« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »

ガラスの動物園

シス・カンパニー公演 ガラスの動物園  2012年3月

テネシー・ウィリアムズの著名戯曲を、長塚圭史が演出。徐賀世子翻訳。シアターコクーンの1Fなかほどで9000円。客層は幅広い。休憩を挟んで約3時間と意外に長丁場。

長塚作の「テキサス」とうってかわって、スタイリッシュな舞台だった。現代風のオペラみたいな、奥行きのある壁だけのワンセット。左右に並んだ扉から、女性ダンサーたちが出入りする。全員が薄グレーの服にすっぽり鼻まで身を包み、シーンシーンの雰囲気、緊張や不安を仕草で表現。時に静止して衣装と同じ色調の壁に溶け込み、時にシンプルなテーブルや椅子を移動させて、芝居を動かしていく。お洒落な振付はプロジェクト大山の古家優里。

物語は1945年の作とは思えない、普遍性をもつ。大恐慌下のセントルイス。華やかな南部の思い出に生きる母アマンダ(立石涼子)と、働いて一家を支える息子トム(瑛太)との間では、時代の変化がもたらすズレ、理想と現実のズレがどんどん深刻になっていた。それでもトムは母、そして極端に内向的で生活力のない姉ローラ(深津絵里)を振り切ることができない。息苦しいほどの家族のくびき。やがてアマンダの指図でトムがローラに同僚ジム(鈴木浩介)を紹介し、後戻りできない破綻、喪失へと向かっていく。

俳優はみな達者なものの、とても抑制的。黒いスーツ姿の瑛太は、全編を回想する役回りで、終始淡々としている。みようによっては物足りないけれど、深い悔恨が降り積もるような空気に溶け込む。裏切りの少ない展開にあって、立石の存在感が際立つ。
Glass

パーマ屋スミレ

パーマ屋スミレ  2012年3月

昨年「焼肉トラゴン」の再演が評判だった、鄭義信(チョン・ウイシン)作・演出の書き下ろしを観にいく。新国立劇場小劇場の中央やや後ろ寄りで5250円。ロビーには舞台装置の模型や、パンフレットの表紙を手がけた吉田夏奈のボタ山の画も展示。年齢層が高めで、芝居好きが集まっている感じだ。

休憩を挟み約2時間半、炭鉱事故という過去と現在をつなぎ、強靱な問題意識が流れる秀作だ。けれど決して頭でっかちでなく、家族の愛憎、夫婦の哀感を切々と描き、それに加えて笑い、アクションから雪(桜?)が降りしきる幕切れまで、破綻のない王道のエンタメ性を、これでもかと繰り出す。

時代は1965年ごろ。三池炭鉱のお膝元、有明海を一望し、在日が集まって住む通称アリアン峠の、一軒の理髪店で繰り広げられる群像劇だ。開演前から炭坑夫仲間を演じる朴勝哲、長本批呂士が歌を披露し、注意事項をしゃべる趣向で、芝居気分を醸し出す。
全編、成人した大吉(酒向芳)の回想という形をとっていて、彼がトタン屋根の上から静かに、一族の顛末を見守る。冒頭は浮き立つ夏祭りの日。三姉妹(根岸季衣、南果歩、星野園美)と夫(松重豊、森下能幸)や弟(石橋徹郎)、内縁の夫(久保耐吉)、デザイナーを夢見る子供の大吉(森田甘路)らが、賑やかに出たり入ったりする。台詞は九州弁なので、時に意味がよくわからないけれど勢いが満ち、また背景の蝉の声がたまらなく懐かしい。
そんな貧しくも楽しい暮らしが、炭鉱の事故で一気に暗転してしまう。炭坑夫たちは悲惨なCO中毒に苦しみ、妻たちも先の見えない苛酷な介護に直面する。弟は希望が乏しいと知りながら北へ旅立ち、三女は追いつめられて罪を犯す。救いのない境遇にあって、それでもなお生きていく、と繰り返す父(青山達三)の言葉が、人としての尊厳を感じさせて染みる。気丈な次女は補償を勝ち取ろうと孤軍奮闘するが、石炭産業自体が斜陽となって、ついに峠の人々は散り散りになっていく。
結局、半世紀が過ぎても私たちは一体、何を変えてきたというのか。ずっしりとした問いが胸に残る。

哀愁漂う松重豊、たくましい根岸季衣らの達者ぶりはもちろん、南果歩が細身ながら、野太い声で見事に舞台を引っ張っていた。前列の観客にビニールシートを配っての、井戸水を使った派手な喧嘩シーンや、オート三輪のギャグもよくできている。
Sumire Botayama

テキサス

パルコ・プロデュース公演 テキサス 2012年3月

2001年の長塚圭史作・演出作品を、今回は河原雅彦が演出。パルコ劇場、前の方の席で7350円。若い観客が多い。
休憩無しの2時間強で、昭和っぽい居間のワンセット。グロテスクでシュールな笑いが詰まっているんだけど、「読後感」はすっきりしない。田舎暮らしのさえない境遇や容貌に対するコンプレックスをえぐり出して笑う、という感じなのかな。

マサル(星野源)が恋人・伶奈(木南晴夏)を連れて久しぶりに帰郷すると、姉の聖子(野波麻帆)、知人の長内(松澤一之)らの面差しがすっかり変わっている。時代に取り残されたような町で今、激安整形が流行っているのだ。やがて整形した人々が次々変調をきたし、姉ととっぽい恋人・沼田(政岡泰志)が死を選んだり、借金とりの四ツ星(岡田義徳)が実家に居座って、伶奈を薬物漬けにしちゃったり、その四ツ星はヤクザの桂(河原雅彦)に追いつめられたり、と救いのない展開が続く。
外国人風に整形しちゃった幼なじみの千鶴子(吉本奈穂子)が、変調の原因と決めつけられて町の人々から襲われるに至り、マサルはかつてのライバル・川島(高橋和也)とともに、怪しい整形医(湯澤幸一郎)との対決に赴く。川島と闘鶏、実は鶏のかぶり物をつけた格闘技で戦うとか、友人とつるむ牛沢太郎(福田転球)が本当は牛とか、ハチャメチャなギャグが満載です。

星野源が期待通り、飄々として良かった。岡田義徳、野波麻帆らも達者。高橋和也はすっかり年配になっちゃったなあ。

METライブビューイング「エルナーニ」

METライブビューイング2011-2012第9作「エルナーニ」 2012年3月

激しい感情表現でロマン派の扉を開いたと言われるユーゴー原作、ヴェルディ初期の作品をライブビューイングで。新宿ピカデリーのいつもの最後列、3500円。相変わらず混んでます。マルコ・アムミリアート指揮、ピエール・ルイジ・サマリターニ演出のイタリアコンビ。上演日は2月25日。

舞台はおなじみ16世紀のスペイン。国王を怨む山賊エルナーニ、権力欲むき出しの国王ドン・カルロ、そして老貴族シルヴァの3人の男が女官エルヴィーラをとりあう。ドロドロかつ荒唐無稽な展開だけど、4人がこれでもか、という堂々のベルカント合戦を繰り広げてうっとり。

序幕&1幕の約1時間、シルヴァの館でありえない四角関係が描かれる。エルヴィーラのアンジェラ・ミード(ソプラノ)が「エルナーニよ、一緒に逃げて」。外見はころころだし、ちょっと不安定に聞こえるけど、若々しさが好ましい。タイトロールのマルチェッロ・ジョルダーニ(テノール)も線が細い感じながら、徐々にドラマティックテノールぶりを発揮。お待ちかねカルロのディミトリ・ホヴォロストフスキー(バリトン)がもったいぶって登場し、「私についてこい」の三重唱がリズミカルだ。
幕間にはミードが、メトのオーディションでファイナリストに残ったときのドキュメンタリーを紹介。インタビューではホヴォ様が可愛い子供2人と登場しました。

2幕は40分弱だけど、シルヴァとエルヴィーラの婚礼直前、恋人を奪おうと乗り込んでくるエルナーニ、エルナーニを捕まえに来て人質にエルヴィーラを連れ去るカルロ、カルロの横暴に怒り、恋敵エルナーニと手を組んじゃうシルヴァと、2転3転のめまぐるしさです。シルヴァはお馴染みフェルッチオ・フルラネット(バス)。暗い情熱をこめたエルナーニとの二重唱「お前に渡す、どちらでもいい方を」が見事な迫力で、存在感たっぷり。

技術監督セラーズのインタビューなどを挟み、いよいよ3幕&4幕を約50分。舞台はアーヘン大聖堂の地下墓所に飛び、陰謀の合唱「カスティーリヤの獅子が」が勇壮に響く。カルロはエルナーニとシルヴァ一派を捕らえるものの、神聖ローマ皇帝に選ばれたのを機に放免する。身勝手すぎる~ ホヴォ様が冒頭で「ああ、若かりし日よ」を披露。矛盾の大きい役を、見事なヴェルディバリトンとドヤ顔でねじ伏せちゃうのがさすがです。国王にしては生臭い印象だけどね。
そして今度は、エルナーニとエルヴィーラが結婚式を挙げようとするが、名誉を傷つけられたシルヴァが角笛を吹き、なんとエルナーニは誓いを守って自害しちゃう、という唖然呆然の幕切れ。大詰めの三重唱「やめて、むごい人」が盛り上がった。

美術は巨大階段を使っていて、古風だけどスケールが大きい。幕間に見せる、人手によるセット転換が興味深かった。衣装は古典的できらびやか、照明が暗く、落ち着いた演出でしたね。カーテンコールでミードへの拍手が大きいのは、若手を応援するMETらしかった。

東京小牧バレエ団「マダレナ」「ブラックスワン」「ジゼル」

東京小牧バレエ団公演 2012年3月

友人のお嬢さんが出演する公演に足を運んだ。新宿文化センター大ホールの最前列で8000円。パイプオルガンもある。

「マダレナ」は岩手県生まれの菊池唯夫・前団長が、1623年の陸奥国のキリシタン殉教をテーマに創作した作品だそうです。ソリストはタイトロールの村娘に藤瀬梨菜、マダレナと恋に落ちるマチアスに風間無限、能のような足運びが面白い寿庵は菊池宗。教会のようなシンプルなセットが幻想的だ。1時間弱あり、中盤で岩手県奥州市提供原体剣舞の子供4人が特別出演。

休憩のあと、白鳥の湖第3幕より「ブラックスワン パ・ド・トロワ」。振付は佐々保樹。セットのないコンサート形式で、ソリストは長者完奈、香野竜寛、ラグワスレン・オトゴンニヤム。
最後は「ジゼル第2幕」。ボストンバレエ団から市河里恵、アルタンフヤグ・ドュガラー。ほかに周東早苗、グリゴリー・バリノフら。ロマンチックな展開で、フォーメーションを変えていくウィリー達の群舞が美しかった。

一谷嫩軍記

三月歌舞伎公演・一谷嫩軍記 2012年3月

国立劇場開場四十五周年記念の一環、「歌舞伎を彩る作者たち」シリーズ第五弾は、三大名作の並木宗輔による絶筆・
義太夫狂言「一谷嫩軍記」。源平ものですね。団十郎、三津五郎が2役ずつの活躍。1階前の方の舞台に向かって右寄りでA席9200円。中村座に比べると広いなあ。

今回は珍しい3幕構成で、物語の発端、義経が独自の命令をくだす大序「堀川御所の場」30分から。なんと98年ぶりの復活だそうです。
義経(三津五郎)はまず歌人俊成の使者・菊の前(門之助)に対し、敵にもかかわらず平忠度の歌「さざ波や滋賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」を勅撰千載和歌集に入れるよう応援する。これ、実際に詠み人知らずとして収録されているんですね。一方、平敦盛討伐に向かう熊谷(団十郎)には、弁慶が書いた謎の制札「一枝を伐らば一指を剪るべし」を託す。絶頂期の深謀のリーダー・義経が平家の都落ちに際し、頼朝の意向に逆らっちゃうことが振り出しだったと納得~ 三津五郎さん、5等身ぐらいだけど気品があり、団十郎さんは腹芸を発揮。地味だけど緊迫してます。

30分の休憩中、食堂でお弁当を食べてから二段目「兎原里林住家の場」、通称「流しの枝」を1時間。こちらは37年ぶりの上演だとか。菊の前の乳母・林(秀調)のもとに、ならず者の倅・太五平(弥十郎)が刀を盗みに入るチャリ場が楽しい。前半は滅びを覚悟した忠度(団十郎)が菊の前に別れを告げる愁嘆場。追っ手との立ち回りでは刀を天井に差し、素手で戦う。ゆったりと勇壮です。
後半は
忠度を討つことになる六弥太三津五郎が爽やかにとの因縁話。六弥太に短冊を結んだ山桜の流し枝を見せられ、千載和歌集採用と知って感謝する。 さらに戦場で会おうと馬を用意されて、悠然と出立。詩情を解する武将です。六弥太は忠度の片袖を菊の前に渡す心配りも。風雅を解する武将同士の心の交流ですね。

20分の休憩を挟んでいよいよ三段目。人気の「熊谷陣屋」だが、近年はカットされる冒頭部分、
熊谷の妻・相模(魁春がタフに)と敦盛の母・藤の方(東蔵)の遭遇からたっぷりと110分。熊谷(団十郎)が帰還して制札を眺めるところが意味深です。まず女2人に敦盛討伐の模様を聞かせる義太夫らしい「物語」。藤の方が悲しく青葉の笛を吹くと、障子に敦盛の影が映り、緋の鎧がある、というちょっとホラーぽい展開が興味深い。
義経(三津五郎)が登場していよいよ首実検。悲嘆を押し隠した制札の見得などが、哀しくも迫力。首を抱えちゃった相模のクドキ、義経と石屋・弥陀六・実は弥平兵衛(弥十郎がくせ者らしい)の再会から、鎧櫃を渡す展開、と見どころ満載です。
しかし何と言っても、ラスト幕外での花道が圧巻でしょう。幕が引かれた途端、これまでのすべてが幻に転じ、熊谷の胸中に焦点が絞られ、僧形の熊谷の「十六年は一昔、夢だ夢だ…」という名ゼリフ。団十郎型と呼ばれるそうです。
身代わり狂言といえば「義経千本桜」の「すし屋」や「菅原伝授」の「寺子屋」も有名だけど、忠義の犠牲になる親子がなんとも理不尽でやりきれない。しかし今回はそういう悲嘆よりも、権力の変転と立場に翻弄されるちっぽけな個人の切なさが前面に出ていた感じで、ひときわ胸に迫った。どんな災厄にあっても桜は咲く、という無常感。名作だなあ。

終わってから、江戸検定合格者のグループと一緒に、舞台見学会に参加する機会に恵まれました。意外に奥行きが浅いセット、奈落の張り紙、鳥屋(とや)の鏡や台本など、興味津々でした~
National1 National2 National3 National4

平成中村座「傾城反魂香」「曽我綉侠御所染」「元禄花見踊」

六代目中村勘九郎襲名披露 平成中村座三月大歌舞伎 夜の部 2012年3月

新橋演舞場から始まった2カ月連続の襲名披露公演で、隅田公園内の仮設劇場のほうに足を運んだ。1F椅子席の右端で、竹席1万7000円。客層は幅広く、うきうきした雰囲気です。

「傾城反魂香」は豪華キャストで、これまでに観た上演と比べると、前段の苛立ちや悲壮感よりも夫婦の愛情、終盤にかけての明るさが印象的。仁左衛門の又平は滑稽かつ上品で、決めぜりふ「抜けた」の軽さ、終盤に紋付きに着替えるあたりからの、嬉し泣きやちょこちょこ歩きの可愛さがいい。おとくは勘三郎。手水鉢の奇跡を目にして派手にひっくり返るなど、アクションが大きい。元気になられてよかったです。幕切れは夫婦2人で花道を引っ込む。土佐将監は亀蔵、将監の奥方は出ませんでした。いつもの絵が抜ける仕掛けが、ちょっと薄かったのが残念かな。

休憩の間に、席で襲名弁当(2500円)をぱくつく。黒い升を持ち帰る趣向だ。
続いて口上。中央の勘三郎が中村座の縁起などを語り、向かって右へ片岡我當、新之介親子。海老蔵が「私は新勘九郎と比べて情熱は負けないが真面目さが足りない」と笑わせ、仁左衛門は「今回、曽我綉を教えたけれど、器用ではない」とちょっと辛口、左に回って中村扇雀、片岡亀蔵。中村座お馴染みの笹野高史さんがついに紋付で口上に連なり、「大好きな勘九郎さん」を連呼してから七之助、勘九郎。再び勘三郎が「ゆかりの方々、縁もゆかりもない笹野さんも」と感謝して、楽しく締めてました。

休憩の間に、向かって右の通路に仮花道がしつらえられて、初めて観る演目「曽我綉侠御所染(すがもようたてしのごしょぞめ)」。五條坂仲之町の場は桜満開で色鮮やかだ。席のすぐ横の通路から勘九郎の男伊達(侠客)五郎蔵一行、反対側から海老蔵の敵役・土右衛門一行が登場するサービス。両花道で向かい合ってからの音楽的な七五調のわたり台詞、「鞘当」を踏襲した傾城皐月をめぐる啖呵の応酬が、芝居気分を盛り上げる。海老蔵はやっぱり華があるし、低い声が太くていい。大物がちょっと出ることが多い、という留め男は我當。
続く甲屋奥座敷の場も、傾城の衣装などが華やか。皐月が五郎蔵のために金を工面しようと、偽りの愛想尽かしをする「縁切り」シーンだ。胡弓をバックにした扇雀のクドキは、色気があって貫録。対する五郎蔵は子どもっぽく単純で、床几や尺八の小道具で怒りを表現、「晦日に月の出る廓(さと)も闇があるから覚えていろ」の名台詞を決める。また皐月の本心を察する傾城逢州の七之助がたおやかだ。金貸し吾助の笹野高史は、引っ込みを真似してコミカル。
五條坂廓内夜更けの場になると、一転して暗く不穏な空気。五郎蔵が皐月の打ち掛けを借りた逢州を、人違いで殺してしまう。単細胞過ぎでしょう。もっとも殺しの壮絶さより、絵画のような様式美に重点がある感じ。土右衛門と立ち回っているところで、突然並んで坐って次の演目を紹介する「切り口上」。これは始めて観ましたね。勘九郎は二枚目というよりワルの哀しさがあうけれど、もっと爛熟というか、崩れたところが欲しいかも。回り舞台まで使っていてびっくり。

短い休憩のあと締めくくりは「元禄花見踊」。平成生まれの御曹司たちが勢揃いで微笑ましい。女形は福助の息子・児太郎と、扇雀の息子・虎之介。立役のほうは橋之助の息子で国生、宜生兄弟、勘三郎の部屋子の鶴松。宜生の所作が才能を感じさせました。楽しみ~
Namakuraza1 Nakamuraza2 Nakamuraza3 Nakamuraza6

METライブビューイング「神々の黄昏」

METライブビューイング2011-2012第8作「ニーベルングの指環第3夜 神々の黄昏」 2012年3月

巨大回転板を使ったロベール・ルパージュ演出の「リング」、1作目から観てきていよいよ完結です。ファビオ・ルイジ指揮。2回の休憩を挟んで5時間半の超長丁場だけど、新宿ピカデリーは年配のご夫婦やワグネリアン風の男性らで盛況です。最終列中央で5000円。

やっぱり音の分厚さは格別。大詰めジークフリートの死から「ブリュンヒルデの自己犠牲」あたりは、様々なモチーフが重なりあい、甘美かつドラマティックで、管を中心にオケも全開、これでもかと盛り上がる。幕間のインタビューでジークフリートのジェイ・ハンター・モリス(テノール)が、「聴かせどころが5時間歌った後なのが辛い」と吐露して笑いを誘ってましたが。聴衆としては、映画館でくつろいで聴けるのがとても有り難い一方、この長さだと、ライブだったらさぞかし感動するだろうなあ、とも思っちゃう。

全体を引っ張るのはブリュンヒルデのデボラ・ヴォイト(ソプラノ)。前作「ジークフリート」では貫録ありすぎと感じたけれど、今作の剛胆な役回りはぴったり。なにしろ感情の起伏が激しく、最後には長年の恨みつらみ、エゴのぶつかり合いを一人で昇華させちゃうんだもの。これに対抗するには、モリスは線が細いか。ラッキーにも1週間足らずのリハーサルで代役に立った前作での、少年ぽいイメージはあっていたけれど、今回はちょっとミュージカル風に聞こえちゃうシーンもあった。この人はむしろコミカルな役が合うかな。また、2人とも色気が今ひとつなのが惜しい。新国立劇場で観たリングのほうが、策謀のあやしさが前面に出てぞくぞくした。

カーテンコールでは、深みのある声で悪役ハーゲンを演じたハンス=ペーター・ケーニヒ(バス)と、溌剌としたギービヒ家の妹グートルーネのウェンディ・ブリン・ハーマー(ソプラノ、アメリカ娘ですね)に対する拍手が大きかったかな。苦悩する兄グンターはイアン・パターソン(バスバリトン)。登場が短かったけど、アルベリヒでエリック・オーウェンズ(バスバリトン)、ワルトラウテでヴァルトラウト・マイヤー(メゾソプラノ)も。

ルパージュ演出は1作目のように歌手を吊り上げることもなく、比較的淡々としたもの。回転板を彩る映像は見事で、特にジークフリートの死の直後、河が真っ赤に染まっていくところや、ラストの炎が美しい。ロボット仕掛けなのか、愛馬グラーネの頭の振り具合も良くできていた。幕切れもひねらず、回転板の上下動で静かに川面を表現。「ふりだしに戻る」という、どうしようもなく虚しい印象で幕となりました… 4月には4作の通し上演があるそうです。演者もスタッフも観客も大仕事ですね!

冬の正蔵「鮑のし」「松山鏡」「ねぎまの殿様」「らすとそんぐ」「試し酒」

第二期林家正蔵独演会・冬の正蔵 2012年2月

いつもの上品な紀尾井ホール(小)。割と女性が多いかな。今回はなんと最前列、ほぼ真ん中でした。3000円。

まず二つ目・林家はな平が「鮑のし」。髪がくるくるして愛らしい。天然ボケの甚兵衛さんが、しっかり者のおかみさんに指図され、お返しを狙って大家に息子の結婚祝いの鮑を届ける。時間の関係か途中までだったけど、溌剌としていい。

続いて正蔵さんが、ちょうど雪の日という逆境ぶり、お母さんとぼんやり国会中継を観ていて、田中直紀さんをめぐりトンチンカンな会話をした、というほのぼの孝行エピソードから「松山鏡」。説明がいるのであまりかからない噺、と前置きし、鏡を知らない設定の紹介として「鏡屋」の小咄を振ってから本題へ。越後の田舎で、地頭に孝行を誉められた男が亡父に会いたいという願いを言って、鏡をもらう。鏡というものを初めてみた夫婦と、通りかかった尼を巻き込んでのドタバタ。素朴な人物像がはまっていて、いい噺だ。途中で羽織を脱ぎかけて辞めるあたり、気ままな雰囲気。先日観た文楽の「彦三権現」といい、孝行息子の話ってなんかしみる。

羽織を脱いで、そのまま「ねぎまの殿様」へ。焼き鳥じゃないよ鍋だよ、という説明から、粋なお祖母さんの思い出の料理をマクラに。殿様がお忍びで下賤な煮売り屋のねぎま鍋を食べて、その美味さに感動、お屋敷で所望する。家来の四苦八苦があって、殿は満足。椅子代わりの醤油樽まで欲しがるという、他愛なくほっこりする落ちだ。「目黒のサンマ」のあったか冬バージョンですね。
冒頭のお忍びシーンで、本郷三丁目から湯島のつづら折り、上野広小路へ、広小路は火除地だから掘っ立て小屋が集まっていて、というのんびりした蘊蓄が楽しい。煮売り屋があまりに早口で、ねぎまが「にゃ~」に聞こえるとか、酒は40文で「ダリ」とか、ネギの芯の「鉄砲」とか、庶民の暮らしをいちいち面白がる殿様がとてもチャーミングだ。

中入りはなく、続いて二つ目・林家たけ平が「らすとそんぐ」。学校寄席の苦労とかから、辞世の句を作る辞世屋さんの無茶話。汗だくの熱演だけど、もうちょっと落ち着いていたほうがいいかなあ。

トリで再び正蔵さんが悠然と登場、ほとんどマクラなしで「試し酒」。大店の旦那同士が、座興に賭をする。内容は下男の久蔵が、一気に5升呑めるかどうか。話をもちかけられた久蔵、ちょっと考えると言って外したものの、戻ってくると武蔵野の蒔絵(野がみつくせない、から呑み尽くせない)の大杯で見事に呑み干しちゃう。負けた旦那が感心しつつ、「さっき酔わない薬でも飲んできたのか」と尋ねると、「自信がないので試しに5升呑んできた」という豪快な落ち。
こちらも気持ちのいい噺だ。旦那たちの造形はお茶目で鷹揚だし、久蔵はとぼけていて素朴。木訥とした訛りがうまいなあ。酒を呑むシーンが見せどころで、開いた扇を横に使い、手の震えなど勧進帳の弁慶のような所作。席が近いからよく見えて、得しました。
終わってから「5杯空けたところで拍手がこなかった」と悔しがってたけど、いかにも拍手を誘うようなタメは少なかったと思う。師匠はそういう大向こう受けするケレンとか、人物像のひねりとかよりも、飄々とした持ち味こそが心地いいのでは、と確認しました。精進してらっしゃいます!
Shozo

« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »