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METライブ・ビューイング「イル・トロヴァトーレ」

METライブ・ビューイング2010-2011第11作「イル・トロヴァトーレ」 2011年5月

4月30日上演をスクリーンで鑑賞。レヴァインが体調不良で、マルコ・アルミリアート指揮。ヴェルディ中期の傑作ということで、とにかく主要キャスト4人が競うように歌い上げます。ん~、迫力満点。

お話は15世紀スペインの内戦時代を舞台にした濃密な愛憎劇。けっこう暗い。
まず1幕、2幕を続けて約75分。冒頭では傭兵隊長が、ルーナ伯爵の弟が幼いころ行方不明になった経緯を語る。その誇り高い伯爵は、愛する女官レオノーラの逢い引きの相手が粗野な吟遊詩人(実は伯爵と敵対する騎士)のマンリーコと知って激怒し、決闘になる。三角関係の3人の重唱が見事。
2幕のジプシーの野営地の場面で鍛冶の仕事に合わせ、勇壮な「アンヴィル・コーラス」。老婆アズチェーナが息子マンリーコに、かつて伯爵家に母親を殺された恐ろしい体験と怨みを語る。ベテラン、ドローラ・ザジック(メゾ)の「炎は燃えて」が狂気をはらんで大迫力だ。怖いよお。マンリーコが死んだと誤解し、修道院に入ろうとするレオノーラを伯爵がさらいに現れ、これをマンリーコが颯爽と阻止。伯爵役ディミトリ・ホヴォロストフスキー(バリトン)が「君の微笑み」でダークに聴かせます。

休憩後、3幕、4幕を続けて1時間ちょっと。3幕で伯爵が母アズチェーナを捕らえたと知り、マンリーコは挙式寸前だったレオノーラを放りだして救出に向かう。幕切れのテンポが速い難曲カバレッタ「見よ、恐ろしい炎を」で、マンリーコ役マルセロ・アルヴァレス(テノール)が高音を披露。
4幕では結局、マンリーコも捕まってしまい、レオノーラがなんとか恋人を解き放とうと、伯爵に身を差し出すふりをして毒をあおっちゃう。おいおい。レオノーラ役ソンドラ・ラドヴァノフスキー(ソプラノ)が切ない「恋は薔薇色の翼に乗って」を熱唱。舞台裏からのマンリーコとの重唱も響きがいい。まさかのレオノーラの死に伯爵が激高し、マンリーコの処刑を命じると、アズチェーナが実は彼こそ行方不明の弟だった、と復讐の完結を告げる。

いやー、ドロドロですね~。主要キャストの4人は歪んだ愛や怨みに囚われ、誰も幸せにならない。複雑な人物造形が必要だけど、母さんザジックはインタビューで「できないんなら、やらない方がいい」って感じでばっさり。さすがの貫禄、厳しくも痛快ですなあ。
カーテンコールの一番人気はなんといってもハンサムな銀髪の伯爵、ホヴォロストフスキーでしょう。低音が響きます。アルヴァレスも頑張ってたし、ラドヴァノフスキーは少しごついかな、と思ったけど、観ているうちに、この揺れる声もいいかなぁ、と。あと、傭兵隊長フェルランド役のバスが溌剌として良かった。

ディヴィッド・マクヴィガーの演出は回り舞台を活用。場面や人物関係のつながりに無理がないと、出演者がインタビューで誉めてました。セットや衣装は地味めで、それはそれで暗い内容と合致してたかも。

談春らくごINにほんばし「百川」「紺屋高尾」

立川談春独演会「談春らくごINにほんばし」 2011年5月

コレド室町にある日本橋三井ホール。比較的新しいビルだし、落ち着いた空間です。フジテレビジョン主催、三井不動産特別協力。客層は幅広く、いつものように開演前から期待がみなぎる。演目にちなんで、ロビーではペリーに食事を供したという料亭「百川楼」の絵図(にんべん所蔵)や、御輿まつり「八雲神社天王祭」の紹介、老舗東都のれん会「伊場仙」のうちわ、笠仙の手ぬぐいを展示。三味線演奏まであって、江戸情緒が盛り上がる。
会場は平坦な床に、後方には階段を組み立てて椅子を並べた形式。前の方、少し右寄りのいい席で5000円。高座の背後には日本橋小舟町町会所蔵の四神旗・四神剣を並べ、なかなかの迫力だ。震災支援の寄付をして、有り難い四神旗の写真を頂く。2011053 201105_2 201105

前座はなく、いきなり談春さんが薄紫の着物で登場。5000円もとるのだから演出を考えた、という導入から四神旗・四神剣の説明、これを借りるために仲のいいさだまさしさんらに相談して、1週間魚や肉を絶ち「がんもどき生活」をしていた、「百川」は実在した料亭のPRだったかもしれない、といったマクラから、四神剣がキーになっている「百川」。
1年前にやはり談春さんで聴いた演目。奉公初日の田舎訛りの百蔵さんと、客で来ていた河岸の若い衆が、互いの言葉を聞き間違えて、馬鹿馬鹿しい騒動を巻き起こす。さすがに歯切れが良くて、気持ちよく笑えた。特に百蔵さんが、くわいのキントンを無理矢理飲み込み、座敷から戻っても目を白黒させているあたり、キュートだなあ。

仲入りを挟み、「最近何度もやってしまっていて」と言い訳しながら、楽しみにしていた「紺屋高尾」。紺屋の職人・久蔵が花魁道中を見物して全盛の高尾に一目惚れ。会いたい一心で、親方に言われるまま3年給金を貯め、醤油屋の若旦那というふれ込みで思いを遂げるが、正直に素性を打ち明けたところ、高尾がほだされて、という純愛物語。
いやあ、巧いです。久蔵の告白シーンで、藍に染まった指をみせるあたり、号泣! 言葉少なく、ぽろりと涙をこぼす高尾にも色気がある。通常の、座敷に通されていきなり告白(DVDで見ると談志さんもこの展開)、ではなく、一夜明けて、という設定にしてましたね。吉原のしきたりはわかりませんが、この方が高尾の反応を納得しやすい感じ。
久蔵を応援する親方はもちろん、妙なアドバイスをする女将さんもチャーミングです。女将さんに「これだから男ってのは子供だよ」などと、「古典らしくない」セリフを言わせたりして。
実は聴いたことがあるストーリーだなあと思っていたら、正蔵さんおはこの「幾代餅」が、ほぼ同じ筋の上方バージョンなんですね。迂闊でした。あちらは花魁道中でさえなく、錦絵だけで一目惚れしちゃうんだから、純情度が高い。それから久蔵を手引きする藪医者が、より怪しい感じだったかな。人気の演目、シンプルだけど現代に通じやすいストーリーかもしれません。かつて流行した「電車男」みたいですよね。

前半で思いこみの激しさやそそっかしさ、後半で「いい話」を心から応援する気っぷの良さ。日本橋にちなみ、江戸っ子らしさを堪能する2時間半でした。緞帳がないので談春さん、〆に戸惑っているようでしたが、全員で四神旗・四神剣に二礼二拍手一例して終演となりました。あ~、満足。

たいこどんどん

シアターコクーン・オンレパートリー2011 井上ひさし追悼ファイナルBunkamuraシリーズ 「たいこどんどん」 2011年5月

井上ひさし作、蜷川幸雄演出、音楽は伊藤ヨタロウ。コクーンの2階中央、前の方でS席1万円。蜷川さんプラス古田新太人気か、客層は幅広い。

プログラムによれば蜷川さんは、セリフもト書きも全くカットしないのだそうで、休憩20分を挟んで3時間半という長丁場です。ストーリーはいわばロードムービーで、若々しい印象。大店の脳天気な若旦那(中村橋之助)とたいこもち(古田新太)のコンビが、船遊びをしていて波にさらわれる。博打と女(鈴木京香が何役も兼ねて翻弄する)に目がない旦那のせいで、2人は行く先々で同じパターンの失敗を繰り返し、釜石から新潟へ、なんと9年にわたって放浪する羽目に。特にたいこはさんざんな目に遭うのだけど、何故か友情は壊れない。

お馴染みのお下品な歌や踊りが満載だけど、さほど毒はなく、むしろ土地土地の美人や文化が登場して、明るいお国自慢の雰囲気。蜷川さん定番の鏡を背景に、書き割り風のシンプルなセットが次々入れ替わり、役者の出入りも小走りでテンポがいい。
さらに井上ひさしさんらしく、たいこが早口で繰り出す駄洒落が徹底してナンセンス。歌のくだりは字幕で読ませる。初演は1975年というから、マンガ世代のギャグを伝統芸で見返す心意気だったのだろうか。

大詰め、ようやく2人が日本橋に帰り着いてみれば、明治維新で人も景色も一変していた。苦労して求め続けた江戸は失われたのか、いや、そんなお上の都合に振り回されてなるものか、というなけなしの反骨が披露される。
戯曲のメッセージはここまでなのかもしれないけれど、蜷川演出ではさらに、今日的な意味をかぶせる。「何もかもなくなってしまった」という言葉に、大波の書き割り。役者が勢揃いして、頭を下げる鎮魂のラストシーンが胸をつく。節目節目に流れる大らかな民謡調の歌や、「アメイジング・グレース」が感動的。やられました。井上さんだし、東北が舞台だし、特別な感慨に結びつくのは避けようがない。

古田新太は長ぜりふや三味線で奮闘、アドリブでは鈴木京香や六平直政をからかって笑わせるサービスも。とはいえ橋之助さんの声、所作が醸し出す柄の大きさ、色気にはかないません。勘三郎さん休養中の穴を埋め、カーテンコールではまず哀しい表情で泣かせて、再び幕があがると晴れ晴れとした笑顔をみせる。役者だなあ~

鎌塚氏、放り投げる

M&O playsプロデュース「鎌塚氏、放り投げる」 2011年5月

作・演出倉持裕。本多劇場の中央、前の方の席で6000円。若い観客が多い。

妙なタイトルなので、正直ちょっと警戒していたのだけれど、「ネジと紙幣」がよかった倉持裕、ともさかりえの組み合わせなので、期待して足を運んだ。結論から言うと、ハラハラドキドキ、気持ちよく笑えて、ほろりとする、よくできたお芝居でした。

「日の名残り」を思わせる、融通の利かない執事の鎌塚アカシが主人公。三宅弘城が、親から受け継いだ職業にプライドをもって行動すればするほど、厄介に巻き込まれちゃう愉快な人物を、達者に演じる。対する同僚・上見ケシキのともさかりえが期待通り。リズムが良くて、たおやかで、存在自体が綺麗なんだなあ。
上司にあたる華族・羽島夫妻の大河内浩と佐藤直子、屋敷に逗留している成り上がりの堂田夫妻を演じる片桐仁、広岡由里子が巧みなのはもちろん、あまり馴染みがなかったもう一人の執事役、玉置孝匡もいい味。

華族の屋敷という設定は現実離れしたもの。しかし、使用人が結婚したらご祝儀にいくら出すか、という論争があったり、俗物にしか見えない堂田が案外働き者だったりして、細部がリアルだ。羽島家の息子の存在が、伏線として効いている。そしてラストシーンの鮮やかさ。妙なタイトルにも納得です。

めまぐるしく登場人物が出入りするが、羽島家のいくつかの部屋と建物の外を、回り舞台で表現。仕掛けが精緻で感心する。人物の名前がそれぞれちょっと変わっているのだけは、意味があるのか、特にないのか、わからなかったけど。

文楽「源平布引滝」「傾城恋飛脚」

第175回文楽公演第1部 2011年5月

国立劇場。正面に親子襲名のまねきが並び、年配のご贔屓筋が多い感じ。ロビーはちょっと暗め、和生さんがお姫様人形とともに震災義捐金を募っていました。客席には女優さんの姿も。

演目はまず「源平布引滝」。2008年12月に観たことがある演目です。お祝いにしては血なまぐさい気がしたのは、私だけかな。今回の上演は「矢橋の段」から。大夫、三味線が御簾内にいるスタイルで、源氏の白旗を預かった小まん(勘壽さん)が、豪快に追っ手のツメ人形を投げ飛ばし、琵琶湖に飛び込む。
続いてテンポ良く「竹生島遊覧の段」。人間国宝・清治さんの三味線で、大夫5人の掛け合い。広々した琵琶湖上で、実盛(安定感の玉女さん)が小まんの腕を落とす。

10分の休憩後、襲名披露の口上がありました。人間国宝・竹本綱大夫改め源大夫さん、鶴澤清二郎改め藤蔵さんのお二人を、キング住大夫さんが紹介。三味線陣から人間国宝・寛治さんが温かく、また清治さんがユーモアを交えてお祝いを述べた。住さん、ちょっと言いよどんだり間違えたりしたけど、そのへんも愛嬌あり。

25分の休憩後、「糸つむぎの段」はまた御簾内スタイルで少し滑稽に。
「瀬尾十郎詮議の段」、通称「かいな」でいよいよ住大夫さん、錦糸さんコンビが登場。瀬尾十郎(待ってました勘十郎さん)に身重の葵御膳を詮議すると詰め寄られ、腕を産んだと言いつくろう。何度見ても荒唐無稽なんだけど、住さん節で持っていかれちゃいますね。瀬尾十郎の不敵な大笑いをたっぷり聞かせ、拍手。
次が襲名披露「実盛物語の段」。源大夫さんは体調が十分でないとのことで、前半だけの語りですが、さすがにきめ細やか。後半のピンチヒッターは英大夫さんです。途中、藤蔵さんは2度も糸送り。唸りも多かったし、聞き手としてはどうも落ち着かなかったけど、やっぱり張り切ってたのかな~
お話のほうは、実盛が琵琶湖の経緯を切々と語ったあと、瀬尾のモドリ、壮絶な最期…とめまぐるしい。勘十郎さん、大きな人形で迫力ある動きに拍手! ロビーで優しかった和生さんの九郎助はあくまで渋く、また葵御膳の清十郎さんは端正にじっとしているようで、細かく演技してましたね。幼い太郎吉(今回も簑紫郎さんでした)が綿繰馬にまたがり、強引に明るい雰囲気で幕となりました。

10分の休憩後、二つ目の演目「傾城恋飛脚」の「新口村の段」。千歳大夫さん、津駒大夫さん、ラストは寛治さんの滑らかな三味線が泣かせます。
「冥途の飛脚」の筋書きで、遊女・梅川(紋壽さん)のクドキ、目隠しした老親・孫右衛門(玉也さん)と忠兵衛(清十郎さん)の親子の対面が悲しい。幕切れ、背景が横に動いて背後に一面の雪景色が開け、二人を見送る孫右衛門の背中が、哀愁たっぷり。この演出、説得力があるなあ。

まだ初日から間がないせいか、全体にちょっと乗り切れない気も。とはいえたっぷり4時間、堪能しました。ちなみに9月は国立劇場45周年で、豪華ラインナップと予告されているそうです。節電で朝は早めだそうですが。さてさて~

METライブビューイング「オリー伯爵」

METライブビューイング2010-2011第9作「オリー伯爵」 2011年5月

4月9日のMET初演の映像を、新宿ピカデリーで観た。年配のオペラファンらしき人が多くかなりの盛況。マウリツィオ・ベニーニ指揮。

ロッシーニが「ランスへの旅」の旋律を仕立て直したという本作は、ちょっと下世話な大人の喜劇。見せ場の大アリアがない割に、コロラトゥーラの技巧の連続だし、大詰めには主役3人が組んずほぐれつというフランス笑劇っぽい展開なので、下手な歌手ではとても見ていられないと思うんだけど、さすがの豪華キャスティングで安心して笑えました。

舞台は十字軍で男不在の城下町。不良のオリー伯爵は行者に化けて若い美女をせっせと誘惑、美形の女城主アデルもものにしようと企て、今度は罰当たりにも尼僧のフリをして城にもぐりこむ。ありえないだろう~ アデルは優等生を装ってるけど、実はオリーの若い小姓イゾリエにときめいており、2人してオリーを撃退する。
バートレット・シャーの演出は、レトロな劇中劇の設定。冒頭いつものスタッフがマエストロを呼び込む緊張のシーンはなく、案内役フレミングさんの背後を、怪しげなおじさんが通り過ぎ、そのまま舞台に上がって幕を開ける、という洒落た演出でした。その後も蝋燭の照明やら、手作業の効果音、粗末な大道具やらを舞台上で見せ、お話の馬鹿馬鹿しさを包み込む。ロッシーニの旋律は繰り返しが多いけれど、きめ細かいコミカルな動きが満載で飽きさせない。

歌手陣はそんな緻密な演技を見事にこなしてましたね。タイトロールは、楽しみにしていたファン・ディエゴ・フローレス。とにかく声が若々しい! 女装したり、城のワインを勝手に飲んじゃったり、散々悪戯した挙げ句、追いつめられたら飛びきりのハイトーンで天を仰いじゃう。この脳天気さが、堂々とはまるんだなあ。
アデル役のディアナ・ダムラウも上品な声でいいバランス。意外に手が小さくて、お茶目だし。そしてイゾリエ役でメゾのジョイス・ディドナートがりりしく、カーテンコールでもいい反応でした。三角関係の一角がズボン役だと喜劇性が強調されて、現代の倫理観からはみ出しちゃう部分が気にならない感じ。劇中劇の設定といい、蜷川演出でみた「じゃじゃ馬馴らし」をちょっと思い出した。

ほかにオリーの相棒ランボー役のステファン・デグー(バリトン)、養育係のミケーレ・ペルトゥージ(バス)、アデルに付き添うふくよかなスサネ・レーズマーク(メゾ)も安定感があり、1幕フィナーレの7重唱なども楽しめました。

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