« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

欲望という名の電車

パルコ・プロデュース 欲望という名の電車 2011年4月

テネシー・ウィリアムズのあまりに有名な戯曲。実は恥ずかしながら、あんまり予備知識なく観に行きました。パルコ劇場の前の方、中央の席で7700円。観客は若い人が目立ったかな。

松尾スズキの演出は、小田島恒志訳の戯曲をかなり忠実になぞったものらしい。2間きりのコワルスキー家のワンセットで、休憩を挟みたっぷり3時間。
1947年初演とあって、移民やゲイへの偏見がカギになっている。慣れない翻訳劇のせいか、説明が多くて、途中どうも平板に感じてしまった。幕切れに至っては、もっとやりようがあるだろう、なんて思っちゃったりして。ほとんど古典なんだから、そういうこと考えるもんじゃないのだけど。

俳優陣は文句なく巧かったです。しゃべりっぱなしのブランチは、堂々の秋山菜津子。リズム感があり、滑稽なまでの虚勢とか、不安定な感じが前面に出ていたかな。その分、手当たり次第誘惑しちゃうような危うさは控えめ。何もかもうまく行かなくて、生活は破綻し、容貌の衰えにおびえるひとりの女。ティアラや派手なスーツで着飾れば着飾るほど、切ないです。
対する粗野な義弟、スタンリーの池内博之も、妹ステラの鈴木砂羽も安定感があった。やっぱり鈴木砂羽は声がいい。ちなみにラストは二人が寄り添う設定でしたね。
ブランチにひかれるスタンリーの友人、ミッチのオクイシュージが意外な存在感。どうしようもないコンプレックスとか、必死な感じが伝わってきた。裸電球を引っ張ったり、扇風機に髪を吹かれたり、唐突にコミカルな動きになるのには、いささか戸惑ったけど。

METライブビューイング「ランメルモールのルチア」

METライブビューイング2010-2011第8作「ランメルモールのルチア」 2011年4月

3月19日に上演したドニゼッティ「ランメルモールのルチア」イタリア語版。新宿ピカデリーのプラチナシートを試してみました。2階中央のゆったりした席で快適。

パトリック・サマーズ指揮。再演となるメアリー・ジマーマン演出は、色を抑えたヴィクトリア調の衣装にスコットランドの荒野、破滅の伏線となる幽霊の登場、狂気を象徴する大きな月、傘をさした葬列など、ゴシックホラーっぽい仕掛けが満載です。登場人物の思いがぶつかり合う中盤の見事な六重唱で、記念撮影をする演出も意表をついてる。
2回の休憩を挟み、1幕と2幕が約40分、3幕が約50分。内容はシンプルな「ロミオとジュリエット」なんだけど、曲調に明るい印象があり、その美しさがかえって悲劇を引き立てる感じ。

なんといっても圧巻は、当たり役ルチアのナタリー・デセイでしょう。ちょっとかすれる場面もあったけど、冒頭からコロラトゥーラの連続で、小柄な体のどこからあれほどの声が出るのか。見どころ15分にわたる狂乱の場は、カデンツァ(無伴奏)など緊迫感にあふれ、最後はなんと階段で抱きかかえられた姿勢のまま大拍手を浴びてました。幕間のインタビューで、演技派といわれるけれど、演技と歌とのバランスを意識している、とコメント。喉の不調から再起しての、この自信。貫禄だなあ。
対する恋人エドガルドのジョセフ・カレーヤは、デセイの手のひらの上といった風情ながら、張りのある甘いテノールで、終幕のアリアをたっぷり聴かせました。カーテン・コールで感極まった感じが好印象。
兄エンリーコはルードヴィック・テジエ。響きのある低音、容貌も魔法使いみたいで威風堂々の敵役っぷりです。決して根っからの悪人ではなく、親の代からの呪縛、政治的に追いつめられた人間的弱さがよく伝わってきた。

おまけの映像はライブ・ビューイングならではのお楽しみ。冒頭に登場する犬とその飼い主夫妻とか、大道具、衣装係などスタッフの職人ぶりが面白かった。いやー、堪能しました。

柳家花緑・柳家三三 二人会「大工調べ」「二階ぞめき」

柳家花緑・柳家三三二人会 2011年4月

赤羽会館の1階講堂。1階やや後ろよりの左端、S席3500円。わりあい若い人が目立ったかも。

まず花緑さんのお弟子で二つ目、柳家まめ緑さんが元気よく「二人旅」。
続いて三三さんが登場。この日は箱を持って立つのではなく、パンフレット販売(価格は自由)という形で募金を集めると説明。お客さんに余計なプレッシャーをかけたくないとのアイデアですが、肝心のパンフレットのデザインが思ったものと違ったことを、繰り返し嘆いてから「大工調べ」。前に談春さんで聴いた演目だ。
三三さんは、志ん朝の前で演じたこともあるとかで、大岡政談のお裁きまでをたっぷりと。こんな時だから、棟梁の気っ風のよさが気持ちいいです。口は悪いが、気の利かない与太をきちんと面倒みている、人と人のつながり。聴かせどころの江戸前の啖呵はかなりのスピードながら、言葉が聞き取りやすくてさすが。一方、大家の意地悪さは抑えめだったかな。

中入りでパンフレットを購入。そして後半は花緑さん。マクラがけっこう長くて、3・11東京駅の新幹線ホームでの出来事、若者は街頭募金に立つよりバイトして社会に参加して、という主張、笑いの効用、など。それから小さんの歯磨きを間違えたときのエピソードに触れ、そんな家に育った自分に似合う演目はやっぱり若旦那ものだと思う、とつなげて「二階ぞめき」。
番頭が若旦那の吉原通いを止めようと諭してみると、実はひやかし(ぞめき)がなにより好きだ、というケチな話。それならと店の二階を改装して、バーチャル吉原をしつらえちゃう。ここで大工が出てきて三三さんの演目に引っかけるあたり、巧い。後半、二階で繰り広げられる若旦那のひとり芝居も、馬鹿馬鹿しくて憎めないなあ。三三さんにも通じることだけど、端正で上品で聴きやすかったです。あんまり色気はないんだけどね。

終演後、ロビーで二人並んでパンフレットにサインしてくださいました! なんか得した気分。
201104
201104_2

201104_3

国民の映画

パルコ・プロデュース公演 国民の映画 2011年4月

作・演出三谷幸喜。パルコ劇場の前の方左寄りで9000円。観客は年齢、男女とも幅広い。

設定は1941年秋、ベルリン郊外。ゲッペルスの招きに応じて集まった映画人たちと、招かれざるナチスの要人とが過ごす一夜の物語だ。
これでもかという豪華キャストで、15分の休憩を挟みたっぷり3時間。荻野清子のピアノにのせて歌あり踊りあり、笑いあり。とはいえ、芸達者たちが見事に演じれば演じるほど、物語の重さ、もやもやが高まる感じがした。

何よりもゲッペルス(小日向文世)の人物像が複雑だ。表の顔はヒトラーの片腕として、厳しい検閲を遂行する傲慢な宣伝相。しかし無類の映画好きという点はけっこう無邪気で、チャップリンに傾倒し、「風と共に去りぬ」に憧れている。ゲーリング(ふとっちょの白井晃が印象的)との奇妙な友情もある。彼はホームパーティーに足を運んだ最高の俳優、スタッフを結集し、理想のエンタテインメントをつくりたいと熱望している。

一方の監督や俳優たち(シルビア・グラブ、新妻聖子、小林勝也、風間杜夫ら)は、大作に参画したいという思惑をもち、様々な形で権力に対して妥協を重ねている。一つひとつの妥協は小さいことだ。何かを形にして発表しようとする限り、時代の権力に決定的に逆らうことなんかできない。 
けれど、やがてその妥協が信じられない大きな過ちにつながると気づいたとき、表現者たちにいったい何ができるのか? 芸術を愛するのは自由だが、芸術には愛されないだろうーー。若々しい反骨の作家でありながら、ゲッペルスに協力したケストナー(今井朋彦)の存在が、やりきれなさを際立たせる。

冒頭はゲッペルスと、控えめで博識な執事フリッツ(小林隆が端正に)との2人のシーン。賑やかなパーティーを経て、客たちが次々に屋敷を去ると、幕切れはまた2人だけのシーンになって余韻を残す。二人の関係は決定的に変質しているのだけど。

大階段のある広間のワンセットというシンプルな舞台。ほかにヒムラーの段田安則、ゲッペルスの妻に石田ゆり子と役者が揃い、周到な笑いや存在感がてんこ盛りだ。大詰めで地震が起き、今という現実を感じつつの、緊張感ある舞台でした。

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »