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身毒丸

身毒丸  2011年9月

作・寺山修司・岸田理生、演出・蜷川幸雄。天王洲銀河劇場の1F中段やや左寄りの席で9500円。天井桟敷が78年に初演し、蜷川版は95年に白石加代子、武田真治、97年藤原竜也が主演。今回はキャストを大竹しのぶ、新人の矢野聖人に変更しての上演だ。著名演目とあって、台風模様にもかかわらず観客は老若男女幅広く、開演前から期待感が流れる。休憩なしで1時間40分。

個人的には、事前に身構えていたほどにはスキャンダラスな感じがしなかった。「玉手御膳」に通じる義理の母・息子の禁じられた恋の物語。冒頭とラスト、舞台上方でグラインダーが火花を散らすのは、イエ秩序の破壊をイメージしているのか。確かに六平直政のどっしりした父が繰り返し語る理想の家族は、最初からかりそめのもの。カードゲームの「家族合わせ」や影絵の演出が、嘘をえぐり出す。

けれど、そういうドロドロよりも、全体に音楽劇の要素に気を取られた。中世の説経節を元にしているせいか、セリフがところどころ義太夫風。浪花節とロックをミックスしたような曲が大音量で流れ(音楽は宮川彬良)、俳優の動きもダンスの振付のようでリズミカルだ。冒頭からニナガワお約束の異形の集団がずらりと並び、言葉遊びが具象になったような巨大なカミキリムシ(土蜘蛛風)や「ハンコ人間」も登場して、どこかキッチュな雰囲気。

撫子役の大竹しのぶは、藁人形のシーンもあるものの、妖艶とか鬼女というより少女のよう。愛しい息子を呪ってしまうのも、理解不能な情念ではなく、ただ真っ直ぐに幸せを求めただけ、という感じがして、リアルに哀れだ。大事にしてきた夢の小箱には中身がない。ラストは道行ではなく、老いてひとり残されて失った家族を抱きしめる形に。それにしても、チャレンジし続ける女優さんです。
タイトロールの矢野聖人はとにかく細い。驚異的に細い。盲目の美少年で、ついには弟を襲っちゃう無茶な展開だけど、未熟な危うさを出すには爽やか過ぎるかも。仮面売りの石井愃一が抜群の安定感。人力でイエのセットを重ね合わせていくのが、面白かった。

あとからDVDで白石・藤原版の「ファイナル」を観て、藤原竜也の存在感を改めて確認。だから今回は「撫子バージョン」だったのだなあ、と思う。繰り返されるカーテンコールで、大竹しのぶが矢野聖人の手をとって走り去る姿がチャーミングでしたね。パンフレットが扇田昭彦、松岡正剛、山折哲雄と豪華。

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