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幽霊たち

パルコ・プロデュース「幽霊たち」 2011年6月

原作はポール・オースターの86年の小説。柴田元幸翻訳。パルコ劇場、前の方右寄りで7500円。観客層は若め。構成・演出は白井晃、振付は小野寺修二。

1947年、ニューヨーク。若い私立探偵ブルー(佐々木蔵之介)は、ブラック(奥田瑛二)という男を監視するよう依頼される。向かいのアパートの一室から、単調な男の日常を見張り続けるうちに、自己の存在を見失っていく。
ノンストップで2時間、大半はブルーの独白による断片的なエピソードや回想だ。ブルックリン橋設計者の親子とか、失踪したのに自宅近くで暮らす男の話(ホーンソーンの「ウェイクフィールド」)とかが印象深い。そして存在を曖昧にする私書箱や覆面、ブラックの部屋に乗り込んで見つけた写真…

抽象的で難解だけど、非常にお洒落だ。時おり背景に、街並みの映像が流れるシンプルなセット。登場人物たちはスマートな中折れ帽とロングコートをまとい、前後左右にテンポ良く行き来する。頻繁に小道具を持ち替え、机や椅子を音もなく滑らせて出し入れしながら。
歩き続けるだけとはいえ、よくぶつからないものだと思っちゃうほどスリリングで、ダンスのようだ。場面転換、エピソードごとの役の切り替えにも無理がない。こういう緻密な舞台を、稽古しながら創っていくというからびっくり。

俳優陣がみな巧くて、危なげがないのはさすが。出ずっぱり、しゃべりっぱなしの佐々木蔵之介が予想通り良かった。飄々としていて、ほどよく色気があって。奥田瑛二は意外に渋くて、懐が深い感じ。大詰めの、不条理な展開もわざとらしくない。細見大輔は声がよく通り、斉藤悠もきびきび。お父さんが斉藤洋介さんとは。市川実日子は可愛いけど、ちょっと線が細かったかな。

「雨」  2011年6月

井上ひさしの1976年初演作を、栗山民也が新演出。休憩を挟んで2幕3時間半。
新国立劇場中劇場はホワイエが広くて気持ちがいい。演目にちなんで、山形から運んだ紅花を大量に飾り付けてあるほか、2012年オープン予定の井上ひさし未来館、山形観光案内などの展示もあって賑やかだ。
観客の中心は年配の井上戯曲好きと、亀治郎ファンという印象。2階左端で舞台は遠いが、広い縦横と奥行き、回り舞台を生かしたセット全体がよくわかる。A席5250円。

物語は江戸時代。しがない金物拾いの徳(市川亀治郎)は、雨宿りに立ち寄った両国橋のたもとで、浮浪者から羽前平畠藩の紅花問屋当主、喜左衛門に間違えられる。そんなに似ているなら、と、行方不明だという当主に成りすまして、財産と美貌の妻おたか(永作博美)を手に入れるべく、北へ向かう。

江戸ものが東北へ、という設定は最近観たばかりの「たいこどんどん」と同じ。ただし前作が偶然の放浪だったのに対し、今作の徳は確信犯だ。天狗のせいで記憶喪失になったと誤魔化しながら、一世一代の大芝居のため必死で羽前の方言を身につける。言葉の移り変わりや、ところどころ意味がわからなくても耳に心地よいセリフが井上戯曲らしい。音楽みたいだ。執筆には相当手がかかったことだろう。
徳は訛りを身につけるにつれ、偽りの身分にやりがい、愛着を見いだしていく。言葉が分かちがたく、アイデンティティーと結びついている。

もう一つのテーマは地方の逆襲だろう。特産品・紅花の収益を中央権力に搾取されも、ひたすら耐えていた地方が、結局はしたたかに、中央の裏をかくという大どんでん返し。
全体に薄暗い照明のなか、上方から銀の針のようなものが突き出た雨のシーンが多い。しかし大詰めで一気に視界が開け、まぶしい白い布を敷いた座敷、ずうっと舞台奥まで咲き乱れる紅花畑、立ちつくす農民たちが現れる。鮮やかな転換。巨大な五寸釘のような梁が十字架を思わせる視覚効果とともに、この国がもつコミュニティーの底力を俯瞰する思いがする。

広い劇場で俳優はマイクを使用。しかし音響の巧さなのか、不自然さは感じない。渋い配役のなかで、やはり亀治郎の存在感が際立っていた。登場人物が二人だけのシーンが多いのだけれど、一つひとつの所作が決まっているし、セリフ回しも大きい。舞台らしさが身に付いているんですね。膨大な訛りを立て板に水で駆使し、江戸言葉との混濁ぶりも滑らか。特に芸者・花虫(梅沢昌代)に正体を見破られて手にかけるあたり、ほとんど「油地獄」のようで、拍手したくなる。ラストのエビぞりでは大向こうから声がかかったし。

対する永作博美は潔い印象。遠目のせいか、きわどいセリフやお色気シーンを含めて、あっさりと透明感がある。「相棒」の山西惇らも安定感。群衆の歌と踊りは今ひとつのところもあったけど。帰りに山形のラスクを一人1個ずつ頂きました~

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ドン・カルロ

メトロポリタンオペラ2011「ドン・カルロ」 2011年6月

メトロポリタンオペラ来日公演の2演目目です。ファビオ・ルイジ指揮。NHKホール1階中央右寄りで、先週の「ラ・ボエーム」より2列ほど後ろなので、踊るような指揮ぶりがよく見えました。S席6万4000円。同じ列の左のほうにフリットリがすわっていて、感激。幕間にファンからサインを求められて、快くこたえてましたね。
今回も入り口でプログラムを無料配布。また冒頭にゲルブ総裁が登場し、「ヴェルディの大作をお楽しみ下さい」と自信たっぷりに挨拶しました。

上演するのは「フォンテンブローの森」の運命の出逢いから始まる、全5幕イタリア語版。1幕、2幕を続けて105分、3幕35分、4幕、5幕を続けて85分。休憩を含めて4時間半を超える長丁場ながら、とにかく曲が重厚で美しく、ちっとも飽きません。いつもながら生の演奏の波動は、体にいい気がする。いいぞヴェルディ。
今年初めにライブビューイングで観たバージョンだけど、演出は違っていて、伝統を感じさせるジョン・デクスターによる1979初演のもの。紋章を描いた重そうな幕や、金モールだらけの豪華衣装(レイ・ディフェン)がいかにも歴史ものという雰囲気を醸し出します。そびえる壁や巨大な宗教画などのセットはシンプルで、派手さや工夫はないけれど、明暗のコントラストがはっきりしていてわかりやすい。

歌手陣については滑り出しでやっぱり、主役キャストが2人とも変更になった痛手を感じてしまいました。カルロ役はカウフマンに代わって韓国人の若手、ヨンフン・リー(テノール)。声が前に出なくてオケに押されるし、やたら濃いメークにも違和感。「あの人に会ったとき」はタイトロール唯一のアリアなのに、聴衆の拍手もためらいがちです。対するエリザベッタ役のほうは、ネトレプコ降板でフリットリが「ラ・ボエーム」にシフトしたため、ライブ・ビューイングでも観たマリーナ・ポプラフスカヤ(ソプラノ)が急きょ代打ち。巧いんだけど、どうにも華がないんだなあ。オケもまったりした印象で、1幕は正直どうなることかと思いました。

しかし! 2幕「サン・ジュスト修道院」のシーンで期待の低音組が登場したあたりから舞台が引き締まり、主役2人もだんだん調子をあげて、結果的には非常に楽しめました。ロドリーゴ役は銀髪のディミトリ・ホロストフスキー(バリトン)。こもったような声質だけど、この役の理想家らしい自意識の強さがにじんで、大好きなカルロとの二重唱「共に生き、共に死ぬ」を格好良く決めてました。
こちらも代役、エボリ公女役のエカテリーナ・グバノヴァ(メゾ)は、自ら呪うほどの美貌、という設定にさほど(?)無理がないチャーミングさ。「ヴェールの歌」をさらりとこなします。エリザベッタが義理の息子の告白をぴしゃりと拒絶するところ、毅然としていい。そしていよいよフィリッポ2世のルネ・パーペ(バス)登場。ホロ様との掛け合いではさすがの声量、存在感です。

3幕は不吉さ満載の「王妃の庭園」のあと、舞台が人でいっぱいになる大がかりな「バリャドリード大聖堂前」、通称火刑の場。民衆の合唱による興奮と、宗教的抑圧の対照が見事。エキストラには日本人が使われているようでした。
4幕「王の居室」でお待ちかね、パーペが「妻は一度も私を愛したことがない」をたっぷりと。ようやく聴衆からもブラボーの声がかかりました。意外と悪役・宗教裁判長のステファン・コーツァン(バス)に迫力があった。素顔がわからないくらいの不気味なメークだけどね。エボリ公女の「むごい運命よ」の途中で、会場はちょっと揺れを感じてヒヤッとしたけれど、影響なく続行してました。
続く「牢獄」で、最大の見せ場「ロドリーゴの死」。ホロ様の哀しく美しい長音が響き渡り、ここあたりではリーも負けてなかった。

終幕「サン・ジュスト修道院」では主役2人が、出だしとは一変ののびやかさ。何度観ても唐突なラストは、奥の墓所から先帝カルロ5世が現れるスタイルでした。
カーテンコールではやはり低音組が大きな拍手を浴び、若いリーはほっとしたように大はしゃぎ。ポプラフスカヤは納得していないのかキャラなのか、クールな態度でしたが、最後にはルイジと主要キャスト全員が声を揃えて「あ・り・が・と」と挨拶してくれました。

今回のメト来日は当初、本国でもありえないスター揃いと発表されたため、不可抗力とはいえキャスト変更のがっかり感が強かった。とはいえ振り返ってみれば手堅い演目、演出を揃え、代役もかなりの水準で、かえってオペラビジネスとしてのメトの底力を感じさせたかもしれません。客席には千住明さんや林真理子さんの姿もありました。

METライブビューイング「ワルキューレ」

METライブビューイング2010-2011第12作「ニーベルングの指輪 第1夜 ワルキューレ」  2011年6月

今季MET話題のリングで、2作目の上映に足を運んだ。1幕1時間強、2幕1時間半、3幕1時間強で、休憩を挟んでトータル5時間強とうい長丁場。覚悟を決めて、楽なプラチナシートの中央後ろを確保しました。1階もけっこう埋まってましたねえ。

来日公演では観ることができなかった御大ジェイムズ・レヴァインの指揮。しかもジークムントはヨナス・カウフマン(テノール)。
体調不良を伝えられるレヴァインは実際、歩くのも結構辛そう。解説はドミンゴ。1幕後の幕間にレヴァインの足跡を綴ったドキュメンタリーDVDを宣伝があり、ドミンゴとの長い付き合いが紹介され、指揮者の存在感の一端に触れる感じがしました。

本編の目玉は「ラインの黄金」に続いて、ロベール・ルパージュのチャレンジングな演出。もちろん鍵盤状の巨大メカを使うのだけれど、前回ほどありえない立体感や映像に目を奪われることはありませんでした。3幕冒頭、大盛り上がりの「ワルキューレの騎行」で戦乙女たちが上下するところは凄かったけど。新国立で実際に炎があがったときの方が、初リングだったせいか驚きましたよ。でも今回は舞台装置より、人間ドラマが前面に出て良かったと思います。

なかなか骨太のカウフマンをはじめ、ジークリンデのエヴァ=マリア・ヴェストブルック(ソプラノ)、ブリュンヒルデのデボラ・ヴォイト(ソプラノ)ら、全員がとにかく大迫力。ワルキューレ8人に至るまで粒ぞろいというのは、さすがです。ヴォイトはラストなんか、逆さ吊りだしね。
特にヴォータンのブリン・ターフェル(バスバリトン)、フリッカのステファニー・ブライズ(メゾ)が、貫禄も説得力もたっぷりで、カーテンコールの拍手が多かったかな。

特典映像はキャストへのインタビューのほか、金管楽器の基本動機(ライトモティーフ)の解説でした。
これで今季のラインナップは終了。結局、12作中7作も観ちゃいました。よく通ったなあ。有名演目を体験し、デセイ、フローレスといったスターをチェックできて、オペラの楽しみが深まった感じ。2011-2012は幕開けでいきなりネトレプコ対ガランチャですよ。楽しみだなあ。

「ラ・ボエーム」

メトロポリタンオペラ2011「ラ・ボエーム」 2011年6月

指揮がMETの顔レヴァインの体調不良でファビオ・ルイジに、さらにミミ役の女王ネトレプコが土壇場で出演をキャンセルし、バルバラ・フリットリにシフトした、波乱の公演です。NHKホールで1階中央前寄り、S席64000円。

会場に入ると、なんと入り口で公演プログラムを「謹呈」していました。あまりにキャスト変更が多いので、これはなるほどと言える措置でしょう。また、開幕前にはゲルブ総裁が舞台上で挨拶。でも、会場の雰囲気はけっこう温かかった気がします。代役とはいえ、高水準のキャスティングだからでしょうか。

そのミミのフリットリ、昨年のトリノ王立歌劇場の来日公演でも聴いた役ですが、やっぱり好きだな~。幕開け早々こそ、ほかの歌手も含めてオケとのバランスなどがやや不安な感じがしました。もしネトレプコなら、もっと一目惚れって感じが出たかな、とも思ったけれど、そこはフリットリ、徐々に調子を上げていき、雪ふりしきる3幕、哀しい結末を迎える4幕にいたる頃には、豊かな声量、きめ細かい情感で泣かせてくれました。あざといほどのプッチーニ節とあいまって、これぞイタリア心!というべきでしょうか。
恋人ロドルフォのピョートル・ベチャワは、ちょっと線が細い気がしたけれど、いかにも2枚目。役に合っていたのでは。ライブビューイングで観て、個人的に期待していたマルチェッロ役のマリウシュ・グヴィエチェンは思ったより小柄で控えめながら、安定してましたね。一見ごついアメリカ娘のスザンナ・フィリップスは、伸び伸びしたムゼッタ役で拍手をもらってました。今後に期待。

フランコ・ゼッフィレッリの演出・美術は正統派。1幕カルチェラタンの屋根裏部屋は、書き割りといえば書き割りなんだけど絵画のような質感があり、続けて2幕カフェ・モミュスのシーンの幕が開き、繁華街を行き交う大勢の群衆が一気に現れると、聴衆から思わず拍手が起こりました。途中で前面の屋台がはけて、カフェが現れる展開も綺麗。馬とTOKYO・FM少年合唱団以外は、みんなNYから来ているんですよねぇ。この物量は凄い。

ある意味シンプルなボーイ・ミーツ・ガールの物語。そんな定番の舞台全体を、休憩2回を含めてトータル約3時間、オケの優しく甘い旋律が包み込んで、しっかり酔わせてくれました。

余談ながら、2F中央の財界人らだけでなく、1Fにはパーペ、ホロストフスキーの姿が。幕間に自席に歩いていくだけで、拍手が起きちゃう人気ぶりです。歌手が出演する以外の演目を客席で観るというのは、MET流儀なんですかねえ。

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