オーデュボンの祈り
石井光三オフィスプロデュース「オーデュボンの祈り」 2011年10月
伊坂幸太郎デビュー作の舞台化。和田憲明脚本、ラサール石井演出。世田谷パブリックシアターの1F前の方、右端の席。10分の休憩を挟んで2時間半。
コンビニ強盗に失敗して逃走した伊藤は、目覚めるとなぜか仙台沖にある「荻島」にいた。幕末以来、外界との交流を絶っているという孤島で、それぞれ一癖あって心に傷を抱える住民たち、そして言葉をしゃべり、森羅万象はおろか未来まで知っているカカシと出会う。
「不思議の国のアリス」のような、思いっきりファンタジーの設定で、カカシ殺害(畑から抜かれ頭部が持ち去られる)といったミステリーの謎解きが展開。そこにリョコウバトの絶滅やら、嘘しか言わない画家の秘密やらのエピソードがからむ。セットはシンプルな階段だけで、白幕を開閉し、鳥の群れなどの映像を重ねて場面を表現してました。
俳優陣が若々しく、みな達者。伊藤の吉沢悠、カカシの筒井道隆はファンタジーをちっともわざとらしく感じさせないし、狂言回しの日比野役・河原雅彦はリズム感がよくて気持ちいい。拳銃を持つ男・桜と警官・城山の2役の玉置玲央に雰囲気があり、郵便屋・石井正則と妻の武藤晃子、巨大ウサギと少女の町田マリー、リョコウバトの絵を持つ小林隆、画家の陰山泰らも安定感ばっちり。石井さん、自転車で思いっきり倒れるシーンがあったけど、大丈夫だったかな? 客席後方で観ていたラサール石井さんもちょい役で登場してました。
テーマも、とても切実だったと思う。島の住人には被害者遺族や看取る人が目立つ。リョコウバトの絵を残した学者やカカシは、不幸なことが起きる、あるいは起きたとわかっていても、見ているしかできない存在だ。島の孤立はその絶望的な無力感を想起させる。でも、そこから逃げずにいるってことは何か? 閉じた心に差す光とは?
俳優、テーマが充実していただけに、全体にメリハリが今ひとつの感じがしたのは残念。私が原作を読んでいなくて、登場人物を十分把握できなかったせいか、物語が淡々と流れて破綻がなさ過ぎたせいか。もっとざらつく感じが欲しかったかも。
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