、もとの戯曲を2割カットしたそうです。録音による声の出演は、贅沢に芸術監督の野田秀樹。東京芸術劇場シアターイーストの後ろ寄りで4900円。
小部屋のワンセットで、大倉がうろうろと歩き回り、喋り続ける。戯曲は言わずとしれたベケットの不条理劇「ゴドーを待ちながら」と合わせ鏡のようになっており、主人公は約束を果たしたいのに「いつ、どこで、誰と」をすべて思い出せず、一向に出かけられない。実は、私は有名な「待ちながら」のほうを読んでいないんだけど、緊張感がある舞台を予想していた。実際には予想は外れて、連続する小さな笑い、そして大倉さん特有の絶妙な「間」を楽しんだ。ケラさんがチラシで語っている通りですね。冒頭で靴を履けない仕草を繰り返し、くつろいだ雰囲気を作るあたり、巧い。
部屋には閉塞と孤独が満ちている。小さい窓はあるものの、外は灰色の霧で何も見えない。足に合う靴もなく、食べ物は底をつき、鉢植えは枯れつつある。謎の少年が訪ねてくるけれど、結局、それは自分自身を投影した幻のように見える。
無為であっても待つことは希望。では無為に待たれるってことは何なのだろう? いろいろに解釈できるお話。個人的には他人との関わりに支えられた存在の不確かさを感じた。それでも待たれていると感じるなら、諦めるわけにはいかない。地球最後の赤ん坊のエピソード、そして繰り返される「行こう」というセリフが深い。
ひとり芝居はたぶん、中谷美紀の「猟銃」を観て以来。大倉さんは予想以上で、全く危なげなかった。とはいえ、やっぱり相手がいた方が、持ち味のリズム感が生きるかな。音楽はほとんど暗転の時だけ。照明で客席を巻き込む工夫をしていた。プログラムには戯曲の完全版を収録。ケラさんがすぐ近くの最後列に、また小田島雄志さんの姿もありました。
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