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「雨」  2011年6月

井上ひさしの1976年初演作を、栗山民也が新演出。休憩を挟んで2幕3時間半。
新国立劇場中劇場はホワイエが広くて気持ちがいい。演目にちなんで、山形から運んだ紅花を大量に飾り付けてあるほか、2012年オープン予定の井上ひさし未来館、山形観光案内などの展示もあって賑やかだ。
観客の中心は年配の井上戯曲好きと、亀治郎ファンという印象。2階左端で舞台は遠いが、広い縦横と奥行き、回り舞台を生かしたセット全体がよくわかる。A席5250円。

物語は江戸時代。しがない金物拾いの徳(市川亀治郎)は、雨宿りに立ち寄った両国橋のたもとで、浮浪者から羽前平畠藩の紅花問屋当主、喜左衛門に間違えられる。そんなに似ているなら、と、行方不明だという当主に成りすまして、財産と美貌の妻おたか(永作博美)を手に入れるべく、北へ向かう。

江戸ものが東北へ、という設定は最近観たばかりの「たいこどんどん」と同じ。ただし前作が偶然の放浪だったのに対し、今作の徳は確信犯だ。天狗のせいで記憶喪失になったと誤魔化しながら、一世一代の大芝居のため必死で羽前の方言を身につける。言葉の移り変わりや、ところどころ意味がわからなくても耳に心地よいセリフが井上戯曲らしい。音楽みたいだ。執筆には相当手がかかったことだろう。
徳は訛りを身につけるにつれ、偽りの身分にやりがい、愛着を見いだしていく。言葉が分かちがたく、アイデンティティーと結びついている。

もう一つのテーマは地方の逆襲だろう。特産品・紅花の収益を中央権力に搾取されも、ひたすら耐えていた地方が、結局はしたたかに、中央の裏をかくという大どんでん返し。
全体に薄暗い照明のなか、上方から銀の針のようなものが突き出た雨のシーンが多い。しかし大詰めで一気に視界が開け、まぶしい白い布を敷いた座敷、ずうっと舞台奥まで咲き乱れる紅花畑、立ちつくす農民たちが現れる。鮮やかな転換。巨大な五寸釘のような梁が十字架を思わせる視覚効果とともに、この国がもつコミュニティーの底力を俯瞰する思いがする。

広い劇場で俳優はマイクを使用。しかし音響の巧さなのか、不自然さは感じない。渋い配役のなかで、やはり亀治郎の存在感が際立っていた。登場人物が二人だけのシーンが多いのだけれど、一つひとつの所作が決まっているし、セリフ回しも大きい。舞台らしさが身に付いているんですね。膨大な訛りを立て板に水で駆使し、江戸言葉との混濁ぶりも滑らか。特に芸者・花虫(梅沢昌代)に正体を見破られて手にかけるあたり、ほとんど「油地獄」のようで、拍手したくなる。ラストのエビぞりでは大向こうから声がかかったし。

対する永作博美は潔い印象。遠目のせいか、きわどいセリフやお色気シーンを含めて、あっさりと透明感がある。「相棒」の山西惇らも安定感。群衆の歌と踊りは今ひとつのところもあったけど。帰りに山形のラスクを一人1個ずつ頂きました~

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