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天日坊

渋谷・コクーン歌舞伎第十三弾「天日坊」  2012年6月

1994年にスタートしたコクーン歌舞伎を、新世代が受け継いだ話題の舞台。襲名間もない中村勘九郎を主役に七之助、獅童らが大暴れして熱気がある。Bunkamuraシアターコクーンの1F前方、遠足気分の平場席で1万2500円。休憩を挟んでたっぷり3時間半、高揚感があって長さを感じさせない。

脚本は宮藤官九郎で、河竹黙阿弥「五十三次天日坊」を145年ぶりに復活させ、アレンジした。吉宗落胤をかたった天一坊事件を鎌倉期に移した物語。クドカン節がフィットするかな、と思ったけれど、ふたを開ければ黙阿弥らしい七五調と、「まじかよ」といった現代語との取り合わせが巧くて知的だ。
権力をペテンにかけて破滅へと突き進む、若く未熟な悪党一味のストーリーは、まるでロードムービー。孤児の法策(勘九郎)がふとしたきっかけで、頼朝の落胤やら傾城の弟やらになりすまし、悪事を重ねていく。実は頼朝に討たれた側の木曽義仲の遺児とわかって立場逆転、謀反を企てる盗賊(七之助、獅童ら)と組んで天日坊と名乗り、鎌倉を目指す。詐称を繰り返しながら「俺は誰なんだ」と自問し、もがき苦しむ法策の深い孤独が普遍的で鮮烈だ。

熱演の勘九郎がはまり役。ごく平凡な男なのに、お三婆(片岡亀蔵、赤星典膳も)の昔語りをきいて殺意がひらめくシーンから、捨て鉢汗だくの殺陣まで、愛らしさと罪深い心の闇とが交錯して切ない。そして大拍手は七之助。声がよく通り、髑髏柄の着物、髑髏のかんざしで、やさぐれ美人ぶりが決まっている。獅童はカーテンコールの雄叫びまでを、野太く伸び伸びと。このへんの開き直りは歌舞伎役者ならではか。「民間」からは常連・笹野高史にかわって、大江廣元の白井晃や平岡平蔵の近藤公園が参加。

お馴染み串田和美の演出・美術は、四角い箱のような屋台を人力で出し入れし、時にふたつ並べて同時並行させる形。書き割りに場面の説明まで描いていて、わかりやすい。大詰めではずっと小汚かった法策らが一転、きらびやかに盛装して勢揃いし、詮議役の大江(大岡越前ですね)と対決。あえて台詞を重ねて緊迫感を高めていき、大立ち回りへとなだれ込む流れが鮮やかだ。下座は洋楽で、最後にはトランペットらが舞台後方に並んでケレンを盛り上げる。往年の必殺シリーズみたいなラテンっぽい音楽は平田直樹。

カーテンコールではそのバンドが客席を練り歩き、平場全員スタンディングの大喝采。すぐ近くの椅子席に三谷幸喜さんがきていて、勘九郎が舞台上から挨拶してましたね。面白かったです!
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シレンとラギ

劇団☆新感線 いのうえ歌舞伎「シレンとラギ」  2012年6月

中島かずき作、いのうえひでのり演出。青山劇場の1F右寄り後方。広い客席がいっぱいで相変わらずの人気ぶりだ。客層は若めで、男女の2人連れが目立つ。1万2500円となかなか強気の設定。大判のパンフレットは2500円だ。休憩を挟んで3時間強。

物語は南北朝時代、後醍醐天皇や足利尊氏らを下敷きにしつつ、時代も場所も架空のダークファンタジー。国は南北に分裂して争っており、北の大立者キョウゴク(古田新太)は、南の人々を先導する教祖ゴダイ(高橋克美)を倒すべく、生まれながらの暗殺者シレン(永作博美)と息子の若武者ラギ(藤原竜也)を差し向ける。
そこからシレンとラギの宿命的で許されざる恋を軸に、凄惨な裏切りと殺戮のドラマが繰り広げられる。回り舞台を駆使し、強烈なライトと紙吹雪を使った演出はダイナミックだ。独裁や狂信、地域を覆う毒、そして救済に向かうイメージは意欲的だが、展開がやや平板でどうも入り込みにくい。

俳優陣はたいへん豪華。藤原竜也、永作博美が色っぽさ抜群で、仕草もきれい。高橋克美は大柄な悪漢ぶりを示し、カーテンコールで一番拍手を浴びていたかも。古田新太と南の武闘派ダイナンの橋本じゅんのギャグはさすがに息が合っており、高田聖子、粟根まこと、三宅弘城、北村有起哉もそつがない。ラギの妹ミサギ役の石橋杏奈が可憐。会場が広から当然だが、声がマイク越しなのは残念だったかな。
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南部高速道路

南部高速道路  2012年6月

アルゼンチン出身フリオ・コルタサルの短編を下敷きに、長塚圭史が構成・演出。滑り出しは台本はなく、俳優陣が即興劇を演じるワークショップを開いて組み立てたという。シアタートラムの前の方で5000円。休憩無しのほぼ2時間。客層は若めで、荒川良々さんの姿も。
入り口でパンフレットを買うとミシン目つきの袋閉じになっており、なんだか秘密っぽい。会場は中央のステージが一番低く、四方を階段状の客席が取り囲む形式。セットはほぼなく、実験的な雰囲気が漂う。実際、この観劇はなかなか興味深い体験だ。

登場人物は年齢、境遇ともばらばらの男女13人。週末の夜、東京に向かう高速で原因不明の渋滞に巻き込まれた者同士だ。身動き取れないまま、日常から地続きの現実がどんどん歪んでいき、季節が流れ、軋轢と愛情、生老死のドラマさえ繰り広げられる。しかしそんな人生のすべては、しょせん今このときの小さな一歩の中。車種で呼び合う疑似コミュニティーもまた、ひとたび渋滞が解消してしまえば雲散霧消する。人の営みもまた…。イメージを喚起する力が強く、観客は勝手に13人のうち誰かを選んで思い入れていき、放り出されるようなラストに虚無感を味わう。消える老人や謎の少女らエピソードのいくつかは消化不良なんだけど。

車をそれぞれ傘で表し、俳優たちはその傘を持ってリズミカルに動く。黒い床の表面をナイフのようなもので削ると、色鮮やかな絵が現れる仕掛けも面白い。クリスマスのプレゼント交換のシーンがしみじみ。

俳優陣が達者だ。なかでもキーパーソンといえる真木よう子が美しい。彼女とつかず離れずの「リーダー」に菅原永二、横からちょっかいを出すTVプロデューサーにころころ体型の梶原善。一癖あるバス運転手は赤堀雅秋、彼と仲良くなる女性は江口のりこ。若いカップルは可愛い安藤聖と裵ジョンミョン、お年寄りに小林勝也と梅沢昌代。毅然とした女性に黒沢あすか、そのパートナーに横田栄司、お調子者の加藤啓、そのパートナーは植野葉子。
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六月大歌舞伎「小栗栖の長兵衛」「義経千本桜」

六月大歌舞伎 昼の部 2012年6月

初代市川猿翁、三代目段四郎の50回忌追善で、二代目猿翁、四代目初舞台という澤瀉屋一門話題満載の公演だ。きれいどころの姿が目につき、名入りの菓子や新猿之助オリジナルのカトラリーセットを売るなど、お祝いムード。新橋演舞場2階3列目で1万9000円。

まず「小栗栖の長兵衛」。注目の香川照之さんが歌舞伎初挑戦でタイトロールを演じるが、岡本綺堂作の新歌舞伎とあって違和感はない。立ち回りも危なげなく、汗だくの大活躍だ。
酔っぱらって巫女(春猿)にお酌を要求する乱暴者の長兵衛(中車、メークがコミカル)。馬士(右近さんもコミカル)から泥棒の疑いもかけられ、父・長九郎(寿猿、ベテラン後見役ですね)がたまらず勘当を言い渡すと、大暴れして簀巻きにされてしまう。ところが逃亡中の光秀を槍で突いたとわかり、都で秀吉から褒美を受け取るとなると、皆から一転して褒めそやされ、馬士が差しだした馬で意気揚々と花道を引きあげていく。笑いの中に、大衆のご都合主義がシニカル。ほかに妹が笑三郎、その婿が門之助。

休憩後は福山雅治監修、ゆかりの俳優たちの隈どりを重ねたという幕がひかれて口上。中央に新猿之助、中車、團子が市川家らしいピンと立った髷で控え、大御所・藤十郎が紹介。段四郎、右近ら一門の言葉に秀太郎が重みを添える。猿之助が何やら難しいことを言い、中車が懸命に、團子が可愛く続いた後、後方の襖が開いて台に坐ったまま新猿翁が登場。回らない口でしゃべり、左右に見得を切るさまが痛ましいが、一族の物語も含めて俳優の業を感じさせる。

再度の休憩後、「義経千本桜」から「川連法眼館の段」通称「四の切」。文楽のほか、2009年には菊五郎さんの音羽屋型・忠信で観た演目だ。今回はお待ちかね新猿之助で、狐親子の情愛に加え、澤瀉屋型のケレンをたっぷりと。階段がひっくり返って登場し、人間と狐の早替わり、「狐手」「狐詞(ことば)」、欄干渡しときて、ラストは花道から宙乗り狐六法で、花吹雪のなか2階席のほうへ飛び去りました。さすがにキレがいい。川連法眼が段四郎、静御前が毅然とした秀太郎、藤十郎が義経で舞台を締める。

狂言「千切木」能「鍾馗」

6月普及公演 狂言「千切木」能「鍾馗」  2012年6月

雨の国立能楽堂。中庭の緑が綺麗で、売店に並ぶ様々な扇が面白い。女子高生の団体を含め、満席の人気ぶりだ。正面席の中ほどで4800円。

冒頭に「解説・能楽あんない」として中国文学者の井波律子国際日本文化研究センター名誉教授が登場し、道教系の魔よけ・鍾馗(しょうき)についてのお話。科挙に落ちて命を絶った鍾馗の霊が、不憫に思ってくれた高祖皇帝に恩を感じ、玄宗皇帝のマラリアを退治したという伝説のこと、玄宗が画家・呉道子に絵を描かせたのが一般に流布して、日本で端午の節句に絵を飾る風習に至ったこと、京都の民家が屋根に瓦製の鍾馗像を置いたりする風習のことなど。旧暦の5月5日が今年は6月24日にあたるので、今月の演目になっているようだ。ちなみに端午の節句のもとは、高潔さゆえに左遷され、自害した官吏・屈原の弔いだとか。知らなかったなあ。悲劇の人を祀ると守り神に転じるという発想が面白い。

続いて狂言・大蔵流「千切木(ちぎりき)」。千切木は胸の高さに切った棒で、武器になる。口うるさいため疎まれている「宗匠」太郎(シテ・山本東次郎)が、呼ばれもしない連歌の初心講に押しかけて横柄に振る舞い、主人(アド・何某の山本則俊)らから袋だたきにあう。妻(山本泰太郎)の叱咤で仕返しに回るけれど、皆に居留守で上手にいなされ、虚勢を張る、というちょっとシニカルな笑い話だ。ほかに太郎冠者の若松隆ら。朗々たる声が心地良く、スピード感がある。太郎が妻の尻に敷かれる感じなどが可笑しくて、客席はよく沸いてました。

休憩時間に資料展示室の能衣装や面の展示を眺める。
そして後半は能・金春流「鍾馗」。後方に笛、小鼓、大鼓、太鼓、右側に地謡8人が2列に並ぶ。終南山の麓から都に向かう旅人(ワキ・高安勝久)の前に、里人(前シテ・金春安明)が現れて「皇帝が自分を敬えば宮中に奇瑞を示す」と奏上してほしい、実は自分は鍾馗だ、と名乗り、世の無常を語る。間狂言で山麓の者(アイ・山本則重)が鍾馗の由来を聞かせたあと、後場でいよいよ早笛にのって鍾馗の霊(後シテ)が登場。真っ赤な髪、恐ろしげな面(小べし見)で剣をひっさげた姿だ。悪鬼を払って国を守護する誓いを示し、天下泰平を祝して明るく終わる。最後の方で袖を腕に巻いたりして、けっこうリズミカルで動きがあった。太鼓が力強く盛り上がると思わず拍手したくなり、能は音楽なんだなあ、と実感。囃子方の間で指揮者、リーダーは決まっていないそうだけど。

パンフレットを読むと、皆さん世襲なんですねえ。それから各席についているスクリーンに詞章が映るのが便利。ちょっと言い回しが違ったりして興味深い。

ハンドダウン・キッチン

パルコ・プロデュース「ハンドダウン・キッチン」  2012年6月

作・演出蓬莱竜太。パルコ劇場の1F前寄り、右寄りの席で8000円。客層は若めで淡々とした空気かな。2度ほどの暗転を挟みつつ、休憩無しの約2時間。

フレンチレストラン「山猫」が舞台だ。メタリックな縦長の板に囲まれた厨房のワンセットで、照明、音響は人物へのスポットや雨音くらいと控えめ。店は山あいの不便な立地なのに、オーナーシェフ(仲村トオル)のカリスマ性と独創的な料理が話題になり、雑誌などでもてはやされている。けれどその評判の裏は欺瞞に満ちていた。新入りシェフ(柄本佑)との葛藤を契機に、欺瞞に至ったシェフの父(江守徹)、姉(YOU)との経緯が浮かび上がっていく。

たった1日の出来事に家族の物語を凝縮させた、緻密な脚本だ。長い年月の間にふり積もった哀しい嘘と、その先に見えてくる赦しに、ハンドダウン(承継)というタイトルの意味が重なる。物語のスパイスは、虚像の評判に依存する消費社会の構造。料理の盛りつけを、難しい言葉を並べ立てて絵画に例え、大衆を煙に巻くあたりの表現が巧い。脚本が非常によくできているだけに、演出がやや物足りなかったかも。きれいにまとまらない、破綻や驚きがもう少し欲しかった気がする。

不良っぽい仲村トオルが、期待通りの色気と存在感を示す。対抗軸としてのYOUと柄本佑、かき回し役のグルメライター・佐藤めぐみはちょっとパワー不足か。江守徹、不良スタッフの千葉哲也にさすがのリアリティがあり、絵描きの宮崎敏行が飄々としていい味。怪我で降板の永山絢斗に替わった、ネット担当スタッフの仲村倫也がなかなかのリズム感でした。

咄と小唄の会「たがや」「四段目」「唐茄子屋政談」

第二回咄と小唄の会  2012年5月

思い立ってねぎし三平堂へ。雨上がりだが30人程度、着物姿の方もいる。2000円。前座は正蔵六番弟子の女性、林家つる子。
まず三遊亭萬窓がちょっと季節はずれの「たがや」。初めて聴く噺家さんですが、時代劇風の容貌とかっちりした語り口に好感が持てる。
続いて林家正蔵さんが、落語と歌舞伎の違いを語ってから、お馴染み「四段目」。丁稚の定吉が芝居好きがたたって蔵にほおり込まれるものの、暢気に忠臣蔵の真似事を始めちゃう噺を短縮バージョンで。幸四郎、吉右衛門兄弟のくすぐりを入れたりして安定感がある。

5分ほどの仲入りのあと、寄席のお囃子では最若手という三味線の千葉しんさんが登場し、順に小唄を披露。萬窓が「雑俳」「濡れてきた」。続いて正蔵が「腹の立つときゃ」「打ち水の」。当方、全く素養がないのだけれど、小唄というのは短いなかにリズム感が必要で、音の高低も激しい。うーん、これはかなり難しい芸ですね~
気を取り直して「唐茄子屋政談」をリレー。勘当され吾妻橋から身投げしようとした若旦那が叔父と遭遇、諭されて慣れない唐茄子(かぼちゃ)売りに出るところまでを萬窓。浅草寺あたりでへばっていると、通りかかった人たちが次々に唐茄子を買ってくれるくだり、江戸っ子の気っ風が爽快だ。
後半は正蔵。若旦那は帰り道、箕輪の裏長屋で出会った貧しい母子にほだされて、残りの唐茄子と売り上げをすっかり渡してしまう。経緯を疑った叔父と長屋へ戻ってみると、せっかくの厚意を因業大家に取り上げられ、母が首をくくったという衝撃の展開。若旦那が怒り心頭、大家をこてんぱんにやっつけ、母も一命をとりとめてめでたしめでたし、となる。講談調のなかに、若旦那を見守る叔父さんの情が染みました。

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