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METライブビューイング「ドン・ジョバンニ」

METライブビューイング2011-2012第2作 「ドン・ジョバンニ」 2011年11月

ダ・ポンテ・モーツァルトコンビの大作喜劇を観る。ファビオ・ルイージ指揮で、自ら叙唱の伴奏も。新制作だが、マイケル・グランデージの演出は伝統的なもので安定感がある。上演は10月29日。新宿ピカデリー、プラチナ席で5000円。40分近いインターバルを含め、2幕でほぼ3時間半。

歌手陣はさすがの粒ぞろいだ。伝説の女たらしドン・ファンを演じるのは、待ってましたマリウシュ・グヴィエチェン。リハーサルで痛めた腰を緊急手術し、初日には間に合わなかったという綱渡りの登板だけど、1幕「シャンパンの歌」などを思い切りよく。ルイージが幕間のインタビューで言及したように、だらけた色男というより上品で、いやらしくない。手当たり次第で無茶苦茶だけど、相手の身分や財産に関係なく恋に生きるところが妙に純粋。
相棒の従者レポレッロ役、ルカ・ピザローニが大活躍です。「カタログの歌」などが伸び伸びし、長身で表情も豊か。主人に化けてエルヴィーラをだますシーンなど、喜劇役者ぶりが秀逸で、楽しみな人だ。ドンナ・アンナの婚約者オッターヴィオ役のラモン・ヴァルガスが、甘い声で第2幕のアリアなどをたっぷりと聴かせ、拍手を浴びてました。

こうした男性陣より、女性陣のほうが総じて複雑な造形ですね。なかでも農民の娘ツェルリーナのモイツァ・エルドマンが目立っていた。1幕ドン・ジョバンニとの2重唱「手をとりあって」や2幕の「薬の歌」など、したたかでドン・ファンよりよっぽど下世話な女を可愛く。妻エルヴィーラのバルバラ・フリットリはさすがに酸いも甘いも、という器の大きさを感じさせ、本気でドン・ファンを思い、最後は修道院へ、という展開に説得力がある。ドンナ・アンナのマリーナ・レベッカは父を殺され、理性で婚約者を選ぶ、最も矛盾をはらんだ優等生ぶりをそつなく。

大詰め、ドンナ・アンナの父の亡霊(騎士長の石像)が白塗りで怖すぎ。本物の炎があがり、ドン・ファンが地獄へ落ちる演出が劇的です。モーツァルト自身が、亡くなった父に罰せられる自堕落な自分を重ねていたとか。
もっともラストは、残った人物の暢気な6重唱があるプラハ版でした。ウイーン版ではここをカットするらしいけど、やっぱり喜劇の位置づけなんですね。そういえば細かいギャグに、聴衆もよく沸いてました。

ヴィラ・グランデ青山

ヴィラ・グランデ青山~返り討ちの日曜日~  2011年11月

お気に入り倉持裕の作・演出で、竹中直人、生瀬勝久というこれ以上ない濃い顔合わせ。客席は演劇好きが集まっているような大人っぽい雰囲気だ。日比谷シアタークリエ、前の方の中央で8000円。この劇場は2007年のこけら落とし以来だが、ホワイエが狭いので開演前なら席で飲食できるようにしていた。

休憩無しの約2時間。会場の雰囲気に合った、軽快な会話劇のコメディだった。場所は表題通り、青山にあるお洒落だけど築20年のマンション。ここに住むデザイン事務所経営の民谷(竹中直人)がある日、20年来の仕事仲間で写真家の陣野(生瀬勝久)を呼び出す。娘(谷村美月)の元カレと揉め、当人が謝りに来るので同席してほしいというのだ。
格好つけてるいい大人が、結構ちっちゃい奴同士で、どこか子供っぽく言い合う。特に民谷は、姿を見せない者(元カレやら騒音に文句を言うマンションの住人やら)を相手に空回りしてばかり。詳しくは語られないけれど、陣野とは同じこのマンションに住んで、しょっちゅう飲む仲だったのに、なにかのきっかけで3年も会っていなかったらしい。相手はわかってくれるはず、という甘えや底流にある信頼、そうはいってもわからないこともあるよ、という、いかにもありそうなすれ違いのドラマだ。

マンションの中庭、室内、そしてまた中庭というシンプルなセットで、この室内の演出が意表をつく。陣野が美人のOL(山田優)に貸している部屋、そして民谷と娘が住む部屋が出てくる。同じ間取りという設定で、2部屋に別れているはずの人物が、1部屋に同時に登場。互いに透明人間のように振る舞い、相手が目の前にいるのに携帯電話で会話したりする。見えているようで見えていないという距離感の視覚的表現が面白い。

俳優陣はみな達者。竹中は舞台でみると、とても小柄で線が細く、いっそ頼りない感じ。隙さえあれば小刻みで妙な動きを披露し、笑わせる。生瀬はそれを絶妙のズレ具合で、ゆったり受け止める。この人は本当に懐が深くて、今回は2枚目バージョンでしたね。かき回し役の管理人(田口浩正)も上手。冒頭の彫刻を壊しちゃうシーンとか、けっこうベタなネタが気持ちよく笑えるのは、この3人の掛け合いならではでしょう。民谷と陣野のキャラの対立がもっと鮮明だったら、歯ごたえがあったと思うけど。
谷村美月に安定感があり、元カレの友人、松下洸平は爽やか。初舞台の山田優も頑張ってました。驚異のスタイルのよさで、足上げや歌も披露。

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平成中村座「猿若江戸の初櫓」「伊賀越道中双六」「弁天娘女男白浪」

平成中村座十一月大歌舞伎 夜の部  2011年11月

江戸の芝居小屋を再現する平成中村座。隅田公園内でのロングランの幕開けに足を運んだ。地下鉄浅草駅から地上に出ると、吾妻橋を挟んでアサヒビール本社とスカイツリーが目の前。そこから東武線をくぐり、隅田川沿いの幟をたどってぶらぶら行くと、10数分で仮設劇場に着く。
お弁当を買い、渡されたビニール袋に靴をおさめて客席に向かう。独特の白線の入った幕を前に、うきうきした気分が満ちる。1階前のほうが平場、2階正面がお馴染みの立派なお大尽席。今回は2階幕内まで席があり、幕間にのぞいてみると舞台転換が丸見えで面白い。パンフレットは櫓の立版古(ペーパークラフト)付き。1階椅子席の前の方、右寄りで1万4700円。

演目はまず「猿若江戸の初櫓」。初世勘三郎が猿若座(中村座)の櫓をあげた由来を描く舞踊劇だ。長唄囃子、お琴が並んで賑やか。左の御簾内には鳴り物も透けて見える。劇場全体が小さく、すべてが手にとるように感じられて楽しい。
冒頭で猿若の勘太郎、出雲の阿国の七之助が花道で、江戸に歌舞伎踊りを広める望みを語る。出会った材木問屋を助け、一座でコミカルに車をひいてやるシーンの木遣りが伸びやかだ。感心した奉行の彌十郎が、領地の京橋に小屋を開くことを許し、喜んだ阿国、猿若がめでたく舞い踊る。勘太郎の朱色の綱紐が鮮やか。勘三郎の舞台復帰、勘太郎の勘九郎襲名決定を祝うようだ。ラストに舞台後方の扉を開放し、隅田川を一望する趣向が気持ちいい。右寄りの席でスカイツリーが見えなかったのがちょっと残念だったけど。

20分の休憩後、「伊賀越道中双六」から「沼津」。住大夫さんで聴いた演目だ。「沼津棒鼻の場」冒頭で、小山三さんが元気に目を白黒させてみせ、拍手。花道に呉服屋十兵衛の仁左衛門さんが登場すると、それだけで上品さが漂う。年老いた雲助平作の勘三郎さんは、まだ本調子ではない印象だけどサービス精神が健在。道行で2人して客席に降り、すぐ目の前を通ってくれた。
「平作住居の場」で平作娘・お米の孝太郎さんがクドキを聴かせ、3人の因縁が明らかになったところで暗闇の「千本松原の場」。父平作の覚悟を目の当たりにして、十兵衛が仇の居所を明かす。勘三郎さん熱演です。文楽に比べるとリアルな分、親子の悲哀は少なめかな。静かなシーンで車の音が聞こえちゃうのもご愛敬。

25分の休憩でお弁当をつつき、最後は黙阿弥の七五調が炸裂する「弁天娘女男白浪」。「浜松屋見世先の場」で弁天小僧の七之助がお馴染みの啖呵。きわめつけ菊五郎さんで観たことがあり、比べてしまうとさすがに線が細いけれど、可憐さはいい味だ。聴かせどころで声が伸びないのが残念。南郷力丸の勘太郎と花道を引っ込むところ、色気が乏しい分、子供じみた無邪気さが楽しい。
「稲瀬川勢揃いの場」では日本駄右衛門の橋之助、忠信利平の彌十郎が堂々。赤星十三郎の新悟はほっそりした長身で、女形よりこっちがいいかも。演目のバランスがよく、活気があって面白かった!

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METライブビューイング「アンナ・ボレーナ」

METライブビューイング2011-2012第1作 「アンナ・ボレーナ」 2011年11月

2011-2012シーズンの幕開けは、メトの女王ネトレプコがタイトロールをつとめる、ズバリ「女王もの」です。マリア・カラスが復活させた演目というドラマ性も盛り上がる。マルコ・アルミリアート指揮、デイヴィッド・マクヴィカー演出。
冒頭いきなりアンナのインタビューがあり、聞き手はゲルブ総裁という特別扱い。顔がまんまるになっていて思わずのけぞったけれど、舞台では貫録、存在感に結びついちゃうのが立派だ。

お話は冷酷な夫エンリーコ(ヘンリー8世)に不貞の濡れ衣を着せられ、かつての恋人ペルシと共に処刑される女王アンナの悲劇。身も蓋もない救われなさですが、40分ほどの休憩を挟んで2幕4時間弱が決して長く感じられない。全編を引っ張るのは、まずドニゼッティ節の魅力。どこか童謡のような明るさがあって、余計に切ないんだなあ。可哀そうなアンナ自身が、実は前妻を同じように追い出していたり、王を奪う恋敵のジョヴァンナが一番アンナを慕っていたり、という運命が皮肉です。

さらに歌手陣が粒ぞろい! ネトレプコは、王との仲を告白したジョヴァンナに向かって「許す」と言い放つシーンが秀逸。なんという誇り高さだろう。終盤の狂乱の場もベルカントが衰えず、圧巻の歌唱で大拍手です。
対するジョヴァンナのエカテリーナ・グバノヴァ(メゾ)も負けていない。2009年の「アイーダ」、今年の「ドン・カルロ」と、何故かいつも代役で観ている人ですが、満足度が高い。今回は耐える役どころで、ネトレプコとのバランスも良かった。エンリーコを演じたイルダール・アブドラザコフ(バス)は長身で堂々。主要キャスト3人をロシア出身で揃えたあたりは、ゲルブ氏のマーケティング戦略でしょうか。
意外な収穫はペルシ役のスティーヴン・コステロ(テノール)。声に張りと甘さがあって、容姿も悪くない。

セットは暗くてシンプルだけど上品。16世紀半ばを再現したというJ・ティラマーニ(幕間のインタビューに登場)の衣装が重厚だ。侍女たちのチューダー・アーチ(角張ったカチューシャと布)や男性陣の膨らんだ袖、これでもかという真珠、宝石、金糸の刺繍などを観察できるのは、ライブ・ビューイングならでは。インタビューでは次作「ドン・ジョヴァンニ」のクヴィエチェンが元気に話していて、ひと安心。

イロアセル

イロアセル  2011年11月

新国立劇場2011/2011シーズンで、シリーズテーマは「美×劇」であり、「滅び」。大好きな倉持裕の書き下ろしで、演出は鵜山仁。客席はかなりの演劇好きが集まっている雰囲気。ロビーにセットの模型が飾ってありました。小劇場のなんと1階最前列、左端。A席5250円。

舞台は口にする言葉にそれぞれ独自の色がついていて、目に見え、ファムスタという専用の増幅マシーンを使えば、話されていること全体を俯瞰できるというファンタジックな島。ところが、本土から送られてきた一人の囚人の檻の周囲だけが、何故か色が消える。それで人々が、見られて困る本音を漏らしに次々訪れて…。

ソーシャルメディア時代のコミュニケーション、匿名と実名、拡散と分断、そして普遍的な悪意というもの。なかなか深い、考えさせる戯曲です。小説で読んでも面白そうだ。役者もみな達者。囚人の藤井隆は冒頭の礼儀正しさと、奇妙な権力をもってからの狂気に説得力がある。看守の小嶋尚樹、下請け工場経営者の花王おさむらが手堅く、前科のある女の島田歌穂や、カンチュラ(新体操みたいなもの?)選手の加藤貴子、高尾祥子が可愛い。
セットは障子風の天井、壁と籠とのシンプルな構成ながら、言葉の色を舞台上方のスクリーンに映し出す仕掛け。面白い話だけに、演出にもっとメリハリがあったら良かったかな。場面転換にリズムが乏しく、破滅に向かう終盤の緊迫感も今ひとつ。2時間強、休憩無しがちょっと辛かった。

カーテンコールでは藤井隆と島田歌穂が短くトークするサービス付き。囚人がばらまくビラを、こっそりお持ち帰り。ちゃんと手書きでした。とにかく倉持裕は目が離せないぞ。
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