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志の輔らくご「親の顔」「質屋暦」「百年目」

PARCO Presents 志の輔らくご in PARCO2013  2013年1月

パルコ劇場での恒例1カ月公演の8年目。人気過ぎるのが困りものだが、なんとかチケットを確保。中央あたりのいい席で6000円。客席は若い人も多くて活気がある。開演ぎりぎりに滑り込んだので、心に余裕がなかったのが個人的には残念。

前座無しの3席でたっぷり3時間近く。いつものセリフ「昨日までは練習」で始め、ベストセラーの著者の話、「利口はうつらないけど…」、「誰でも周りに残念な人が一人はいる、いないならあなたが残念」という軽妙なマクラから「親の顔」。プロになって初の新作だったとか。三者面談に呼び出された八五郎が、息子の珍回答に輪をかけて素っ頓狂なやりとりを教師と繰り広げる。志の輔さんらしくディスコミュニケーションに愛嬌があり、笑いの中にもちょっと「正解というもの」を考えさせる。

映像で「笑うと免疫力が高まる、でも笑わせる方は下がるから命がけ」とくすぐってから、旧暦と新暦の資料を見せる。続く2席目は釈台を置いて、今年の新作らしい「質屋暦」。昨年のマヤ歴騒動から、明治政府が旧暦を太陽暦に切り替えた時の大隈重信の狙いなどをたっぷりと講義。蘊蓄にガッテンしてたら噺に入り、改暦時の質流れ期日を巡る夫婦と質屋がバトルになる。ベニスの商人みたいで、因業な質屋と善人質屋の対比が巧い。初日は「質草女房」というネーミングだったんですね。

中入り後は衝立を外し、黒紋付きに替えてマクラ無しで大ネタ「百年目」。舞台を上方から江戸に移した向島の桜バージョンだ。カタブツで通っている番頭が、花見で羽目を外していて、よりによって店の旦那と鉢合わせしちゃう。後半、後悔に苛まれる番頭を呼び出した旦那が、じっくりと語るシーン、特に煎茶をいれる仕草あたりの緊張感が凄い。旦那の淡々とした渋さが印象的。番頭が自前でなく、お客さんに遊ばせてもらっていたのが才覚、とか、人の使い方を考えさせる展開は、笑うよりマネジメント論を学ぶ感じだけれど。

今回は「時」がテーマだったのかな。全体に仕掛けは控えめ。これほど人気をはくしていても、いや人気だからこそ、試行錯誤を続けているんでしょう。桜の大木を背景に長唄、三味線らの豪華な三本締めでお開きでした。

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祈りと怪物

シアターコクーン・オンレパートリー+キューブ2012 「祈りと怪物」~ウィルヴィルの三姉妹~〈KERAバージョン〉 2012年12月

シアターコクーン・オンレパートリー2013 「祈りと怪物」~ウィルヴィルの三姉妹~〈蜷川バージョン〉 2013年1月

ケラリーノ・サンドラヴィッチの新作を、作家本人と蜷川幸雄の演出バトルで上演する意欲的な企画。2カ月連続でシアターコクーンに足を運んだ。ケラ版は1F右寄り、蜷川版は2F最後列で9500円。いずれも観客層は幅広い。2回の休憩を挟み4時間強で、蜷川版のほうが少し長め。

個人の好みで結論から言っちゃうと、蜷川版の技あり! ケラ版が2階建てのセットに調度を並べ、ギリシャ悲劇などの要素を詰め込んだのと対照的に、蜷川版はモノトーンの四角いステージでシンプル。冒頭から和装の合唱団(コロス)のラップでリズムを盛り上げ、お馴染みの大鏡はもちろん、飛び立つ蝶の群れと虹の幻想、上空からドサッと塊が落ちてくる禍々しさ、大詰めには降りしきる本水の切迫感と、次々仕掛けを繰り出して緊張を切らせない。左右の字幕で丁寧に場面を解説しちゃう割り切りもさすがだ。ラストは亡き勘三郎へのオマージュさえ感じられ、今さらながら演出の力を思い知る。

蜷川版まで観て、複雑でタフな物語が腹に落ちる気がした。舞台は架空の町ウィルヴィル。19世紀末あたりの雰囲気だが、教会の象徴など散りばめられたイメージの歪みが不気味。怪物たる独裁者ドン・ガラスを核に、3人の娘、無垢な動物園の飼育員トビーアスや密航者ヤン、酒飲みのグンナル司祭、なくした息子の幻を求める使用人夫婦と怪しい薬をばらまく錬金術師、差別された仕立屋の父娘、地下活動でドンに抵抗する教師らが、ケラさんらしい因縁渦巻く群像劇を繰り広げる。時にグロテスクなシーンを交えつつ、破滅へとなだれ込む暴力と怨みの愚かな連鎖。もう一つ、ケラ劇に欠かせないブラックな笑いとか、ドンが繰り返す「倫理的に」というおよそ似合わないセリフは、愚かさに対して正論を説ききかせる行為さえも嘲笑するようだ。

豪華な配役を比べながら観るのも面白かった。ケラ版は道化パキオテの大倉孝二が、切なさ満載で秀逸。錬金術師の山西惇、グンナル西岡徳馬、ヤン丸山智己、使用人メメの犬山イヌコもなかなか。ドン・ガラスは生瀬勝久。
対する蜷川版のドンでは、いつもなら舞台回し役の勝村政信が、恰幅のいい扮装と圧倒的な声量で見事な主演ぶり。中盤ではステージを踏み外しちゃうハプニングもあったけど。トビーアス森田剛の純真から狂気への転落ぶりが際立つ。親友パブロの満島真之介は長身が映え、次女の中嶋朋子、祖母の三田和代、グンナルの古谷一行、ドンの後妻・渡辺真起子も存在感があった。大好きな伊藤蘭さんは、今回はちょっと知性が勝ち過ぎたかな。いやー、見応えがあるシリーズでした。

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100万回生きたねこ

100万回生きたねこ  2013年1月

佐野洋子の200万部近い名作絵本を原作に、脚本はいずれも気鋭の糸井幸之介、戌井昭人、中屋敷法仁による共同執筆という意欲的な企画だ。東京芸術劇場プレイハウスの1F中央前寄りで、1万500円。森山未来ファンなのか、若い女性が目立つ。休憩を挟んで約2時間半。

ミュージカルというよりコンテンポラリーダンスの色彩が濃い、スタイリッシュな舞台だった。イスラエル出身のインバル・ピント、アブシャロム・ポラックが演出・振付・美術を担当。王様の飼い猫から泥棒、漁師へと、ねこが遍歴する前半は、奥行きがある箱型の外壁に、俳優に比して小さめのセットを出し入れして童話っぽく表現。ねこが死ぬたびに飼い主が流す涙を、ワインの瓶などで見せる工夫が面白い。

主演の森山未来の動きが圧倒的にしなやかでクール。飾り棚にするするよじ登ったり、下唇を突き出したりして、生きることを軽んじてしまった不遜なねこを演じる。前半は飼い主の一人である少女、後半の草原では、ついにねこが生きる意味を見いだす白ねこを演じる満島ひかりも可愛らしい。後半は野原で、2人(2匹)の出会いと別れをしみじみ見せ、終盤の森山の歌が染みた。

王様などの今井朋彦、老婆などの銀粉蝶、手品師などの藤木孝と脇が達者。オリジナルのミュージカルナンバーはフォークの友部正人が作詞し、ノスタルジックな曲はロケット・マツと阿部海太郎。歌の部分はマイクを使い、アコーディオンやマンドリンで構成するバンドが出入りしながら演奏していた。

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METライブ・ビューイング「アイーダ」

METライブ・ビューイング2012-2013第6作「アイーダ」 2013年1月

2週連続のライブ・ビューイングは、お馴染みヴェルディ円熟期の大作。指揮ファビオ・ルイージ、演出はソニア・フリゼルの1988年版で、神殿など大がかりな古代エジプトのセット、キンキラの衣装で、大勢のエキストラや馬が登場するオーソドックス、かつゴージャスなもの。昨年12月15日の上演で、1幕と2幕が1時間弱ずつ、3幕・4幕が続けて1時間強。ほぼ満席の新宿ピカデリー最後列中央あたりで3500円。

歌手陣はラダメス役のロベルト・アラーニャ(テノール)が、いきなり聴かせ所になるアリア「清きアイーダ」を丁寧にこなし、ラストをピアニッシモで決め、いい感じで滑り出した。幕間のインタビューでは、ロンドンで「愛の妙薬」を歌ったばかりで切り替えが難しく、「午後1時にこのアリアは辛い」と言いつつ、ヴェルディの指示通りに歌った、と強調してました。彼にとってはスカラ座を出入り禁止になったという、いわくのアリアだから言い訳めいて聞こえるけど、個人的にはこれもアリかな。
何回も見ている演目ながら、今回は確かに弱音で終えるアリアが多くて、難しそうだなあと思う。ちなみにアラーニャは2011年にライブ・ビューイングの「ドン・カルロ」で聴いて以来。わずかな間に安定感がぐんと増した感じです。
1幕ではタイトロールのリュドミラ・モナスティルスカ(ソプラノ)が、格好良い「勝ちて帰れ」。キエフで活動しており、2011年3月にアイーダの代役でロイヤルオペラに登場、METも今回がデビューの新星だそうです。デビューでいきなりこの大役とは。色気は薄いものの、声が強くて堂々としていて、そのくせ繊細さもある。幕間のインタビューは通訳を付けつつ、落ち着いていて大物です。

休憩を挟んで第2幕はお楽しみ「凱旋の場」。壮大な凱旋行進曲と共に、大人数の合唱とバレエが「グランド感」を盛り上げる。
迫力あるアムネリスのオルガ・ボロディナ(メゾ)を交えたアンサンブルは、出だしこそ今ひとつだったけど、だんだん調子を上げた感じ。ボロディナはこの役をMETでもう35回も歌っているとかで、貫録十分。3幕、4幕では3人それぞれの愛情と怒りのせめぎ合い、葛藤、悲痛さをきめ細かく表現していた。アイーダの「おおわが故郷」などが泣かせる。ラストもしみじみと消え入るようで、美しかった~ ほかにはアモナズロ役で、グルジアのギャクニッザ(バリトン)ら。この人は今年のスカラ座で来日するそうです(ガクニーゼと表記)。

幕間のサービス映像はキャストのほか、大忙しの女性舞台監督ギャンリー(カーテンコールの指示ぶりとか、舞台裏の映像もたっぷり)や、動物担当ノーヴァグラッドらのインタビューでした。

METライブ・ビューイング「仮面舞踏会」

METライブ・ビューイング2012-2013第5作「仮面舞踏会」 2013年1月

生誕200年のヴェルディ。「ドン・カルロ」「アイーダ」に先立つ中期作をファビオ・ルイージ指揮、デイヴィッド・アルデンの新演出で。2012年12月8日の上演。2011年に同じヴェルディのライブ・ビューイング「イル・トロヴァトーレ」で観た主要キャスト3人が再集結し、スタイリッシュなセットで存分に歌いまくる。休憩2回を挟み4時間弱。定番・新宿ピカデリーの最後列で3500円。

18世紀末、実際に起きたスウェーデン王グスタフ3世の暗殺事件を題材にした、3角関係の悲劇。華やかな前奏曲のあと、1幕・王の執務室では国王グスタブ3世のマルセロ・アルヴァレス(テノール)が「親愛なる諸君」、そして美しい人妻アメーリア(ソンドラ・ラドヴァノフスキー、ソプラノ)への恋心を歌う「恍惚とした喜びの中で」を情熱的に。2010年に来日公演「ラ・ボエーム」で観たときより安定感が増したか。後半は変装して女占い師ウルリカ(メゾ、ステファニー・プライズの低音が迫力)を訪ね、「最初に握手した者」による暗殺を予告される。それはなんと忠実な腹心でアメーリアの夫、アンカーストレム(バリトン、ディミトリ・ホヴォロストフスキーがいつものナルシストぶりを発揮)だった。
短い2幕は、刑場がある不気味な荒野。ラドヴァノフスキーがアリア「この草を摘み取って」、アルヴァレスとの2重唱「ああ、何と心地よいときめきが」で聴かせる。のびやかだけど、少しごつ過ぎるかな。ホヴォ様が謀反人の襲撃から王を逃がすものの、一緒にいたのが妻とわかって激しく傷つく。
3幕の前半は狭苦しいアンカーストレムの書斎。ホヴォ様が妻を責め立て、なんとか息子には会わせるものの、王への復讐のため謀反人たちと共謀を誓う。前段の忠臣ぶりから、暗い情熱への転換がさすがで、ドラマが一気に盛り上がる。
後半は不気味な仮装と賑やかなバレエが交錯する仮面舞踏会。ついにホヴォ様が暗殺を決行するが、王はアメーリアの背信を否定、感動的に部下を許して息絶える。ロマンだなあ。全編の舞台回し役、小姓オスカルのキャスリーン・キム(ソプラノ)はコロラトゥーラを聴かせ、ダンスもこなすけど、小柄過ぎるのと髭が似合わないのが難かな。

録画でゲルブ総裁が対談していた演出のアルデン氏は、ポストモダン派だそうで理論家っぽい。今回は王の肖像として大判の写真を使うなど、20世紀初頭のモダンな設定だ。斜めの壁を多用し、色彩はグレーと黒が基調。冒頭から巨大なイカロスの天井画が悲劇を暗示する。占いシーンで大衆が揃って手相を観るなど、コミカルな動きがある一方、舞踏会のドクロの仮面といった不気味さも。
幕間のお楽しみはキャストらへのインタビューのほか、「マリア・ストゥアルダ」の稽古風景がありました。

音のいない世界で

音のいない世界で  2013年1月

2013年の観劇初めは親子向けの新作。作・演出長塚圭史、振付近藤良平。演じるのはこの2人プラス松たか子、首藤康之。観客は親子連れに限らず幅広い。エスカレーター工事中の新国立劇場小劇場、右後方の席で5250円。

玉砂利の溝に囲まれた小さいステージに、回り舞台と家のかたちのアクリル板。冒頭に長塚と近藤が短く挨拶して、なごやかに物語が始まる。設定はO・ヘンリー「賢者の贈り物」を思わせる、冬の夜の若く貧しい夫婦宅だ。疲れた妻が居眠りしている間に、2人組の泥棒が大事な旅行鞄型の蓄音機を盗んでしまう。何をなくしたのかも判然としないまま、大事なものを探しに町をさまよう妻、その後を追う夫と、道中で彼らが出会う人々の物語。

鞄の働きを封じ込めてしまったため、世界から音楽が消えうせたというファンタジーが、理屈抜きに面白い。回り舞台からぴょこぴょこ現れる、無口になった小鳥。角笛が鳴らないので、飲んだくれてばかりいる羊飼いと羊が、傾いたテーブルで酒瓶を滑らす動き。そして音を失ったオーケストラ指揮者が、「こう、以前は見てない方向も見えていた気がするんですよ」というセリフ。形のないものの存在の重さ、と呼んでしまうのは、ひねた大人のこじつけだろうか。
全体に可愛らしく、淡々とした筋運びのなかで、ラストの松たか子のしっかりした歌声が印象に残る。ダンサー2人はあえて表現を抑制していたようで、意外に長塚の動きが達者に映った。篠山紀信さんがいらしてましたね。

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