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90ミニッツ

パルコ・プロデュース公演 90ミニッツ  2011年12月

いろいろあった2011年の締めくくりは作・演出三谷幸喜。三谷さん「大感謝祭」のトリを飾る舞台4作目は、名作「笑いの大学」の西村雅彦、近藤芳正コンビによる休憩無し、暗転も無しの90分1本勝負です。客層は相変わらず幅広い。パルコ劇場、後ろの方だけど全体をつかめる席で8000円。

お話は三谷さんらしい、よくできていて緊迫した会話劇でした。事故にあった少年を緊急に手術すべく、90分以内に父親を説得しようとする医師(西村)と、ある信条から頑なに同意をこばむ父(近藤)が、休むことなく論争を繰り広げる。医師のデスクとベンチだけのシンプルこのうえないワンセットで、三谷さんはよく自分で開演前の注意事項をアナウンスするけれど、今回はそれも無し。始まってからずっと、舞台前方中央に上から細く水を落としていて、これが論争の焦点を象徴し、緊張感をかきたてる。この水の演出は、ちょっといつもと違う気がして新鮮。

お話は2人の立場の違いと葛藤、さらには徐々に互いの立場が崩れて身勝手な地金が現れていくさまを、くっきりと描いていて考えさせられる。設定自体は非常に特殊で、正直入り込みにくいんだけど、観る者に投げかける問いは、実は特別なことではないと感じた。人は信念とか倫理というよりも、実は世間体や、周囲にどう思われるかを気にして、相当大事なことを決めてしまっているのではないか。結論はどうであろうと、そういう立場を守るために決断してしまう者が、何かを得ることはないのではないか。

西村さんが巧い。よく通る声と、その声のトーンが変化していくさまに牽引力があり、立ち姿も映える。そんな西村さんを近藤さんが、ちょっと卑屈な感じで受け止めていて上手。微妙な間とか、緊迫したなかのわずかな笑いもいい感じ。「笑いの大学」と違って分かり合えないままというか、より苦い関係性はおふたりの年輪なのか。

パンフレットは大きさの違うページを挟んだ凝った作りで、1992年からのパルコ・プロデュース作を回顧。全国を回り、2月には東京追加公演も。
90min

アイドル、かくの如し

M&Oplaysプロデュース アイドル、かくの如し  2011年12月

楽しみにしていた岩松了作・演出(さいたまゴールド・シアターの脚本同時上演中。お忙しい)。本多劇場の狭いロビーは出演者の華やかさのせいか花がいっぱいで、客層も幅広い。いつものようにサイン入りの戯曲本を買って開演を待つ。中央あたりの席で6800円。勾配があって観やすいなあ。休憩15分を含め2時間半。

小さい芸能プロダクションのオフィスというワンセット。元・女優の祥子(夏川結衣)とマネージャーだった古賀(宮藤官九郎)の夫婦が経営している。おなじみの階段が今回は中央にあって、2階の小部屋の様子をブラインドの開閉で見せたり隠したりする工夫が巧い。
冒頭から事件の予感。所属するアイドル・くらら(上間美緒ちゃん、声が可愛い)が人気急上昇中なのに、どうやら世話になった音楽プロデューサーの不祥事に巻き込まれそう。クドカンは冴えない事務員の坂口さん(伊勢志摩)と妙なことになってるし、怪しい作詞家(岩松さん)やアイドルの母(きれいな宮下今日子)の身勝手な思惑も交錯。そこへ売れないまま姿を消した元俳優まで現れて…。

複雑精緻な設定ながら、不安や焦燥は控えめ。くららの爆弾会見というクライマックスを挟みつつ、全体に明るさ、温かさが漂い、幕切れは心地よい。お互いいい大人なんだからきれいごとは言えないし、決して爽やかでもない。そして、いい加減くたびれた大人だから分かり合えることがある。まさに平成の夫婦善哉。

初舞台の夏川さんが危なげない。中央にずっと社長の椅子があって、あまり動きは大きくないけれど、予想より色気や迫力が控えめで、潔さが際立つ。きれいだけど前に出すぎない感じ。クドカンが意外に格好良くて、岩松さんはやっぱりこの2人が好きなのかしら。何が集まって枯れ葉になるのかってセリフ、いいなあ。
マネージャー百瀬の津田寛治と、後輩・本間の足立理がかき回し役で達者なのだけど、2人に比べると存在感は今ひとつか。若手の橋本一郎、金子岳憲がいいリズムで笑いをとってましたね。年末に素敵な作品を観ることができました~

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深呼吸する惑星

第三舞台 封印解除&解散公演「深呼吸する惑星」 2011年12月

10年ぶりの復活オリジナル、かつ解散公演に足を運ぶ。紀伊國屋ホールでは作・演出の鴻上尚史が、ごく普通にホールでファンを迎えるサービス。80年代からのファン、芝居好きはもちろん、最近の鴻上さんの読者らしき若い女性も多い。前寄り中央のいい席で8400円。

オープニングからキャスト全員の、指ファインダー風のお洒落なダンスで盛り上がる。畳みかける細切れの場面にラメラメのキッチュな衣装、バックで動く幾何学模様、終幕に舞う黄色い花吹雪など、詰め込まれたポップさが楽しい。休憩無しの2時間があっという間。
物語は「誰かがネット上に残したSF小説」という形のファンタジーだ。辺境の星で思いがけず再会した、もう若くない地球人の男女が、とてもリアルな幻影に悩まされる。それは無理やり記憶の底に封じ込めた、青春の過ち。やがて彼らはそんな過去の苦さ、愛おしさに向き合い始める。

全編、可愛らしさが満載。中年男女が見せるこの可愛さに、若い世代はもしかしたら少し居心地が悪いかもしれない。けれど今回は時代の同窓会であり、また卒業式であるということを、あえて強靱なサービス精神で形にしてみせたのだろう。なにせクライマックスが「ずっと好きだった」だもの。

筧利夫がいつもながら、図抜けたリズムと色気で舞台をまとめる。対する若手から参戦の高橋一生が、すらりとした立ち姿、微妙に揺れる声で切なさ全開。この人は本当に存在感あるなあ。知的な印象なのに着ぐるみ着ちゃう長野里美、控えめな小須田康人、裏切らない山下裕子、色っぽい筒井真理子、そしてもちろん大高洋夫と、キャストは安定。ビデオ出演のゲストも。帰りに思わずロビーで、鴻上さんに握手してもらっちゃった~

文楽「奥州安達原」

第一一七回文楽公演 2011年12月

国立劇場の12月は恒例・中堅中心の1部制で、演目は東北史がモチーフの「奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)」。前九年の役で源八幡太郎義家に敗れた安倍一族の残党が、再興と復讐に燃えて周囲を悲劇に巻き込んでいく。お馴染みの構図だけど、変化に富んだ展開で予想以上に面白かった。25分の休憩を挟んでたっぷり4時間。1階やや後ろ左寄りで5700円。

まず「外が浜の段」。全5段の2段目で、上演は21年ぶりとか。海辺で働く男女の、下世話でおおらかなチャリ場だ。猟師の善知鳥(うとう)文治(和生さん)が、金の札を付けたご禁制の鶴を殺しちゃう導入部で、能「善知鳥」の題材でもあるそうです。奥の咲甫大夫さんが音楽的。

続いて「善知鳥文治住家の段」。文治があえて鶴殺しを自首して報奨金を得ようとし、女房お谷(簑二郎)は読み書きができないせいで心ならずも夫を差し出すかたちになってしまう。世話物の味わいですねえ。
金貸しの南兵衛(玉也さん)が何故か真犯人だと名乗り出るけれど、これは都へ上る策略。ならず者に見えた彼、実は安倍宗任だったのです! なんと文治も安倍一族の家臣だったという、2重のどんでん返し。貧乏ゆえに、預かった安倍貞任の子を死なせてしまう悲しみの中で幕。捕手頭で吉田玉勢さん。奥の文字久大夫さんが、ちょっと怖い錦糸さんとのコンビでなかなか聴かせました。

休憩後に3段目「環の宮明御殿の段」で、まず中の「敷妙上使」。皇弟が失踪、老いた守り役の平傔仗(たいらのけんじょう、玉輝)と浜夕(勘弥)の夫婦は窮地に立っており、次女の敷妙御前(文昇)が夫・義家の名代で責任を追及しに来ます。一見酷なようだけど義家の配慮がにじむ複雑さ。三味線は寛太郎くん。
次の「矢の根」ではいよいよ義家の幸助さん、そして桂中納言則氏の玉女さんが到着。宗任を詮議する丁々発止の場面です。舞台中央に白旗を下げて、宗任が血染めの和歌を書いたり、矢尻を投げ合ったり。白旗の細工がうまくいかないハプニングはあったけど、動きがあって面白い。髪がすっかり白くなった玉女さん、しずしずと登場して教養もあって、いかにも貴族っぽいけれど、これが演出なんですねえ。

お待ちかね切場で、前が眼目の「袖萩祭文」。駆け落ちした傔仗の長女・袖萩が訪れ、父を案じて門口で祭文を語る。袖萩の勘十郎さんが圧巻です! 盲目で貧しくて、おまけに雪も降ってきて寒く、親が恋しいけれど勘当の身。指先の震えから、哀れさがひしひしと伝わってくる。巧いなあ~。三味線をひく左も曲とぴったり。歌舞伎では舞台上での演奏が見せ場だそうです。けなげな娘のお君は玉誉さん。千歳大夫さんが迫力のうちにも切々と実力を発揮。 

大詰め後の「貞任物語」では雰囲気ががらり、堂々たる時代物に転じます。袖萩が実は貞任の妻で、父との板挟みとなり自害、さらには傔仗が切腹しちゃう、あれよあれよの展開だ。
怪力の宗任が正体を現したかと思ったら、詮議する側の則氏がなんと貞任だったと暴かれ、外見も豪壮な武将に一変! 激しく左右に移動しながら見得を切る玉女さん、スケールがでかくて、前半からの変貌ぶりが鮮やかです。対する義家、ここは袖萩の死に免じて後日戦場での対決を期す。定番のエンディングだけど、相変わらず意味不明だなあ、文楽って…。中央にどっしり構える幸助さんは格好良くて得な役でしたね。貫録の燕三さんと組んだ呂勢大夫さん、ちょっと頑張り過ぎだったかな。いやあ、面白かったです。

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山崎まさよし Standeing Tour 2011

YAMAZAKI MASAYOSHI Standeing Tour 2011  2011・12

初めて行ったけど、期待を裏切らないいいライブでした。満足! 会場も初めてのZepp Tokyo、寒風吹きすさぶお台場から駆け込むと、人ぎっしりの熱気。1Fはスタンディングで客層は20代、30代かな。女性が8割くらい。私は大人しく2Fの着席で5250円。ひとりワンドリンクが必須で500円。ペットボトルはZeppのストラップ付きです。

ライブハウスとあって演出は若干の照明ぐらいと、とってもシンプル、MCらしいMCは本編1回、アンコール前に1回だけ。たった3人(うち2人はボウズ)で2時間、文字通り切れ目なく歌い、演奏しまくる。これぞライブっていう感じ! 山崎まさよしがギター、アコースティックギター、ちょっとハーモニカとキーボード。ダンスが面白い中村キタローがベースとちょっとパーカッション(自己紹介でRCを披露)、太っちょの江川ゲンタがドラムで(即興デブのブルースを披露)、ふたりともコーラスをこなす。それだけで全く飽きさせないんだから、水準高いなあ。

山崎まさよしの歌の力は予想通りでした~ ちょっと高音が辛そうだったけど、「心拍数」の圧巻のドラマチックさ、大好きな「深海魚」あたりのリズム感が最後まで息切れしないんだもの。「パンを焼く」の早口言葉とか、大詰め「アレルギーの特効薬」に混ぜられた「What'd I say」のコール&レスポンスが盛り上がる。定番R&Bのフレーズがしっくりはまって心地いい。
そしてにじみ出る人柄。ファッションはごく普通のTシャツにジーンズだし、40を目前にして洒落たことのひとつも言わないし、子供っぽい気もするのだけれど才能があるから問答無用で納得。聴衆もいい雰囲気です。

ライブ後に買ったパンフレットはなぜか山崎まさよしがウクレレ、銀のアクセサリー、オリジナルカクテルの制作を習う、という内容の写真集で、ドキュメント映像のDVD付き。帰って観たら、なんかだらだらしてた。はは。それから当日の音源(アンコール抜き)をすぐCDに焼くという画期的な試みをしていて、3000円。1週間ほどで宅配されました。やっほー! 以下セットリストです。

1  君とピクニック
2  ガムシャラバタフライ
3  真夜中のBoon Boon
4  Respect
5  パンを焼く
6  晴男
7  窮鼠猫を噛め
8  Let's Form A R&R Band
9  ステレオ
10 関係ない
11 心拍数
12 深海魚
13 アヒルちゃん
14 長男
15 春も嵐も
16 ドミノ
17 ペンギン
18 アレルギーの特効薬~WHAT'D I SAY~LAND OF  1000 DANCES
19 Passage
---encore---
1 あなたしか知らない朝
2 Fat mama
3 根無し草ラプソディー

Photo

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METライブビューイング「ジークフリート」

METライブビューイング2011ー2012第3作「ニーベルングの指環第2夜 ジークフリート」  2011年11月

レヴァイン降板で新主席指揮者のファビオ・ルイージ指揮。11月5日の公演で、休憩を挟み3幕5時間11分、たっぷり分厚い音のシャワーを浴びる。新宿ピカデリーの、観やすい後方席を選んで5000円。

前シーズンから続く、巨大パネルを使ったロベール・ルパージュの新演出です。しかし本演目ばかりは、話題の中心はタイトロールのギャリー・レイマンがわずか1週間前に病気降板して、カヴァーのジェイ・ハンター・モリス(テノール)が急きょ超難役で登場すること。不安がいっぱいだけど、そこはMETですね。メイキング映像で直前リハーサルのモリスや周囲の戸惑い、高揚を見せ、さらに本人が幕間のインタビューで「テキサス出身で、この間までセントラルパークでローラーブレードを売っていた」などと語って、綱渡りの配役を爽快なアメリカンドリームに仕立てた。

当のシンデレラボーイは1幕大詰めで音を外したし、終盤もさすがに息切れしてたものの、子供っぽい英雄を溌剌と歌いきった感じ。目に力があり、粗暴さは抑えめに、どんどん世界を理解していく前向きなエネルギーが伝わる。対する継父ミーメのゲルハルド・ジーゲル(テノール)は哀れなほどの卑屈さで、達者な性格俳優ぶり。オペラ歌手とは思えません。このへんの細かい工夫がわかるのはライブビューイングならではだ。
愛憎が複雑に交錯する父・さすらい人、義眼を着けたブリン・ターフェル(バスバリトン)や、終盤でジークフリートに目覚めさせられるブリュンヒルデのデボラ・ヴォイト(ソプラノ)は安定感。特にヴォイトは、モリスと組むと貫録あり過ぎ。フレミングがヴォイトにインタビューするとき、火花が散る感じがしたのは気のせいか。前作「ドン・ジョバンニ」の村娘で目立っていたモイツァ・エルドマン(ソプラノ)が舞台裏で歌う森の小鳥でなんと連続出演。

張りぼて風の大蛇や火の山など、仕掛けは意外にローテクな印象。だんだん壮大なパネルに慣れてきたのかな。むしろ今回は映像が驚き。歌に反応する小鳥や、水面に歌手の姿が映って、さらに3幕冒頭では水紋がパネルいっぱいに広がるところとか。幕間に技術開発者R・バロンという人のインタビューもあって、軍事技術の応用もあると説明してました。

あゝ、荒野

「あゝ、荒野」  2011年11月

原作は寺山修司の、1960年代新宿を舞台にしたエネルギーある小説。脚本は夕暮マリーで、寺山と同年代の蜷川幸雄さんが演出した。青山劇場の1F中央、通路のちょっと前で。1万500円。広いホールだけど声がよく響く。
話題の松本潤出演で、席のすぐ横の通路を歩いちゃったりする。開演前から客席にはファンらしき女性の期待感があふれ、親子連れも目立つ。1幕でラブホテルのシーンが延々続く内容とのミスマッチは否めず、もちろん皆さんマナーはいいのだけれど、正直、そっちに気を取られちゃったかな。休憩を挟んで3時間強。

主演の若いボクサーふたりは大奮闘でした。松本潤は新宿新次の、格好良くて自信家の役どころがぴったり。シャドーボクシングなんかしながら、観念的な長セリフをまくしたてる。小出恵介のバリカンは対照的に罪を背負った危うさを猫背で表現、1年前に観た「シダの群れ」に比べて個性がでていた。
根無し草暮らしから、勝村政信演じるコーチに拾われたふたり。バリカンは新次に屈折した憧れを抱き、命がけの試合を挑む。両者の関係はちょっと「蒲田行進曲」を思わせ、舞台は昭和でも、青春の苛立ちというテーマは普遍的。2幕でふたりが少年のように公園のジャングルジムに登り、夜の街という荒野を眺めるシーンが、なけなしの希望みたいなものを感じさせて美しい。もっときわどい鮮烈さを、と願うのは贅沢か。

舞台は吊り下げたたくさんのネオンサインで立体感を出し、左右の字幕に寺山の短歌を映して世界をつくる。冒頭で異形の群衆がダンスを踊るといった、お馴染みの雰囲気も。猥雑な裏町のシーンが続いたあと、大詰めで照明に浮かびあがる白いマットが眩しい。試合のアクションシーンはよくできていたが、スローモーションがやや長かったかも。
勝村政信が声、所作とも貫録の存在感で全体を引き締めてさすが。新次がナンパする芳子の黒木華ちゃんは、何をしてても清潔感が漂い、バリカンが手にかけてしまう娼婦マリーの渡辺真起子も雰囲気がある。コミカルな狂言回し、早稲田の学生役の村杉蝉之介、江口のりこがささやき声まで駆使して達者でした。

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